【戦国こぼれ話】プーチン大統領と豊臣秀吉は、権力者特有の似た者同士である(渡邊大門) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20220307-00285210

(前略

豊臣秀吉と言えば、時代劇などで明るくひょうきんなイメージで描かれるが、実際は逆だった。「ブラック秀吉」というのが、本性である。権力者特有の秀吉の悪行は、挙げたらキリがない。

そもそも秀吉は、恫喝が得意である。秀吉は諸大名を屈服させる際、半ば虚偽としか思えない書状を送りつけ、相手を脅したことで有名である。「○○は最後まで逆らったので、首を刎ねてやった!」、「××は詫びてきたが、許さなかった」という類である。

その結果、書状を受け取った諸大名は「ひえ〜〜〜!」と驚いてしまい、即座に従属することを誓うのである。書状のなかには「草木でさえ、秀吉にひれ伏する!」なんて書かれているので、大名のなかにはちびってしまった者がいたかもしれない。

天正18年(1590)、秀吉は小田原北条氏を討伐した。そもそも北条氏が秀吉の政策基調の惣無事(私戦の禁止)を破ったのが悪いのだが、その後の対応が後手に回ったのも悪かった(上洛が遅れた)。激怒した秀吉は北条氏に宣戦布告状を叩きつけ、ただちに出陣した。

関東で威勢を誇った北条氏だが、あっけなく秀吉の軍門に降った。助命嘆願もあったが秀吉は許さず、北条氏政や家臣は自害した。こうして、関東の名門大名だった北条氏は滅亡したのである。秀吉が怒ったら、誰も手を付けられなかったのだ。

秀吉は、東南アジアの諸国に「属国になれ!」と書状を送りつけた。受け取った方も驚いただろうが、送った方も送った方である。むろん、東南アジアの諸国は日本の属国にならなかった。秀吉は、誇大妄想が強かったといえよう。

文禄・慶長の役の秀吉も酷かった。一方的に朝鮮半島に攻め込んだ挙句、さまざまな要求をした。それが朝鮮側に受け入れられないと、激怒してまた攻め込むという具合である。もう誰も手を付けられず、重臣でさえも諫めることができなかった。

そんな秀吉の最期は悲惨なもので、認知症のような症状が酷かったという。秀吉が失禁したことは、史料にも書かれている。その挙句、秀吉はおかしなことを口走るようになり、絶命したといわれている。

(後略