>>328
では聞きますが、あなたは推理を「第六感」と定義しますね?
第六感を「学習する」といいますが、学習とは心理学的には
「経験的に比較的永続する知識」を指します
第六感なる学習された勘があると仮定しましょう、
ですが、それはあくまで「経験された勘」なので、個体的に限界があります
仙台の女性の勘は仙台で育った男性にしか通用しないという
文化的に強固な隔壁を有してると考えるのが道理です
ともすれば、言語論的展開として、推論は曖昧な第六感に遮蔽されるのですか?
私はそうではないと考えます。推論の営みは経験ではなく、
能力自体はむしろアプリオリな先験的判断であって、解明すべきはその特性なのです