【速報】豊臣秀吉「ようやく天下統一したぞ!」 25年後滅亡。これ何が悪かったんだ?日本最短政権だろ [661852521]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
天皇「卑しい身分の出がサムライとか草」
↑
大体コイツのせい 統一するために無茶したからだろ
みんなが力を持ったまま統一なんてしちゃいかんのよ
室町幕府もその典型でずっと争いし続けてた 秀吉は百姓出だから一門衆が弱かった
そして諸大名の勢力を削る前に死んだ
家康が凄いのはまず「(当時としては)長生きしたこと」
きっちりと豊臣家とそれに味方する連中を潰してから死んだし自分の息子らを各地方の大大名に仕立てあげて(御三家など)一門の強化に努めた 秀次を殺さず家康を殺せば完璧だったのにな
まあ所詮成り上がりの貧乏人だわ 文禄・慶長の役
秀次事件
大体これで支持無くなって関ヶ原で完全終了
秀長死んでからは闇 ナポレオンなんかもそうだけど
平民からの成り上がりは
没落も一瞬なんだよ 建武の新政のが短いぞ
建武の新政(3年)
豊臣政権(25年、織豊政権30年)
大日本帝国(77年)
この辺が日本の短命(失敗ともいえる)政権だな 関ヶ原で60万石の大名に転落って時点で関ヶ原なくても危ういだろ やっぱり情けをかけずに抵抗勢力を皆殺しした方が後々平和になるんやね
人間の罪深さよ >>2
削ぎまくってるぞ
ただ徳川は小牧長久手の戦いもあったし傘下になってからは失態もないし
関東に移封させても文句も言わなかったしで領を取り上げる口実がなかった もっとはやく跡継ぎが生まれてればってところじゃなかろうか? 秀吉って家臣の目の前で家臣の幼い娘を犯すのが趣味だった下衆なんだよな
小柄だけどペニスは巨人並みだったらしいから犯された子どもたちは痛みと羞恥で泣きわめいてたって史実に残されてるけどエグいよな 地元の武将調べてみたら蒲生氏郷って人出てきたんだけど、
彼、嫌儲的にはどういう評価なん? 一門衆の力を強めるどころか粛清繰り返して豊臣の家臣団の力ごと失ったもんな
朝鮮出兵だとと合わせて全部家康の陰謀じゃないのか >>15
逆じゃね
秀吉が死んだから引き返したんだし 息子が産まれたから
素直に予定通りに譲っておけばなぁ
朝鮮攻める暇あったら徳川攻めれば良かったし 生きてる時に家康とやり合ったら流石に勝てたんじゃないか 加藤清正と福島正則の無能な働き者っぷりがなければ家康存命中に滅亡までは追い込まれなかった >>2
家康が選択肢全くミスらずに逃げ切ったからなw 所詮は無学の百姓だからなぁ
親族も総じて自頭が悪いし仕方ない 秀次を弑さず秀頼の後見にしとけばワンチャン…ないか。家康の政治力には勝てまい ボケた時に逆に操る位の野心がある部下って居なかったの?
上手く利用して自分が実権握る感じで 大名が力つけ過ぎさせたからやろ
家康は天下取ったら参勤交代で力削いだから徳川の天下が長く続いた >>33
秀吉と家康が戦ったのが小牧長久手の戦い
戦闘で家康が勝ち、戦略で秀吉が勝った 始皇帝や楊堅もやらかしてんだから世界史的には割とよくあること
くっそ偉大な次の王朝の肥やしとしての存在 秀次が生きててかつ家康の力をもっと削いでればああはならなかった >>26は戦国歴史系のスレによく現れるまとめサイト業者っぽいけど
答えてるやつもその別IDなのかな 信長も秀吉も無駄に殺しをやっていると上手くいかないな
家康とか三傑の中で無駄な殺しとかやっていないし >>26
へうげもので読んだ知識しかないけど信長リスペクトなカッコいい武将 種なし
だから徳川幕府は大奥を整備し
万が一それでもダメだったときように御三家まで用意した 自分にしっかり気力と体力があるうちに権力移譲しておかなかったこと 秀次粛正と唐入りのどちらかだけでもなければもう少し続いたろうに >>46
前は佐竹義重って誰?
とか何回かやってたなそいつ 信長が狡兎死して走狗烹らるみたいなこと初めて謀反起こされたから秀吉は相当配下に気を使うべきだったのに調子にのり過ぎたな。 子孫
織田 - スケート
羽柴 - 完膚なきまでにお家お取り潰し
徳川 ー いるにはいるけどいるってだけ 徳川に関東で150万石
豊臣秀康に九州で40万石と徳川を分断させておけばもしかしたら 徳川を本格的に潰そうと思った時に近畿で大地震が来たんじゃなかったっけ? >>2
本当なら朝鮮で領土増やして上手く分配するつもりだったから
徳川は内地に留め置かれたけど
結局それが原因で徳川が政権を獲ってしまった 秀吉は晩年に乱れすぎたのと、後継者問題を軽視してたかのように見える所は
成り上がりの弱さを感じるよな、家康との対比で猶更そう思える
結果論だけど明というか朝鮮を支配できてたら全然違ってたんかなあ
実際の征服可能性ってどの程度あったんだろう 正直、朝鮮出兵って有力武将何人か殺しとく目的も確実にあったよね…
ぜんっぜん死ななかったけど >>62
国内がまとまれば外征するのは常識
むしろ家康が異端 鳩山も政権交代して1年ももたなかったから
後世にここで言われてるようなことをあーだこーだ言われるだろうな >>67
それで徳川を取り込む方向に舵切ったんだよな >>33
小牧長久手の後に本格的に家康滅亡のために準備して圧倒的に勝つ感じだったのに天正地震で和睦したからな
物量で押し切ってただろうね 関東という将来有望なフロンティアに徳川を移動させたのが大失敗 後継者が幼いのと一門が弱すぎる
秀頼が成人してたり秀次や秀長が健在だったらわからんかった >>67
中部地方だね
数年がかりで準備して圧倒してたのにあれで倒せなくなった 関ヶ原の時点で家康の存在がチート過ぎる
桶狭間からの戦歴もバケモノ級 織田豊臣政権が続いてたほうが日本の未来は明るかったと思う >>77
現代に例えたら北海道の右側の開発任されるようなもんだぞ…
誰がやり遂げると思うんだよ 天下取ったあとの行動がコレ俺が死んだら豊臣滅ぶわよっしゃ好き勝手するみゃーにしか思えない 秀吉って無学すぎてなんも考えて無かったんじゃないのかな
古代中国どころか鎌倉幕府の後継者のごたごたのことすらよく知らなそう >>77
武家の出ではなかったので関東武士とか知らなかったのかもな
遠くに行かせればいいみたいな認識で 頼朝と同じで身内排除とかしてたからだろ
だからあっさり乗っ取られた 家臣の娘を犯すとかクソムーブやってるから
こういうのは決定的に響く
歴史家が小賢しく考察するよりも人間は単純な心理で動く 間違いなく天才ではあったけど、成り上りらしく利と力での支配だしな >>87
後継問題を結局なんも考えてなかった無学さはあるわな
家康は良くも悪くも秀吉から学び、刀狩をし農民も押さえつけ鎖国もし、250年独裁政権を築いた >>62
対馬が朝鮮はうちの部下って嘘つくから信じて明攻めの道案内を命じた
ところが朝鮮はそんなの知らないから迎撃 >>70
慶長でも城に立て籠もっての防衛が精一杯な状況だしなあ
撤退時も追撃されるのは敵がかなり近くにいたからだし
戦後の西国の不景気具合見るにあれ以上の攻勢は不可能だったんじゃないかと 無謀な外征で失敗したからだよ
よその国の歴史でもありがちなパターンなんで、言い訳すんなよそこは 武力は国軍だけにしないとそうなる。
日本だけじゃなくどこでもそう 大量に子供作って身内で固めた家康を見習えば良かったのにな >>96
これが最終的に仇になったんだけどな
徳川に大義名分を与えるきっかけにもなってしまった 後継問題が混迷というか地獄すぎる
あちこちから養子もらっちゃ突っ返したり詰め腹切らせてるからどうにもならん
後継者ってのはその者1人の話では無くて、そこに繋がる両家親族や家臣弾も含めて後継候補の一派なんよ、ユニットだな
それが色んな理由である日突然全部白紙にされたり領地も何も召し上げになったり連座で腹切らされたりすれば更に家臣や親族の周りの者も同じような過酷な処置を受ける
後継者1人潰すたびに豊臣を恨む者やヤバいから他の人頼ろうとする奴が加速度的に増える
秀吉はこの後継者リセットと関係者処分祭りをやり過ぎた 家康を潰さなかったからだな
あんな強大すぎる外様を何故残したのか >>110
朝鮮侵略を「出兵」とか誤魔化してるの本当良くないよな 天下取るまでは超有能だったのに
天下取ってから急に無能になったイメージ 関東平野があるのになんでそれまで無視されてきたんだろうな 嫁や跡継ぎをコロコロ変えたり
外征に失敗して支配力を失ったり
ナポレオンの失敗とそのまま被って見える
ハイリスクハイリターンな生き方してきたツケなんだろうね >>121
関東平野は火山性の台地で稲作に向かない土地だから
用水技術が進歩するのは室町後期からなのよ 元々種無し、秀次処した時点で豊臣政権として生き残る道はなかったな
日本史では鎌倉の頼朝の方が闇は深い まあ実の子じゃなさそうだし本人死ぬまではみんな忠誠尽してたし お市の方(絶世の美女)「秀吉が種ナシなので秘密の儀式に参加して平民のオスに犯されます」
えっちすぎるやろ >>112
そりゃ子供作りまくれるなら秀吉も作りたかったろう
好色でいろんな女に手を出しても駄目だった
種無しだったんだろ
秀頼も他人の子なんて話があるしな
弟の秀長も子供少なかったから(跡継ぎは養子)家系かもね 秀次は殺すつもりは無かったのに勝手に自殺したのでブチ切れた説があるな 徳川を関東に遠ざけたのは東海道にいられるよりはマシって考えだったんだろうけど、
北条氏がきちんと領内統治してたところだから馬鹿やらなければ統治自体は難しくなかったよな
じゃあどういう処遇にするのが正解だったのかと言われたら分からないけど >>114
そこだけ見ると中国の五胡十六国時代みたいだな
ひたすら国や身内同士で権力を奪い合う
地獄みたいな時代だった >>130
お市の方は秀吉の側室・淀君のおっかさんで信長の妹だろ たしか堀Qに関東任せるつもりが死んじゃったから家康にした 下地はある程度作れてたから本来もっと持ってた気もするけど徳川がタヌキ過ぎて見逃しちゃった 成り上がり途中でいろいろな人の意見を聞いてる間はよかった
トップに立って他人の意見を聞かなくなって没落
信長も同じだった
反面教師をいっぱい見て学んだ家康が長期政権になった 秀次の殺生関白の逸話ってどこまで本当なんだろうな
事実なら処罰はやむなしとはいえ、妻女まであんな殺し方をする必要はどう考えてもなかったと思うが >>131
秀長は単なる男色だと思うよ
兄貴が天下とるからやむにやまれず尼さんと子作りした人だし 橘諸兄政権(737-756)→藤原仲麻呂政権(756-764)→道鏡政権(765-770)
この辺は短期政権の連続だけどな 唯一の後継者の秀頼がまだ幼児
秀頼の後見人の三成が嫌われすぎてて、ねねさんの親戚だから身内のはずの加藤清正と福島正則が半分騙されて家康の味方になった 子孫に恵まれなかったし足軽出身だから血縁にも頼れなかった 歴史の悲哀みたいに思ってたけど
人生一度きりで死んだら子孫のことなどわからないわけだから
人生を楽しんだもの勝ちとも言えるし
その点豊臣秀吉は出世した人と言える 結局のところ相手が悪過ぎる
織田豊臣を倒すために自分が敵よりも勝っている部分は年の若さしかない事を若くから自覚して計画的に動いてきた家康に負けるべくして負けてる 晩年はボケてたけど一人の一生としては楽しい一生過ごせたよな >>137
厄介払いで家康を関東に押し込めたんじゃねえの?東海辺りに置いておくといつ関西方面に攻め込んでくるか心配の種だろ。 まあでも本人が生きてる内はずっと天下人だったんだしいいじゃん
死んだあとのことなんてどうでも良い(´・ω・`) 家康を言いがかり付けてでもつぶしておけばあるいは
ほかの大名が家康のポジションになるのかな 子孫を残せなくなると終わりって制度に無理があるわけで 朝鮮侵略の天罰を子孫がうけた
秀吉って 部下やライバルがいると有能だけど
トップに立つと
有能だったからのし上がれたのに
その有能さを他にも求めて挙句に横柄になる
っていう 典型無能トップだよな >>23
秀吉死んだ後の家康のムーブはエグかったからな
日本のパワハラ文化が凝縮されてる動きだわ
結局表立って秀吉には逆らわず敵が勝手にいなくなってやりたい放題に
家康は逆らう有力大名を次々に謀略で貶めて権力を奪って、トップに立ったら長年支配出来るような体制作り
今のジャップ社会と呼ばれる基盤を作った戦犯
>>147
本人生き残って天寿全うしたからセーフ論あるよな
慶喜みたいに 中国なんかもそうだけど独裁者の末路が仲間殺しと裏切りなのは悲しいなあ >>137
堀久太郎とか織田筋でも秀吉とうまく行ってた秀吉より若い人間が早くに死んだのも痛いかもな
どこまで秀吉に従っていたかはともかく東北と関東の抑えに置いた蒲生氏郷なんかも早死だし
身内に恵まれなかっただけじゃなくて周りもなんだか妙なタイミングでいなくなっていた感はある 石松丸秀勝にしても実子ではないそれなりの論拠がある説もあるし(小吉と同じくやっぱり日秀の子というもの)
種なしだったってのが本当のとこだろうな 要領は良いが手本が無いとなんにも出来なくなるタイプ 当人が優れてても継ぐものがいないとというか大抵は1代でしょ、ましてや貧民からの成り上がりで天下取るより難易度高い >>1
種無しみたいに落書きされて大勢処刑した小物だけど
そんな事が出来るなら家康を暗殺できるだろと
秀吉が甘ちゃんなせいで日本は二百年以上足踏み >>150
いま見たら最初は伊豆一国の予定が堀死んで関東移封だって
新大名が統治に失敗すれば当然秀吉の威光も傷つくし、そんな状況で大陸にいけるわけがない >>87
無学はあかんよな
脳筋の上杉謙信も後継者を疎かにして版図を減らした だいたい日本の天下統一って
大名いる時点であんま統一になってない 低い身分からの出だから優秀な配下は多くても本気で頼れる奴が少なかったんだよね
そして優秀な人間を集め過ぎた故に権力が分散してしまって滅亡 >>110
忠実なものほど金をかけて恩賞もなし
あれで家康派に寝返ったのが多数
三成でも対処しようがない 本能寺の変で正当後継者死んだ信長
自分で後継者殺しまくった秀吉
自分が生きてるうちにちゃんと後継者に禅譲した家康
家康の計画性の高さが一目瞭然 >>141
幼い頃から男だらけに囲まれて育つ寺育ち・武家育ちならともかく、
(おそらく)足軽と百姓の区別も無いような低い身分の出で衆道に走ることはないんじゃね 朝鮮出兵 → 秀吉子飼いの部下を送って評判を悪くさせる
参勤交代 → 御三家が金使いすぎて火の車に
大名の力を削ぐため、という説はどちらも否定されつつある >>164
中国史でも農民から成り上がる奴は結構多いけど大体一代だよなあ >>161
堀久太郎が死んだのはかなり大きかったと思う
少なくとも関東全部徳川はなかったはず 死ぬ前に家康に裏切るなよ?って釘刺してるしサル自身も予見はして死んだんだろうな >>173
一応信長も既に継承済みじゃなかったっけ? 統一←全然統一してない
本当の統一は西南戦争以後だと何度言えば >>182
信忠が討ち死にとかしなけりゃ歴史変わってたのにな 親父がアホやとたまったもんじゃないよな息子氏は
殺される羽目になった 秀次粛正は秀次本人もだけど
連座してやっと形成されつつあった
古参の譜代衆の多くを失脚させて
生き残った連中も心が離れてるから
ホント悪手としか言いようが無い >>116
普通に明の兵士も出てくるからな
出兵だとちょろっと行ってみた感が出るけど実際は戦争だよな 晩年の秀吉「家康殿ぉぉぉ〜秀頼をお頼みしますぞ〜」
これ超ウケるよな 後北条氏団を舐めプして坂東を家康に与えた時点で積んどるよね
しかも旧武田勢もおまけしたので滅亡が加速してるよ >>189
家康もう心の中でニヤニヤしてただろうな >>105
社会党の方が世間短くねえ?
まあ似たような組織ではあるが(残党ともいう) >>189
それは別に耄碌してるとは思わない
TERUにも同じ事やったのが耄碌してる 秀次の宿老田中、堀尾、中村、山内と全員徳川についたのがね
しかもこいつら全員東海筋の大名というね そうか、明は朱元璋だからこの人も一代叩き上げなのか
同じように晩年乱れて粛清しまくったけど、秀吉にはそこまでやり切る力か厳しさどちらか無かった感じなのかな 最終的に家康が勝つようにできてるからね
仕方ないね 海外進出や領土拡大以外のビジョンがなかったんでしょ 素性の分からない息子を溺愛して
数少ない身内を虐殺していれば滅びる >>198
粛清ってなんか悪いことばかりに思われるけど
自分の家臣なんてみんな周りもあわよくば成り上がりたいような連中、
登場人物全員悪人みたいな世界なんだから
そりゃ自分の死後に反乱しそうなやつは真っ先に潰しておくのは当たり前の思考だわ 後継者がいなかったんだらから本人の種無しが原因だろ
こればかりはしゃーない おねが茶々みたいに淫乱で
若い内に浮気しまくりで他の男の子種で
子供作っておけばまだよかったのに >>2
鎌倉殿が仁義も何も無く有力武将消しまくって視聴者から非難されてるけどあれが正解なんだよな 安倍ちゃんが政権握ってから25年で日本滅亡してそうだよな ソビエトも革命起こして臨時政府立てたのに
半年しかもたなかった >>197
粛清した人間の家臣を要衝に置いたままにしとくってのもちょっと抜けてるな 天下統一といっても幕府開けてないし普通に敵残ってたからな…
それなのに朝鮮出兵で無駄にヘイト溜めて地盤ガタガタにしてどうしようもない >>187
良くも悪くも、家康が、たとえどんなに出来悪くても後年以降はけして秀忠から動かさなかった理由だわな しかし、「心がきれいな淀君」が描かれた歴史フィクションって一つもないよな 自分の子供を作ろうと無理し過ぎたよな
子供にこだわり子供を産んだまんさんを贔屓してグシャグシャになった
後継者なんか適当に拾った子供にでもしときゃよかったでしょ🤔 豊臣政権が短命だったのは
創設者が余りにも独裁的だったのと
後継者が幼児の時に秀吉が倒れたからねえ >>215
秀忠は織田家の血筋を引いてるからね
そのせいか庶子の子に過ぎなかった結城秀康は死ぬまで家康に疎まれた 清水義範の小説で
秀吉とねねの間に生まれた子供が天下を引き継ぎ家康を倒し名古屋に幕府を開く話があったな
秀頼以外にも早くに子供ができていれば歴史は大きく変わっていた >>218
適当に拾ってきた子供→金吾・泳いで参った >>205
秀吉は、よりによって一番やばい家康に後継委ねたのがアホなんよ >>163
ほとんどが黒田の功績で九州攻め以降黒田に距離置かれて終わった
朝鮮出兵のいざこざで黒田家として豊臣(石田)への怨恨を持つ
関ヶ原は黒田息子が武と諜の最前線でフル活躍して徳川が勝った >>168
これ発狂するんだよな嫌儲
前にNHKで朝鮮出兵はキリシタン大名の力を削ぐためってやっててめっちゃ発狂してた そりゃ家康のような他人を信じたアホだから
徳川のように身内に不満はあれどまずは他人の力を削がないと 三成に権力を持たせきれなかったからな
まだ戦乱の余韻が残ってる時代に槍働きしてない文官の三成に諸大名を従わせるのは難しかった >>228
そのNHKの珍説が的外れだからじゃね?
もしかして信じてるんですか? >>228
でも実際一番死にそうだったのが自分の子飼いの清正だったというオチについて >>220
秀忠の母親は土岐源氏系の西郷局
織田は息子の家光の間違いだろ >>234
嫌儲>>>>>>NHKだよなあ
俺も心入れ換えて嫌儲で真実ネットで真実するわ 秀吉が滅ぼしたみたいに言われてるけどそれは違うだろ
家康に禅譲したのは秀吉なんだから
その意を汲めずに反乱起こした毛利や石田や淀が戦犯じゃん 秀頼は居ても良かったけどその為に秀次とか殺して自ら弱体化したからな >>185
逃げずに自殺した時点で本人はやる気なかったんだろう
信忠が生き残ってても長続きせずに似たような歴史になってただろう 血筋底辺
後継者は怪しいクソガキ
捗らない外征
生え抜きの幹部は内紛
こんなのダメに決まってんじゃん >>231
織田みたいに後継者がボンクラでも回るよう合議制で政権が動くようにしておく
豊臣みたいに後継者の体制を確立させずグダグダになるの防ぐため早めに引退して後継者の政権をきっちり確立しておく
両者の失敗もちゃんと活かしてるのが家康 >>242
自分で作った関白システムを自分の手で無意味にしたからな秀次粛正で >>12
秀次が生きてても秀頼派と豊臣け2分する争い起きてただろ 秀吉は、信長が生きてればこういうことまでやったはずを自で行った社畜国王、
家康はそんなノリ無理やろと徹底的に大名の力削いで2代目3代目で鎖国完成させた引きこもり国王、
鎖国してなかったらアヘン戦争前に清になってるか
アヘン戦争の時にイギリスに清と一緒に征服されて
第二次世界大戦はソ連の不凍港
現代では西側アメリカ東側ロシアだったろう ケチで排他的で姑息で狡賢い現代日本人の源流は家康をはじめとする三河人だと司馬遼太郎の覇王の家に書いてあった
現代で大阪人だけ異質なのは桃山時代の気風が守られてるからだと思う 秀吉の死後に秀次vs秀頼で対立したとしても豊臣家が滅ぶことはなかったろうにな 個人が天下取っただけで
豊臣家(羽柴家)が天下取ったわけじゃないからな 毛利(吉川、小早川以外)と前田に100万石あげて、徳川には250万
これじゃあな
まあできなかったのは仕方ないけどな >>253
でも「三英傑の中で仕えるならやっぱ家康がええなぁ」と言っちゃうのが司馬さんの良いところ 結局小巻長久手で負けて講和せざるを得なかったのが一番の原因よな国替えはできたけど10年で立て直されてしまった
家康が織田に従う意思がないのは京から戻った後速やかに穀倉の信濃に侵攻しているとこからも明白だし >>62
インドあたりまで征服するつもりだったんだぞ
これ半分大東亜共栄圏だぞ >>250
ないない、東北仕置でポカやりまくって無能バレてるから>秀次 >>257
逆に家康がケチすぎるんだろ
豊臣政権は足利幕府を踏襲してるから大名の権限が大きかった 死ぬまでに徳川を滅ぼせなかなかったのがダメだった
その点家康は無理してまできっちり豊臣家を滅ぼした >>208
頼朝は頭が悪すぎるからああなって即滅んだが
問題は天下統一統一というのは相手がいる、相手を殲滅させていたら天下統一は叶わないし時間もかかりすぎる
秀吉は天賦の才で敵を味方にするのが上手かったこと、戦場では信長軍の最前線で無敵の強さかつ戦国時代での戦の回数も2位にダブルスコアで200戦くらいしてる
200戦とは1ヶ月に1回イクサをして20年ほど戦い続ける、全部殲滅戦なんかしたら時間がいくらあっても足りない
秀吉はそんなバカはしないで特急で駆け抜けていった天才 家康 夏の陣勝ってマジのガチで日本一になったぞ 翌年死亡 関ヶ原で運が向いてきてた気もする
嫌われ者の三成が大将じゃ徳川に豊臣恩顧が付いて後に発言力が増していった 25年もないぞ、10年くらい
諸将の心変わり早すぎ! 織田豊臣に仕えた前田利家が100万石なのに
徳川四天王の本多忠勝が10万石しかもらえないのは徳川がやりがい搾取のブラック国家だから
四天王筆頭の酒井忠次は3万石 >>268
まぁそれまでそれ目的で生きてきたからな >>264
だが徳川では天下統一は出来なかった
あくまで天才の秀吉でないと出来なかった偉業
その理由は>>265 男色しなかったから
家康の肛門に一発入れとけば良かったのに 数少ない身内を大事にしなかったからな
学がないせいか頼朝から学んでなかった >>271
大阪の陣で豊臣が完全に滅ぶまでをカウントしてるんだろうな
実質的には関ヶ原に勝った時点で徳川政権だけど >>47
その下地をつくったのが
織田と秀吉だろ
徳川が統一から自力でやることになったら無駄な殺しをしないのは無理だろ >>161
堀久もそうだし小牧長久手で池田森が死んだのも痛い
目の上のたんこぶが消えてラッキーという意見もあるがそんなこと言ってられない人手不足が秀吉政権の実情 徳川も結局滅ぼさなかった毛利島津に滅ぼされる事になるのは面白い でもあれか秀頼が原因と言えば原因か
秀頼のせいでオネが豊臣家見限ったもんだから子飼いの武将も徳川に付いちゃたと 古代中国の戦乱の歴史を眺めた後に
中世ヨーロッパや日本の戦国時代を見ると
人間は同じ過ちを繰り返す生き物なんだなと
つくづく痛感させられる おや、意外とみっちゃんのせいにする奴がいないんだな >>197
秀次に連座で本人たちも譜代仲間も大量処分しといて裏切り者とは言えんやろ
そりゃ心も離れるわ 秀吉の失敗は身内を殺しまくったからだろうな
それもボケてたからだろうけど 種無しクソ野郎だったから
豊臣秀頼はクソデカいから秀吉の種じゃねえだろ まあここにいるやつは太閤立志伝出たの知ってるだろうな >>292
母方の血定期
秀頼は秀吉の子とは思えんが長身なのが秀吉の子じゃない理由にはならない ボケる前から入念に準備していたんだろうな
死後半年たたずに大阪城にいながらほとんどの事項を差配できるなんて通常は考えられん
三国志だと魏文帝が司馬宣王に明帝の後見を頼んでから曹爽との権力争いに勝つまで20年以上かかったんだぞ 後継者決めるのもフラフラして定まらないし
結局農民の息子が支配者になっても続かない、成り上がりが没落する理由みたいな人生 秀次殺したことでの古参の家臣からの不信感がね
秀次付きだった田中吉政とか堀尾吉晴らはこぞって家康に付いたし 1590 小田原攻め
1598 秀吉死亡
1600 関ヶ原
1615 大坂の陣
もっと旬は短い >>282
当時は40代でもう老人に差し掛かってるよ
50代は立派な爺さん婆さん
「初老」って言葉はまさに40歳のことを言ったんだから
現代なんかより医療も衛生も食糧も遥かに劣悪だったから人間が劣化するのも早かった 徳川200万石なんて残すからだろ
そのくせ朝鮮の役で有力大名軒並み送り込めば相対的に最強になっちまう
更に借金大名の戦金子の費えまで引き受ければ派閥としても最強
そりゃあ天下取るわな
応仁の乱以来150年の戦乱で守護大名上がり達の領国は疲弊してるし
頼みの輩が戦国大名ってのが既に頼りない
みえみえの崩壊では >>294
まあでもさすがに3年で2人も子どもを茶々が産むのはやりすぎ
秀吉も心の底では不安だったろうな、「ぜってー俺の子じゃねえ!」 >>296
これな
血統で正統性が主張できないんだから、実力がある奴を後継者に指名するか、共和制にしないとダメだった 長いから良い政権、短いと悪い政権か?
北朝鮮の豚王朝は80年ほど続いてるぞ 秀次事件起こしたアホ
成り上がり政権が身内を粛清する危険は頼朝で明らかだったのに
鶴岡行って
頼朝より身分が低いのに出世した俺が偉いとうそぶいたバカ
教養の大事さを今日に伝えてくれる >>301
横山やすしとか50代で死んでるのが信じられんくらい
最後はやつれてたな
昔の人は老けるの早かったよ 子供がいなかったのは大きいな。
秀頼が秀吉の子じゃないのは当時から分かりきってただろうし。 唐攻めだけは意味不明
略奪ではなく征服目的に小国が大国を攻めるなんて史上稀
案の定負けるし 秀頼「無職のチンピラ雇って徳川と戦うぞ!」
こいつのせい >>299
小田原攻めから8年後なんだな死ぬのって。 歴史モノの創作とか見てても家制度ってものがまったく理解できん
あいつに仕えたんだからあいつの子供にも仕えようとか、何でそうなるんだよ >>197
こいつらが生きてる時点で粛清の規模も知れたもんよな というか朝鮮と明攻めたら日本の密貿易ほぼ潰れるだろ
そういう配慮や根回しが出来ないか耄碌したジジイにゃ誰もついてこないよ 光秀を活かせなかったからな
三成じゃ嵌められて終わり >>310
プーチンの愚挙ともかぶるな
結局、老独裁者は最後には狂うという絶対法則とも思える >>298
尾張時代からの譜代を失脚させて
近江以降の奉行衆を重視した段階で
関ヶ原もある意味必然だわな >>311
人心離れて豊臣支えてるのがもはや浅井家以来の家臣しかいない状態だからそれしか手がない
むしろあれだけ力を削がれて一戦やる所まで持って行けたのが上出来 >>316
うおおおおおおお
やはり秀吉の天下やん 秀吉のお坊ちゃまぶりを見ると底辺出身とも思えないんだよなあ
漢の高祖や洪武帝のようなど底辺は本能的に保身力が高い
正史だといきなり長浜城主からの登場だし苦労知らず有力者の出身だろう >>315
基本的人権も平等思想ない時代に自身の身分を保証できるものが
代々継いできた家しかなかったからだよ
だから昔の人は家を存続させることを自身が生き延びること以上に第一に考えた
現代みたいな個人主義、自由主義とか価値観があまりに違いすぎる世界 一族と家臣団が脆弱だった
有力大名の力を削ぐ前にボケた むしろ明が追撃してきて日本を占領したら面白かったのに >>328
長浜時代からしか記述がない正史って何のことだ……? 日本人いうか日本の土着の民族じゃなかったからでしょ 秀吉が死ななかったら今頃、朝鮮も日本語喋ってたってマジ? 蔵入地という謎制度
豊臣直轄軍がないに等しい
豊臣の血筋の成年男子がいない
こんなとこだろ >>250
これな
秀次粛清はむしろ応仁の乱を反面教師にした妥当な判断 家康は江戸幕府将軍を2年で息子の秀忠に引き継いだ。
ここが凄い。 千利休殺したのが手詰まりだったなあ
茶人を詐欺師認定するのは構わんが、その茶人が持ち込む器に付加価値付けてやりくりしてきたのが安土桃山なんだから
罪人が作った文化に堕ちたら茶器の価値が急落するんだよ >>310
大航海時代の欧州が世界を席巻したの見てもそれ言えるの? クソ漏らし「天下統一したぞ!」265年後に終了
こいつが有能すぎるだろ >>342
攻め込んだ武将が朝鮮の土地いらねー言ってた >>348
信長も織田家の家督はさっさと信忠に譲ってる
実権はどこにあったのかという話 >>340
現代の常識で見るなよ
無能担いだ西軍はどうなったよ 後継者が育たないうちにシンでしまったことがよくなかったな
利家が元気でもっと長生きしてたら家康も天下取ろうとしなかっただろ
家康が年をとっても元気で長生きしてたことも豊臣にとって運が悪かった >>77
徳川が新田支流を自称してるのもあったのでは
なにより坂東の地は足利家縁の地でもある
源氏武家からすれば武士の本拠地といって良い垂涎の土地だし
国替えで国人と切り離しつつ表石は加増、不満は名誉で吸収しようっていう腹積もりだったのでは
ともかく豊臣が徳川を重視しその勧進を買いたかったのは大老と内大臣の職掌からも明らかだろう
秀吉死後直後なんか朝廷被官の最高位が内大臣の徳川家康という状態
公家を押し退け、諸大名には圧巻し、わざわざ次席を徳川に空けてるなんてよっぽどだ 朝鮮行ってなきゃとか思ったけど
どのみち関ケ原で負けてたくさいな >>353
武田に殺されそうになって糞漏らして逃げた自分の絵を描かせたのは偉いわ
糞野郎だけど パット出だから遠慮してか直轄の国何カ国も持ってなかったし
人がいいのかいろんなもん大名に預けてたので関ヶ原後家康に簡単に没収されて滅亡 >>85
実は小牧長久手で木下一門が結構打ち取られてる、これも痛い
独眼竜政宗でそのことを上げてブチ切れた勝新が秀次蹴り飛ばしてる >>315
本社の社長がボンボン息子に代わって方針が変わったけど、子会社は黙ってついて行くしかない、って感じだろ
役員は本社から送り込まれてるし、取引も本社に握られてるからどうしようもない >>132
ブチ切れるあたりが能無し
妻子根絶やしにしても、有力者の子女なんだから >>310
重賞政策取ってたから拡大せざるを負えなかった
武士リストラした信長は本能寺
家康は大阪の陣に繋がる まあ織田も徳川も支配する側だったからな。
秀吉だけが本当に下の下から天下人になった。 乱世を統一した政権て結構短命なことが多い気がするな
豊臣とか秦とか隋とか >>330
朝鮮あっても
前田智徳しぬまでは家康も
豊臣潰しできなかったし
朝鮮うんぬんよりも前田の生き死にの方が大事なんじゃねーかなー >>338
信長公記で秀吉という存在が初登場するのが長浜城主としてなので >>348
秀吉は秀頼に引き継ごうにも
糞餓鬼なんだもんどうしようもないよね
もっとはやく子供が出来てれば
もしくは秀頼が生まれなければ
もう少し長く続いただろうね >>330
うーん
緩いサロンのような室町幕府的なものが出来上がるだけで
徳川みたいなガチガチの体制制度じゃないから戦乱に戻りやすい >>77
まぁそうなんだけど関東と関西で棲み分けもできたと思う
室町期は関東管領ってシステムで運営してた訳だし 家康が化け物すぎ説もある
あの年でど田舎関東に移されて発展すんのかよ >>337
戦国期の火縄銃の数や兵の数が基地外レベルの軍事国家だったから無理
徳川時代に移行して今みたいなお花畑な状態ならワンチャンある >>12
ルイスフロイスによると秀次は秀頼への政権移譲を拒否して
自分の子供を後継者にしようとしたという
それが秀頼を後継者にしたい秀吉を怒らせ、
秀次だけでなく秀次の男子全てを処刑させることになったらしい >>366
秀吉の立身はマジで世界レベルだと思うわ
マケドンや明朝、第二次ブルガルソに伍するレベルと思う
これはホルホルしても許されるだろ >>356
そりゃ負けた方は終わりよ
秀頼だってそこまで優秀だったかというと大阪の陣みれば微妙じゃねえか まあこれ「子どもが少なくて譜代の家臣がいないから」って言われてるけど違うんだよな
子どもがたくさんいても、譜代の家臣がいたとしても、誰がやったとしても、短命で終わる可能性が強い
社会情勢・組織体制・人の心の問題だからね >>372
多分秀吉のイメージはコレだったんだろうな
あと秀吉はヨーロッパ人からの影響で結果論としては南西方面に注意が行き過ぎてた感がある 秀吉としては家康が裏切るとは思ってなかったんじゃないか?
家康に当てた遺言もあった
家康は簒奪者の汚名を背負ってまで天下を取った大悪人だよ 殺すだけなら秀次だけで良かったのに
連座させすぎ
細川忠興も連座させられそうになって家康に泣きついたとかナイスアシストとしか 現代みたいに一個人が情報をすぐに手にできないから
長命で濃い経験積んできた家康って化け物みたいな人だったんだろうなって 秀次を殺さず秀頼を殺してれば何とか政権維持できたか? 朝鮮侵略しようとして全戦全敗して国力削がれたから
運だけで成り上がったサルの末路 >>181
秀忠が軍事能力ゼロ内政全振りなのも良かったんだろうな >>365
無理に攻めるならそれこそ家康にいちゃもんつけて合戦する方がマシじゃん
秀吉は本気で明に勝てると思ってたんだろうな >>381
なんで江戸幕府が長続きしたかって
どんな無能でも一応は形になるような幕府体制やシステム作ったってのが大きいからね
洗練されてた >>337
明は反乱や女真の鎮撫も並行でやってたし忙しい
流石に日本上陸から京都まで攻め上るのキツイでしょ
実際金足りなくて戦後に遼東総兵への女真族鎮撫の予算減らしてるしな
まあ戦中にヌルハチの関東大平原統一を許してるから
もう離間工作はいいやってなったのかもわからんが
ともかく日本征服まで金が続くようには思えない >>310
与える土地がねんだわ→せや!海外の土地与えたろ 文禄・慶長の役の明の皇帝は
歴史上でも暗君と名高い万暦帝の時代 1615年以前に家康が往生してたら何がどうなってたかわからんと思うと
秀吉の寿命が足りなかったとしかいいようがないな
案外本人は秀頼成人まで見守る気満々だったんじゃないの 秀吉も芯から信じてはいなかったと思うけど
家康は豊臣家にとってマスオさんみたいな立場な訳で
身内なんだから頼むから豊臣のなかにいてくれって感じはあったんだと思う 名前を変えて家康のサポに回った明智君の知略に負けたんでしょ
明智君がどの次点で見限っていたのかは 家康は面白いもんで今川、信長、秀吉どれが天下を取っても天下の重臣ポジに収まるようになってたからな
本人能力もさることながら特異点レベルでめぐり合わせがいい >>398
でもスケールの大きい発想やな
鎌倉や江戸は→せや!〇〇に難癖つけて領土奪えば与える土地ができるじゃんだから >>391
それは駄目だろ
茶々が秀頼生む前に殺すくらいでないと 朝鮮出兵なんかしてないで家康みたいに内政基盤整えればよかったんちゃう >>337
中華は歴史上匈奴域くらいしか外征しないし
周辺の小国にあんまり興味ないんだろ >>400
摂政
天皇が女性や子供のときに直接政治を仕切ってるのがこれに当たるから
こっちのが権限強い
関白は成人後の天皇の補佐役 >>404
人質なのに今川にいる時の厚遇からして幼い頃から才能に溢れてたんだろうとは思う
大人の目から見てもこいつは将来凄いやつになるから今のうちに囲っとけと思われるくらい 今川が天下を取って義元死後は氏真の重臣
織田が天下を取って信長死後は信忠の重臣
秀吉が天下を取って秀吉死後は秀頼の重臣
もちろんifの話になるけど器の差は歴然なのでどのパターンでも天下牛耳ってそうなのがね
歴史の面白いとこですわ >>396
足利幕府とは成立からして違うしね
最強大名かつ朝廷掌握の一元支配
藩国による間接支配と戦国期の国衙や荘園といった飛び地の一層
領国支配の確立が武士の利害対立を抑制出来たのは大きい
家政機関を排した徳川幕府という仕組みも良い
武士は糞だが鎌倉や室町という時代時代がつとに武家支配の下地を均し続けた感すらあるわ >>373
関東はそれまで北条が開発発展させてんだわ 戦国期の関東が未開のクソ田舎、ってのは間違いだからな
当時の関東は畿内の次に人口が集中してる地域
氾濫原を利用した農耕と河川輸送で結構栄えてた
というか、関東より畿内の人口が多かったのって、平安初期と室町末期~江戸初期だけ >>412
義元の姪をめとらせて名門今川家の一門衆に加えてるあたりかなりの厚遇だよな 家康のこと信頼しすぎだな
よりによって関東に飛ばすとか
無理してでも四国か東北にとばすか領土細切れにしとくべきだった
ぶっちゃけ家康も若くねえからあのときに敗色濃厚の大決戦挑む気力なかったろ >>9
諸大名弱体化は家康の死後も結構やってただろ?
家康段階でそんなに十分に対抗勢力潰しはしていない
また家康が潰した豊臣家に味方する連中って、具体的に誰?
西軍の大名って毛利、島津、長宗我部など
文禄慶長の役で朝鮮に領地替えされそうになった連中で
秀吉が「忠誠心が高い」と評価してなかったみたいだぞ 妹を離縁させて家康と結婚させます
母親を人質に出して上洛を要求しました >>422
放置て、太原雪斎に預けて育成させるくらいの虎の子を放置とは言わんだろ >>405
戦国時代という時代そのものが他人から物奪うのが前提のシステムだったんだわ
社会が戦争を中心に回ってる >>347
1600から1616だから、まあまあか? >>417
頼朝をはじめとして関東って地方にしては強すぎるから中央からコントロールできなくなるんだよな
あんなところに家康うつすとか裏切ってくださいっていうようなもん 秀吉の視点の信用度だと
家康>>>官兵衛なのもかなしいよな
豊臣政権で家康にまともに対抗出来そうなのは官兵衛くらいだろこっちはこっちで違う世界線では簒奪してるかもしれないが >>431
官兵衛と家康じゃそもそもランクが違う
役員クラスと部長クラスじゃ単純比較無理だよ その徳川も300年越しの西軍で敵だった毛利と島津にボコされるのも面白い >>402
秀吉が思ってた以上に家康は悪人だったってことだな
秀吉が死んだ直後から豊臣政権下で禁止されてた勝手な政略結婚とかやりまくってたし こういうスレ最後は必ず徳川マンセーになるからつまんねえ
徳川好きは自民党も好きそう >>432
それで課長クラスの三成が家康と張り合ってるんだから世話ないな そもそも秀吉に統一政権を維持する意欲がないように見えるんだよな
脅威と見なしていた家康を畿内から遠ざける領地替えで満足したのは
「畿内の安全を確保できればいい。豊臣政権が全国政権であり続けるのは無理」と
考えていたからみたいだ
天下統一は秀吉の個人的技量によるもので
自分が死ぬば、また分裂すると考えていたのではないか
だから潜在的脅威を潰す努力を頑張らなかった >>430
でも家康が先に死んで秀忠なら大したことできなかったと思うわ
上杉みたくなってたろ >>418
発展はさせてないよ
日本人の低身長化を招いたのも徳川幕府のせい
江戸時代になってガクッと平均身長落ちたからな >>435
徳川好き=薩長嫌い=自民党嫌いなんだが? 黒田長政「父ちゃん!家康さまに褒められたよ!握手もしてもらったんだよ!」
黒田官兵衛「その時お前の左手はなにをしていたんだ?」
こんな奴を信用しろなんて無理よな >>436
秘書とか戦略室長みたいなポジションのやつはトップと関わる機会多いから勘違いしやすいんだろうな
所詮役員でもなんでもないからほかのやつも味方する義理ない >>442
長政は本当に馬鹿だからな
信長の命令どおり処刑してたら良かった >>434
事実上のトップになるのはあるかもと思ってただろうがあそこまであからさまに来るとは思ってなかっただろうな
なんせあのとき既に家康もジジイだったし普通に考えれば丸くなって野心もなくなる頃だ >>282
どブラックの織田株式会社で酷使されまくった
しストレスも凄まじかったから若年性痴呆もしょうがない気がする >>440
あれは気候の影響も大きいだろう
1600年代はマウンダー極小期といって、地球が寒冷化した時代
世界的に飢饉が頻発したから >>217
「可哀想な被害者」ならわりとあるんじゃ?
采配のゆくえや信長の野望の大坂城シナリオのやつはそうだった気が >>70
むしろ秀吉の晩年は後継者問題への対応しかしてないと思う
「秀次が後継者を秀頼ではなく秀次の男子にしようとしたので、秀次と秀次の男子を殺す」
「秀頼の安全のために上杉・毛利などの潜在的脅威を畿内から遠ざける(毛利は失敗)」
「秀頼の安全のために大坂城増築」
「秀頼の安全のために諸大名を弱体化させるため朝鮮遠征を続ける」
「秀頼の安全のために最も脅威である徳川と政略結婚」
秀吉が晩年乱れたように見えるのは
「民のためではなく秀頼のため」という政策をし続けたから 家康を完全に信用してた上に秀頼の後継としての実力が劣ってた >>287
間近で織徳同盟見てたから信じ込むのも無理無い >>440
江戸時代は徳川の徳川による徳川の為の世の中でしかなかったな >>445
秀吉死んだとき家康57歳だからな
当時の寿命感覚でその後20年現役でいるとは思わないわな >>431
もし秀吉が黒田に全幅の信頼を置いてて
播磨50万石とか持ってて五大老入りしてたらチャンスはあったな >>450
これで秀頼が秀吉の種じゃなかったら悲しすぎるよな 家臣の娘犯すとかどういう心理してんだ
まだ町からさらってくるとかできただろ >>282
40ちょいで死んだ三好長慶が息子死んだショックでボケたと言われるのも納得出来ない >>217
豊家守るために割と良くやってたよな
晩年のおねのがえげつないと思うわ >>447
家康以降関東は大規模な治水事業ができんだわ
川そのものも変える百年単位の大工事 >>388
最上の娘とか悲惨すぎるし親父は喜んで豊臣討伐に加わっただろうな >>458
長曾我部元親も目をかけてた長男死んでその後は抜け殻だしな
跡継ぎがそれだけ大きな存在ってことが分かる >>450
この辺が完全にターニングポイントだよね
>>456
種は大した問題ではないと思うと 秀頼と家康の孫を結婚させたのにまさか家康が簒奪に走るとは秀吉も予想してなかっただろ
世の中には家康みたいに信じられないくらいの悪党がいるんだよ 秀次と家康争わせりゃよかったのに
家康の対抗馬いないじゃねえか
前田なんて家康に比べたらイマイチだし >>459
時既に遅しとしか言いようがない、既に天下の趨勢が徳川のものになってから色々頑張っても無駄な足掻きでしかなかった 家康が長生き過ぎたで終わるんだけどな
あとは重要な人物が絶妙なタイミングで相次いでこの世を去るという日本史的呪い >>437
小牧・長久手で思い知らされたんだろう
野戦じゃ無理だと >>17
女の趣味がブランド志向の秀吉と
産む機械として優秀なら中古でも構わない家康との差 >>465
まあこれ
家康に限らず他家信じすぎ
自分が織田簒奪したの忘れたんだろな 家康に関東を与えた時点でオワコン。
当時の関東は人口も米の石高も圧倒的だからな。 >>469
あれ先発隊が戦術的敗北しただけで戦略的には秀吉の勝ちだぞ
秀吉の本体が動いたらどうあがいても徳川織田軍に勝ち目はなかったからな >>473
自分は主家筋を蔑ろにはしても族滅まではしなかったからな 小西行長は関ヶ原で処刑されたけど
あいつは自己保身のために秀吉の国書を偽造して朝鮮出兵させたクズだからな >>475
あれも謎よな
戦の上手さは秀吉のが上なのに 参勤交代システムが強すぎるんだよなぁ
あれじゃなかったら、すぐに統一政権なんて瓦解して、災害や飢饉が連発した1600年代はずっと紛争状態だっただろ
地方自治は藩に丸投げすることで、農民のヘイトは全部大名にあつめる
一方、大名は江戸に住ませて農民のヘイトに対して鈍感にする&領民や家臣団と結束できないようにする 家康を無理に潰してもその無理が祟って毛利や前田に天下奪われそう >>316
西軍勝利!の意図ってあったっけ?
朝廷の下僕って意味じゃなかったかな~ 当時の学者かなにかで
豊臣の武将がDQNばっかりでワロタ、みたいなこと言ってた人いたよな
そもそも政権の体を為してなかったんじゃないか >>287
少なくとも西軍大名たちよりは家康を信用していたみたいなんだよな
上記のように毛利・島津は秀吉に信用されてなかったらしく
朝鮮に領地替えされそうになっている
また秀吉晩年に大坂城西側に三の丸が作られたが
家康を警戒していたら東側を強化するべきはずなのに
秀吉は西側を強化したのだ >>483
江戸幕府だってまとめるのに三代かかったんだから
秀吉一人でまとめきれるものではないわ 駒姫のエピソード読んでたら泣けてきたわ
そりゃ秀吉滅ぼされるわ >>480
通勤サラリーマンとして現代も根強く残る文化
従順な国民性はこの頃に培われたのかね >>465
いや警戒してたからこその政略結婚だろ
親戚になれば多少の手心が加わるかもしれない >>469
小牧の後に秀吉は1年ほど準備して圧倒的に軍事を整えて天災でボロボロの家康を倒す予定が天正大地震でぽしゃった お前ら愛知を目の敵にする割には織田豊臣徳川が好きだよな >>488
朝廷に下剋上して武家社会を作ったくせに
その武士たちに尊王思想を植え込んだのも徳川幕府だしな
現代に続く日本人の国民性、倫理的価値観は江戸時代の影響が最も強い >>469
そういう所もあるかもしれないが、
晩年の秀吉は戦いを秀次に任せるようになっていた
もう「野戦で戦うのは体力的に無理」と考えていたのだろう
そして秀次だと家康に勝てるか微妙
そうなると家康を懐柔するしかないんだろうな 秀頼を秀吉の実子だと信じてる大名ほとんどいなかったんじゃね
あんなの大野の子じゃねーかと >>485
実際死去しても家康は結構融和的だった
ただ朝鮮出兵の恩賞に不満を持つ連中が家康にすがってきて家康もどんどん強気になっていた >>176
成り上がるのに必要な能力と
継続できるシステムを構築する能力は別物と言うことだな 朝鮮出兵するなら家康を渡海させてごたごたに紛れて暗殺しとけば良かったのに 秀吉の数少ない一門を三人も産んだ割に歴史物での影が薄い秀吉の姉ちゃん >>500
家康が行ったら朝鮮王李家康になってチョッパリに逆上陸してくるよ 反ワクはこれ覚悟しとけ
コロナにかかりワクチン打ってない人の
3人に1人は再入院、8人に1人は5ヶ月以内に 死亡だそうで
ワクチンを打ってないコロナ感染者が増えた分だけ後遺症で後日死ぬ それは世界各国コロナ死カウントされず、各後遺症が死因とされる
これが世界中でワクチン打つ前から超過死亡者数が爆増してる理由だよ
>>1-3
>>1000
Long COVID(後遺症)
一旦退院しても、状況が悪化し、再入院する症例や症状が慢性化する症例が少なくないことが知られており、long COVIDと現時点では名付けられている。レスター大学の調査の結果、退院した患者の1/3は5ヶ月以内に再入院し、8人に一人が亡くなる実態も明らかになった(https://www.telegraph.co.uk/news/2021/01/17/almost-third-recovered-covid-patients-return-hospital-five-months/)。現在、レスター大学を筆頭にLong COVID慢性期の実態を解明するための研究を実施中である(PHOSP-COVID、https://phosp.org) >>490
天正大地震は一時的な延期に過ぎない
天正大地震の翌年に九州征伐に20万の兵力の動員命令を出している
その兵力を徳川に向けなかったのは
天正大地震後に九州で島津が暴れだしたという事情がある
当初、秀吉は「中国四国豊臣勢対島津」
「近畿豊臣勢対徳川」という2正面作戦をしようとしたみたいだが
中国四国勢が島津に負けてしまい、
「島津と徳川との2正面は厳しい」という判断から
徳川を懐柔する流れになったらしい お前らなんでそんな昔の事良くしってんの?
名前くらいはしってるだろうけど、
そんな細かい振る舞いから部下やら領土やは配置やら異常だろ 秀次を摂政あたりにしつつ、身内や古参を大事にして、余計な出兵はせず、徳川以下有力大名の力を削げるかどうかってところ?
まあ秀吉がプーチン状態になった時点でアウトなんだが 後継者問題とか家康の力がとかよく言われるけど
結局多くの人にとって豊臣政権であるメリットが薄いから倒れただけだと思う
足利だって15代も続いたわけだし周りが適当に持ち上げ続ければ何百年と実権はともかく続くわけでしょ
天皇制なんてその極致だし
逆に徳川はよほどメリットがあったんだろうな 秀吉の朝鮮征伐ってヒトラーのソ連侵攻や
プーチンのウクライナ侵攻みたいな謎の固執のイメージある 今のジャップマインドは99%徳川家康のせいじゃん
信長死んでなければなぁ >>504
仙石のせいかよwっても元々援軍には行くつもりだったんだろ? >>496
でかすぎんだろ…って思ったろうな
よく母方はでかいからその血が…なんて擁護があるけど当時の人からしたら秀吉と違いすぎるって印象しか残らなかったろうな 次の代のことなんも考えて無いだろ
一門も碌にいないのに誰が秀頼を支えると思ってたんだ >>507
朝鮮出兵がそのきっかけを作ってしまった
作戦途中で秀吉が死に出兵してた大名たちには何もなし
鎌倉幕府が倒れたのも外征の影響で恩賞なしだし
家康もとにかく国内をどうにかしないと戦乱の世になるから色々と頑張った結果が関ケ原の戦いになったんだろうよ
朝鮮出兵の後始末も家康がやったしな >>18
今って明治時代から続いている
薩長政権の時代じゃないの?
最近の政治でもどう考えてもそいつらが牛耳ってるよね? >>62
江戸時代に日本に来たヨーロッパ人が朝鮮出兵の理由を日本人に聞くとほとんどの日本人が「秀吉が秀頼を滅ぼしそうな部下を殺す為に出兵した、家康は既に田舎の関東に追放していたから朝鮮出兵は免除した」と答えたと書物に書いているね… 秀吉死亡が1598年関ヶ原の戦が1600年、わずか2年で
宇喜多と上杉いがいの有力大名に見限られるという稀に見る人徳のなさ
石田三成がどうのこうの以前の問題よ完全に秀吉が悪い >>514
朝鮮出兵は大名弱体化政策
秀吉は計画通り、朝鮮を征服したら秀次・毛利・島津など
厄介なやつらを朝鮮に移そうと考えていた
それを察した秀次は秀吉に再三要請されても朝鮮に行こうとしなかった >>512
秀吉の遺言を書きとったとされる
「太閤様覚書」には家康・利家だけでなく、その子供である
秀忠・利長も「秀頼をよろしく」的なことが書いてある >>9
これだよなあ
病気になったらアウトの時代に長生きと子沢山の両方を成し遂げたことが大きいわ >>158
パクス・トクガワーナによって
日本は近代化の道を絶たれた… 一番は黒田官兵衛を冷遇したこと
こいつを最高幹部にとりたてて厚遇しとけば
なんだかんだ恩義を感じてまもってくれてたわ そもそもの話としてさ、秀吉とか家康とか信長って本当に実在したの?
どうせ日本人に日本の歴史と伝統を感じさせるためのただの作り話なんだろ? 無益な外征 それを賄う大増税 大宮殿をいくつも造ってしかもすぐ壊す
これだけ無茶やって大丈夫と思ってしまったのが秀吉がボケた証拠だわ 家康は家系図捜しに奔走した
秀吉は日本統一にしか興味なかった >>364
駒姫の悲劇で最上と伊達は完全に見切りつけた感じだしな。 >>532
この一戦があるから徳川の世に軍神扱いの過剰評価された
生涯通して見たら村上義清にはフルボッコにされ上杉謙信と泥仕合を重ねただけで純粋な戦上手とは言いがたい >>532
長久手の戦いは負けてるしなぁ。
ガチで戦うと潰しあいになって痛手もヒドイから秀吉が臣下になってくれって頭下げた >>348
生きて間にさっさと譲って後継者に揺るぎない立場与えとかないと
死後に家督争いが発生するからな
秀吉も秀次に関白譲って後継者認定してたけど、後にあんなことに >>532
徳川織田軍が武田より弱かった
信玄があと10年長生きしてたら
情勢は大きく変わってたかもしれない >>96
それ、織田一門の系統だったという近年有力になってる説を根拠にしてる? >>158
家康は信長に長男切腹させられたり、秀吉に領地替え喰らっても耐えて耐えて未来を見続けてたからな
そりゃそうなるよな >>348
秀吉だって秀次にさっさと関白譲ったんだがな。秀頼(本当に秀吉の種だったのか疑問では有るんだがw)が生まれてからオカシクなった。 >>537
刀狩りとか太閤検地とか教科書で出るレベルの政治的功績もあるんだが >>89
これの間違いだわすまん。なんか更新されてからレス先がズレるようになった。。 >>515
長州はともかく
言うほど薩摩の影響残ってるか? 豊臣幕府設立時には未来知識でもない限り100%失敗するような状況だったからなぁ >>549
豊臣は幕府開いていない、天皇親政の建前をとってる。 >>158
諸大名にしてみれば秀次と連座した大名潰しに朝鮮出兵と豊臣政権続けばこれらの路線が継続すると思ったから律義者の内府に治めてほしいというのもあったと思う 秀頼を伏見城に住ませた方がよかったんじゃないの?
京都にいれば、朝廷の権威を利用できるし、天皇の名をつかって諸大名を集めやすい。
大阪に住んでたら、ただの一大名になって、添加に号令できないじゃん 平氏六原政権も25年
建武の新政は三年
大化の政権は27年
わりとよくある 秀吉は源頼朝の再来
一門衆を自らの手で弱体化させた >>515
明治後期になったら藩閥の力も弱まってる。
軍隊で暴れて戦犯になった連中も長州はほとんどいなくて東北その他 因果応報
織田家裏切って統一するも結局家臣らに裏切られ滅亡
豊臣恩顧ってなに? 秦と似ている。
統一直後は、まだ自分たちが・・・と思う輩がいるのでしょうね。 >>553
京に近すぎると公家とかに誑し込まれると思ったんじゃないの。
家康は江戸に幕府を開いて京から離れて徹底的に朝廷や公家を管理したな。 >>143
三成が後見人ってなんやねん
後見人は家康だぞ >>516
でもそれだと清正とか一番の子飼いをやって消耗させてるの説明つかない。
国内にやる土地とかなくなったからもあると思うわ。 >>228
先鋒が二人とも秀吉子飼いの大名という時点で秀吉は勝つ気まんまんだった 1582年6月 上様死んだ!
1584年11月 ワイ従三位、権大納言
1585年3月 ワイ正二位、内大臣
同年7月 ワイ関白 & 天下取ったわ
禁裏がクソ おわり >>563
今の時代なら金だけでいいのにな
地位も作ってるっちゃ作ってるか馬鹿みたいなのばっかだけど 秀吉自身が主君信長の子信雄信孝や孫の三法子にどんな扱いしたかを考えればな
いくら末期に秀頼を支えてくれと懇願しようが各武将にしたら「あーハイハイ」で終わるのは当たり前 伴天連追放令までは目的意識の塊でまさに英雄だったのに
朝鮮出兵だと上で言われてるように諸説まみれというね・・・ >>532,538
フロイスによると武田は「信長が最も恐れていた相手」らしく
徳川でも分が悪い >>568
そもそも、秀次の件で良い印象無いからな。
側室の子女って戦国武将の娘とかも多いのに根切りやりやがった、アタマオカシイ。 >>568
三法師秀信を改易して野垂れ死にさせたのは家康なんですがそれは >>568
三法師には祖父の岐阜城を与えてゆくゆくは唐入りが成功したら日本の関白に据える構想もあったらしいし結構大事にしている >>538
用兵の腕前は平凡だしな
本田忠勝がいなかったら小幡城で死んでた >>16
ベルナドットはやっぱりすげえわ
まじで頭よかったんだろうな >>532
これは兵力差があったし信玄の策略にまんまと嵌ったから
兵力が少ないのに鶴翼の陣を引いた徳川軍は罠と知った時はもう時既に遅しだった >>571
まず三方ヶ原の時点における徳川の立場は
織田とは同盟関係といいながらほぼ臣従するばかりの属国状態だからな そもそも一代で民を倒すってのが無理筋だった
実際秀吉死んでるし >>469
小牧・長久手の戦い
秀吉軍10万人対徳川軍3万人で徳川が勝ってるしな。
純粋な野戦だと徳川流石に強いわ。 地元の市出身の武将どんなのいるか調べたらめちゃくちゃ大物で驚いたわ >>548
薩摩つうか大久保利通の子孫がのさばってるね >>584
遭遇戦で勝っただけだしそれも織田信雄の助力あってだし
家康が野戦で目立った成果上げたのこれくらいしかないから延々語り継いだだけ キリシタンも日蓮宗か浄土真宗か程度の違いであってあんま関係ないよな。
それ自体は勢力じゃないし、地縁血縁利害関係の方が大きい。
小西行長なんかキリシタン弾圧した豊臣家のために天草も平定して
関ヶ原も最後まで忠誠を尽くした。
裏切ったのはむしろ仏門の連中。 >>588
徳川の世になって神君家康公への否定的評価なんてできるわけないからな
三方ヶ原の負け戦を正史として扱い信玄を持ち上げたのはまだ良心的ともいえる >>391
秀次殺しても、連座させなきゃなんとかなった。
息子娘だけじゃなく側室まで含めて全殺しした上で遺骨も返さず打ち捨てろくな供養もしなかったので。
駒姫の最上とか伊達は完全にコレでキレた。 >>568
秀吉の遺言・遺言状では「御取立」「御肝煎」(太閤様御覚書)
「なりたち候ように」(豊臣秀吉自筆遺言状案)
「東西は家・輝両人、北国は前田、五畿内は五人の奉行」(内藤隆春慶長三年八月十九日付書状)
など明確に「秀頼に仕えろ」と明記したものはないんだよな
「秀頼に仕えろ」から「秀頼を殺さないで」まで広く解釈できる遺言しかないのは
まあそういうことも想定したんだろう 半兵衛・秀長→早死、利休・秀次→切腹、官兵衛→九州転封
残念だが当然、猿らしい最期といえる >>592
文書で予防線張ろうが結果はこれ、という事よな
それ以上に強力な同盟婚姻人質を交わしたってどうなんだという時代だから 大体天下統一は初めの短期政権と次の長期政権でセット なんのスレかと思ったら太閤立志伝5DXが発売されたからか >>596
明倒してきっちり統治しきった清は本当すげえわ
二代目三代目がやらかしたら唐秦ルートもありえた >>391
少なくとも秀頼を後継者にするよりは分がいいと思う
秀次の子供達を御三家のようにすれば大分、政権が安定しただろう
>>591
秀次娘は多少生き残っている
秀次息子を全滅させることにこだわったのは上記のように
秀頼の政権を奪う恐れがあったからだ >>588
徳川が語り継がなくても非常に重要な合戦として認識されるに決まってるだろ
そもそも最終勝者からしたら戦果の話などさほど重要なことではないわ >>510
脳筋クソバカ侍が勝手に野戦挑んで負けなきゃ年単位で持久できてた
その間に徳川潰せたはず >>588
天正壬午の乱でも北条35000を徳川8000で撃退しているので
当時的にも、やはり強い軍団だったろう >>472
あの後継じゃどっちみち無理だろ
さっさと駿河に行くべきだったのにモタモタしすぎて信長との国力差が開きすぎたな
あと3年早く駿河に行ってたら織田家の台頭なんて無かったのに
上杉に構いすぎで無視するのが遅すぎた >>448
それは日本以外も条件は同じだから言い訳にはならない。 >>168
朝鮮出兵は参勤交代みたいな諸大名の力を削ぐのが目的というより豊臣派の大名に力をつけさせるのが目的だったと思うが結果として朝鮮出兵の失敗で豊臣派の大名の力を削いでしまったのが痛い >>158
でもさ家康の戦略ってあの時代では無茶苦茶分が悪い賭けだぜ。
鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥、これあの当時の寿命考えたら秀吉より先に死ぬ事も有った訳だし。
秀吉が家康より先に死ぬ絶対の保証も無いからな。 >>590
同時代史料でも信玄は強い大名と認識されている
ルイスフロイス『日本史』
「(信玄は)彼(織田信長)がもっとも煩わされ、常に恐れていた敵の1人」 多分源頼朝→源頼家の方が短いと思う
一番長く見積もったとしても1185年~1203年の18年しかない
平家も20年余りしか権力を維持できなかったと考えると徳川は異常だな >>607
上杉北条と同様に大きな国力兵力を抱えた武将だったという意味ではわかるが
戦場における直接的能力は別問題だからな
なので村上義清川中島を持ち出してるわけ >>158
家康は秀吉が死ぬまで完全に封じ込められてた訳で
逆に秀吉個人のスペックどんだけ凄かったんだよって思う >>158
上記のように晩年の秀吉は出陣できるような体調ではないから
軍事力で家康を潰すのは難しい
そして「東西は家・輝両人、北国は前田、五畿内は五人の奉行」の遺言のように
晩年の秀吉は全国政権としての豊臣政権は諦めている
秀吉はリアリストで、自分の死後そうなることを織り込んでいたんだよ 一応25年も持ったんだ
なんか統一した直後朝鮮出兵して失敗したあとしんで家康に取られたイメージだったわ 家康は江戸に幕府を開いて京都から離して天皇と公家を禁中並公家諸法度で管理したのが一番長期政権に効いてるんだよ
京都の魑魅魍魎どもの暗闘が室町幕府の長年に渡る混迷の原因だから。骨身にしみてるんだろうな 成金は一代限りと相場が決まっている
人質うんこ漏らしの方が過酷な人生だ 戦いの場でしか功績を挙げられない、
戦乱の時代に特化した武闘派の取り扱いに失敗した >>611
君が専門的な学問を修めて語っているだろうことはわかるが
それ故によくある史学部生の固い論法になっているのが残念 秀吉は豪農出身
これどこまで正しいんだろうな
なら頼りになる武士の親戚がそれなりにいそうなんだが
秀長以外はゴミとしかいえない戦争下手の親戚ばかりなんだが >>609
武田は拝島・秩父などで北条にも負けているし
東国大名の中では顕著に強くないと思う
強いとされる島津も伊東に長年苦戦していて、
九州大名としては顕著に強くないらしい
むしろ「織田徳川など近畿大名が東国・九州大名より弱い」と見るべきなんだろう >>612
あの時代に25年長生きした家康ってほんま凄いな
節制の鬼やろ 豪農なら武士とあまり生活レベルとか教養とか価値観が変わらないってことね
両者はクラスチェンジが容易で頻繁にあったから 秀次事件で元々少ない親族を減らした上に処罰した連中がこぞって家康についた
あと、前田利家や加藤清正みたいに豊臣家と徳川家を仲介してた大名が次々亡くなってしまったのもデカい 孫氏の兵法で有名な呉
彼を登用したくせに21年後、滅亡 武田が村上に苦戦したっていうなら信長だって美濃おとすのに何年かかってんだよ 最終勝者は家康だけど家康と秀吉どっちの人生が楽かと言われたらどっちも糞としか言えない
戦国時代に悠々自適だったのは公家だけだと思う 豪農て土地持ち農民で有事には自分の小作人を束ねて戦う程度のイメージなんだが
横の繋がりや縁故なんて大してなさそう うちの先祖豪農だったけど
江戸城からなにか褒美とかもらってたらしい
先々々代が全部捨てたらしいが >>623
どっちも結局は内応させての勝利
信長にしたって斎藤義龍が予想外の早死にをしてなければ逆に臣従してたかもしれんよ >>624
今川義元の息子めっちゃ楽しそうな人生っぽいよな 義龍は過大評価じゃないかということで革新をピークに最新作の大志は凡庸な能力まで下がってしまった。 民主党「ようやく天下統一したぞ!」 3年後滅亡。これ何が悪かったんだ?日本最短政権だろ >>627
龍興という配下から愛想つかされるレベルの無能が当主になったおかげで
信長は美濃を手に入れられたようなものだからな >>622
孫武本人は優秀っぽいけど、呉の国で孫子兵法読んで実践できるやつが一人も出てこなかったっぽいな >>631
跡を継いだのは14歳なんで無能と言われると?という感じはある。 >>523
紫の部隊が裏切らなければ普通に西軍の勝ちだろ >>3
成人した立派な後継者いたのに
わが子可愛さで廃嫡したんやぞ >>617
出自はどうあれ織田家でのキャリアが信長の草履取りからスタートしたのは事実だろう
豪農といえるほどの家の出なら自身の親戚があんなに少ないなんてことは無いと思うけどねえ >>532
信玄が直接指揮を執るってだけで武田軍の攻撃力が3倍増しになる
謙信が指揮する上杉軍みたいなもんw
実際は>>580氏の言うとおり武田のが兵力多いのに鶴翼敷いた時点で負け >>622
春秋戦国時代あるあるだな
君主と優秀な臣下が特別な絆で結ばれてて
国家としての力を発揮しまくって天下に覇を唱えてても
君主が死んで跡継ぎが出てくると、途端に君臣がギクシャクして
優秀な臣下は逃げたり処刑されたりしちゃうんだよな
呉も闔閭が死んで子の夫差の代になると
名将伍子胥を自害させちゃうわ、その盟友である天才兵法家孫武には逃げられちゃうわで
速攻ボロボロになっちゃうしな >>622
逆
吹けば飛ぶような弱小国を一時的に国を守ったので
偉大な人物として歴史に名前が残ってるし
孫子の兵法が評価されてる >>538
>>575
言うても家康が直接指揮執って大敗したのって三方原だけだし
手取川で織田家四天王の内二人を手玉に取った謙信が唯一認めた相手だからな
(天下人になった秀吉はこの戦い避けてる)
大阪夏の陣で家康の旗印倒した真田信繁は武田家家臣の末裔だしそらー神格化されるわw >>395
ルイス・フロイスは明を倒すには戦力が少なすぎるから(小田原攻めの時より少ない)大名の力を削ぐためにやってたんじゃないかと推察してたみたいだが
当時の人達がどう思ってたかの資料が少なくてよくわからんのよな 戦後日米同盟政権(1952-)がまだ70年だから馬鹿にできるほど差はないな >>602
北条は北条綱成とか氏康で勢力が増えてただけでいなけりゃ弱いだろう
もともと三河武士は弱小で笑われてたし 秦なんてキングダムが一国も滅ぼせてない間に滅んでて草なんだ🥺 家臣の結束が希薄だったから、三成以外の豊臣家の子飼い大名は徳川内府に籠絡されてしまった。
家康の父と祖父は両名とも家臣に斬られて亡くなってるからこそ家康は身内よりも命を懸けて仕える忠義の家臣の声を尊重した。 >>609
武田も負けてからすぐに勝ってるから武田も成長してる
家康は武田と戦った頃は戦経験が足りなかっただけ
初期のポテンシャルとは別に経験の差が大きい >>606
下剋上できないのだから待つしかないでしょ
年齢的に勝率あるし >>618
家臣の離反で戦後に伊東家があまりにあっけなく崩壊したんで
島津が周囲の土持や伊東に比べてすごく強そうに見えるけど
実際には、木崎原の戦いの前年ぐらいまでは逆に押し込まれてたんだもんねえ
島津・伊東・土持が九州標準から大きく離れてたとは思いにくいし、そこあたりが本当の話なのかもね 三成ちゃんが土下座してれば延命あったんだけどな
こいつがガン >>624
応仁の乱以後荘園収入が滞ったりしてたから貧乏公家は大変だったんじゃね。
天皇からして葬儀費用がないから死体放置してたとか即位の礼があげられないとか話もあったり
後奈良天皇は金が無いから短冊に和歌書いて小銭稼いでたんだろ。 >>656
どこが?徳川派に1勢力が増えるだけで何も変わらんぞ 平家や豊臣家の天下の短さや室町幕府の早期の形骸化を見るに
公家化したり京都に近かったりすると、天皇や公家のいわゆる抵抗勢力からの反発が強いのでは
まぁ鎌倉幕府の源氏将軍も3代しか続かなかったけど… 秀吉から自害を命ぜられたけど、何故か真剣試合形式で見事討たれて果てた大名って誰だっけ? >>659
三成が東軍についたら福島たちが西軍につくとでも?認識が古すぎる 秀頼が堂々とした風貌で凡庸なのが悪い
貧相で有能なら勝利の可能性はあった >>662
三成が全部悪いとは言わんが
あいつダメだろ
朝鮮で死ぬ思いで戦って何の戦果もなしで
這う這うの体で帰ってきたやつにに
「お役目ご苦労」の上から目線だからな
三成はそのへんの処世術が欠落してるわ 統一した政権てすぐ次のコバンザメに美味しいとこ持ってかれるじゃん >>69
> 本当なら朝鮮で領土増やして上手く分配するつもりだったから
> 徳川は内地に留め置かれたけど
> 結局それが原因で徳川が政権を獲ってしまった
結果論だと徳川冷遇してたくせになんで朝鮮で消耗させないんだよwてなるけど
本気で勝つ気でいたからむしろ手柄上げさせたくなかったのかもな >>621
これ
豊臣は外様に愛想つかされたらおしまいなのにそれをやったから滅んだ 秀長がさっさと死んで秀次もおかしなことになってお家がボロボロだった
子供出来たのも遅かった 織田信忠が早まって自殺したから全てが狂ったよな
信忠生きてたら江戸幕府もなかったのかな 徳川を朝鮮攻略総大将で送り込んで失敗させれば良かったのに
それで豊臣が安泰だった
成功したら非常に厄介だけど成功する訳ないし 豊臣家は公家になるか大阪城出て関東で徳川の監視下中小大名として喜連川みたいにしてれば潰されなかったかもな
でも大阪城という器が家を滅ぼしたといっても過言じゃない 豊臣秀頼に今川氏真ぐらいしたたかさが有れば生き残れたな けど国家安康だっけ?
あれいちゃもんじゃなくて本当に家康への当てこすりだったんでしょ? >630 >1
日本でも、上級だって、ポンコツガラクタ 量産型 粗悪劣化御坂シスターズ、出鱈目インチキ 小田急 京王 北新地 京アニ ジョーカー紛いに、暗殺されるw はい、完全論破!
いざ、日本に大きな影響がある大きな戦争、大不況が起きると、
日本では、巨大暴動スタンピード、政権交代が起きる。
実は、日本国家統制運営能力がゼロ、危機管理能力ゼロの、異世界転生モノ並みの、
モリカケ忖度、桜を見る会、粉飾 偽装、隠蔽、改竄、捏造の、
金融業界 土建業界への利益誘導 縁故資本主義の極み。
製造業偏重の、ブラック奴隷貧困派遣労働者の、
パンデミック、飢餓輸出なテラ暴挙。
こういう、重税加速、インフレ化な、
スタグフレーション慢性的構造大不況激化から、
令和日本スタンピード巨大暴動の、プロ、自民党、自公○○ノミクス政権ww
>630
1990年代、>1 昭和末期から平成初期に。
ソ連 東欧共産圏連鎖破綻やら、
1990年 湾岸危機戦争での、グローバル資源価格高騰。インフレ化。
プラザ合意後の、円高加速不況から、
低金利政策、
金融緩和、円安インフレ化政策
自民党ショウワノミクス投機狂乱バブルでの、出口戦略 構造改革 総量規制 増税路線。スタグフレーション慢性的大不況っぽい、平成慢性的不況へ。
西成暴動で最大の第22次西成暴動発生。
1993年 自民党から野党連合に政権交代。
長崎市長銃撃事件
住友銀行名古屋支店長、阪和銀行頭取、連続銃殺事件、
富士フイルム専務斬殺事件など、連続要人暗殺相次ぐ。
オウムクーデター未遂な、同時多発テロ。
国松警察庁長官銃撃事件。
八王子スーパー店員3人射殺事件。
元サントリー 31 部長夫妻 射殺事件。
自公コイズミノミクス いざなみ景気バブル風味末期。自公福田、自公麻生政権末期。
イラク戦争、リーマンショック前後の欧米ノミクス 超金融緩和
グローバルインフレ化政策化。グローバル投機狂乱ペタバブル過熱化。
これで、石油価格、穀物価格の高騰から、グローバル資源価格高騰での、
狂乱物価気味、オイルショック気味、
ブラックアウト気味。
増税化 スタグフレーション慢性化構造的不況化。
長崎市長射殺事件。
秋葉原 派遣奴隷 加藤の乱 多数殺人、
2008年 西成暴動再発。
大阪 個室ビデオbox店への放火、大阪此花区パチンコ店放火で、
あわせて21人焼殺事件。 厚労省幹部連続殺傷事件。
曰比谷大派遣村デモや、アラブの春ギガ暴動などの、グローバル ハイパー ショック中。
2009年ー2011年 この時期に、日本は、政権交代から、インフレ低減で、
有害疫病貧乏危険害人はシャットアウトで、緊縮財政 総量規制。ロックダウン風味。
円高 デフレ政策な、友愛民主党政権で、日本は、廉価な物資豊富で最高だったの。
2013年 餃子の王将 会長 暗殺事件。 >>640
夫差と秀吉に共通しているものが一つある
「女」 >>676
家康のことだからどんなに恭順してもいちゃもんつけて滅ぼしてそう プーチンは秀吉の生まれ変わりだった!?みたいな本出てそう又は出そう 秀吉は逸話だけ見てもナポレオン位評価されてないとおかしいと思う 家康は諸大名の力を削ぐ事で従わせたから成功した
秀吉は与える事で従わせようとして失敗した
朝鮮出兵とかその例だろ
与える領土がもう日本に無いから出兵したわけで
ここが農民上がりの与えられてきて大きくなったやつの考えの限界なんだろうな 百姓上がりだから、武士を統治するやり方を知らなかったんよ 徳川は豊臣の一門だしちょっとずれただけで同じようなもん せっかく氏素性も定かでないところから天下とったのに結局朝廷の権威に縋ってるのがなあ
朝廷改革もろくにしなかったから死後あっさり関白を五摂家に取り返されてるし
征夷大将軍を廃止しなかったから家康に新たな公儀をつくる余地を与えてしまった なんで参勤交代の目的が大名の力を削ぐことってのに誰もツッコまないんだ
ずいぶん前に否定されて教育の場でもそう教えるのやめたてたはずじゃ 種なしだったのが敗因だね
それで政権が断絶するのだから現在とは価値観がまるで違う時代と実感できる ちょっとやり過ぎたのが色んな所で反感を買った
元々信長の土台を継がなければ、天下取れなかった
のを自分の力と勘違いした愚か者
最期、家康に秀頼の将来を託しているのが
何とも愚かしい 解釈はセンゴクが良かったよな
最後は子の政権なんかより1代で作り上げた秀吉が大事だから
諸大名の力を削るとか必要とわかっててもやってられんって感覚 秀吉に家康のように若い頃から子供が大勢できていたら豊臣家滅びなかったわ
とにかく子供ができなかったのは天下者として致命的 センゴクはマンガの枠を超えて長く親しまれると思う
子どもたちを歴史好きにしてくれる
日本史だから横山三国志を超えるかも >>703
さすがに子供は無理だろw
首絞めセックスとか拗らせるわw >>690
秀吉は徳川、上杉、毛利に対して
「領地を増やす代わりに畿内から遠ざける」ということをしようとしてる
やはり統一政権を作ろうとしていないのだろう
統一政権がない時代を生きてきた人にとって統一政権の維持は非現実的に思えていたのだろう 秀頼ができたのが10年早ければ大きく変わった
後継の秀頼が幼少期のうちに秀吉が死んだのが最大の原因
中国の歴史見ても皇太子が幼少期のうちに皇帝が死んだケースが発生するとその後すぐに王朝が滅亡してる >>700
劉備は実子劉禅があんぽんたんならお前が実験を握れと孔明に言ったのにな >>706
>>381で書いたけど、社会情勢・組織体制・人の心の問題だから、変わらなかったと思うよ >>690
徳川家康には敵が多かったからそれを逆手にとって強大化できたんだよな >>708
いやいや秀頼が成人してたら家康があそこまで調子に乗ることはなかったわ 豊臣政権はかなり脆弱だった
元々小飼いの武将が少なかったし五大老は有力大名で固めただけ
徳川が三河から続く旗本、江戸幕府による官僚体制の確立
各藩に対する締めつけ
比較すると豊臣の粗さが目立つのみ
これで豊臣の世が続くと思ってた秀吉の浅はかさと言っても良いと思う 戦国三傑でいうと信長と家康の種馬のような働きをみろよ
利口でも金玉チンポ力の弱いやつは勝てないよ
チンポも才能のうち >>105
それは政党であって組織じゃねえだろう… >>715
秀吉もめちゃくちゃチンポ猿だぞ
おねが旦那の浮気怒ってくれって信長に手紙出すくらいは
ただ種無しだったw >>246
これよね。豊臣株式会社の正統性というか社会的信用を創業者が破壊した感じ。 >>714
それ関ヶ原の戦いがあったからこそできたんだよな
関ヶ原があるまでは200万石の一大名に過ぎなかった >>714
関ヶ原の戦いからの大坂夏の陣で圧倒的勢力になれたからこそ江戸幕府が長期政権になれた >>284
書物が潤沢に出版されたり、インターネットでちょちょいと調べられて歴史を容易に俯瞰できる現代人が、過去の過ちの繰り返しに対して歴史に学ばないとか言うのは酷だわ。 >>702
秀吉は養子を含めれば子供はたくさんいるが
大体、鶴松・秀頼が生まれた時に冷遇されている
秀吉は結局、養子達を信用してなかったんだな
結城秀康…鶴松誕生後、結城家に養子に出される
小吉秀勝…秀次養子入り後、朝鮮に送られ病死
小早川秀明…秀頼誕生後、小早川家に養子に出される。朝鮮送り 家康の血脈で悲惨な末路だったの信康と忠輝くらいってのが凄い
まあ忠輝は晩年のんびり暮らしてたらしいが
慶喜もギリギリ逃げ切ったのも大権現様のご加護かなw >>706
上でも書いたけど
鶴松・秀頼が生まれる前では
「年長の養子に任せる」という方向だった
間違いなのは「養子を排除して実子に相続させる」に固執したこと 秀吉「ワイは侍や!」
天皇「お前は農民やろ。嘘ばかりや。some lieや」
秀吉「ぐぬぬ」 豊臣政権と比較して、初期の江戸幕府が官僚的で素晴らしいという誤解があるけど
すべて結果論。結果として長期政権の基礎になった
別に意図して作り上げたわけじゃなく、幕閣同士で内輪もめの挙げ句(大久保一族や本多正純)
秀忠・家光がリーダーシップをとって作り上げたという資料もない
むしろ家臣の権力争いを止めるほどの権力は持ってなかったと見るのが妥当 >>721
シエに騙されず孫の代の長子の家光を後継者って宣言出来たのが大きかったと思う 「徳川を潰す口実がなかったから」
↑
無理やり難癖つけて潰せば良くない? >>724
あと、家茂は悲惨とまでは言えないけどかわいそうな結末 >>737
徳川は武力もあった。
つまり潰すとなれば合戦だが
豊臣側も確実に消耗する。
それだと徳川と戦ってるうちに
他の武将が反乱してきて潰される。 >>284
それでいいと思う。
少し平和になるだけで人口爆発を起こし、少子高齢化になるからな。
新陳代謝を維持するためにはいっぱい殺していっぱい産むことが一番であり、
そのためにも戦争を続けることだよ。 種無しと金ばら撒き過ぎたんちゃう?
全く歴史とか知らんけど 柴田とかぶち殺した割にさらに格上の徳川を排除できなかったのがミスだろ 三国、晋に帰す←速攻で北方民族に滅ぼされる
今までの何だったんだってなるわ 関東と上方の争いなんて室町幕府からあるのになんで大勢力の家康を配置したんだよ 甥っ子殺したり徒労にしかならない外征したりアホだと思う
戦争はできてもビジョンがないタイプだったんだろう
難癖でっち上げといえば名胡桃城事件がそれではないかと言ってる人がいるな
北条がド田舎の小城にこだわってゴネる理由が無いしな 淀のやつが1番の戦犯
冬の陣で大砲から打たれた一発の球がたまたま天守閣にあたっただけで日和って徳川側と和睦をしたのがアホ
和睦しなければ負けてなかった 政権の基盤固めもせずに一族内での内輪揉めと無謀な外征
天下人の器では無かっただけ 秀吉は最後にはボケてたらしいな。だから家臣からは耄碌ジジイとして疎まれ放置された。 家康の人質時期って丁寧に扱われてたの?
小さい頃の人格形成に結構影響ありそうだけどどうだったんだろう 秀秋がアルコール依存症でなければなあ
秀家とのツートップで東軍なんて一瞬で蹴散らしただろうに >>62
明の皇帝が万歴帝っていう無能だったからワンチャンあると思ったんじゃね? >>23
中国史見たら理由なんてこじつけでいいって分かる 北政所が育てた奴らは軒並み家康側に付いてるからな
北政所の政治的発言力っていうのもあったのかもしれない
劉邦の妻の呂雉とか北条政子みたいなのも歴史には存在するし >>16
ナポレオン裏切ったベルナドットは
請われてスウェーデン王 嫌儲公認ゆっくり解説である俺の世界史chでも明に喧嘩売って朝鮮をインベード(Jへの配慮)したの意味不明の行動って言われてて草 >>746
西晋の貴族たちがいくらなんでも無能過ぎた
八王の乱とか他の王朝で例がないよ 高台院が豊臣存続させなかった家康に乗って子飼いの脳筋みんな知らず識らずのうちに反豊臣に仕立て上げたからな 素人考えで朝鮮に手を出さずにこの分のリソースを内政に回してたらとか思うんだけどどうなの? 700年かけてやっと統一した秦が統一してたった15年で滅亡するという虚しさ
その後ポッと出の農民が5年で統一した国が400年も続くという >>63,720
靖国神社の宮司だっけ?A級戦犯を合祀した奴
>>56
そのあと御三家でも足りなくて御三卿も作ったんだよね。その一方で家斉のように子供をたくさん作ったことで幕府の財政を傾けさせたこともあるし。こういうことって思い通りにならない感じだな。 >>768
百姓上がりの秀吉は自分が死んだら終わりとわかってただろう
だから外征で武士の力を削ごうとしたんだと思うよ >>755
幕府ができてから苦労したって感じに話を整理したけど
実際はそれなりに丁寧だったみたいだよね
今川家としてはすでに松平家は解体状態で支配下なんだから
元信は有能な部下として教育しようみたいな感じ >>659
秀吉の末期の狂政のせいで豊臣憎しの方が強いんだよ。
石田三成一人の評判であそこまで裏切りまくられた訳無いだろ。 そもそもまだ天下は完全に平定されてなくて隙あらば俺が上に立とうと思ってた奴は多い
というか一番上に立たなきゃお上の機嫌次第で難癖つけられて領地取り上げられたり逆らったら滅ぼされたり平気でされるしな
信長が死ぬ前もそんなような事やってたし明智も怨恨がどーたらじゃなくて自分が一番上じゃなきゃ何時かは滅ぶってのを理解し過ぎてただけ
ただ徳川のとこまで来て一応大きな戦は無くなって長い時が経って
勇猛果敢な奴らはみんな年でくたばって残ったのは戦を知らない世襲のボンボンばっかになったからやっと平定されたんだろう >>62
平和になると戦争しか取り柄のない兵の行き場所がなくなる、ほっておくと野盗化するのでなんとかしなきゃならん。→朝鮮でも攻め込むか
家康はオランダと取引してそういった輩を上手くオランダ植民地支配の為の傭兵として送り出した。 >>755
家康が天下取った後も今川の息子(今川氏真)を重用して無体なことしてないから、結構丁寧だったんじゃないの。 >>12
もし家康に危険を感じて葬っていたとしても、今度は三成が台頭してくる世界線があったのかもね。 家康自身、自分の作った天下が260年も続くなんて思いもよらず、
生まれてから経験してきた自分の人生と同じような戦国時代がこれからも続いて行くと思っていたから、
自分の死後、天下が徳川家の元から離れても仕方がないと思っていたから、天下は回りものなんて言葉を残したし。 秀頼が10年早く生まれてれば秀次は最初から後継者ではなく
秀頼の後見人との立ち位置になって粛清もなく、家康の代では天下取りは無理だったろ 朝鮮出兵って南朝鮮だけだったら占領できてた可能性あるの? >>784
そもそも、秀吉が嫌なやつだったんだろ、それでも生きてるうちは恐怖されて逆らえなかった。 血を分けた実の兄弟を殺しまくるような人間だと後世の我々が知ってるなら
勢い落ちたら潰されるわな >>786
人たらしの天才やで。
だから農民から天下人にまで登りつめれたんだし。
周りの人間は秀吉の話術、コミュニケーション力に騙されて好印象持ってたとしても、
その本人は人々をコントロールして支配することに長けたサイコパスだったりするんだけどね。 だから秀次一族を皆殺しなんて、人たらしで好印象持ってた人たちからは信じれないことでも平気で出来た。
なぜなら感情自体が全くないから、無感情で損得だけで行動出来るからね。
状況によっては、損得勘定さえ合えば、もっと歴史に残るほど残虐なことでも平気でしてしまえる素質はあった。 浪人関係は家光の頃になってやっと落ち着いた感じだろ。
明の派兵要請も断ってるし。
朝鮮出兵はむしろ外様の削減どころか結果として身内の内部対立を招いて政権崩壊の原因の一つにもなってるしな。
ガチで領土拡大いってたんじゃないかと思うわ。
宗氏とか外交現場の連中が恭順してるように見せかけてたからな。 最上の姫が悲惨すぎる
美少女で両親に溺愛されていたが秀次に見染められて嫁に寄越せ
嫌々仕方なく差し出したら京に到着した途端連座で処刑 秀吉の死後に家康が「裏切った」って言い方は家康がかわいそうだと思う。
秀吉死後は七将襲撃、宇喜多騒動、庄内の乱など政権内や大名家内の騒動続発して、それを仲裁できたのが家康しかいなかったから秀吉の後継者になったんだと思う。
五奉行や他の五大老が仲裁できなかったのが悪い。 >>791
駒姫は象徴的だけど、アレは他もヒドイからな。
市中引き回して、幼児も関係なく見物人がいる前で泣き叫ぶ中刺殺し、しかも遺骨返さず供養もさせず畜生塚に打ち捨てた、アタマオカシイ。 >>661
隈部親永?立花宗茂の家臣たちと果たし合いをして果てたってやつ。 >>755
かなり丁寧だったんじゃね
のちの家康見るにかなり教育に力を注いで育成してもらってたみたいだし
元服したら義元が自分の姪を嫁がせて今川一門に加えてる
若手家臣の中でも虎の子、次世代氏真の重臣として期待されてたと思う >>792
家康も秀頼が托卵だとわかっていたんだと思うよ
信長や秀吉には忠誠誓っても悪女である淀君の一族は滅ぼしておくべきだと考えた 豊臣家の滅亡はまんこつけあがらせた一族の末路として歴史の教訓 猿が種無しなのが致命的
秀頼も大野の子供だろうし哀れ
そりゃあんな辞世の句も詠むわな >>794
それだ、サンクス!
疑念が解けたぜ
>隈部一族ら12人は、5月27日に柳川城東南隅の黒門にて、隈部一族の武士名誉を保つように、立花家臣と隈部一族と同じ数の12人の討手と真剣勝負、放し討ちにして、全員戦死した。 秀次という立派な跡取りがいたのに
わが子可愛さで廃嫡して幼君立てたんだもの
滅びても仕方がない >>788
晩年の秀吉は耄碌していたか権力のトップに登り詰めて精神を病んだのだろ >>598
清も2代ホンタイジの弟ドルゴンとホンタイジ長男ホーゲの争いとか
熱い展開だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています