国の期待「MRJの堀越二郎」
 チーフエンジニアの重圧は想像以上だった。世界の航空史に残る零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を世に送り出した三菱重工の大先輩になぞらえて、岸を「MRJの堀越二郎」と紹介するメディアもあった。
 性能効率を極限まで引き出し、1グラム単位で重量軽減にこだわるなど技術を追求した堀越は、憧れの存在だった。「先輩に恥ずかしくないようにしなくては」と、いつも意識していた。

 「メード・イン・ジャパン」を掲げ、日本の航空機産業の発展を託されたMRJ。戦闘機と旅客機の違いはあるが、国の期待を一身に背負うという部分でゼロ戦と根っこは同じだった。
 プレッシャーへの不安を打ち消そうと、とにかく仕事に打ち込んだ。平日も休日も問わず、現場にいた。「家族と食事をする時間なんてありませんでした」
 動いていないと重圧がのしかかってくる気がして、ジム通いも始めた。でも、いつも気付くと空を見つめながら、MRJのことばかりを考えていた。
 チーフエンジニアに就任してから4度の納入延期をした。岸も、周囲のエンジニアらも決して諦めず、手を抜いてこなかったはず…。MRJから離れて3年がたった今も、岸の頭の中で堂々巡りは続いている。
 「どうしてできなかったのだろう」(敬称略)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/173114
https://i.imgur.com/txt0e1R.jpg