四日市公害、子らに伝われ 市民団体、当時の同世代の体験募る
活性炭入りの黄色いマスクを着けての登下校、学校での乾布摩擦やうがい?。約半世紀前、コンビナートのばい煙が覆う空の下で生きた子どもたちの、学校生活の一場面をとらえた写真が残っている。
子どもたちは何を思い、どう過ごしていたのか。市民塾のメンバー、三輪晃久さん(66)は「今を生きる子どもたちにとって、四日市公害は教科書に書いてある客観的事実にすぎない。
同じ年代の子どもたちの思いに触れることで、自分ごととして考えてもらいたい」と話す。
四日市公害と環境未来館によると、公害の影響が大きかった塩浜地区の小学校では一九六六年当時、公害認定患者が二十人、のどの病気がある児童が百人いた。
教室には空気清浄機が設置され、悪臭がひどい時に避難する公害用講堂もあった。うがいは一日六回。のどを守るため、肝油を飲んだという。こうした小学校での生活以外でも、何げない日常で感じた公害の影響や体験を広く募っている。
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