復帰したら雪が降る。日本返還(1972年5月15日)が迫る頃、沖縄の小学生たちの間に奇妙なうわさが広まっていたという。「アメリカ世(ゆう)」から「ヤマト世」へとなれば、気候も本土と同じになる。無邪気な想像力、夢物語は、変革に対する大人たちの不安を少しは慰めてくれたのではないか。もっとも、子どもたちの一番の心配事は「ドルから円に替われば、お小遣いが減るらしい」だったようだが……。
 那覇・国際通りは焦土からいち早く復興し、奇跡の「1マイル」といわれた。辻野卓さん(74)、愛子さん(同)の夫婦が沖縄料理の店を出したのは復帰の2年前。店名を潮騒に黄色い花が揺れるゆうなの木(オオハマボウ)にちなみ、「ゆうなんぎい」と名付けた。
 車は右側から左側通行になり、観光客向けの店が増えたが、家庭の味は50年間少しも変えていないという。豚肉のラフテー(角煮)は毎日6時間煮込む。豚足のテビチ、ミミガー(耳)、中身汁(モツ)。「最初の頃は観光客から『気味悪い』と言われたが、ただでいいからと食べてもらうとファンになってくれた」と愛子さんは言う。カメカメ(食べなさい、食べなさい)攻撃はおもてなしの心。20年前から客が並ぶようになった。
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