【関ケ原の乱】徳川家康が勝ったのって運じゃね?徳川って特に武勲を上げてないよな?秀吉のが、よっぽどか凄くないか? [882679842]
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その後の統治でもリスクを徹底的に排除する臆病さが全開に出てるもんな 晩年の秀吉はどうすれば息子の秀頼で権力維持させることができたんだ? 武勲を上げた武将を次々味方につけ最終的に豊臣より徳川を選ばせたのだからそれが実力だろう
政治力という立派な実力 ずっと基地外どもと一緒だったのにミスしないように振る舞って、最後に逆転だからかなり大変よ まあ家康は秀吉が生きてる間は頭が上がらなかったからな 秀吉が潰せないレベルの勢力になってた時点ですごいんだろうけど
なんかこう幼少時の苦労人からいつの間にかビッグになってた感じでよくわからん >>1
戦闘なんて1つの手段にすぎない
それも下策中の下策
実際に戦わなきゃいけないのは、
他に打つ手がなくなってしまった時の最後の手段
戦わずに勝つのが真の名将 運だけって言うけどそれだと信長と秀吉が運のなかった雑魚って事にならない? あのクソ長い東名静岡愛知区間で一番の弓使いってんだから結構なもんだろ
全国ベスト8には入る 根回しの勝利じゃないかな
いっぱい書状も残っていたとか たまたま桶狭間の合戦で隷属から解放され
たまたま信長秀吉と言う実力者がそばにいてやり方を勉強でき
たまたま諦めて門を開場してたら武田信玄の部下に怪しまれて殺されず
たまたま秀吉の晩年の失態で大勢が味方に付いて勝てたという
運がよかったのはこれくらい
後は実力 戦国時代ってつまらなくね?
今までの大河ゴミだったことに鎌倉殿見て気づいた >>23
秀吉に完全に攻められ潰されそうなときにたまたま大地震が起きて命拾いしたからな >>23
幼少時から既にVIP扱いだから
今川家のナンバー2が直々に育成してる未来の今川家の大幹部候補なのに 秀吉が生きてる時すでにぶっちぎりのNO2だったからな、秀吉ですら潰せない相手だったってこと 運が1番大事でしょ
性病にかかって死ぬ人も多いんだし 時間はかかったが今川から遠江を奪ったからな
武田信玄が病死したのはラッキーマンだったけど たまたま好立地に生まれ
たまたま桶狭間の合戦で隷属から解放され
たまたま信長秀吉と言う実力者がそばにいてやり方を勉強でき
たまたま諦めて門を開場してたら武田信玄の部下に怪しまれて殺されず
たまたま大地震が起きて秀吉に殺されず
たまたま長生きだったために
たまたま秀吉の晩年の失態で大勢が味方に付いて勝てたというだけ 晩年健康オタクになって薬作りのとか色々やってたのに長生きがたまたま呼ばわりはどうかと 運だけって言われるけど
本当の意味での運は信玄死亡のタイミングくらいだよな コミュ障アスペなのに徳川に対抗できるくらいの戦力を揃えた三成も凄いよな さっと思い浮かぶだけでも
・義元が死んで独立できてラッキー
・飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長と同盟できてラッキー
・武田が今川攻めてくれたから棚ぼたで領地増えてラッキー
・武田が見逃してくれてラッキー
・信長が武田滅ぼしてくれてラッキー
・武田家臣団転がり込んできてくれてラッキー
・伊賀越えできてラッキー
・秀吉死んでラッキー 秀吉の暗殺とか
普通にしてると思う
当然、そのまえから
何かと情勢よんで根回しも
がんばってたろうし 覇王としては秀吉のほうが上なのかもしれない
でもとにかく家康は最終的に勝ったから偉い >>10
家康殺すか、関東でなく中国地方やって間近で監視 小牧・長久手の戦いって普通に戦ってたら秀吉の圧勝じゃね? 徳川の下に有力な武将が集まったのは事実だがなぜそうなったのかはよく分かっていない 若い頃から決して驕らず独立後も気を緩めず虎視眈々と天下を狙いながら遂に来たチャンスの場面で逆転満塁ホームランを打っただけの男 小大名なのに織田の家臣にならずに独立を保ち続けたのはすごいんじゃね だから鳴くまで待とうって言われたんだろ
耐え続けたから秀吉にも怪しまれながら最後まで側近でいられたんだし >>55
秀吉も無傷でなくなる
天下統一遅くなるし、毛利や北条もいるはさ、北陸も騒がしいからな 家康からしたら
秀吉の弟、秀長だっけ?
こいつがサクッと死んだのもデカい 秀吉も家康も棚ぼただろうが😡明智が秀吉にはめられてなければ信長1強だったろ 信長の下でも家臣団以外だと筆頭の人間だし秀吉の下でも完全にナンバー2
秀吉とは手駒になる前小牧長久手で人数不利でも渡り合ってたし漁夫の利じゃなく立ち回りが図抜けて優秀なだけのこと
関東への移封も粛々と受け入れてたしな >>20
上杉謙信みたいな本物からは逃げ回っていたからな >>61
小牧長久手の時点ではまだ紀州平定もできてないからね
喉元に敵がいる状況なんだよなあ
実際大坂が攻められてるし >>31
一本のドラマごときで評価が変わるとか頭おかしいな >>68
そうなんよね
結果論からしたら徳川攻め滅ぼせだったか?
とは思うが… 運が一番大事だろ
優秀な家臣が謀反せずついてきてくれるのも運みたいなもんだし 言いすぎたわ 家康は我慢の人間だしな… 腸煮えくり返る想いをしたのも確かだ 棚ぼたは言いすぎた たまたま小早川が決定打になったけど
西軍のかなりの大名が一族や家臣レベルで調略受けてて
どこで裏切ってもおかしくない状況だったんだよな
関ヶ原も戦が始まってすぐに小早川が西軍を攻めて
あっという間に決着がついたって説もあるし
戦前の寝業の徹底っぷりで実質的には勝負がついてる 信長は認めても秀吉は認めないって九州征伐前の島津みたいな考え内心あったんじゃないの 今川に土下座して織田に土下座して豊臣に土下座して盗った天下は美味いか?🥺 信長を裏切らなかったのはかなりの武勲
家臣でもないのに >>81
まあ、武田の牽制や防衛なんだろうけど
防衛になってなくて生き残るとか強運の持ち主 >>79
そんなん言ったら武田に土下座して上杉に土下座して朝倉に土下座して浅井に土下座しても天下を獲れなかった信長さんに失礼やでw >>84
信長はともかく秀吉は人気ないやろ
昭和時代は人気あったらしいが >>76 運が良かったってか巡り巡ってってのが正しい表現だと思うンだわ そう考えると全ての元凶は秀吉って事になってきてやっぱり全ての真相知りたくね?秀吉を裁判にかけたい() ウンコ漏らしたって関ケ原だっけ?
安倍ちゃん並みにウンコだね >>87
何で関ヶ原で漏らすんだよw
家康はほぼ何もせずに勝ったろw
三方ヶ原な スレ立て人は整理能力のある人だから、レーズンに詳しいらしいけど
徳川は無干渉を貫こうとして変態になってるらしいけど
仕事してるのは信長だけなんよね、ただ暗殺されているというだけで
イビデンとかに 言う程強運でもない気がするけどな。
信長死んだ時には最悪の場所にドンピシャで兵無しでいたからな。
あ、まああれで生きて帰れたから強運か
伊賀越で途中で別れた奴は死んだからな
手痛い思いして色々学んだから天下とれた。 >>23
それは勉強不足なだけ
家康が最終的に天下を取ったのは必然としか言えないぐらい
出来すぎてる流れが面白いぞ 秀頼が産まれず
秀次がそのまま関白のままだったら
豊臣家は安泰だった
東海道は全部、豊臣恩顧の大名
豊臣家も秀吉直轄領220万石、秀次100万石、大和大納言家100万石
という圧倒的な状況 秀次ぶっ殺して秀長も子無し秀頼はガキ子飼い大名は武断派奉行派で分裂
家康は笑いが止まらなかっただろう 徳川家康250万石と言っても
家臣の石高を含む数字
秀吉直轄領220万石は家臣の石高は含まない
豊臣家親藩だけで250万石
豊臣家譜代で300万石くらいある 秀吉は戦国トップクラスの戦上手だから武勲で言うとそりゃまあ
治世を作るという点で家康の方が圧倒的に上手だった
五大老(笑)ってなんだよ絶対破綻する奴じゃんw >>97
大和大納言家は秀次の弟、秀保が
秀長の娘の婿になって継いだ
秀保が死んだら、なんと取り潰しという
自ら大親藩を潰す狂った秀吉 関白秀次がそのまま生きてたら
子どもはいっぱい
跡継ぎいっぱいで親藩設立多数
娘との大名の縁組もいっぱいで
豊臣政権は盤石になった
豊臣家を滅ぼしたのは秀吉 豊臣関白政権体制というのが
構築できてて
関白を秀次に譲ったあとは
秀吉がこうしたいということも
実際の行政組織は関白秀次名義で執り行われてた
秀吉がクーデター起こして
自分で豊臣関白政権を破壊したから
豊臣家は滅んだ 秀長・前田利家は死ぬし秀次は殺されるし秀頼は若すぎるし秀吉は種無し
朝鮮出兵も徳川にノーダメ
何もかも都合良かった >>104
たしかに文革みたいなものか
そう言われると納得だな 京都の豊臣関白政権の政庁
聚楽第を破壊したのは秀吉
聚楽第を完全破壊して
急ごしらえで隠居所伏見城に政庁機能を作ったが
ぐだぐだ化 そうだよ夏の陣で勝ってやっと最高になれたのに翌年死んでるんだんな 家康がたまたまが重なっただけのラッキーマンだとかおまえら本当におめでたいな
桶狭間で義元が討死して運が開けたのが家康
当日は今川方で従軍していた
本能寺の変で一番得をしたのは秀吉みたいに思われるけど信長が天下統一した時立場がヤバくなるのは間違いなく徳川家
この時も家康は信長の近くにいた
こうなると太閤秀吉の急激な体の衰弱も理由がわかるよな? >>10
あえて家康に禅譲していく道筋を作ってくとか?
豊臣中心じゃなくなるけと、影響力を保持し続ける道筋なら家柄は途絶えないな そもそも豊臣政権みたいな政治体制がもう長く続かない古いものだったんじゃないかな?
家康ですら通過点であった可能性があって、もしも家康が秀吉と同じマインドで政治したらやっぱり長続きしなかったと思う ここ一発で決められるなら運でもいいわ
大坂冬の陣なんて運で価値が決まったようなもんだし >>111 そいつは聞き捨てならねーな もし家康の犯行なら家康が真っ先に明智討ち取って手柄をあげるはず そして家康秀吉の共闘による暗殺だったのなら秀吉の天下はなかった
むしろ本能寺の変が明智による単独犯行なら明智を討ち取るのは柴田だったのかもしれん
もうこれは明智討ち取る=明智のいる本陣知ってるやつしか無理なんだよ もうね…まじ秀吉の下克上やばいとしかいえねえ 人生のやばい時にことごとく助かってる幸運もあるけどそれだけな訳がない 敵ながら優秀だと思わせるもんがあったんだろうな
戦で負けても殺させることなく敵方に仕えて生き延びた 強い弱いより家康は若い時から
国背負って修羅場を何度も潜り抜け
結果的に関東武士をまとめ上げた実績が
最後の最後他国の武士団の支持に繋がったんだと思うけどね
そこは家来からの成り上がりとは立場が違った >>85
なんで秀吉と家康人気無いんだろうな
サルとタヌキだから? >>36
家康は天下人になっても今川氏真は殺さなかったんだよな
子孫は徳川家に代々使えて文化人として朝廷とか公家との交渉役してる >>122
秀吉は大阪では人気あるらしいな
全国的には立身出世はいいんだけど晩年に痴呆症なのか狂ったのが原因で人気落ちた印象
家康は中国では人気があるらしいけど日本では晩年まで地味(信長と比べて)なのと信玄との戦いで糞漏らしが原因だな つゆとおちつゆときえにしわがみかな
驕り高ぶり言語道断だったのに
よくわかってたよな自分のこと 秀次はNo2として育ててたらそこそこ有能(人脈とかでだが)レベルになってしまい
秀頼誕生後も秀次自身も後継者として任じちゃっていた節があるからなぁ
「日本の1/5を秀頼に」という秀吉の提案に望む答えを返したり、
高野山追放できっちり謹慎して復権を待つとか、秀吉の不安を全く解消できなかった以上
秀次一族・与党排除に動くのは仕方がない >>126
秀次の巻き添えで最上の姫様を処罰したのはまずかったよな
あれで最上が大激怒したし 秀吉配下に鳥居某や夏目某みたいな命を投げ出す忠臣がいなかった件 >>128
一応居たよ
毛利勝永
長男と一緒に土佐を脱出して秀頼の元に行ってる
最後は秀頼の介錯をした後に自害 事前に根回ししてるから東軍は最初から余裕だったみたいな説もあるけど
やっぱり最後までわからなくて家康が勝ったのは運だったと思うな >>10
秀次を殺さなければ、たとえ秀頼がつぶれても、豊臣家は勢力を残しつづけたんじゃね?
逆に、日本史だと傍系が直系を打倒するって、なにか事例があったっけ? >>55
小牧・長久手の後、また徳川と戦をする可能性はあったけど、大地震があったのよ
そのせいで秀吉の被害は甚大
和解をさぐることになった まあ昨今は司馬遼太郎的な家康絶対悪人説が古びてきて
豊臣の滅亡は大部分秀吉の自業自得という認識が広まってきたのはいいこと 織田と今川に挟まれた超弱小大名が江戸幕府とか作るんだから根回しが重要な国なんだろうなここは 家康は運はいいが実力も十分にあるからな
豊臣も一代なら徳川に勝ってるが秀吉個人に依存しすぎてて落ちた 秀頼が生まれなかった、あるいは秀吉がもっと若いうちに秀頼が
生まれてたら豊臣政権続く目もあったのかな >>131
宗家が衰退して分家が奪取はよくあるけど
甥ぐらいの関係で傍系が直系を奪取っては意外とないよなあ
ぱっと出てくるのは天武天皇と鍋島家ぐらい? 最前線にいた桶狭間の時から何度もしぶとく生き残ってるんだからさすがに運じゃない
絶体絶命の危機が何度あったんだよってw 臆病で慎重な人間の天下の取り方を教えてくれたのが家康 >>142
敵意を見せずに信頼を勝ち取る術に長けてたのは
幼少時からの人質生活で身に着けたスキルなのかもしらんな >>142
そもそも大身の身内がいないしなあ
あえていえば筑前の小早川秀秋と甲斐の浅野長政あたりがいるけど
これまでの経緯から身内とは言いにくい感じがあるし >>143
最近の小早川ソッコー裏切り説だと関ヶ原の段階では無いな
織田秀信が岐阜城落とされた辺りで実質的に積んでる 秀吉が死ぬのを待ってから動いた
秀頼を罠にはめた
戦さにキレイも汚いも無いんだよ 信長暗殺の黒幕は家康説好き
光秀を巧みに利用したとか狡猾な家康っぽい 秀吉が死ぬ前にけん制ように残してたシステムを壊し豊臣方っていう旗もないのに
全国の大名を味方に付けて戦争できるとこまで持ち込んだ
実質家康の勝ち 鎌倉といい豊臣といい、武力を持った連中に合議制をさせるとろくなことにならねえ わーくににおいてカンサナイズした勢力は例外なく滅びる 織田信長を本能寺の変で襲撃して権力を奪取したのは豊臣秀吉である。 秀吉は地方の覇者になっていきってた島津だの北条だのは叩き潰せたが徳川は潰そうとしても潰せなかったというのが答え 武力だけなら他にもスゴい大名は居たけど総合的にすごかったんだろうなあ
信長、秀吉が先に死んだのもあるが 信長亡き後、天下人となった秀吉の手腕はすばらしい。家康はずっと豊臣家を潰すことを考えていたのだろうか 豊臣秀吉は織田信長と本能寺の変の前日まで同行していて本能寺の茶会に参加していてわざわざ茶会の後に織田信長のいる本能寺から離れて揚屋町公園の近くの島原温泉に宿泊して本能寺の変である本能寺の織田信長を襲撃したものである。 家康は気がついたら自分より上がいなくなったから、じゃあこの天下椅子は俺が座ろうってなった感じがするな 本能寺の変の前日に竜山前久と一緒に揚屋町公園の近くの島原温泉に宿泊したのが豊臣秀吉であって豊臣秀吉が本能寺の変で織田信長を襲撃した。 相論で豊臣秀吉に権力を掌握させる援助をおこなったのが竜山前久である。 >>145
信長時代からの付き合いだし足軽故に血縁もいないからむしろ一番の身内だわな 秀吉が自滅して実質的禅譲されたようなもん
つくづく本能寺の変さえ無ければな 武勇伝をひけらかす加藤清正は徳川家康の前ではおとなしくしてたって記録が残っているんだと
家康は一向一揆を平定してたから >>74
関ケ原は西軍のチョンボで岐阜城が落ちた時点で大勢が決していた
安全な後方の本陣だったはずの大垣城に石田三成以下主力が詰めていたけど
そこが一気に最前線になって東軍10万がおしよせてきて絶対絶命、その時点で南宮山の毛利は離反
夜間に何とか逃げ出したけど翌朝関ケ原で追いつかれてジ・エンド
時系列で見ないせいで西軍が関ケ原で積極的に迎撃したかのように錯覚してしまう >>142
秀吉にとって一番痛かったのは弟の秀長が自分より早く死んだことだな
秀長は温厚で大名と秀吉を繋ぐ役をしてて大名からの信頼も厚かったらしい
秀吉の暴走も秀長が亡くなった後だし >>169
関白秀次豊臣政権を破壊したのは秀吉
秀頼の邪魔になる血族をことごとく潰した
大和大納言家100万石を取り潰したのも秀吉
秀長の婿養子中納言秀保が死んでも
秀長の娘、三八女がまだ生きてるのに
親藩筆頭を潰してしまった >>164
秀次事件がいなければ譜代筆頭クラスなんだけどね >>102
晋朝の八王の乱みたいなことを家康が起こしてたかも 鳥居や夏目は死ぬことで主君の栄光に繋がり子孫も報われたが
毛利勝永や木村重成はただ殉じただけで主君が滅びるのを防ぐことはできなかった >>167
岐阜城の攻防は徳川がほぼ参加してないんで
江戸期に前哨戦って扱いにされたが
一連で見ると実質的に決定打なんだよな
西軍が想定外に関ヶ原の地で戦になったのも
戦前から内部が実質的に崩壊してたのも偶然じゃない
歴史は点じゃなく線で見なきゃならないって典型 ずっと信長と戦い続けた
秀吉や子飼いが勝てるわけがない >>50
ただのアンチ徳川をまとめたたけだろ、嫌儲のアンチ安倍みたいな感じで数だけは多そうに見えるけど中身がない 三成に筑前筑後40万石実際与えてたら動員兵力と与力大名が立花宗茂と毛利秀包がくっ付いてくることになるから実際の戦力かなり増強されるぞ
10万石クラスの猛将二人が直接指揮下に入る事になるから黒田や細川だけじゃ止められなくなる東軍はもっと石田隊に兵力割くはめになって西軍の大谷隊や小西隊がフリーになる
小早川秀秋はこの場合越前20万石弱だから史実の石田隊6000程になる戦局はどうにもできない
加増はしっかり受けとくべきだったわ >>180
その場合は関ヶ原よりずっと以前に武闘派にコロされてる可能性大 そこから300年続く幕藩体制というシステムがすごいと思うんだけどこれはほとんど秀吉がすでに作っていたものなの?天下餅の歌を見たらそうなんかなって 世界中見渡して武功のおかげで長い治世を保った権力者なんておらん
アホみたいなことしかしてこなかったのに長い政権保った安倍ちゃんと一緒や >>183
徳川幕府の支配体制が確立したのは
家光期の保科正之や松平信綱の時期で
参勤交代や鎖国体制もこの時期で
政治体制も家康時代とは全く言って良いほど異なる
豊臣云々は例によって関西人の心の病みたいなもん 小早川が寝返っちゃったからw
戦いは最後は運さ
徳川に武運があったんだね >>182
秀吉生前に加増されてる事になるから排除されないぞ
石高だと五奉行筆頭になるし北九州の旗頭の扱いになるから鍋島や黒田も影響される 西も大津城で手こずって間に合ってない連中いるからな ウンコたれ流し敗走から覚醒するんだよ
竹中半兵衛も戦の話はウンコたれ流しても聞けと言ってたし 一時を切り取って運が良いとか悪いとか言うけど
運って日頃の積み重ねだからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています