旧唐書「日本国は倭国の別種。日本は小国だったが、倭国を併合した」 この意味が判明!壬申の乱は日本陣営のクーデターだったのだ! [426566211]
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中国の歴史書(旧唐書:945年)には「小国であった日本が倭国を倒した」と現代の理解からすると不可解な記述がある
《日本国は倭国の別種なり。
その国日辺に在るを以ての故に、日本を以て名となす。
(略)
あるいは云ふ、日本はもと小国なれども、倭国の地を併せたりと。》
が、これは壬申の乱の事で大海人皇子(天武天皇)が東国(日ノ本)の勢力の力を得て近江朝廷(倭)を打ち破った事を指しているんだな
実際『日本』という国号を正式に使い始めたのも天武天皇が最初だ
つまり
・関西=倭国=近江朝廷
・東日本=日ノ本=日本=大海人皇子(天武天皇)
ということだ 倭国=土着チョッパリ猿
日本=朝鮮半島からの渡来人の国
こういう事か
日本は東日本の事だった
袖中抄
顕昭云
いしぶみとはみちのくの奥につものいしぶみあり、日本のはてといへり
但し、田村将軍征夷の時、弓のはずにて、石の面に日本の中央のよしをかきつけたれば、石文といふといへり
信家の侍従の申ししは、石面ながさ四、五丈ばかりなるに文をゑり付けたり
其所をつぼと云也(それをつぼとはいふなり)。
私いはく
みちの国は東のはてとおもへど、えぞの嶋は多くて千嶋とも云えば、陸地をいはんに【日本の中央】にても侍るにこそ
陸奥の豪族、安藤康季は奥州十三湊"日之本"将軍を自称していた
天皇もその呼称を認めている
日本とは東日本の事 >>5
両国とも支配層が朝鮮人である可能性の方が高いだろ 天智と天武が本当に兄弟だと思ってる馬鹿はセンスないよ 中臣鎌足は鹿島香取と関係が深く東国側
ということは中大兄皇子=天智天皇も東国側
つまり近江は東国側の最西端 >>13
『本朝皇胤紹運録』や『一代要記』で計算すると天武が4歳年上になっちまうからな
壬申の乱で天武が「赤衣」を纏って劉邦になぞらえたことからも天武の出自が疑われるし 関東の常陸国の倭国王・天津甕星(天武天皇)は、672年、香取や鹿島の神社勢力を主体に東北の狩猟民の神社勢らを味方に着け、西進して関西の革命反対派を攻略し、壬申の乱(=飛鳥体制革命戦争)で日本政権を樹立した 西日本=渡来人
東日本=旧渡来人
東北北海道=縄文系アイヌ人
三国志やんけ >>19
鹿島も香取も磯良祀ってるのにそれはちょっと考えにくい >>19
というか常陸國風土記によれば天津甕星(天香香背男)が武甕槌(磯良)に滅ぼされてるぞ 壬申の乱あたりをよく読むと明らかにこの国一度滅びてる
明言を避けてるけど一つ一つの出来事を拾うと「滅亡して別の国になった」としか読みようがない 大敗して滅んだ百済人が大量に乗り込んできて
倭国も勢いで滅びてたとしても不思議じゃない 歴代天皇の中で最も活躍したとされる天皇「天智天皇」「天武天皇」の母「斉明天皇」は、「朝鮮人豪族 吉備王朝」の出である。吉備王朝は、朝鮮式山城を根城に、大和王朝以前 倭国最大の勢力をもっていたという。吉備には、大和王朝以前としては、日本最大の古墳があるという。従って、「天智・天武は朝鮮系の天皇」であるということになる。
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-3de5.html
間違いなく日本史は朝鮮史
縄文人自体が弥生人にやられてるからいまさらではあるが古代史においてもコリアンコンクエストが起きてる 大化の改新の後百済の移民は根こそぎ東国に移配されてるよ 中国固有の先住民である倭を卑劣な日本民族から解放しよう! 最初にこの国を統一したのは
中国大陸から渡来した徐福率いるエリート集団である
彼等は列島に不老不死の情報を求めてやって来て
マナの壺(=三種の神器の一つ)を発見し
自らを神の宝物の一部、物部と改名した
物部氏はマナの壺を利用しようと試みたが失敗し
社会は疲弊・混乱し崩壊寸前まで行った
後から列島にやって来た神武天皇率いる日向族はこの混乱を収めて君臨し
物部氏は最初こそ反抗したものの彼等に従うことにした
やがて物部氏も天皇と同格に扱われ婚姻によって朝廷に吸収された
物部氏は来たるべき時代のために四国の剣山にマナの壺を封印した 日本=百済 な
大陸エリートが島国蛮族を倒したっちゅうこと じゃあなんで結局天智天皇の子孫が皇位につくことになったの? 6 7 2
剥いて 舐めて 握ろう
壬 申 乱
ちんちんで ランランラン 「大和」って「やまと」と読むけど普通に読めば「だいわ」じゃん。
「やまと」勢力が権威のあった「倭」を征服し「大和」って漢字をあてたんじゃないの? 本州最東端は岩手なら岩手あたりか日の本。
八幡平は中国語でチーマンタイと発音することから邪馬台國とは八幡平のことだったんだよともいうしね 天智と天武は兄弟ではなく別王朝をそれらしく繋げたということ? 天智がむしろ乗っ取り側なんじゃね
大化の改新起こした張本人だし
「韓人が入鹿を殺した」なんて表現もある
そこに天武が乗っ取り返したもしくは更に乗っ取ったと 天智天皇も天武天皇も宝女王の子でしょ
奈良時代は宝の時代じゃないの
聖武天皇、勝宝感神聖武皇帝の時にやっと宝の影響を除いたのかもねえ インテリ気取りども、史料をスレに出せよ史料!原文と読み下し! >>40
倭って良い意味じゃなくて「倭ってイメージ悪すぎだから日本って変えるわ」と特使が中国まで報告に行ってるって記録が残ってるから、倭っていう言葉のイメージを残そうとするとは思えない 倭国ってのは朝鮮半島南部から九州北部を支配していた勢力のこと。
奴国が金印を貰った頃は奴国が覇権国で
邪馬台国がおそらく奴国を滅ぼしてとってかわった。
その倭国を滅ぼして併合したのが大和こと日本。 日本の教科書では絶対に分からない事が中国の史書に書いてある 薬子の変で嵯峨天皇と藤原北家が勝利したことを表している。
以後日本はずっと勝利したまま、オワコンになろうとしている。 >>43
天武の血筋は称徳で切れて光仁から天智血統に戻るから、天武が簒奪した王朝を天智血統が取り戻して、簒奪の歴史を消すために「兄弟設定」にしたってことかな 現代人の遺伝系統ネットワーク
https://i.imgur.com/dcM0IrK.png
南西諸島----------薩摩----出雲---北九州-東北-関東-北海道-東海-----近畿---------韓国-------北京
Admixtureを用いた解析結果
https://i.imgur.com/SnteJza.png
水色は華北成分
ピンクは東南アジア成分
黄色はホアビン文化人成分
緑色は縄文成分
茶色はツングース成分 >>53
日本書記は天武勅命で編纂が始まったとされるけど成立は養老4年(720年)とするのが一般的だから編纂の主体は元明、元正の御代だよ
元明は天智血統だし、元正は父系天武ー母系天智とは言え、父は立太子が後世の創作とされる草壁だからね
その後父系天武血統(これも草壁からの父系)の聖武が即位するけど、その後の孝謙(称徳)は母系藤原の血統
そして日本書記の編纂に深く関わったのが天智のパートナー鎌足を父に持つ(皇胤説すらある)不比等だからね
言わずもがなでしょ 確かに持統ってのが天武は別系ってのを意識させる名前だよな 天智は自分の娘を鸕野讚良(後の持統)はじめとして4人天武に嫁がせてるからね
何故そこまで実弟に気を遣うのか…ってことでもお察しだね 道東のアイヌに「日ノ本」を意味する姓があると聞いたけど、やはりアイヌエミシ系だったのかねぇ >>44
いや、それ以前に蘇我三代が蘇我王朝を築いてたと思われる
推古は即位してなくて馬子の皇后だった
それを天智が乙巳の変で奪還
入鹿を弑逆した「韓人」は百済王子とされる鎌足だ 旧唐書には別種云々の箇所の次に、倭という名前を嫌がって日本にしたともいう、と書いてあるよ
いにしえジャップが唐にちゃんと自国の状況を伝えなかったせいでよく分からない感じになったみたい というか>>1 の引用ひでぇな
略された箇所含めた日本語訳載せとくぞ
日本国は、倭国の別種なり。其の国の日辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す。或は曰く、倭国、自ら其の名の雅やかならざるを悪みて、改め、日本と為す。或は云ふ。日本は旧小国にして、倭国の地を併せると。 アマテラス=持統だしなあ
それまでは奈良から追い出されて忘れられた存在 2682年の万世一系が科学的に証明されたはずなのに・・・神武さん・・・なんで・・・ >>60
蘇我氏と大王家の関係はそういうものじゃなくて
政治的支配者の「おとど」と宗教的権威の「おおきみ」が
当時の倭国にはあって、中国とやり取りをする中で
どっちが「王」に当てはまるのかって争いだったんじゃないかな 中国の史料が絶対って訳ではないけど周辺国の王朝が交替したみたいな重要な変更点は基本キッチリ記すからな
日本で王朝の交替があったならそう「明記」しているはず 天武が兵士集めた東国って三重や愛知らへんの事やのに
毎度のごとく歴史皆無でコンプレックスまみれのカッペ関東人が気色悪い歴史捏造しとるな この頃の歴史をはっきりさせないからいまだにどんぐりだなんだ言われる 日本の使者は尊大で不誠実だから中国はこの事を疑っているとも書かれてるな >>70
アマタリシホコの倭国とは明らかに言ってることが違うくせに
その後継国家を名乗ってるからそりゃ怪しいよ >>66
そういう見方ももちろん出来ると思う
しかしオレは日本書記の
皇極即位一年
・八佾之儛のエピソード
・大陵、小陵のエピソード
皇極即位二年冬10月3日
・蝦夷が紫冠を入鹿に授けたエピソード
から「蘇我王朝」があったと見たい
それらはいづれも大王にのみ許されていた特権で、書紀では「蘇我一族の横暴」と非難しているが、実は彼等が王朝を簒奪していたなら至極当然の振る舞いだと思うから
ま、真実は誰にも判らないからね(笑) >>60
邪馬台国はどこですか?
という小説で蘇我一族が天皇に近いかそのものの立場だったという説が紹介されてたけどあれって一応根拠ある話なんだ >>73
そもそも当時の日本において
中国みたいな男系相続ではっきりした家系図を作っているわけがないし
李斯や始皇帝が作り上げた君主制官僚システムのようなしっかりした
権力機構があるわけもない
だから誰が最高権力者かって意外とすんなり答えにくい話だったかも
しれないんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています