【悲報】日本史最強の名将・豊臣秀吉「明国を攻めるぞ!まずは手始めに属国の朝鮮を潰せ!」→ボロ負け撤退 これ何だったんだ・・・? [661852521]
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当時のスペインと対抗する為だったとか聞くな
ボケじゃなかったとしてもこれも酷いが いやいや
確か2週間くらいで首都落ちてただろ
それは無理があるぞ… 真面目にいうと、各国の戦国武将の力を体よく削ぎたかったんだろ 人が動くってだけで金も食料もめちゃくちゃかかるからね
今ですら白兵戦ならすごいお金と食料が必要だと思うし
ロシアが手こずってるのもそこでしょ
当時はヘリとかもないしそこらへんが無理だったんじゃないの 今のプーチンと晩年の秀吉は似てるとか言われてるよな むしろ明としかたいした戦いないからな
図では加藤清正あそこに書かれてるけど進軍楽勝すぎて満州まで入ってしまってるお馬鹿さんだから 秀吉の出兵は失敗したが、明は弱体化して、清に取って代わられるきっかけになったとか。 やっと戦乱収まって内政がんばるぞと思ったら海外出兵するからとか
嫌な感じ 戦国ジャップの軍事力=明国と同等
戦国ジャップのGDP=明国の10分1 >>7
これよく聞くけど負け惜しみにしか聞こえなくない?
本気で信じてるの? 朝鮮出兵は失敗したが、その数百年後に日清戦争で清に勝って、そのあとの日露戦争で朝鮮を支配したね日本はw 豊臣秀吉の朝鮮出兵
赤壁の戦い
元寇
ベトナム戦争
ロシアのウクライナ侵攻
大軍を率いて敵地に攻め入り、
大敗を喫した五大戦争 家康引っ張ってこれなかった時点でどこまで本気だったのか
でも実行に移したよくわからなさ ガチ認知症だろ
ションベンも平気で漏らしまくってたんだし 弱すぎた。朝鮮瞬殺したまではいいが結局支配できず
明に押し返されて撤退とか情けない ボロ負けじゃないぞ
朝鮮自体は半月で首都陥落までさせたが朝鮮の王を捕まえることができずに降伏させられなかった
で言語も通じない民を統治することは容易でなく兵站も苦しくそうこうしてる間に明からの援軍がきて更に厳しくなる
戦線自体はそれでも維持してたが時間が経つ程異国の地で兵も疲弊するし交渉を引き出せないまま撤退になった 仮に勝利してたとしても暴れるしか能がない劣等民族にまともに統治なんか出来ず
すぐに奪還されるのがオチってもんよ >>5
奇襲して最初だけ調子良いという戦争下手は多い 韓国人は、秀吉の朝鮮出兵と日韓併合については、歴史の授業でみっちり教わるからねw アホすぎたね
済州島とか鬱陵島奪って満足しとけばよかったのに >>39
兵站上は船が使える方がずっと楽だけどね
陸路の長距離大規模輸送とか悪夢
浮力は偉大 シュリーフェン・プランでベルギーに負けるナチスみたいなもんやが >>19
戦国時代には世界で一番銃を持っていた国は日本!とかいうのを信じてそう 朝鮮侵攻じゃなくて
明国侵攻だよ
朝鮮とかいうとなんか第一目標があたかも朝鮮で作戦は半ば成功していたみたいな印象操作してるけど 朝鮮が貧しすぎて
武将がのきなみやる気なくなってたからな
今のロシア軍だな 島国海洋国家なのに外洋船が発展しねーのも終わってた
蘇州なんか世界一の穀物地帯なんだからあっこ取れりゃ兵站の心配なんかいらんのに 日本が講和条約を結んだ相手は明で李氏朝鮮は何故か蚊帳の外
朝鮮戦争の停戦合意も南トンスルランドは何故か調印してない
あいつらいつも蚊帳の外だな
何故なんだろう? >>41
攻めるにしても後金が建ってからにすべきだったな
明が後金の対処に手一杯の状態なら援軍は出せなかったはずだし >>52
んでその貧しい国から叩き出される悲しい軍下手 朝鮮と陸続きでも明には勝てなかっただろう
日本は小さいから大陸で戦争出来る体制じゃない >>7
仮想敵の家康が力を温存してるのに自分の子飼いの清正達が戦力消耗した挙句に不仲になってるから意味ないだろ 明史には、秀吉が死んだおかげで収まった。日本に勝てる見込みは無かったって記載があると聞いたんだけど、本当? >>17
これはあるだろうな
戦乱の世が終わっちまったら
出世するのは頭脳派ばかりになるし
脳筋は用済みになって頭でっかちの言うこと
聞かなきゃいけなくなる >>22
最大の仮想敵家康が戦力温存してる上に子飼いの戦力を消耗した挙句に自分の部下が不仲になってるからそれはないよ >>64
オナニーにも程がある
自国の書類にそんなこと書くか
大紀元じゃあるまい >>62
正規日本軍どころか
たかが倭寇にビビりまくって
海の近くに住んだり近づいただけで死刑にさせてた明が?
雑魚すぎでしょwwwwwww >>57
それこそ明のテイワの船団が実際にどこまで行っていたかを見ると日本の技術、工業力の貧しさは悲しくなるだけだわな ポニーに乗ったチビハゲ集団がなんで半島や大陸で勝てると思ったの? >>70
Qちゃんって、プーチンが戦争うまいとかなぜ思ってしまったんだろうな 朝鮮の現地の兵はあまりに弱すぎて明軍に「こいつら日本軍と繋がってるんじゃないか?」と疑われるレベルだった >>73
これよく言われるけど本当にそうなのかな?
俺たちは結末知ってるから秀吉は家康を警戒してたと
考えるけど秀吉存命中はおくびにも出さなかっただろうし
はじめは警戒してたけど徐々に警戒解いて
最後は信用するってこともあるんじゃない? >>77
まともに騎乗さえもしてもいないんだは
兵科の別さえないし でもほぼ全土進軍してんだよな
土地をキープするほどの魅力が無かっただけで 補給はよくても報奨がなかったんじゃないかなぁ支配してもろくな所じゃないとか いくらなんでも朝鮮がザコすぎるよな
世界最強モンゴル軍でさえ渡海なら上陸できずにボコれるのに
たかがジャップ相手に上陸されて20日で首都占領とか
いくらなんでも弱すぎて引く >>80
自分が主家乗っ取ったのに、目の前でそれを見ていた部下(それも力でねじ伏せて屈服させた)はけしてそれをしないと信じるとかどれだけマヌケなのか 平和だったから軍備もショボい国だったのに...
どうして😭 >>85
そんなとこ攻めようとした猿がマヌケになるだけじゃん。それだと
ましてやそこを文明国と崇めて色々教えてもらってたのにw >>1
敗退では無く秀吉が死んで武将はより早く戻らなければならなかったから明と停戦を締結して戻っただけ >>67
まだ国内に家康みたいな不穏分子いたんだから難癖つけて徳川攻め滅ぼして所領を分配すりゃよかったんだよ
それ以外にもいろいろ脇が甘い大名いただろうから取り潰しておけばよかった
それと豊臣の直轄地少なすぎだからもっと拡大すべきだった
外征に打って出るならそれからだろ >>86
そのクソザコ朝鮮に追い払われる同じくクソザコ日本も同じ穴の狢なんだよな
同じクソザコ同士でやっぱ似た者同士だわな 戦術的勝利だが戦略的敗北
秀吉が死んでなかったらまだ続行してたよ >>19
兵站と士気がダメな最強って何?
頭おかしいのか 典型的な情報不足、せめてとーほぐ兵大量に連れてくれば別だったけど これも含めて考えると韓国って日本の隣で可愛そうだな ・上陸して20日で首都占領された
・意外に7年間も日本軍は朝鮮に居続けて占領してた
・長居してたので城まで建築して戦いも起きたがただの1つも落とされなかった
・九州−プサンの補給路は一度も妨害されなかった(なので簡単に出兵できたし撤退できた)
・名のある武将の戦死者は侵略してるのに呑気に鷹狩りして遊んでて捕まって処刑されたアホだけ
・停戦交渉は日本と明で話あって朝鮮はそもそも会議にすら出られなかった
すまん、これで朝鮮が勝ったとか言ってる奴おるん?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww この明史の訳はあってる?
https://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/hideyoshi.html ナポレオンと祖国戦争みたいだな
流石に秀吉と比較するのはナポレオンに失礼だけど >>69
>>74
いかにもネトウヨっぽいウソに見えるがこれは本当に書いてる あと10年くらい秀吉が長生きしてたらどうなってただろうかとは考える
戦況から行って秀吉の要求通り半島の南部くらいは獲得できたのではないか 清正の進軍ルートがめちゃくちゃに感じるけど
当時の評価はどうだったんだろ 国内では強くても海外じゃ通じなかったってだけだろ
井の中の蛙だったんだろ 明軍にはオランダポルトガル製の大砲がそこそこ配備されてるから
山海関を火縄銃だけの日本じゃ100%抜けない 徳川が極秘で朝鮮に軍事顧問を派遣して豊臣方をボコボコにしたとかそういう話とかないのか? プーチンと一緒で周りもハァ?って感じだったんだろうな。 こういう晩年の秀吉の滅茶苦茶さが石田三成ら官僚のせいにされて、武断派との軋轢になったんだよな 対朝鮮人については蹴散らしてたろ
朝鮮人が御主人様に泣き付いて、明が派兵しはじめてからグダグタになった
だけで この戦いこそ士気だと思う
小西とかわざと引き伸ばしてたろあれ >>116
ちょっと武力で脅せばびびって
和平申し出てくるからこちらに都合のいい
条件で手打ちにするかって所じゃない?
そうはならなかった所までロシアと一緒 せこせこ追撃してきて反撃されてぶっ殺されたアホが唯一の国の英雄という兄の国に同情を禁じ得ない >>20
当時の中国つまり明は人口6000万人程度な
日本は2000万人弱
それでGDPが10倍違ったら一人当たりGDPもかなり差があった事になるが >>31
引っ張ろうと思えばできた
ただ戦功を与えたくなかったって説になってる様だが
実際九州で待機まではしてる >>41
そもそも世界史的には明国経済圏の中での内戦みたいな扱いだからな ずーっと国内戦やってたから感覚がマヒしてたんだろ
国内だと統治者変わったんだ位だけど、国外じゃまず受け入れられることが無いからな
言葉通じないし 身ひとつで成り上がったから世界征服とか
際限ない夢を持ったけど、ほとんどの他者はムリ 朝鮮は素通りレベルだったろ
現地の人も通してくれた 士気の低さ
よしんば勝ってここに住んでいいよ言われてもえぇ…だろうし 朝鮮半島って短期に構築できる兵站が届くギリギリの長さなんだよな
後の朝鮮戦争でも北朝鮮が兵站の限界に達して押し戻され米軍も兵站の限界に達して押し戻された 深入りせず朝鮮半島で戦線を止めておけばよかったんかね?
とはいえどう統治するんだ、取ってどうするんだっていう問題は残るが >>127
明の文明と農業産出力を考えれば一人あたりのGDPが3倍強でも不思議ではない >>136
別に嫌ってないが?
太閤立志伝5はケンモジのバイブルだし >>5
最初、高麗は圧政下にあったので国民が協力してとんとん拍子で進軍できた
だが豊臣軍も略奪や虐殺をしたせいでゲリラ化して以降は兵站に苦慮するようになる
平壌は明軍を前にして戦うことなく撤退
碧蹄館では有利に戦いを進めるも両軍兵站が限界のため和平交渉へ
慶長の役では文禄の役で海路による兵站が失敗していた反省から全羅道を重点的に攻め拠点作りに終始するが防戦一方で平壌まで攻めることは出来なかった >>123
碧蹄館以降、前線サイドでは「やる気ねーな」ということで明の沈惟敬と一致して交渉してたけど
万暦帝と秀吉の両方を納得させる落とし所が見つからず苦慮してたのかと
結局「相手の国が降伏した」と両者が嘘ついて終戦にこぎ着けたから死ぬ覚悟でやった行長はスゴいと思うよ 当時の秀吉は武力で占領しても統治政策の事までは考えてなかったっぽいんだよな・・・
実際序盤は勝ちまくっていたのに、欧米の最新兵器持ってきた明軍には太刀打ち出来なかった 海路で進行して陸路で兵站をしようというのが厳しすぎた
文禄の役では南西部の全羅道を確保しないまま北上するタブーを犯し高麗民がゲリラ化したら立ち行かなくなる
慶長の役ではその反省からかなりの戦力を全羅道に投入し海路による兵站路を確保し拠点となる城を東西に築城していった
それでも完全には全羅道を確保できなかったけど 家康が自分から朝鮮に行こうとしてたけど、秀吉が止めさせたってわけ本当なのか? このころから兵站軽視されてたんだよな
そして火薬を自国で作れないのに何故か世界で一番の保有数を持ってた火縄銃を相手に鹵獲されて使われるという間抜けっぷり 当時は大航海時代
スペインが世界を荒らし回ってたことも
日本もターゲットだとも秀吉も当然知ってる
スペインに対抗するため明や東南アジア抑えようとしたのは
不思議ではない この歴史的事実をなんで明治以降の対外政策に生かさなかったんだろう 秀吉は天皇の臣下ということをアピールしてたから
明治維新で英雄扱いされたんじゃねーのw
新田義貞とか楠木正成もそうだったし
だからさげることは無理 >>160
征韓論派が持ち上げただけかと
加藤神社が明治に作られたのも同じ >>103
中国の歴史書に書かれているなら、日本が優勢だったんだろうね。
明や朝鮮みたく、国が傾くことも無かったし 文禄の役では奇襲により緒戦は快進撃が続いたが兵站が持たない上に1番隊の小西らと2番隊の加藤らはソリが合わなくほぼ連携がとれずジリ貧
慶長の役ではただの朝鮮への嫌がらせに終始する
損害の多くはジャップ得意の餓死、病死 >>152
秀吉も言うても当時五十代半ばでしょ?
今でいえば江口洋介とか福山雅治とかの年代だよ
バリバリ壮年 秀吉は家康を警戒してたってのは後世の人間だからそう思ってしまうだけで
実際秀吉は家康のことを心から信頼してたと思うぞ 領土拡張欲は秀吉だけが持ってただけであって
家臣軍は国内の自領拡大にしか興味が無いから継続する意味もあるまい 秀吉軍が朝鮮に上陸した時には 既に朝鮮半島は焼き払われた後で補給すらできなかったから 有力者に媚びて成り上がったクズの末路の典型例だよね。 異民族支配は前例がなくノウハウが全く無かったし歴史にも学ぼうとしなかった
大量の銃を使う戦術は先進的だったかもしれないが大砲がなく攻城戦は向いていない スペイン帝国=米帝
明=NATO
ウクライナ=朝鮮
ロシア=日本 実際の戦闘ではほとんど負けてないだろ。
小西行長や石田三成が秀吉の方針に従わなかったのも原因だと思う。
関ヶ原の伏線だよな。 >>173
明軍来てからまともに勝ったと言えるのって碧蹄館くらいじゃね?
負けてないだけで勝ってもない >>166
その渡す領土がないから進出したわけで
秀吉自身は朝鮮何て欲しくないだろう
あるいは領土に代わる高価な輸入品を
手に入れる貿易の為とも言われてるな >>165
まあ最初は当然疑ってたと思うけど
何年も忠臣演じてたら信じるかもな
家康自身何が何でも秀吉死んだら天下取ってやる
なんて思ってなかったと思うしね
たまたま秀吉死んだ後の豊臣政権がガタガタだっただけで
下手すりゃ待ってるうちに家康が先に寿命で死んでた >>162
いや傾いたろ
治安を司るべき武士が国内から消えて重税課したもんで、日本国内は盗賊が跋扈する状態になってたんだぞ
国内から朝鮮出征者に向けて
「今日本に戻ればやりたい放題だからお前もなんとか脱走して戻ってこい」
とか手紙書き送ったりしてる
その不満もあって豊臣の権威が揺らいだわけだしな
女真族に攻略された中国と違うのは、傾いたからと言っておいそれと日本に上陸出来る異民族なんかいなかったということ ジャップはこの頃からロジスティクスの概念がだめだったんよ 秀吉も晩年は今のプーチンみたいな精神状態になってた
やっぱ一人に権力を集中させるとそいつがジジィになったときのリスクが大きすぎる 名護屋城まで出向いておきながら自身は出兵しなかった家康の狡猾さよな
間違いなく存命中から政権簒奪を考えていたと思われる節が有る 動員された西国大名も、2年後には関ヶ原やる余力を残してるから、真剣にはやってなかったんだろうね >>1
天下統一による足軽失業者の雇用対策だろ?
始皇帝による南征や西郷隆盛による西南戦争と本質的に同じ >>183
え?西国大名が島津とかほとんど関ヶ原に派兵できてないじゃん >>183
国内に残って力を温存した家康に色々援助されてるからな
だから出兵した大名の多くが家康に恩義ができて東軍に加勢したわけだし、
逆に西軍の小西行長なんかは回復できず二十万石大名としてはしょぼい兵しか出せなかった >>185
島津が兵を送れなかったのは、庄内の乱で伊集院氏を屈服させれず、国内に反乱分子を抱えてるのと、義久と義弘の確執からでしょ
殿様の一大事で、手弁当で1,500人が集まったのは、義弘の人望 >>186
20万石で、4〜6千人も動員できれば充分では
隣は不仲の加藤清正で、抑えもあるだろうし >>178
失業していた雑兵が動員されたから、国内からならず者が減ったとも
手紙の件は、代官の改めがないから、逃げても捕まらないって、加藤清正が人夫の手紙を見つけたってやつ? >>188
それ大半三成から貸してもらった兵なんよ
>>189
一時的に減っても重税によって新たにならず者が増えてんだから意味がない
そして増えた時に治安を守ってきた武士はいない >>190
毛利ならともかく、三成に兵を貸す余力なんてあった?せいぜい2.3百とか >>147
太閤5は最初に秀吉プレイでエンディングまで行けば
主人公カードが最低でも2〜300枚は集まる
それ以降秀吉主人公でやるのは家康や光秀のカードを取るイベントを起こし損なった時くらいしかないだろ 明側は日本の侵攻を予測して朝鮮に防備を固めるよう警告していたが、朝鮮は日本による侵攻はないものとして特に対策もしなかった
装備についても朝鮮は対馬藩から献上された火縄銃の価値を理解出来ず死蔵させていたなど、元々の武官を軽視する風潮もあいまって軍事的な知識や理解が皆無だった
結果として朝鮮軍は日本軍に軽く蹴散らされ、大した抵抗も出来ず瞬く間に壊滅させられる
一方朝鮮人の農民階級などは朝鮮政府の圧政に苦しんでおり、日本軍を解放者として歓迎し物資の提供や道案内を買って出るなど積極的に協力をした
その結果1ヶ月も待たずノーダメージで朝鮮全土を攻略。しかしその後日本軍の多くの部隊で食糧強制徴発や戦果アピールのための耳削ぎなどを行ったため反感を買い、ゲリラ化した民衆によって本土から輸送した食糧を奪われまくるようになる
そのせいで日本軍内では餓死者が続出するようになり、更にまともな防寒装備もなかったため朝鮮の寒冷な気候に順応出来ず凍死者も頻発した
明軍参戦で戦線も膠着状態に陥り士気は急降下、厭戦ムードも蔓延したため明と共謀して停戦、撤退
得したのは日明軍の手によって反政府的な住民を一掃でき、更に300年続く長期王朝を築く足掛かりを得た李氏朝鮮の王党と両班だけと言うなんの意味もない戦いだった >>192
三成だけが出したわけではないからね
イエズス会の報告では、小西行長は島津と並んで
「若干名の軍勢」
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