国民民主が内ゲバ、玉木「バカ前原。俺は小池百合子派だ!」前原「バカ玉木!俺は維新とくっつきたいんだ」 [258663303]
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21日の衆院予算委員会で、国民民主党が政府提出の2022年度予算案に賛成した。
首班指名で自民党総裁の名前を書くのに匹敵する行為で、野党としては異例中の異例。あの日本維新の会でさえ反対したのに「野党とはいえない選択」(立憲民主党・泉代表)などと物議を醸している
さらに、採決前の締めくくり総括質疑で質問予定だった同党の前原誠司代表代行が欠席し、代わりに玉木雄一郎代表が登場。「何があったのか」と政界で持ち切りだ。
前原氏は反発。岸田政権と対決姿勢を取る維新と距離を縮めており、賛成に納得できなかった
「前原氏は離党するのではと噂になっています」(永田町関係者)
離党するのか否か、前原事務所に聞いたが「同じ質問をいくつか頂いているが、答えられない」(担当者)とのこと。
参院選へ向け玉木代表を中心に連携を模索中の都民ファーストの会への嫌悪感が背景にあるようだ。
「維新寄り」の前原代表代行は離党か
「17年衆院選の際、小池都知事に近い議員が中心となって発足した『希望の党』への旧民進党議員の合流を主導したのは、当時代表だった前原氏です。ところが、結果は大失敗。前原氏にはトラウマのようで、小池知事とは互いに『二度と組みたくない』とこぼしている。」(官邸事情通)
国民民主と都ファの連携話は「まるで第2希望の党」と揶揄されているが、今度も大コケしかねない。連携以前に国民民主が“空中分解”する恐れもある
都ファ関係者もヤケクソ気味に話す。
「われわれに維新と組む気はありませんから、前原さんと維新の近さは気にはなっていた。彼は合同勉強会にも参加してなかったですしね。国民民主には他にも維新と近い議員がいる。今後も維新に近づき、離党騒ぎを起こす議員が出てくるのではないか。この際、国民民主は“維新派”と“小池派”に分かれてもいいんじゃないですかね」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f2106ec99ebae4ecd64ebe27e763d70c4bd3546c 考えの違いが憎悪に変わり分裂を繰り返す
まさに野党はジャップそのものじゃないか 前原は選挙区の京都で維新の刺客立てられるのが怖いんだろ 芳野友子連合会長お気に入りの国民民主党はかって日本に存在した 「民主社会党(民社党)」 に酷似している。
すなわち、1959年6月の参院選敗北の総括と60年安保闘争の運動方針をめぐって、同年10月に社会党右派の西尾末広派が日本社会党から脱党するとともに、同じ右派の河上丈太郎派の一部も同調して離党し、1960年1月に民主社会党として結成した。
発足時、西尾末広が中央執行委員長(党首)に、曽祢益が書記長に就任した。
彼らは当時の政権党である自民党と対峙することよりも、出身母体の日本社会党との違いを強調することに腐心し、限りなく自民党にすり寄っていった。
その結果、国民からは 「第二自民党」 と認識され、存在価値を示さないまま、蟻地獄に落ち込んだ蟻みたいにずるずると深みにはまって議席を減らし、25年後に政治の舞台から消えていった。
歴代委員長
西尾末広 (1960-1967)
西村栄一 (1967-1971)
春日一幸 (1971-1977)
佐々木良作 (1977-1985)
塚本三郎 (1985-1989)
永末英一 (1989-1990)
大内啓伍 (1990-1994)
米沢 隆 (1994-1994)
http://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1645511430/118 辻元清美は“敵前逃亡”、蓮舫は社長業に? 八方ふさがりの立憲民主党はどこに向かうのか 誰にも需要のないところがさらに分裂とかどうしようもないな 玉木は、岸田からトリガー条項を発動すると確約を取り付けた、としている
しかし新年度予算案は当然、トリガー条項凍結が前提
玉木、食言で党代表辞任だな 文体でゲンダイとわかるのおもろいな
よってまともに検討するだけ無駄 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています