日系アメリカ人一家の秘密だった強制収容、物置で発見された着物から明らかに
2022年3月1日
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-60506738

80年前、米政府は日系アメリカ人を呼び集め、第2次世界大戦の終わりまで収容所で暮らすよう強制した。
この暗黒の歴史が忘れ去られないよう、いま若い世代が奮闘している。イレイン・チョン氏がBBCに文章を寄せた。

シェイン・「シェイシェイ」・コンノさんの祖父が2013年に死去した時、
家族は祖父が残した物を整理するため、彼の家に集まった。
庭の収納庫はいっぱいで、一度に1人が入るのがやっとだった。
身のこなしが軽かったコンノさんに、中に入って大きな物を取り出す役目が回ってきた。
家族がそれを受け取り、家の中へと運んだ。

一番の奥の棚に、ベージュ色の厚紙でできた衣装ケースがあった。
ふたには「ミシガン大学」のステッカーが貼ってあった。ケースを開けると、織物があるのに気づいた。
「おや、すてきなテーブルクロス」とコンノさんは思った。
家の中に入ってから、コンノさんはみんなの前でその織物を引っぱり出した。伝統的な日本の着物だった。

光り輝く濃い紫色の織物に、みんな言葉を失った。白いモモの花が銀色の糸で手差しで刺しゅうされ、きらめいていた。
「この目で着物を見たことはなく、ましてや触ったこともありませんでした」とコンノさんはBBCに話した。
全部で7枚の絹の着物が、衣装ケースに入っていた。家族の誰も見たことがなかった。
つまり、この宝物はこれまでずっと、衣装ケースにひっそりと保管されていたのだった。
衣装ケースをじっくり見直したコンノさんは、ミシガン大学のステッカーの下に、
なじみのない名前が書かれているのに気がついた。Sadame Tomita(サダメ・トミタ)と白の塗料で雑に書かれていた。
すぐ下には07314という5けたの番号も記されていた。誰かが意図的にそれらをステッカーで隠したのだった。

「あなたの祖母の日本名だよ」と、コンノさんのおじが突然言った。
「そしてこれは、彼女の家族の収容所での登録番号だったんだ」。

コンノさんは日本人の祖母に一度も会ったことがなかった。
コンノさんが生まれる前に亡くなっていた。祖母は日系アメリカ人の第2世代にあたる「ニセイ(2世)」で、
10代のときに収容所に入れられた。戦争が終わると、ヘレンという西洋名を使った。

この衣装ケースは、彼女が収容所に持って行くことが許された唯一の衣装ケースだったと、コンノさんはのちに知った。
祖母はそれを一生捨てずに持っていたのだった。

彼女の夫、つまりコンノさんの祖父も、コロラド州のキャンプ・アマチ収容所に入れられたとき10代だった。
2人が出会ったのは戦後だった。

コンノさんは当時のことをもっと知りたかったが、過去の話題を持ち出すのははばかられる感じがあったと話す。
「祖母は自分の子どもに対しても秘密にしていたことがありました。
自分の名前を隠すなんて、どういうことだったのでしょうか? これらの着物はなぜ隠したのでしょうか?」
こうした疑問を抱えているのは自分だけではないと、コンノさんは言う。

(以下引用略)