押井守が正論「プライベート・ライアンの最後の墓参りシーンは蛇足 映画が台無しになってる」 [511393199]
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押井 あらゆるものを手に入れて、自由まで手に入れてしまった。気がついたら「なにを真っ先に撮りたいか?」が分からなくなってしまった。スピルバーグは映画の申し子であり、映画ファンがそのまま映画監督になったような人だから、屈折がない。本人に屈折がないから、屈折がない子どもを映画のテーマにせざるをえない。
女優でもなければ、男優でもない、子どもという要素でしか映画に入る取っ掛かりを見つけられないんだよ。だからスピルバーグの映画には、やたらと子どもが出てくる。この映画に子どもは要らないでしょ!?という作品にまで子どもが出てくる。
――子どもが出てこないスピルバーグ映画も多少ありますが?
押井 子どもが出てこない場合は、だいたい「言いわけ映画」になっている。ロマン・ポランスキーのような自身のトラウマに対する言いわけではなくて、「こういう映画も撮れますよ」という自己弁明映画。アメリカ南部の黒人女性の生きざまを描いた『カラーパープル』(1985)だったり、ミュンヘンオリンピック事件に端を発するモサドの活動を描いた『ミュンヘン』(2005)だったり。いわゆる社会派の映画を娯楽映画の反動として作ってしまう。
戦争映画の『プライベート・ライアン』にも言いわけの要素があるかもしれない。人間ドラマを装って、装ったがゆえにエンディングが低迷してしまった。おじいさんになったライアンが一族を連れて墓参りをするシーンのことなんだけど。トム・ハンクスが演じた大尉に「俺の分まで豊かに生きろ」と言われて、「たしかに豊かに生きました!」というのを表現しているだけの蛇足だから。
やりすぎのやりすぎ。画竜点睛どころか、目ン玉を大きく描きすぎている。あの蛇足のせいで映画が台無しになっている。戦争映画としてはかなりな出来なのに。そういう蛇足を、娯楽監督の言いわけとしてついついやってしまう癖がある。
「スピルバーグでも破綻することがあるんだ」押井守が語る世界一成功した監督の欠点とは | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/52713?page=1 >>180
娯楽としての映画が認められなかったのは大昔の映画はニュースとしてもよく使われてたからその頃の影響が大きかったのかな
>>234
そんな事はないと思う
映画は初めから娯楽だった
昔の知識人は観劇の方でしょうね >>221
なんでトム・ハンクス視点で回想してんだよ 映画は墓場に来た爺さんの回想なんだから
最後は現在に戻るの必要だろ >>197
そりゃそうだ
ライアンはミラーたちがどうやって来たのか知らないはずだもんな
ライベンから道中犠牲者出てるぞって聞いた以外のことは知らない
だから墓参りのミスリード狙った演出はラストで滑ってしまっている
その点については確かに押井の言う通り >>231
最初は誰だか知らんどよく見かける手法だね
邦画で言えばたそがれ清兵衛とか
洋画ではタイタニックとか 妙に難解な映画にして疲れるよりよほどすっきりと分かりやすくていいわ >>113
これ たった一人のライアンを救い出すために何人もが死んだ
大尉は、ライアンは難病の薬を開発するような多くの人々を救ってくれるような人間でないと困る
少なくとも死んだ部下の何人分もの価値のある人間であってほしいと、そう思うことで不条理な作戦に折り合いをつけた
しかし何人もの命の犠牲に救われたライアンは、ただの「一人の男」として人生を終えた
ライアンは結婚して子供出来て、何人もの孫に囲まれて平凡は人生を送った でもそれで良かったんだよ
「良かった」と言って欲しかったから、ライアンはラストで妻にそのことを尋ねた >>213
あれ以上にカットすると、オーディエンスがますます少なくなるからしゃーない
でも確かに、近年のものはいうに及ばず、
キッズリターンとか10月あたりは、最後もうちょっと「書きすぎ」ないようにしても良かったかもね
ソナチネの銃声もいらんかったかも 関係ないけどプライベートライアンって「激突〜将軍家光の乱心」に似てるところあるよな おなじトムハンクスの映画だと
キャストアウェイの終盤は蛇足だとおもったわ
生還してよかったよかったで終わりでよくね? うちの妹レベルになるとあの爺さんがトム・ハンクスだと思ってるからな プライベートライアン最大の欠点。
「じゃあナレーターは誰なんだよ?」 冒頭現代→戦時中→ラスト現代
このパターン邦画も多いよな なんか変なことに拘るやつ本当に多いのな、確かにライアンからトム・ハンクスに主観が捻れてるのはなんか気持ち悪いけどこんな馬鹿げた作戦のためにみんな死んじゃって救出したライアンは平凡だけど生涯を全うした
ライアン自体が隊長に救われた命をなんとかここまでやり遂げたけど自分はこれで良かったでしょうか?と墓前に問うて妻が肯定してくれて救われる
この映画はアメリカ讃歌と反戦を訴えるテーマを持った娯楽作品なんだからあれで良いというかないと困る
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