【悲報】哲学者「誰もいない森で木が倒れた時、その木は “音を出さずに”倒れる」 すまん、これ意味わかるやついるか? [661852521]
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誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる
「もし今、私たちの知らない遠く離れた地の誰も居ない森で、一本の木が倒れたとする。 その際に、その木は“音を出して”倒れたのか?」
ジョージ・バークリー(アイルランド国教会の主教で哲学者:1685〜1753)が、人々に投げかけました。
普通に考えれば、「木は“音を出して”倒れた」という答えでしょう。
だが、バークリー主教だけでなく、少なくない数の哲学者や心理学者は、この問いに対して「木は “音を出していない” 」と答えた。
キーワードは、「認知」という言葉です。 つまりは、「存在は、認知があって初めて成り立つ」ということだとバークリーは言うのです。
そして結論は「誰も居ない森では、倒れた木の音について、だれも認知することはできないから音を立てていない」になってしまう。
この話を聞いたあと、奥深い森の大きな木が音もなく倒れて行くイリュージョンを何度何度も繰り返して見ました。
似たような話に……
「誰も見ていない間は月は実在していない」
というのがあります。
これも満月の夜、視線を地面に落として、素早く天に向けてみて、一瞬でも月が消えていることはないか?とやってみましたが、月は消えることはなく中空に浮いていました。
この2つは「量子力学」誕生間もないころに出てきた議論です。
「量子」は、「誰も見ていなければ、どこにいるのか分からない。誰かが見たときに”そこ”にある」という厄介さです。
「量子力学のものすごさが解らないのは、量子力学を理解できないからだ」と言われてます。
https://www.google.com/?hl=ja こんにちは。あたしはカウガール。
AAとして成り上がるため、スレを巡る旅をしています。
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容量節約だろ 観察問題を哲学者が言ったことにしたいだけ。そういうことじゎない。 哲学の中には常に「人間だけが特別」という傲慢さがある 俺以外全員哲学的ゾンビだと思ってる
この世界は精巧な作りをした電子コンピュータゲームだと思うと人生楽しいぞ 自分がそこにいないなら鳴ろうが鳴らまいがどうでもいい その考え方ならそもそも誰もいない森で木が倒れることも、そもそも木が存在することもないね まず森の木々も耳はなくとも空気の振動で枝葉が揺すれると思うんだけど
森に観測主体がいないと思うのがおこがましい 森も認知されてなきゃ存在しないのではないかと思うが
それはここに森があるというなんかの証明があるって前提なのかしら 実存主義哲学ってやつだな
ハイデガーやサルトルのそれだわ それっぽいこと言って偶然一致しただけに見えるんだけど実際どうなんだろ
曖昧から一致する予言と同じように見える いや、これは常識だろ
音とは、空気の振動の受信
受信しなければ音は無い 割と理解できるわ
俺に届かない情報は情報じゃないからな
陰口が駄目な理由がまったくわからん
俺に直接言われなきゃそれは何も無いのと同じだ まあ音を出して倒れたことを証明できないことが
音を出して倒れてないことを証明してるわけではないんじゃないの 森の実在がたしかなら森の木々が倒れる音を聞く
森の実在が不確かならそもそも森は無いし木も無いから何も倒れない
論が成立してない そんなこと言ったら倒れる音どころか木の存在自体認知してないから問いが成り立たないだろ
馬鹿なのか? 音は実態のあるものだから認知してないからありませーん、とはならんやろ 観測しなければ何も描写されない
オープンワールドのゲームみたいなものだろ キリスト教的考え方過ぎるよな
人間は特別
人間が観測するから世界はある
木だって生きてるし観測してるわ 空気の振動に過ぎない
人の鼓膜を通ったときに初めて音と認識される その森に聴覚を持つ有機物がいないならそういう考え方もある。ただ唯一解じゃない
空気振動にせよ音と定義されるものは発生している訳だから
例えば、現在の技術では誰も感知できない特殊な電磁波が今目の前を通ったとして
果たしてそれが「ある」のか「ない」のかは見解が分かれるだろう 哲学は役に立つがこのネタはあてこすり。哲学関係ない。 倒れたという事象すら観測できないだろ
俺たちだって動画があがってなければ
メキシコの麻薬カルテルの制裁がどれだけ悲惨なものか知らず
メキシコ人はみんなポンチョ着てマラカス振ってるイメージしかなかっただろ ケンモメンがモニターの向こうで泣いていても俺には分からない。
つまりそういうことだろ。 誰も見ていないところで
孤独死した弱者男性は
うめき声を出したか? 認知ベースで言うなら木が倒れたことが認識されていないならそもそも木は倒れていない >>52
ある時点t1で倒れていなかった木がその後の時点t2で倒れていれば
t1からt2の間で倒れたことはわかる
そのいつかの時間に音が発生したかどうかが焦点 この理論で言えば木が倒れた事すら誰も観測できないんじゃないの?
音以前の話だろこれは
誰か高卒のオレに分かりやすく説明してくれ >>46
誰も居ないところにマイクを置いて録音する
スピーカーオフで波長を表示して再生したとき音は無かったと言えるのか? 観測者云々は的外れ
倒れた時に音が出たかどうか証明できないだけ 浮気してもバレなきゃしてないのと同じだとかと同じ理屈だろ
クソだな 令和に入って否定されるようになった
自我肥大哲学。 量子力学分からん文系が不思議エピソードだけ聞いて
転用しちゃった感じ 誰もその場で聞いていなければ音は出ていない、つまり音は出ていないという事です
誰も見ていない鏡には何も映ってない こういう文学的な詭弁と現代科学の違いって何なんだろう 何が言いたいのか分からん
この中学生並みの話をただ言いたかっただけのアホだろ 倒れる時に空気を振動させるけどもそれを音として認識する奴がいないならその通りだ 観測されてないものはないのと一緒ってやつだな。
もう一歩踏み込むと観測することでその系に干渉してしまうから観測で真の姿を見ることは出来ないとなる。
量子力学では観測にとって受ける影響を事前に知ること自体は出来るから観測結果からそれを引くことで真の姿を再現することは出来るとなるけどな。
でもそれは再現であって真の姿ではないという新たな問題が出てくる。 現代だと録音録画できちゃうからなあ
録音録画はあくまで機械に製造された2次情報であって間接的に得た情報は認知と無関係って言いたいのかな
そう考えるとこの問いって間接的な観測・認知は認知じゃないって言ってるのか?
でも視聴覚の感覚だって空気の振動や光の揺らぎで副次的に認知してるだけだよな スパゲッティが赤い理由のコピペと同じで結局は言葉遊びなんだよね
真面目に考えるだけアホだよ >>84
人はもう1人の人が存在しないと
お互いに認知し合えないということでは?! >>83
くっついてて違いは認識出来ない。だけどそれはない。という状態。 その哲学者がいう前提、「木が倒れた」「木が倒れれば音がする」というのが確実なら
認識する客体がいなくても音は存在している
「誰もいない以上、木が倒れたかどうかも実際はわからない」みたいな屁理屈なら無理 小学校の義務教育で、ひも理論を学ばせないともうどうにもならないよ 時は永遠に流れ続けると言う人がいるが
今それを話している我々(時を認識できる生物)がいなくなれば
立ち所に「時」という概念は消え失せ時の流れは終わる
止まるのではなく終わるのだ
残るのは「虚無」でしかない
物理的に何かが残っていたとしても
それを認識できる者がいない以上、それは虚無に他ならない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています