B29 実は日本の防空体制に多数撃墜されてた模様 一度の空襲で26機も失ってしまう [538768444]
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意外と多かった首都圏でのB-29撃墜
当時の日本軍の防空体制は非力で、B-29爆撃機には手も足も出なかったといわれることもありますが、実際はそうでもなかったようです。
たとえば、1945(昭和20)年5月23日深夜、空襲で東京に飛来した558機のB-29は、日本軍機の迎撃や高射砲の射撃で17機を失い69機が損傷を被りました。
また2日後の5月25日深夜に再び東京を襲った498機は、26機を失い100機が損傷しています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/56a4987ac5e78c3d1c935f8e4680d00d15c3525c?page=2 祖父の田舎に落ちたって聞いたわ
脱出してきたパイロットは全員処刑されたらしい なお連合軍のドイツ空襲では米英それぞれ
10倍以上の損失と万単位の戦死者を出したもよう というか他の国では実用化レベルでないものを
消耗品扱いで無理やり使ってるから故障率高かったろ そりゃ万単位で飛んでいれば100機くらいは何もしなくても落ちるだろ いくらB29を撃墜しようが本土に爆弾落とされてたら負けなわけで
ノモンハンでソ連兵の被害が大きいから実質勝ちみたいな理屈と>>1は一緒だな 爆撃被災者は約310万人、死者は11万5千人以上、負傷者は15万人以上、損害家屋は約85万戸以上の件数となった。
はーつっかえ 爆撃機の搭乗員にだけはなりたくないよな
戦闘機に襲われたら絶対に落とされるやん なるほど、だから日本は大東亜戦争に大勝利したのか
アホか 居住環性能を極限までケチって酸欠でフラフラになりながら飛んでたジャップ機を横目に
B29はエアコンが効いた与圧キャビンでクルーはTシャツ姿にジャズを聞きながら乗務してたんだよな ヨーロッパ戦線のB17の撃墜数聞いたら泡吹いてぶっ倒れてそう >>16
ジャップの戦闘機は10000mまで上がってこれないから大丈夫 >>23
高高度爆撃は途中で止めてるぞ
ジャップの防空体制がザルってバレてからは中低高度爆撃に変更
なんなら機銃も外してその分爆弾積んでる 反撃できずに焼き払われてたイメージだけど26機も落としたなら十分やろ
あんな劣悪な飛行機使ってたわけだし >>25
その舐めプのせいで落とされ始めたんだけどな
ずっと高高度爆撃してれば犠牲出さずに一方的にジャップを焼き払えた 実家の市ではB29が河川敷に不時着した
乗員が数人生きていたが
消防や警察が守って保護している
何年か前にその乗員が日本に来て、当時保護を手伝った子供とかと交流事業してたよ 主力は中国にはりついていたから戻せばアメリカに勝てたね、、、 >>20
+リモコン式の12.7mm機銃で応戦とかチート過ぎる 待てよ、帝都東京だけなんとか頑張って守れば後はどうでもいいわけか?? 日本陸軍の主力は中国にいたから戻せばいい戦いしただろうなあ、、、 1割も落とせてねえじゃんw
まあ思ったよりは落としてるってだけで貧弱には変わりないなw こんなとっくに勝ち確定してるのにダラダラやってる戦争で撃墜されるリスクを負って出撃するのはのはバカらしいな
20機に1機って命がけの勝負としたら確率たけーよ 空襲なんかされなかった和歌山の山村では
墜落死したB29の乗員を丁重に葬って戦争中から供養とかやってた 5%は結構キツい数字で10%なら作戦継続危ぶまれるぞ
もっとも防空体制整ってたのは関東だけで他は竹槍だったが 一度にたくさん飛んで来すぎだろ
これで戦争継続してんだからキチゲエだわ 撃墜率たったの5%
こういうのを手も足も出なかったって言うんじゃね? 爆撃機の捕虜は憎まれてたからたいてい毒殺とか銃殺とかいろんな手段で消されてたんよな。 欧州に派遣された爆撃隊員はドイツ軍に撃墜されまくって可哀想
ジャップ相手ならほぼ一方的だったのにね >>41
まあ必要ない犠牲もあったろうねw
シーレーン封鎖するだけでジャップなんか勝手に干上がったけど
ソ連の勢力拡大が怖いからさっさと降伏させようとして無駄に消耗させたアメリカの根負けだよなw >>47
お前が乗ってる飛行機が5%の確率で墜落して、その上黄猿の劣等人種に拷問されて殺されるとしたらどうする? 逆の意味である種の人命軽視よな
物量とともにどんどん人命を消費しまくる >>1
B29に被害が出ない高高度爆撃だと
ジャップ側の被害が軽微だったから
かの鬼畜ルメイがB29の損害度外視して低高度爆撃に切り替えたから
B29の撃墜が増えたんだよ
おかげでジャップ側の損害は鰻登りだったけど >日本軍機の迎撃や高射砲の射撃で17機を失い69機が損傷を被りました。
また2日後の5月25日深夜に再び東京を襲った498機は、26機を失い100機が損傷しています。
あとこれの読み方は言うまでもなく、日本軍による直接撃墜数なんか本当は皆無に等しい、でもある
終戦間際の(B29にしては)低高度爆撃であったにしても 昔のcivだとたまに槍で戦闘機落とせたりするけどあれってリアルだったんだな 日本の爆撃機がアメリカ本土いったらほとんど落とされるわw >>51
一晩で500機もの爆撃機が飛来して3000トンもの爆弾落とされる東京に住んでたらどう思う?
平時の飛行機の安全性と比較するとかバカなのか? その空襲で日本人が何人焼け死んだと思ってんのよ
戦争て軍人だけがようやっとるで済まされんのよ >>20
撃墜された搭乗員が薄着だつたのでアメリカも服を着ることができないぐらい苦しいんだ!あと少し頑張れば日本も勝てる!って日本軍は宣伝してたってさ >>58
民間人無差別攻撃を始めた国は日本なんだわ https://i.imgur.com/rAblHFl.jpg
なお、そのあとこれが核と細菌兵器やまもりにして飛んでくる予定でした
横のチッサイのがB29 東京大空襲での死者が10万人、当時の東京の人口が350万人くらいとすると3%
空襲を受ける都民よりB29のパイロットの方が死のリスクが高かったというと確かにちょっと面白い >>65
本土空襲墜落機調査とかPOW研究会で探せば出てくるんじゃないかな 第二次世界大戦におけるB-29の損失
アメリカ陸軍航空軍の統計によれば、B-29の太平洋戦争における延べ出撃数に対する損失率(Combat LossesとBomb Sorties比較)は1.32%程度とされているが、東京に対する空襲においては損失率が跳ね上がり3.3%となった。しかし、ドイツの首都ベルリン空襲のアメリカ軍とイギリス軍爆撃機の損失率は6.6%と東京空襲の2倍の損失率であった ヨーロッパ戦線ではもっと悲惨だったからな
B-17だけで4,688機を喪失
ランカスターは2,687機を喪失
喪失率は37%に及ぶ
ドイツ空軍怖い >>47
損害が1割なら勝っても作戦は失敗、3割で壊滅的な損害、5割で全滅扱い >>66
そういや10万人、てもう実質国家機能失っていた日本かつ東京のその報告は言うほど正しいのかな
そもそも戦前の戸籍捕捉率も実はどうなんだろ、と俺は思っているんだけど 一度の戦闘でか?
戦闘継続を判断する損耗率で考えるとかなり大きいね 撃墜されて捕虜になった後に収容先の広島で被爆した爆撃機の乗組員とかいるけど、その中で一人だけ逃げおおせて被爆しなかった奴おるんよな
なんか普通に鉄道に乗って捕まって他の乗組員と違うところに送られた変な奴だけど >>70
そのうち実際の被撃墜率はどのように算定されてるだろ? >>70
ドイツはあの時代にジェット戦闘機使ってたからなぁ >>77
あのロンサムレディね
墜落日時 1945年7月28日
墜落位置 山口県玖珂郡伊陸村久可地(現:山口県柳井市伊陸字久可地)
所属 第7爆撃機集団第494爆撃群第866爆撃隊
攻撃目標 広島県呉江田島停泊戦艦榛名
墜落原因 高射砲
機体ニックネーム LONESOME LADY
Abel二等軍曹は8月4日徳山駅構内貨客列車内で海軍により拘束、8月9日呉海軍軍法会議に送付。 8月21日東京俘虜収容所本所分遣所(在神奈川県大船町)に収容。
8月19日宇品憲兵分隊で被爆病死したNeal二等軍曹以外の5名は8月6日原爆により爆死した。 旧日本軍の対B29戦闘機要求性能
高度10000m以上で時速700km以上
試作機で達成した機体は一機も無い >>83
そんなのがアメリカから8000キロくらいかけて飛んでくるわけでもう サイパンとかテニアンから長駆日本本土へ爆撃に来てたからでしょ
洋上で故障すればほぼ墜落なんだから距離の短い欧州とは損失の意味合いが少し違う その代わり都市は火の海だった
しかし上級国民は痛くも痒くもなかった
上級ジャップの一般市民に対する意識の差がアメリカ人には想像できなかったのである 損耗と撃墜の違いをあえて無視すると>>1みたいな嘘スレタイは作れるんだという良い見本だけど 小笠原事件
1945年に小笠原諸島父島において日本の陸海軍高級幹部が、アメリカ軍航空部隊の搭乗員である捕虜8名を処刑し、そのうち5名の人肉を嗜食した事件。
立花陸軍少将の依頼により海軍において処刑・嗜食したとされる。後の証言によれば、立花は米兵の手足の肉や内臓を食べると、「これは美味い。お代わりだ!」と喜んだという。
堀江芳孝陸軍少佐は、立花らの素行にかねてから不安を感じており、捕虜の将校を自分の英語教師として身近に置くことで守っていたが、3月26日、外出後に戻るとすでに処刑され森海軍少将・的場陸軍少佐らによって喰われた後であったとされる。 岩本徹三著「零戦撃墜王」より抜粋
File01 1945.4.28 鹿児島上空 単機出撃B29を撃墜
1945年4月28日、連日の空襲にも関わらずB29を1機も撃墜できない戦闘機隊に対して体当たりによる特攻命令が下りそうになった。
そこで岩本分隊士は特別に午前、午後を通じての出撃待機を志願する。
午前8時、空襲警報と同時に出撃、飛行場上空を2旋回して高度2,000mに達したとき飛行場を見ると追従してくる機が無い。
実は空襲警報は誤報で無線電話により出撃中止命令が出たのだが、岩本機の電話が故障で通じなかったのである。
仕方なく岩本は高度を9,000mまで上げ鹿屋−鹿児島間を単機哨戒する。
春とはいえ、9,000mの高空は氷点下の温度で飛行服を通してに寒さが身にしみてくる。
高空性能の悪い零戦のエンジンでは高度を維持することも容易ではなかった。
酸素をくわえて哨戒を続けること30分、鹿児島方面に光るものを見つけて近づいてみると紛れも無いB29の編隊である。
司令部に電話で「敵大型機約30機発見」を伝え、編隊に接敵する。
敵編隊の高度は5,000m、岩本機は9,000m。高度の優位を活かし先頭機めがけて「垂直背面攻撃」を仕掛ける。
敵編隊の弾幕で目の前が真っ赤になる。
照準を敵一番機のコクピットにあわせぎりぎりまで接近して、20mm、7.7mmの全火網を注ぐ。
射撃時間は1秒か2秒だが接近しすぎて避退時期が遅れた。岩本は激しい衝撃で気を失ってしまうが、
何秒かで気が付き高度2,000mで立て直す。機を点検すると右翼の先端がB29との衝突でもぎ取られている。
敵編隊を確認すると1機のB29が編隊から脱落し黒煙を吐きながら志布志湾に不時着するところであった。
岩本の一撃はいままで落とせなかったB29をついに血祭りにあげたのである。
そして、南九州でもB29を撃墜できたということで若い搭乗員達の士気を大いに高めたのである。 *解説*
「垂直背面攻撃」は高度な操縦技術を持ったパイロットが大型機を攻撃するときの最も効果的な戦法であった。
操縦の困難さに加え攻撃、避退のタイミングが難しいため熟練したパイロットでなければこの攻撃方法を成功させることはできない。
しかし、錬度の高い零戦パイロットがこの戦法で攻撃をした場合、他の戦法には無い有利な点が幾つもあった。
まず自機の正面と敵機の上面が向かい合うため、敵機を逃すことがない。通常の急降下では敵機が自機の死角に入ってしまい、
敵機が見えなくなる恐れがある。次に自機と敵機が反航になるため相対速度が上がり、機銃弾の威力が増すことが上げられる。
また垂直に急降下するため敵機の機銃の照準も困難になる。
零戦が単機でB24やB29などの「四発重爆」を撃墜するには、「垂直背面攻撃」でコックピットを攻撃するしかないであろう。
岩本はラバウルでのB24攻撃の際に、大型機の攻撃方法を同僚とともに深く研究していたと考えられる。
零戦の性能ぎりぎりの高空まで酸素をくわえながら上昇して、敵機を一撃するのも岩本得意の戦法であった。
この攻撃の成功により、戦闘機隊の特攻命令も出されることがなくなり、若い搭乗員たちの命を救い士気を大いに高めたことであろう。
プレッシャーのかかる局面で戦果を出さなければならない出撃において、戦果を出し続けるのも岩本の真骨頂といえるだろう。
この攻撃の成功により303飛行隊の名声はもちろん、海軍航空隊への国民の信頼を高めたことであろう。 >>86
そうね
そもそも1945の最終局面の東京大空襲でも皇居(帝国の表記だと宮城)に対する爆撃は皆無だったんだよな
1945 5/25の時に僅かに誤爆レベルで皇居関連に被害が出ただけなはず >>93
いたからな、ということはそれは例外であるという理解はまずあるよね
君を責める訳じゃないけどその辺の理解の確認はまずしたい イギリスやソ連は高度1万メートルでもまともに動ける戦闘機作ってたのにな
日本にゃ無理だった >>86
上級国民の豪邸は戦後米軍が使う予定だったから意図的に残しておいたんだよな
帝国ホテルも銀座日本橋のデパートも同じ理由で残された 降伏が早すぎるよね。あんだけ神州不滅とか日本最強と豪語していたのに大嘘つき
アメリカ人は軟弱だから本土空襲すれば講和できるとか想定してたけどさ
それボコられて空襲されたらあっさり降伏した日本のことだったね > たとえば、1945(昭和20)年5月23日深夜、空襲で東京に飛来した558機のB-29は、日本軍機の迎撃や高射砲の射撃で17機を失い69機が損傷を被りました。
あんな化け物みたいな機体を一度に558機出撃させられる時点で勝負ついてるよね🙄 >>97
空襲かけてもピカ落としてもジャップ上級は田舎に逃げて戦争継続するつもりだったぞ
だからダウンフォールを考えてたわけで
上級の資産に手をつけられると分かった瞬間に降伏よ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています