福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は1970年(昭和45年)7月に北海道静内郡静内町の日高山脈カムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件。
若い雌のヒグマが登山中の福岡大学ワンダーフォーゲル同好会(のちにワンダーフォーゲル部へ昇格)会員を襲撃し、3名の死者を出した。

興梠メモ(遺体付近から手帳が発見)

7月26日
17:00夕食後クマ現われる。テントを脱出鳥取大WVのところに救助を求めにカムイエク下のカールに下る。

17:30我々にクマが追いつく。
河原がやられたようである。オレの5m横、位置は草場のガケを下ってハイ松地帯に入ってから20m下の地点。それからオレもやられると思って、ハイ松を横にまく。
するとガケの上であったので、ガケの中間点で息をひそめていると、竹末さんが声をからして鳥取大WVに助けを求めた。オレの位置からは下の様子は、全然わからなかった。クマの音が聞こえただけである。
仕方がないから、今夜はここでしんほうしようと10~15分ぐらいじっとしていた。
竹末さんがなにか大声で言っていたが、全然聞きとれず、クマの位置わからず。それから、オレは、テントをのぞいてみると、ガケの方へ2~3カ所たき火をしていたので、下のテントにかくまってもらおうとガケを下る。
5分ぐらい下って、下を見ると20mさきにクマがいた。オレを見つけると、かけ上ってきたので、一目散に逃げ、少しガケの上に登る。まだ追っかけてくるので、30cmぐらいの石を投げる。失敗である。ますますはい上がってくるので、
15cmぐらいの石を鼻を目がけて投げる。当った。それからクマほ10m上方へ後さがりする。腰をおろして、オレをにらんでいた。オレはもう食われてしまうと思って、右手の草地の尾根をつたって下まで一目散に、逃げることを決め逃げる。
前、後、横へところび、それでもふりかえらず、前のテントめがけて、やっとのことでテント(たぶん六テン)の中にかけこむ。しかし、誰もいなかった。しまった、と思ったが、もう手指れである。中にシュラフがあったので、すぐ一つを取り出し、中に入りこみ、大きな息を調整する。
もうこのころは、あたりは暗くなっていた。しばらくすると、なぜかシュラフに入っていると、安心感がでてきて落ちついた。それからみんなのことを考えたが、こうなったからには仕方がない。昨夜も寝ていなかったから、このまま寝ることにするが、風の音や草が、いやに気になって眠れない。
明日ここを出て沢を下るか、このまま救助隊を待つか、考える。しかし、どちらをとっていいかわからないので、鳥取大WVが無事報告して、救助隊がくることを、祈って寝る。

7月27日
4:00頃、目がさめる。外のことが、気になるが、恐ろしいので、8時までテントの中にいることにする。テントの中を見まわすと、キャンパンがあったので中を見ると、
御飯があった。これで少しホッとする。上の方は、ガスがかかっているので、少し気持悪い。もう5:20である。また、クマが出そうな予感がするので、またシュラフにもぐり込む。
ああ、早く博多に帰りたい。

7:00沢を下ることにする。にぎりめしをつくって、テントの中にあったシャツやクツ下をかりる。テントを出て見ると、5m上に、やはりクマがいた。
とても出られないので、このままテントの中にいる。

3:00頃まで(途中判読できず)他のメンバーは、もう下山したのか。鳥取大WVは連絡してくれたのか。いつ助けに来るのか。すべて、不安で恐ろしい。
またガスが濃くなって………(判読不能)

襲ったヒグマの剥製
https://livedoor.blogimg.jp/zch_vip/imgs/1/b/1b3cef34.jpg

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