嫌儲クラシック音楽部 [377482965]
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現音計画が独自の作法で「日本」と四つに組む、初めての試み 東京現音計画#17~ミュージシャンズセレクション6:神田佳子『シュトックハウゼンー雷電』〜江戸現音計画化 開催!カンフェティにてチケット発売 (2022年5月2日) - エキサイトニュース
https://www.excite.co.jp/news/article/Atpress_309031/ ケンモメンもサティみたいに宗教団体を設立したらいい。会員が誰一人集まらなかったあたりもケンモメンにとって好感度高い バイエルからはじまって
ブルグミュラー、ソナチネくらいまでは弾いたな
今はもうむりだが SACDでドビュッシーのピアノ曲全集ってないのかな まさにいまブルッフのバイオリンコンチェルト聞いて躁になってる。
そういや今日はサティの生誕日らしいな >>3
バッハの「マタイ受難曲」BWV244より
初曲合唱「来たれ、娘たちよ、私とともに嘆け」
(ポール・マクリーシュconductor/ガブリエリ・プレイヤーズ/ほか)
https://youtu.be/joo7Obpwiz0 >>7
ここ数年ピアノやってるけど音楽聞く時間が減るね
以前クラ板かどっかでピアニストで自分の弾く曲以外に興味ない人が結構いると聞いたけど、たしかに時間無いわ >>12
うおおマタイでこの速さ
いいねえ、いいよ
>>14
しかしクラシックの演奏家ももうちょっと音楽理論を勉強した方がいいと思うことはあるな
特に日本人の泡沫ピアニストに対してそれは感じる
練習に時間を割かなければいけないのは分かるがきっちり理論立てて楽曲分析が出来てこそより楽曲への理解が深まるというのはあるので ドビュッシーはSACD新録というのはとりまなさげだね
旧録のシングルレイヤーとかは俺も興味なし
俺はBISの小川典子のをよく聞くけど
これCDでも音質いいよ
で同じBIS=小川のサティ全集はSACDハイブリッド
(ただしピアノも1890年エラールと独特) >>22
んなこたぁないだろ
俺は同人系で好きなアーティストもいるし >>22
むしろクラ聞かないひとがこおゆうレスばっかり
…どうしよう、友好的にいってもいいし、ケンカ売ってもいいし
>>1のためには前者だけど、気分は酔ってるから後者だし
ふたことめには「理論」言う奴にも売りたいけど
まあスルーされること必定だし >>9
親しみやすさでいえば
舟歌12番
無言歌3番
組曲ドリー
など >>23
国内ピアニストのサティは高橋悠治しか持ってないし買ってみようかと思ったけど高ぇ
高橋アキの作品集も値段で購入を見送っている 「日本人の泡沫ピアニスト」にはむしろ「理論」は足りてる
足りないのは技術といってしまえばそれまてだが…まあ知性よね
「山を動かす技術のあるところには、山を動かす信仰は要らない」
(エリック・ホッファー) スレタイになんの工夫もないひとが立ててくれたクラシックスレが伸びて
変に媚びようとする人が付けたスレタイのクラスレは伸びない
…誰とは言わないが反省しときいや
>>28
ピアノ五重奏曲第2番は本当に素晴らしいよね
フォーレの晩年の傑作だと思うんだが演奏機会が少ないのが惜しい
最近聴いたApartéのアルバムでピアノ五重奏曲第2番を聴けたけどなかなか良い演奏だった
https://i.imgur.com/y1o0ViB.jpg >>27
小川は英国在住が長い
内田もそうだけど「国内ピアニスト」と捉えないほうがいいよ >>35
フィルハーモニーにピアノがはじかれる意味を考えろ >>37
俺はウクライナ侵攻のせいでチャイコフスキーがキャンセルされる今の風潮を嘆いてるわ
チャイコフスキーに何の罪があるんだよ 1812が敬遠されただけで、それ以外のチャイコフスキーが曲目変更された例を知らんのだが チャイコフスキー演奏するくらい問題ないだろ
過去のロシア文化全般、違う時代違う政治体制下の産物というのと敵を知るためという2点からきつい禁止論には傾かんと思う
でもチャイコフスキー・コンクールへの参加はもう駄目だな
あの政治体制が変わるまではロシアを徹底的に孤立させるべきだし ビウエラ、ルネサンスギター、リュートはじめクラシックギターなど撥弦楽器ばかり聴いてる
音が好きなんよ
全然弾けないけど
大体有名どこは聴いたけどおすすめあったら教えてくれ ここのところクラスレ覗くたびのフォーレ推しがやや不可解だったから
謙虚な俺は>>26や>>28に従っていまちょっと聞いてた
俺もひととおり齧ったのち今でもピアノトリオなんてそこそこよく聞く
(先に言うがその推しのピアノクインテットよりこっちじゃないかな)
シチリアーノやレクイエムを名曲とするのもやぶさかでない
…が、そのうえでフォーレ推しやまた>>29には申し訳ないけど
フォーレを10回聞くあいだにドビュッシーやラヴェルを100回以上聞いてるよね、と
…こういうレスするからきらわれるんだけど
でもこおゆうことを個人の嗜好に収めないでなんでだろうと俺は考え続ける
フォーレへのsage評の定番に「サロン音楽」というのがあるが
このフォーレ推しにはそれを乗り越える意味が果たしてあるや、とか >>40
チャイコまったく問題ないやね
しかし俺は同時にゲルギ追放もまた是とする
ちょうどゲルギエフの春の祭典聴いてた いつもなら挙げた作品、作曲家のつべを貼るんだけど
今宵はちょっとしないかも
…きみらが貼ってもいいんだよ?
むしろなんで貼らないの? >>46
いいんじゃない
>>47
今回はそこそこスレ伸びたでしょ…またお願いね(´―ω人`) Spotify Integrationでfoobar2000経由で聴いてたのに
一昨年APIが完全に殺されたみたいで使えなくなった クラシック音楽スレを他の音楽スレと劃するために俺は
以下のふたつのレスをよくする
(今宵はしないが)
ひとつ…クラシック音楽やそもそも音楽じたい
ひとの生にとってはなんてことないんだよと
なきゃないでまったくかまわないんだよと
いまひとつ…そのなきゃないでかまわない理由を伝える意味でも
クラと一見直接関係ないような思想、哲学、文学などについても語る
…ということで
クラシックこれから聞いてみようというモメンはもちろん
なんで過去レスのようななんでクラシック語りってそんな傲慢ちきなんだ…傲慢ちきなのに
でもなんか気になるとゆうようなひとも
よかったらクラシックスレ覗いてほしい スレ立てるひとに伝えたいのは
名作、名演、名盤スレはヲタしか呼び込まないから控えれ、と
…だったらおまえがスレ立てろ、とな
…おまゆう、おまえこそヲタだ、おまえがいるから嫌われるんだろスレ伸びないんだろ、とな
しらんがな…おやすみなさい(´―ω―`)ノ あと謎ワード「聴き専」ね
最近見ないけどかれらどこ行ったかね >>30について追記
ここでホッファーが「信仰」と呼ぶものが
このスレはじめふたことめには出てくる「理論」のことだよ
リロンリロン言えば理論となるわけではない
むしろリロンリロンは念仏だ
(ここですかさず断るが…法然の説いた念仏はリロンでなく理論だ)
…こおゆうこと、クラスレでの俺の語りは ゲルギエフはプーアノンで西側の楽壇から追放されてるんだっけ 楽器も演奏できないくせにクラシックが好きとかほんとダサい
ピアノでもバイオリンでもやればいいのに
オーケストラ楽器をやると音楽の聞こえ方がまるで違ってくるぞ
おすすめはオーボエ
ただしちゃんと先生につくこと ヴァイオリン協奏曲でお勧めある?
チャイコフスキーのが良かったから他のを聞いてみたくなった ラフマニノフ苦手だったけどピアノ協奏曲2番だけ好き ブラームスのバイオリンコンチェルトは割と聴きやすいと思う >>57
ピアノとヴァイオリンは大人になってからだと無理じゃない?
俺はクラリネットをやってるよ
ヴァイオリンは習ったけど難しすぎて諦め気味 ピアノはゆっくりした曲なら大人になってからでも十分できる
月光の1楽章とか
クラはいいよね
モーツァルトもベートーヴェンもブラームスもチャイコも素晴らしいパートを書いてる
ジャズもできるし >>58
頭出ししたから聴いて
グラズノフ 3楽章
youtu.be/jq8oxIgyp8E?t=884 おまえら、キリル・ペトレンコってどう思う?
ベルリン・フィルのサイトでいくつか聴いたけど、どのあたりがいいのか未だによくわからないんだよな シューベルトの弦楽四重奏曲第15番ト長調D887
(ベルチャ四重奏団)
https://youtu.be/SigcBL4X8wQ
「天才」という語が
いま俺たちが使うようなかたちで使われるようになる
その嚆矢はわれらがモーツァルトに対してだとむかし何かの文章で読んだ
モーツァルトと並ぶ「天才」の典型はダ・ヴィンチだろうが
モーツァルトへの形容以前にはダ・ヴィンチをそう捉える言説はなかったような
ましてやそれ以後の例えばアインシュタインやニュートンへの形容となると
モーツァルトのそれとは意味合いがもはや変容している
(確認のためウィキペディア英語版のgeniusを読むと
むしろこの理系的な定義と対象から話を進めているが) 赤ワインの酔いを深めるなかで
「天才」とモーツァルトの話なのに
なんで貼ったつべはシューベルトなのかと
まずモーツァルトをして「天才」とするような言説のありかたは
19世紀にいよいよ盛り上がるロマンティシズムのなかで生まれた
(言わずもがなだがモーツァルト本人はロマンティシズムのひとではない)
そしてそんな前置きよりこここそがおもしろいのだが
そんな「天才」の始点において同時に
まるで天さえそのひとをどう捉えればよいかあぐねるような作曲家がいて
そのひとこそシューベルトなのだと モーツァルトの「天才」は
ケッヘル番号K.でいう400番台、500番台でいよいよ顕れる
(ちな最期はこれも言わずもがなのレクイエムでK.626)
このモーツァルトのケッヘル4-500番台に並び立つのが
シューベルトのドイチュ番号Dの800番台、900番台
(ちなベートーヴェンの作品番号op.の3ケタも同様の奇跡だが
ベートーヴェンを「天才」とする言説はモーツァルトはむろんシューベルトよりまず少ない
ここをなぜと考えるのがまたおもしろい) なぜモーツァルトは天に愛されているように思え
シューベルトとなると天さえ困るように思えるのだろう
これは俺個人の主観に留まるのだろうか シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調D956
(エマーソン弦楽四重奏団/デヴィッド・フィンケルvioloncello II)
https://youtu.be/T0GOv95iDf0
作曲者最晩年の大傑作…しかしシューベルトに関して俺が言いたいのは
疑いようのない才能によるこの高い完成度の大傑作はいまは措くとして
総じてまるでみずから「天才」と見なされることを拒むように
バランスを欠いた破調な作品ばかりで
そう、まさにここが天の困るところで
そんな破調な作品がもう傑作ばかりなの
(余談…貼ったつべはLIVE
このつべではゲスト扱いのフィンケルはのち正式にエマーソンSQの一員に) ヒルデガルド・フォン・ビンゲンの諸作品
(アルバム名「法悦の讃歌Canticles of Ecstacy」/セクエンツィア)
https://youtu.be/Ei88J4lERbk
このヒルデガルドも
ロマンティシズムの近代以降「天才」として扱われるひとり
しかしヒルデガルド本人にとっては
そんなことはまったく無関係どころか天才呼ばわりは至極不愉快でさえあるだろう
彼女にとっては天賦の才能などどーでもよい
神との合一あるのみ
ましてや「破調」などもってのほか こんな感じでクラシックを追うだけでも
(ただしヒルデガルドを「クラシック」とするかは議論の余地あり)
音楽論、「理論」などより、
いつだって問題は「人間」であることに気付かされる
なぜある時およびそれ以降、
人間は「天才」を発見し、求め続けるのか
そしてまたなぜある時およびそれ以降、
天は崩れ落ち、人間は人間を捨て、音楽はその困難を迎えることとなるのか >>65
そういうもんか
ヴァイオリンは中々に難しいわ
まだ習ってるけどフランクあるとは言え後から始めたクラリネットの方が上達は早い クセナキスの「ペルセポリス」
(8トラックテープ)
https://youtu.be/rkGwlb6sONg
人間を捨てたとき人間が甦る…1時、おやすみなさい …え、待って?
「楽器も演奏できないくせにクラシックが好きとかほんとダサい」とは
もしかしてこのスレの誰か特定のひとを指しているのだろうか?
…なーんてシラを切るのはよそう
問うべきはもちろんここではなくて
なぜ俺がレスを始めてしばらくすると
「聴き専」はじめこのようなレスがかならず湧いてくるのだろうか?
俺もそれなりにピアノやってましたとは
クラスレで何度も何度もレスしてるにもかかわらず
ま、まともな本を読んでないから、
(ホッファーなんてとてもね)
そんなレスに陥る無意識の欲望の虜であるじぶんに
いつまで経っても気が付けないのよ
…かれらを「弾き専」とは呼ぶまい
同じ愚を犯すことはない
みずから進んで人間を捨てることはない 音楽なるものは怖いね
音楽の起源は
もちろんヒトが人間となるところに求めてよいのだけれど
同時に音楽とは、語るに落ちる、
人間が人間を捨てるときの格好の材料ともなる
つまり、これが俺がたびたびレスしてるとおり、
「音楽などなければないでかまわない」というところから始めないと、
人間と切り結ぶ音楽は語れないということ マーラーとブルックナーが好きだと言えない空気感
どう考えてもニワカの音楽で片付く代物じゃなんだけど そして次のことこそ俺は
クラシックスレを覗いたすべてのモメンに伝えたい
(もちろん過去のクラスレで何度も何度もレスしてること)
音楽は、楽器が弾けないひとでも、多いに語ってよい
弾けないけれど音楽が大好きだと、音楽を語りたいと、
声を大にして恥じることなく語ってよい
「ダサい」ことなどまったくない
…気を付けたまえ、「閉じようとするものども」に
…そして進んで気を許そう、「開こうとするもの」に
1時半…気付けば赤ワイン1本空いた サティの演奏家でオススメ教えてくれ
サティ全集って言うの買ったら想像と違う演奏で違和感があるんだ
チッコリーニの買っとけばよかったと後悔してる >>86
どの全集を買ったの?
チッコはたしかに良い…ただ惜しむらくは録音が良くない ここは玄人気取りの素人ばかりだな
俺のオススメは「4分33秒」 つべ連投おじさん気持ち悪いからコテつけてくれないかな
IDで毎回NGするの面倒なんで じぶんで言うのもなんだけど
俺のレスってクラスレの誰よりもおもしろいよね
心外ながらよく岩手を引き合いに出されるけど
少なくとも岩手よりは読めるでしょう
岩手より「開いている」でしょう
ましてや「弾き専」諸氏の硬直したレス群より
ずっとずっと「柔らかい」でしょう
本読んでるからね、文学畑だからね
なのにここでもスルーされてるところからして
NGあぼーんされてるようなんだよね
もったいないよね
(ちな俺はスクリプト以外はNGだのあぼーんだのしたことない) 俺がいなかったら
「嫌儲クラシック音楽部」スレなんて数時間でdat落ちでしょ あれ?
>>58に対してタコ1はまだ挙がってないの?
過去のクラスレではVnConの推し頻出なんだけど >>58
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番イ短調op.77(99)
(ヒラリー・ハーンviolin/マリス・ヤンソンスcond/ベルリン・フィル)
https://youtu.be/SXDk1CoIRuY
ハーンは>>68にも >>85
何故好きなのかある程度裏付けを取って語りたい(とは思う)
>>86
管弦楽だけど佐渡裕とラムルー管が良かった
体育会系ノリの佐渡裕が繊細で感興豊かなサティをやるとは意外
まあだからこそのラムルー管シェフだったんだろうけど ちな赤ワインはワンコイン以下です
安心して、俺もまた貧モメン
ウィー・アー・貧モメン!💪
そしてよく誤解されることだけど
クラシック音楽は貧モメンでももちろん愉しめます
(「ちゃんと先生につ」けと説くさぞかしお金持ちな「弾き専」さんは鼻で嗤うかもだけど) >>97
裏付け?
例えば本を読んでの受け売りみたいな?
もちろんそれもいいけど
なんか分からないけど好きだ!の方が伝わるよ?
たとえよう…きみはある女性をどうしようもなく愛してる
(おっと、ポリコレ的には雑だけど許して)
そしてきみは
じぶんがいかにその女性を愛してかをる誰かに語りたい
(そんなことない?いや愛とは誰かに語りたがるもの@カント「判断力批判」)
そのとき「裏付けを取って語」ったとしたら
「彼女のこういうところが合理的に裏付けのもと好きだ」などと語ったら
それを聞いたこちらはまずこう思う
「きみ、ほんとに彼女のこと、好きなの?」と ✕愛してかをる、ってなんだよ…○愛してるかを
ワイン1本空けたのバレたやね 祝クラスレひざびさの100レス超え🎉
しかしあいかわらず
俺のレスってほんとおもしろいなあ >>101
すみません、ひょっとして「スピノザさん」ですか? >>102
いいよね👍
ただしすかさず以下をレスしよう
ドビュッシーを「幻想的」と形容するのは危うい
聴感上のことはさておき
ドビュッシーの音楽はむしろいわば資本主義的でさえある
ここ(西欧)ではないどこかを埋めようとする意志 やっぱり😀
おひさですスピノザさん。お元気でしたか スピノザで思い出してなんとかドビュッシーとつなげようとして
でもいまの俺には無理なんだけど
スピノザに「コナトゥス」という概念がある
詳しくはググって
そしてドビュッシーは西欧正統に対する
コナトゥスの発露ではないかと >>106
元気ぢゃないよ~
このスレでの俺の扱いをみりゃわかるでしょ~
ほんとげんなり😟 嫌儲のクラシック音楽スレに1人で135レスする基地害現る [495149837]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1603464482/
こいつか
クラ板追い出されて嫌儲に居着いたらしいがまだ嫌儲にいたんだな >>109
「クラ板追い出され」た?
俺はクラ板でレスなんてほとんどしたことないんだが
ちな嫌儲のそのスレじたいは憶えてる
たしか俺もそこに居るでしょ そしてこれも嫌儲クラスレでよくレスしてることだけど
俺を分析してる暇があるなら
クラシック音楽を1曲でも多く聞きなってば
無意識の欲望の虜になるな ブラームスのヴィオラ・ソナタ
マイナーだけど最後期作品らしく充実して良いね
原曲のクラリネットよりヴィオラが相応しいと思う
>>99
ペダンチックに語ろうとは思わないけど
素人なりの楽曲理解はしたいと思う衝動(好奇心レベルだけど)は否定しないで良いのでは あー言えば上祐…ぢゃないけど
なに言われてもイヤミで倍返しするじぶんが厭になることも多々あるの😔 >>112
むろん否定なんてしないよ
ところでそのブラームスのソナタについて
俺はブラームスについては基本ダサいとレスしつつ
でも室内楽では佳作多いともレスする
そんな俺がその作品を思い出せない
だからちょっと聞いてくる
(ね、傲慢なようで謙虚でしょ?) >>114
いやいや傲慢だなんて思ってないよ
こっちも何だか呑みたくなってきたw
いぶし銀のヴィオラを生かした作品、結構少なくて貴重だと思う ラテンアメリカのクラシックが好きなんですが同意して貰えませんね
アルデマーロ・ロメロ
弦楽のための組曲 第一曲 Fuga con pajarillo (アルパのフォルクローレアレンジ有り)
https://youtu.be/fWGRUy_NEHM
アルトゥーロ・マルケス
ダンソン ヌメロ ドス
https://youtu.be/gpsHUUHZb9w
ヒナステラ
バレエ組曲エスタンシア 第四曲 終幕の踊り
https://youtu.be/BxWRuCWqab0 >>115
いま飛ばし飛ばしで聴いてるけど…これはけだし珠のような佳曲だ
ちゃんと聴いてないからおすすめのつべを貼れないのがざんねん
とりまみなみなさまは各自つべでbrahms sonata 120と検索しよう
(120は作品番号=op.[オーパス]
作品番号によって作品が一意に決まり検索に正しくヒットする
だから俺もつべ貼るとき能うかぎり作品番号を添える) >>116
ごめ、俺は力になれない
むしろきみからその魅力を、愛を、ごり押しよろしく語り倒そう 語れ、語れ、大いに語れ
弾けない奴は語るなとか…ほんと「ダサい」
過去のクラスレでこれを何度も何度も何度も何度も言ってるのに
相変わらずこの手のレスが湧いてくる
これこそがフロイト以来の無意識レヴェルでの症候とゆうこと
言い換えればかれらはなぜか知らんが追い詰められてる
俺の語りを敵視しなければじぶんが保てないほどに追い詰められてる
それがなぜなのかまでは俺には分からないし
申し訳ないがそんなこと知ったこっちゃない モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンのところで触れたように
ブラームスもまたop.の100番台で佳曲が連なるよね
いやあ、op.120ほんといいね 無意識についてひとつレスしておこう
無意識とは「隠れた意識」などではない
無意識は意識とともに、同時に、現れている
その良い例が言い間違い
言い間違いは意識のしくじりではない
言い間違いそのものが正しい物言い=意識と相即 ヒナステラなんてキース・エマーソンのプログレアレンジで知ったわ
プログレなんて今更感はあるものの雑食根性のお陰で周知されたものはありそう
>>117
わが日本の店村氏がイタリア流の明るめの音色で晦渋さを感じさせない好演をしているよ
とりまお薦め だから意識の上では「聴き専」を批判できたようでいて
実際は追い詰められているというわけ
意識と無意識はおなじ表象で捉えられる
決して表現の裏のようなものではない >>121
スピノザさん煙たがられてて大変だったんですね😀
音楽だけじゃなく哲学・文学にも造詣深くて面白い人なのに
わからないですけど、いわゆる「無意識」って本能的なものに近い気がするんですよね
「意識」っていうのはやっぱ衣服や身だしなみというか、それをある意味繕ったものという気がします 店村氏のブラームスのアルバムはカメラータレーベルから
そしていまタワレコオンラインがカメラータのセールをやってることを
俺は憶えてた…諸氏感謝せよ
https://tower.jp/item/2545126/ >>125
本能ではないね
本能はフロイトではイドでしょ
無意識はイドそのものではない(はず) >>125
とりまもっと言ってやって
煙たがらないで、面白い人だよ、とね😗 俺はおまえより音楽を知ってる…なーんてつまらないところから始めてるから
そんなことになるんだよね
そのとおりだよ
俺は音楽のこときみらより知らないよ
そして知りたいとも思わないよ
世の中には、ひとひとりの生の中には、
音楽なんてものよりだいじなことがたーんとあるんだから
俺にはそちらのほうがずっとずっとだいじだよ
…3時、そろそろほんと失敬するよ
今後の嫌儲クラシックスレに乞うご期待(´・ω・`)ノ >>127
たとえばボクサーとか、リング上では冷静に戦うけれど、本当はこええー、やりたくねー、逃げ出してーとか思ってると思うんですよ
そりゃ誰だって殴られるの痛いし嫌な訳で、それを避けたいってのが本能的欲求じゃないかと(逆に100%勝てる雑魚相手なら話違うだろうけど)
けれどそれで逃げ出しちゃ試合にならん訳で、男は戦わなきゃならない時がある!って強がって戦うけど、ちょっとしたところでビビりが出てしまう。そういうことスピノザさん言ってたんじゃないですか 最近ようやく日本で一番有名なピアニスト「ブーニン」の名前を聞くことが無くなったなぁ。 んじゃどっかのネオナチ政権への抗議を込めてチャイコフスキーでも聴いて寝るか
>>133
ルイサダが5位とかいう変な年の優勝者だったかな? ワイン飲んだぶん+αのしょんべんを出してきたついでに追記
南米のレスあったね…それに絡めて
南米、特にアルゼンチン、ブエノスアイレスは、
クラシック…言い換えれば西欧を正統とするクラシックとの距離が近い
ヒナステラ、ピアソラ、アルゲリッチ、
あるいはカルロス・クライバー…
そしておもしろいのは
アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスは
さきにフロイトに触れたが精神分析もまた盛んであるということ
かつては南米でもっとも西洋化したアルゼンチン、ブエノスアイレス
ナチの残党も逃げ込んだアルゼンチン、ブエノスアイレス
隣国ブラジルのサウダージにも通ずる哀しみのタンゴ
また日本にも通ずる性急な近代化とその蹉跌
話は飛び飛びだが
「日本人に精神分析は要らない」(「フロイトに帰れ」と説いた精神分析家ジャック・ラカン)
>>132
明日はいないかもごめ クラシック音楽を/から考えること
他のどの音楽ジャンルよりも豊穣な答えが
ちな「趣味taste」のなかでも
音楽ほどジャンルを立て、細分化し、相互に壁を作るものはないという
社会学の知見がある
「弾き専」諸氏は音楽を語るとき常に気を付けな
対して俺は既に常にこれらを考慮に入れた上でのレスだから
5時…夏至に近づきあたりはあかつき ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調op.120-1より
第1楽章アレグロ・アパッショナート(情熱的に速く)
(店村眞積viola/弘中孝piano)
https://youtu.be/QI_x_ebdFUg
つべで見つけられた…いいねえ
おやすみ 赤ワインの渋だらけの口内をいまさっき歯磨きして
そういえばサリンジャーのなにかの小説に洗面台を細かく描写する箇所があって
そのサリンジャーの作品のなかで
過敏な神経ゆえに病んでいく妹フラニーを救おうと
兄ゾーイがなんてことない「太っちょのおばさん」がキリスト(の顕現)なんだよと妹に説いて
それによって妹がたしかに救われるという
「フラニー」「ゾーイ」という小説があって
なにが言いたいかというと
--
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、
イエスはお答えになった。「神の国は、観察できるようなしかたでは来ない。
『ここにある』とか、『あそこにある』と言えるものでもない。
実に、神の国はあなたがたの中にあるからだ。
(ルカ17:20-21)
--
つまり
音楽への感動とは
弾ける者(どうし)による奥義、密教のようなものではない
そのようなもののみでしか分かち合えない「ダサい」ものではない
「いつ」「ここ」「あそこ」「観察できるようなしかた」ではなく
きみたちがスノッブになることなしに素直に語れば
その時には「あなたがた」=「太っちょのおばさん」もすでに
「神の国」の「中にある」ということ
音楽はその成り立ちからして「開いている」もの
そこには恥も罪もない 朝5時…71/140レス…ひさしぶりにやったわ
おやすみ(おはよう) 狂人だな
嫌儲と言えどもここまで狂った人間はなかなかいない
こいつと馴れ合ってる取り巻きも気持ち悪い どんだけ音楽を聴いてどんだけ本を読んでいようが何十レスにも渡ってそれを誇示して徹底的にマウント取ろうとしてくる辺りもはや病気だろ
こいつが示したいのはとにかく自分が嫌儲の音楽スレで一番偉いってことだけ
音楽や哲学や文学に精通しているのが自慢のようだが人格や人間性という面では最低レベルだな もともと嫌儲のクラシックスレは大して伸びなかったけど
それでよかったのよ
自意識過剰の気持ち悪いのが1人で何十レスもスレ伸ばして何の意味がある?
クラヨタへの偏見を助長するだけ 伸びれば良スレってわけでもないからな
嫌儲のクラシックスレは30ぐらいで落ちるほのぼの雑談スレでよかったんだ つべにタモリ倶楽部でジョンケージの4分33秒以外のいろんな曲を演奏する回があったから興味があるなら探してみるといいよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています