書院、文豪、ルポ、オアシス…「ワープロ」が絶滅してしまった理由って [566475398]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
富士通(6702)は15日、OASYSシリーズとして1980年に発売開始以来、これまでに420万台を出荷してきた
ワードプロセッサー専用機の生産を終了したと発表した。大手メーカーとしては昨年10月に
製品出荷を終えたNEC(6701)に次ぐもので、日本独自の技術と文化とまでいわれたワープロはこれによって
市場からほぼ姿を消すことになる。
OASYSシリーズは、ワープロ機能だけでなく“親指シフト”や日本語処理技術で独自の機能を盛り込んで人気を集めたが、
パソコンの台頭で1989年にピークを迎えた以降は漸減。富士通としては親指シフトはパソコン用キーボードとして、
日本語処理はパソコンソフトのOASYSとしてそれぞれ継続していけることから、ハードウェアの生産を打ち切ることに決めた。
https://www.watch.impress.co.jp/finance/news/2001/02/15/doc2006.htm シフト押しながら横→押すと ネ申 みたいに文字が伸ばせた 初めてのワープロは親父が買った文豪mini7Hでした。
フロッピー2基、白黒CRT 僕(ポチポチ「茹で卵」っと)
ワープロ「茹でた孫」
もう終わりだろこの機械 書院使ってたんだけど表とかの罫線引くのが地獄だったわ
Windows95で初めてワード使った時に表がこんなに簡単に作れるとか魔法のようだと思った S-Shoin(スーパーショイン)「ここにいるよ!@シャープスマホ」 >>11
こう断じる事が出来たのってWindowsが大衆化して無かったからなのかね >>16
ネットがパソコン通信ぐらいだったしパソコン用プリンター買うのそこまで一般的じゃなかったから
値段差考えれば文書作成用途しかなくてもワープロ側にアドンバズがあるって思ったんじゃないかね
今見ると馬鹿の集まりにしか見えないけど俺も当時正しく分析できたかは言うほど自信ないな 束坊の業務用ワープロ 870万円もしたのだ
活字をひらう和文タイプ機械方式の電子化
家庭用としてはマイコンより高く30万円近くした。 脚本家の井上俊樹が昔から同じワープロ使ってて
これが壊れたら廃業とか言ってたそうだけど
廃業してないからまだ使ってるんだろうか 1990年頃RUPO50
液晶表示画面2行相当でプリンタ内蔵
RUPO70 90で表示画面が大きくなり
10万円前後となる。 年賀状には少し高いかな?
各社から販売された。 >>24
液晶が2行しかないやつは安かった。5〜6万で買えた。 かと言ってワードが使い易いかと言えばそうでもない
日本メーカーのSW技術結集して使い易いワープロソフト作ってくれよ 家にワープロあったから同人やってる女の子の手伝いしては仲良くなって食ってたわ。90年頃の話 パソコンに需要持っていかれたのは、インクジェットプリンタの普及が大きい。
年賀状が家で綺麗に印刷できるようになった ドット絵が作れる機能があって
高校の先輩が名古屋コーチンとか可愛い絵を作ってた データの保存 フロッピーDISC
複製・保存DISC作成では、バッファー容量が小さく
Master SlaveをFDDに交互に抜き差し 10回ほど繰り返して
複写を行った。 順番を間違えると大変なことになります。
印字速度も極めて遅い。
リボンが高いから専用の感熱紙を使っていた。
社外報告・取説・各種事務文書作成のため秘書室
総務部門でワープロ文書作成部門が組織されオペレータ採用された。
文書構成・打ち込み 美しい仕上げのプロであった。
現在はPPT作成のプロ部門か? >>20
1989年当時はPC-98がパソコン業界を独占してたけど、プリンタがドットインパクトぐらいしかなかった記憶
そのプリンタが、ほぼNECが独占してたから高かったし
100枚程度の年賀状の作成とかはやっぱりワープロが向いてるだろう
1980年頃に始まって、2000年頃までワープロ文化が残っただけでも成功したといえる >>29
ワープロの辞書に内蔵されてない文字をドットを打って作り出す外字機能とかあったよね >>25
最廉価機は2万しなかったぞ
子供向けワープロなんてものもあったくらい 2000年頃、担任が50歳ぐらいのおばさんでワープロ使ってた
それがちゃんとワープロ使ってる人を見た最後だな >>32
ノートパソコンも白黒のショボいのしかなかったしな
しかも異常に高かったし
プリンター付きで持ち運び出来たってのもデカかった >>11
これはポジショントークもあるよな
ワープロ作ってる会社の広報が「ワープロに未来はない」とは思ってても言えないだろう インクリボンのワープロはもうインクリボン自体が規格品ないから稼働無理だけど
感熱紙方式のワープロは今でも使える これなかったらパソコン流行らなかったろな
2バイト文字ワープロソフトなわけやから >>45
創刊号ってタウンズ用のCD-ROMついてたよね >>47
だからポメラがずっとあるぐらいの需要はあるんだろうな
文字しか入れらんない機械 ワープロ感覚をPCに取り入れた
束乏の言の葉 ソフトも販売された。
バカ太郎(一太郎)初期では誤変換が多く生じた。
おもわず吹き出してしまうことも。 プリンタ分離型のワープロ・表計算・通信ができるノート型ワープロをノートPCの前に使っていたが、大して違いはなかった。
今そのプリンタだけ一度も使わずに残っている。WINDOWS以前の話だった。 束乏ルポ
ノート型 プリンタ分離タイプ:
現在のノートパソコンタイプ 同様形状
出張用カバンの中にも入れて持ち運びできる。
客先打ち合わせ: 会議 客先提出書類 FDで渡す:
客先のプリンターを借りて仮契約などビジネスに変化があらわれる
束乏製品 プレゼン資料
ワープロでプレゼン資料を作成し、印刷出力:
レーザープリンタで専用OHP透明フィルムに転写
学会発表用では、ポジスライドから遷移:
OHPフィルムに補足はマジックインクでカキコできるところかな?
色付けは両面テープ付きカラーフィルムをハサミで切って接着していた。 プリンターがインク商法を軸にして安価戦略取ったから、ワープロ要らなくなっちゃったんだよね >>45
アイコン懐かしいな週刊アスキーになるまで見てたわ
文豪mini 7Rを親父が使ってたの思い出した 初期のワープロ表示 青色液晶バックライトなし
大型はCRTつかってたね
液晶の色: ユーザーのこのみがあったからだって >>55
そんなのもっと後だ
ワープロがなくなったのは個人ユースのパソコンが普及したから
パソコンの方が高くはついたが色々な事ができるわけで、わざわざワープロ専用機を買う必要がなくなった たしか2000年頃にはもう随分とワープロが衰退していたな
このあたりからTFT 1024x768液晶とモバイルPentium III、RAM 512MB搭載可能と
ノートPCがまともにバリバリ実用的スペックを獲得し始めたのと前後している
重くデカいデスクトップは絶対に嫌だと敬遠してたワープロユーザーが
続々とWindowsノートに乗り換え始めたのだと推測する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています