【歴史】江戸時代の年収 将軍798億8000万円(徳川吉宗)、旗本1億7500万~1750万、中流農家で額面470万手取り150万 [195892615]
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■江戸時代の殿様と庶民、年収はどれくらいだった?
・江戸時代の貨幣と物価
江戸時代は将軍・徳川家によって貨幣制度が見直された時期となります。1636年、3代将軍・徳川家光により「寛永通宝」がつくられると、金・銀・銅(銭)の三貨制度が確立しました。時代劇などでよく耳にする「1両」は、金の小判1枚に相当します。基本的には時価相場で交換されていましたが、金1両=銀60匁(225g)=銭4000文(4000枚)という公定相場もありました。
・江戸時代のお殿様・将軍の年収は?
1730年(享保15年)の収支に関する資料によると、8代将軍・徳川吉宗の年収は約79万8800両だと記載されています。1両10万円の場合、798億8000万円の収入があったと推測できます。
アメリカの経済雑誌フォーブスの「セレブリティ100」では、世界的に年収が多い著名人を紹介していますが、トップでも300億~500億円となっています。令和の時代における総理大臣の年収は約4032万円ほどなので、江戸時代のお殿様の年収は、かなり高額であったといえるでしょう。
ちなみに幕府の家臣である旗本は、管理している土地の大きさにより年収に格差があり、5000石の場合は年収1億7500万円、500石の場合は年収1750万円だと推測できます。格差はあるものの、幕府に関わる職に就いている人は、比較的高収入であったことがわかります。
2に続く
https://news.yahoo.co.jp/articles/2923daa493735a6285b206775671c58fc753a7d9?page=2
・江戸時代の庶民の年収は?
江戸時代は、さまざまな職業があり、ひとくくりに庶民といっても収入に差がありました。たとえば、中流農家の場合、田1町と畑5反を耕作することで米20石・麦6石・大根2万5000本を作ることができたと言います。ただし、作物がすべて収入になったわけではありません。年貢や地代を支払う必要があったため、おおよそ47両ほどある売上から差し引かれ、実際の年収は15両程度となりました。
現代の価値にすると、中流農家の年収は470万円、手取りは150万円程度と言えるでしょう。現在も年収から各種税金が差し引かれますが、江戸時代も同様に年収と手取りに開きがあったことがうかがえます。
・江戸時代のお殿様と庶民の年収差は非常に大きかった
現代も年収格差が問題となることがありますが、江戸時代のお殿様と庶民の年収差は、現代とは比べ物にならないほど大きかったことがわかります。中流農民の場合、500万円近い年収があっても半分以上が税金や諸経費で差し引かれ、日々の暮らしは決して楽なものでなかったと予想できます。年収格差は現代だけでなく、古くから日本社会に存在していたと言えるでしょう。
出典)
日本銀行金融研究所貨幣博物館 お金の歴史に関するFAQ(回答)
プレジデントオンライン 江戸時代の武士の平均年収は500万円超
フォーブスジャパン 世界で最も稼ぐ著名人ランキング 今年は多数が年収1億ドル超え
フォーブスジャパン 世界で最も稼ぐセレブ100人 フォーブスが発表
ソースおわり よーするにこのころからなーんも変わってないのな、ニホンザル島w これは家臣の給料を含むってことでしょう
それなら個人所得と言うより法人所得に近いよね こっから社員に給料きっちり配らなきゃならんのでしょ 「150石の貧乏旗本」とか言うけどあれは150人の農奴を所有する奴隷主って意味だからな 将軍に個人所得なんてないだろ
幕府の収入じゃないの、この額は 五公五民は税金で半分取られるって意味じゃないなんて見たことあるが軽くググった感じそのまんまなんだよな🤔記憶違いかな 中流農家なんてあんのか?
庄屋と小作だらけのイメージだが >>11
土地持ちだけど小作人に貸すほどはないクラスかな やっぱどっかに埋蔵金あるのか
今見つかってる額と照らして推定できるよな いやこれ
農家の年収を先に決めといて
ショウグンを農家何人分って計算しただけだろ >>8
なに嘘ぶっこいてんだよw
1石=米俵2.5俵分の米の事だぞ
だから150石ってのは年収375俵の米ってことだ
ジャプランではコメが通貨代わりだった そう思うと参勤交代って見栄っ張りの上級国民に金を使わせるいい制度だな 幕府の収入=将軍の個人所得なんだろうけど全部自分で使えるわけではなくて旗本御家人に配ったりするわけだからね 今の庶民とたいして変わらねえな
みんなお上に吸い取られる 大会社の売上全てが、社長の収入として捉えているキチガイじみた統計 何万石だといくら米が取れて、それを全部換金すると何億円になります!とかの雑な計算でワロタ
知行取りの場合だいたい五公五民なんだから、収穫量の半数が年貢で、
そのうち何割が米としての食料消費量で、何割が換金用で現金収入になって、
その現金収入から家来の人件費、業務に係る諸経費を支出して、
結果5000石取りの旗本の人だと、その人の「年収」はいくらです、って出さないと意味ないだろ
米の収穫高だけ言っても、テレビの社長特集でよくある
「年商何億の社長!」みたいに売上高だけ言ってるのとかわらん >旗本1億7500万〜1750万
切腹が流行るわけですよ。 >>13
幕府の収入が、そんなに少ないわけないだろ >>18
1石は農民1人あたりの年間生産量のことだぞ
そこから上納金(米)を徴収する権利を持っているのが旗本な 旗本はこっから交際費とか部下にお金やらなきゃいけないから殆ど残らないんだろ?🤔 お家の予算とか今の国家予算並みにキッチリしてたわけじゃないだろうな >>8
違う
150人を一年食わせられる分の米って意味だよ
その150石からさらに家臣の給料や見栄に使うぶんさっ引くから自分自身の手取りはもっと少ない
しかも江戸時代は時代が下ると米商人達が武士が米を換金するときにわざと米相場を下げてたから150石で150人なんて養えないよ 三十俵二人扶持とかいうじゃん
たくさん貰っても立場に応じて人雇わないといけないんだよ 江戸時代の“総理大臣”は儲からなかった? 「老中」の驚くべき経費〈dot.〉
https://news.yahoo.co.jp/articles/ccfef4bb17ebd11965ed59735e907aa29d6aa37f?page=2
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老中の必要経費がヤバかった話で、定信の国元の勘定奉行は最初はガチで不正を疑い、定信が「その気持ちはわかる」と江戸に呼びつけ、暫くそばで滞在させたらそいつも納得をしたとか、
その前の田沼も賄賂は必要経費を補うための側面が大きかったとか
たしかに経費含めた年収であるのは現代との差 徳川家直轄領が800万石だろ
これが幕府の予算か?
現代でいくらなんだよ >>13
幕府の歳入は年間およそ1000万両ほど
将軍の年収80万両っていうのはあくまで個人の財布 >>24
これ1750万だとかなりキツイよな
武器とか馬や家来をその額で用意しないといけないんだから 江戸時代は奴隷制で明治維新は奴隷解放戦争だったのよ 幕府は地方の奴に力をつけさせないように薄給にしたからな 旗本退屈男とか貧乏旗本ってのはリアルにいたかんじかね 江戸時代は260年もあるんだし、一括りに語れないだろ >>32
体裁整えるために派遣会社からチンピラまがいの輩を雇ったり札差が中抜きしたり
今と大して変わらんね >>43
江戸時代はインフレしていったわけだけどだからってベースアップするわけじゃないから幕府から無償で借りてる屋敷の用地に長屋とか借家を建てる旗本御家人が増えていったと言うことだから生活は楽ではなかったんだろうな 時代を経ると
ご先祖様絡みの支出が増えすぎてどこも火の車 ちなみに世帯収入が2000万の大藩の中流侍は幕末には借金まみれだった
何故なら侍は侍であるために莫大な交遊費がかかるから
そして江戸時代の「米本位制」は作付け面積が増えれば増えるほど米の価格が下がると
額面通りの年収よりも遥かに少ない収入しか得られないから
侍が特権階級で大金持ちというのは江戸初期まで、直参とか旗本とかそういう連中だけ
もし本当に侍が高収入で特権階級で財を蓄えていたのなら明治維新で大半の士族が滅んだ理由が説明出来ない でも武家は仕事くっそ楽だったからな
それがしの家系はこの右のふすまを開け閉めする役を代々担いますとかで9時5時どころかもっと短いし そんな富豪でもファミコンもできなかったと思うと虚しいね 旗本しょぺえなあ
実は代官ももうからなかったらしいし
意外と江戸時代ってのは寂しいもんだな 武士は公務員だから
藩がつぶれて県が置かれた時点で失業や
正業もないので多少財があったところで死ぬ
職業軍人になったり巡査になってまた公務員になれた奴はいいが
大抵は没落した >>49
幕末の東京に参勤してた下級武士の日記でも1ヶ月に7回しか出勤しないから暇すぎて習い事始めたって書いてるしなあ
武士だけじゃなくて江戸の町民もフリーターみたいなやつが多かったらしいし 旗本は使用人がそれなりにいるから実所得はいくらになるんだよ
将軍だってどこまでが将軍の取り分でどのくらい大奥やら周りの人間やらの経費にかかってるかわからんし
そもそも将軍とかだと今の金持ちと違って好きに金を使ってものを買うとか出来ないだろ
愛妾とかに金使うとか豪奢な生活をするにしても周りの監視が大名なんかより厳しいだろうし >>59
将軍はセックスまで仕切り1枚へだてて監視(チェック)されてたしな
集中できん 貴族=上級武士は下々のものに裸を見られてもどうという事はなかった
それが貴人の振る舞いというもの >>48
接待費に金かかるよね、家に上司が定期的にくるからそこを一番飾り立てないといけないし 馬が今の高級車くらいの値段したんだろ
お侍も維持するの大変だし農家の馬が死んだら死活問題 5000石で1750万って無理ゲーじゃね?
戦の折には当主は騎乗フル装備で配下は徒士足軽や雑役100人にくらい
配下にみすぼらしいカッコさせてたら自身どころか主人にさえ恥かかせるし
そりゃ借金で首回らんくなるわ 当時の武士って借金だらけだったんよな
何かと支出が多すぎる割に給料は上がらない 吉宗の時から旗本は出世しても基本昇給無しで手当だけもらえる制度になったんだよな 江戸時代初期の年貢税率ワースト3
1位 九公一民(定免法) 島原藩 松倉氏
2位 八公ニ民(定免法) 津山藩 森忠政
3位 八公ニ民(検見法) 島津藩
なお島原藩は年貢に加えて乳児税、老人税、生存税、死亡税、肥料税、改築税 、囲炉裏税 、窓税、棚税、畳税、墓穴税等もあり、税滞納者は蓑を着せられて火を点けられた模様 >>65
農家はランポルギーニより高い黒毛和牛で
田畑を耕してた。 >>71
現地に行けばわかるけど
島原も島津も人が住む場所じゃない >>71
日本の将来じゃん島原藩
あと20年で島原藩になるだろ 現代は中流の手取りが多すぎるな
つまり正社員が悪ってことだ >>66
配下も必要最小限度しか雇ってなくて人手がいる行事とか臨時で雇う旗本だらけやったろ? >>50
飯も不味いしちょっとした病気でも死ぬし(将軍家の跡取りでも10歳未満でコロっと死ぬ)
スマホないからやり取り手紙だし、周囲の野蛮人がすぐ軍隊引き連れて領土奪おうとするし
絶対生まれたくない時代だわ >>71
島原は実態にそぐわない石高設定がなされていて
島原の乱以降住民が重税に喘ぐ事になった
流石に見かねて実情を知った現地の代官だかがお上に陳情して石高設定引き下げに動いたとかなんとか 武家は借金だらけ
大身旗本だろうが貧乏旗本だろうが
等しく札差に蔵米を担保に取られてずっと搾取されてた 島津とか毛利とか上杉とか戦国時代は大国だったのが領地が減ったのに家臣をあまり減らさなかったところは大変なことになってたからな >>28
1日三合食べるから
365×3≒1000合=一石で
一石あると大人1人分養える収入があるという意味じゃ無かったか? >>83
1日5合の計算だね戦後まで米が食事のほとんどだからなそれで1か月1斗5升
1石は10斗だから1年分には足りないね >>49
現代でも同じ会社で楽な部署と過酷な部署があるのと同じだろう 江戸時代ってまだ金山が現役だったから大量に純金あったんだよな
ジパングに黄金があるってのは当時は嘘じゃない ジパングを黄金の国と紹介したマルコポーロは元の時代
日本で言えば鎌倉とか室町の人なんだから江戸時代はーとか言われてもね 口減らしして鎖国したいなんて、原発が爆発したあとに
夢見ていい問題じゃないw
バカで無能の権威主義でも福一の後始末してから夢想してちょうだい >>1
んじゃその頃の中国のエンペラーの年収は数兆円ぐらいか?w 近世のGDPなんてこんなもんでしょ
16世紀のヨーロッパ公爵の年収が250億くらいらしいから
まあ妥当かと >>94
1820年頃の中国は世界のGDPの33%を占めてた
現在のアメリカでさえ25%
中国皇帝は文字通り神に等しい存在だよ その中国の国家予算15年分蓄えたヘシェンって恐ろしいな どうせ幕府の収入を将軍の年収とかバカなこと言ってんだろ 年収というよりは、そこから家臣の「売上」に近い性質だろう給料も払うから >>99
年収というよりは、そこから家臣の給料も払うから「売上」に近い性質だろう
の間違い つまり日本人はそれくらいまでの搾取なら怒らないということ
増税まだまだいけるで 日本の支配社会層は実に質素なもんよな 当時の西洋人も驚いてるし
現代の日本史やってる人が海外で西洋貴族の生活を見聞すると豪華すぎて驚くくらい 紫禁城と江戸城を比べればわかるだろ
紫禁城と比べれば江戸城なんか辺境民族のちっさい城 小作農でこんなのいたの?
>中流農家の場合、田1町と畑5反を耕作することで米20石・麦6石・大根2万5000本を作ることができたと言います。
ただし、作物がすべて収入になったわけではありません。年貢や地代を支払う必要があったため、おおよそ47両ほどある売上から差し引かれ、実際の年収は15両程度となりました。 >>87
江戸時代は今の北朝鮮レベルの徹底的な人口抑制政策レベルだからなあ
ただ家康もだけど、鎖国と言い結局商業というか流通を軽視していたことが最後には破綻を招いた 貧乏旗本の徳田新之助(年収1750万円)
俺がめ組の人間だったらぶん殴ってる >>109
三男坊は子供部屋おじさんみたいなもので、直接貰ってないだろ 江戸時代は商業発展の時代でもあるから農民でもあれこれ買えるのが普通
徐々に工業品>農業になって肥沃な土地より手工業が発展した土地の方が強くなっていたという話もある
そして格差も年々酷くなっていってるからなんらかのアクションは外圧無くても起きたんじゃないかと >>109
そこからさらに下の人間何人も養ってたのでは >>111
え、これ嘘だと思うんだけどな
>江戸時代は商業発展の時代でもあるから >>113
米相場は当時世界最先端の先物取引だったろ
別に誇るようなもんじゃないけど >>114
あ、これもどうかと思ってる
先物取引が「正しい」とか思ってるのもどうかと思うし
>米相場は当時世界最先端の先物取引だったろ >>115
誇るようなもんじゃないっって書いてるだろ文盲 >>109
貧乏旗本の「三男坊」←ここ重要
1750万貰ってるのは親父or兄貴で家来も屋敷も親父or兄貴のもので三男坊は屋敷に住まわせてもらって飯と小遣い恵んでもらってる無職こどおじやぞ 先物取引、てなんだろ
これは江戸の理解と結構表裏かもしれない、と俺は思うんだけど >>116
誇るようなものではないと思ったのはなんで?
>当時世界最先端の先物取引
とは思ってるんだよね >>108
家康が流通・商売を軽視したのは朱子学に基づいて政治を行ったからなんだけどそれは家康の時代で必要だったからその時は統治は上手くいったんだよ
ただ後の後の幕府が家康を神格化、絶対として朱子学の思想を捨てきれず最後まで武士が流通・商売に関わることを汚らわしいという思想を捨てきれなかったのが幕府の財政赤字の一端 >>122
朱子学なあ
これはいつ日本に入って来たんだっけ 将軍の手取りが少々多すぎるとおもう。両建てでは正しいのだとしても、現代の円に換算した物価調整が必要なのではないか。 幕末の雄藩とか藩政改革に成功しました!てところも
ほーどんな改革を、って見たら借金踏み倒しました!ばっかだからな >>126
酷い話のようでもあるけど
商人は税金がないので武士への金貸しが税金代わりみたいもんだったんじゃね
藩財政を良くするために商人に借金して産業振興して成功すれば
貸したカネ返ってこなくても商人はそれを売買して儲かるわけだし 中流農家でこれなら下級はどうなってんだよ...日本って昔から鬼畜やろうが国操ってたんだな 火付盗賊改の鬼平さん
1500石の旗本だけど
自分の配下の分も含めた1500石なんで
鬼平さん本人は金なくて苦しかったとか >>8
150石高という意味だから人数は関係ないぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています