みんなは家系図調べた事ある? [426566211]
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先祖 ひいじいちゃん辺りで役所が保管期間過ぎてから捨てちゃったからもうそれ以上無理だったわ 母親の父親の母親がチャイニーズだったぞ!
戦争中に知り合ったらしい 北海道の開拓民だったわ
ぐぐったら開拓民資料館に先祖の写真飾ってあるっぽい 親戚がちゃんと調べてご先祖にwikipediaに名前載ってるくらいの武士がいる事がわかったのに俺は精神障害2級のナマポ予備軍 在日というと北朝鮮工作員が寄ってきて「お前のルーツは北だ」とか言って仲間に取り込ませるから注意 水呑百姓の家に親戚から養子として来たのが曾祖父
夢のない家系図だよ 女系の家でずっと婿養子の家系
久しぶりの男児だったが自分で終わりそうです 反日サヨクどもが日本に夫婦別姓を導入して戸籍システムを破壊して先祖を辿れなくしようとしてるのほんま恐ろしいわ 父親の母親がどっかの有力な華族の女中していたと聞いた。
それだけだと別に偉くもなんともない気がするし、実際貧乏だったと聞いた気がするのだが、何か葬式のグレードがべらぼうにすごかったのおぼえてる。会場の広さ、来客者の列。
アレなんだったんだろうな。ちゃんと聞いとけばよかったわ 父方のはある、というか興味持って調べてたら家系図が本家にあった。
ご先祖は神職と武士。子孫の我が家はいたって庶民だがw うちは菩提寺に残ってる分くらいだな
江戸初期からあった 家系調べたらどこの家も他人には言えない事情があるもんだよ 俺は高名な武士の家系
ちなみに爺さんは大和に乗ってた
早慶卒
投資で資産1億ある
身長190 家系図の最初に南北朝時代に戦から逃れて近畿から信州に移住したって書いてあった 徳川家康ですら家系図作れるし
秀吉ですら関白だからな
家系図は作れる 庄屋で曽祖父は村長とかしてたらしいけど
祖父は優しいだけの人でその代から衰退
今じゃ実家の敷地しか残ってない状態
俺は次男だからどうでも良いけど没落貴族みたいで笑う 俺の先祖は神戸の豪商
町のために土地を譲って今、道がある
今はもう土地なんぞない 祖父母は家も売り払われてボロマンション暮らし
曽祖父は消防団で市民の安全に尽くした勲章持ちだけど、重い認知症になって本人は直接授与されてない
誰も知らないし知られることもないが、昔にはそんな人もいた 高名な武士が一族にいる
出身地でバレるから書けぬ
横浜から九州の本家まで行き、調べたよ 父親を順繰りに追っていくとして、高祖父の時点で墓に刻まれた名前くらいしかわからない
「たけし」と読むであろう漢字だ 家系図なんて何の証明にもならない
捏造が流行った時代があるしそもそも書式が統一されてなくて好き勝手に書かれてきたからな
単純な誤字や続柄の勘違いも多いし汚損や経年劣化で判読できなくなったのを適当に書き写しておかしくなったケースもある
公的な戸籍制度でさえ100年くらい前まではガバガバで間違いだらけだった
大抵の日本人は5世代も遡ると嘘が混ざってくる 現生人類は2000人から増えたから皆家族だと思ってる >>18
今そこらの役所で捨て回ってるのに導入されてもない夫婦別姓のせいにしようとしてて草 兄妹いとこ10人居て一番若いのが30歳で全員未婚ていう呪われた家系なんよね
俺は子どおじヒキニートだし従兄弟の長男は高学歴だけど岡くんだし
あとは全員30過ぎたババアっていう地獄のような家系でもう全滅不可避よ >>34
日本書紀の頃から天皇家に麻織物を献上している農家だっているんですよ うちは親が死んだら家系図と過去帳を模写して複製するのが習わしになってる
3人兄弟なので同じようなのが人数分ある
ちっちゃい頃、習字教室行きたくなくてゴネた時に複製できなくなったらご先祖様に呪い殺されるぞと脅されたのはかなりのトラウマとして残ってる ネトウヨじゃないけどどうも遡ると武士っぽい
本家筋は田舎だけど駅前に広大な土地持ってて、額縁に大判小判が飾ってあった
>>44
それはきついな
俺も似たような感じだけど、父は末っ子で長男の本家筋は従兄弟に跡継ぎできてそいつらも家庭持ってて、父が死んでもうろくに交流ないけど密かに安心してる
商工会のHPで会社情報少し見られるし、駅前だからたまにフラッと行ってこっそり墓参りしてチラッと見てる >>27
まあ、そうなんだけど、彼らは権力者故という動機も必要性も高い
我々のような庶民の方が信頼性が高いんじゃないか?と思ったりもする 先祖って多すぎるだろ
俺
父 母
祖父 祖母 祖父 祖母
曽祖父 曾祖母 曽祖父 曾祖母曽祖父 曾祖母
曽祖父 曾祖母 語っていい?
戸籍遡れるところまで遡って調べた
まず手数料が総額約4万円くらいかかった
普通なら2万円ちょっとですべて手に入るが、途中で養子もらってたから血統的先祖も探ろうとしたため
次に明治の頃のはなんて書いてあるか読めない部分が多数
ネット上のくずし字辞典を照合しながら判読
それでも読めなかった字は多い
そしてexcelで横向きに作ったがこれが大変な作業
パソコン大先生なので得意だと自負してるが、それでも50時間くらいはかかったと思う
最後に明治5年に暦が変わってるから、これを現代と同じ暦に直さないと誕生日が1.5ヶ月位ズレてしまう
総勢200人を超す家系図と年表ができた
10人産んだ人とか11歳で出産した人とか5回結婚した人とか戦前に90歳以上の人とかいて面白かった
誰でも明治初期までは遡れるよ
まぁ上で言われてるとおり信憑性はどうかなとは思う
今でさえ鑑定しなきゃ本当に自分の子供かわからないわけだし、字すら読めなかった時代の誕生日とか適当だろう 昔調べたら10万石クラスの外様大名に200石で仕えた人が名前の分かる一番古い人だった 大縄讃岐守という常陸佐竹家の家臣の家
最近知ったのでもっと遡れないかと探したが暗礁に乗り上げた
その大縄氏の前身は手綱氏と言うらしいんだが
1)源家の郎党であった先祖が義朝と頼朝ら親子に家人として使えたことから、主人の馬の手綱を取ることより手綱氏を称した
2)単に馬の手綱から取って手綱氏
3)常陸国多賀郡手綱郷(律令国制)にて根を張ったことから、手綱氏を称する
と由来らしき記載がばらばら
所詮ネットで集めた記載であるとはいえせめて氏族くらいは辿りたい
あと手綱氏から大縄氏へ改姓した時期は戦国期とされてるが詳しいことは分からない
また多賀郡自体は一番はっきりした記録で大塚氏が地頭として治めていたらしい
手綱郷の郷長については記録がなかった >>59
ほう、吉村家とか本牧家ってそういうことなのか
ラヲタじゃないから全く知らんかった助かる 子どもが生まれたとき近所の寺に行って家系図に書き込んでもらった
はじめて自分の家の家系図見た 遠方の自治体に戸籍請求する作業が面倒で手つかず。
あと養子ではないのに、甥というだけで戸主の戸籍に入ってるから
そこから戸主の上にさかのぼれるのか不明 高校生の娘が受験勉強せずに彼氏取っ替え引っ替えして遊んでばかりいるから、家族会議で「うちの家系じゃありえねーわ、ヤリマンかよ」と嫌味を言ったら、嫁がムカッとした様子で「さすが私のカワイイ娘だわ。私もモテまくって彼氏途切れたことないから。10人以上に告白された」と言いだして、結婚前の話じゃ俺は2人目の彼氏だったはずなのにと思って、5年間くらいセックスレスだったけどなぜか興奮して、最近は毎晩のようにセックスしてる。セックスしながら歴代彼氏とどんなセックスしてたのか聞くとすげー興奮するんだけど、いちばん興奮したのは、好きな男は他にいたんだけど告白してきた男となんとなく付き合うことになって、でも一回だけセックスしたらヤリ捨てされた話。 武士の家系は子供の頃から色々聞いて育つから興味も湧きやすいんじゃね 明治戸籍までしか調べられなかったが戦国時代に当家を興した初代っぽい人とそっから数世代は歴史が残ってたりしたのでまぁ満足
自分の代で当家は終わるが一応子孫は残せたからまぁそれも運命よの オヤジ側を辿って辿って見たらオクラホマってのにたどり着くんだが、だから俺テリーマンに似てんのか? お寺が火事になって過去帳全部燃えたので調べようがない 武士だったが内職で始めた瓦屋が忙しくなり
武士を捨てたらしい、瓦は藩の城にも使われ
今も残っている この前母方を調べててヒイヒイ爺さんまでは確実に辿れた
なんなら還暦祝いの写真と当時使われたと思われる皿が出てきたわ
大正時代の新聞に包まれてたからそっちの方が興味深かったが ジャップの80割は農民だった
ただ、嫌儲は大名や公家の子孫がたくさんいる 叔父が田舎の役場勤めだったから明治初期からのは調べてくれた
興味深いのは長寿がゴロゴロいること
医療もインフラもない貧乏百姓なのに 滋賀の僻地に住民がほぼ全員上田姓の村があって
大阪夏の陣で落ち延びた真田勢が帰れぬ上田を偲んで名乗った
って言ってた父が今際の際に「あれは嘘ぴょん」って言って逝きやがったので
罰として葬儀は坊主なしの直葬にして骨は海に散骨した 清和源氏のはずなのに家紋が藤紋なのが怪しいと思ってる
下り藤、上り藤の家紋って藤原氏が使うもんじゃないの?
一応30代くらい前で源氏に繋がってることになってる
先祖が土着した地名が苗字になってるが、今そこには親戚縁者は誰もいない >>87
藤原氏でも血縁に源氏があれば源氏を名乗る場合もある
変わり種では藤原氏足利家と源氏足利家とか
源氏公家大名とか橘氏で源氏自称なんて例も昔はあった
家紋も名族に肖って似せたりしてて実際は由来と乖離なんてのもある
そしてそもそも日本の氏族制は厳密なものではない政治単位なので、例外的な例が多い....
それが明治期の氏名制度布告で更にカオスとなったので、果たして徴らしい徴が今にしっかり残っているかも怪しいというのが実際 >>87
家紋とか墓に彫るようになったのすら江戸末期
よっぽど出処わかってる家でないとかなり適当 ブスブサイクは整形保険適用にしようよ
みんな幸せになれる そういうの聞く前に母親死んだし、父親祖父母は会ったことないから母親しかわからんな どうやって調べるのか懇切丁寧に教えてくれ
本人以外の戸籍ってそもそも取れるのか?
それで戸籍が遡れたとして、そいつが何やってたかとかどうやって分かるんだ? このスレ眺めてるだけで、ウヨのみならずサヨクやリベラルまで錦の御旗を欲しがるのがよく解るわ >>95
まず直系親族(親とか祖父母)の戸籍を取る
名目は家系図作りたいでok
その戸籍に記載されている本籍地の役場に当人に関わる戸籍を遡ってとれるだけとってもらう
現地に行かなくても手数料と送料を払えばやってくれる
遡った人の戸籍を見て本籍地を特定し更に遡って戸籍をとる
役所で取れるのは明治の戸籍まで
それ以前は封印されてるか破棄されてるので本籍地に行って墓や神社を調べて聞き込み >>95
終戦より前の戸籍は家長制度だから産まれて家督を継ぐ、家督を譲って隠居するまでは記録されてる
その家に誰が何処からきていつ家に入って出て行ったかも記録されてる
太郎ト婚姻xx村字xxヨリ田中一郎3女yy子入籍とか記載されてる
養子だけでなく私生児や拾い子もいつから家に入ったかはわかるようになってる 紀氏らしい
普通は真偽はともかく源平藤橘を最初に持ってくるのが
家系図作成のお約束なのにうちの先祖は偏屈だったらしい
現物の家系図は借金の肩に分家に預け入れて
そのまま返済後も帰ってこなかった >>100
詳しくありがとう
昔の戸籍って案外しっかりしてるんだな
いつかやってみたいわ >>103
以外にそうでもなくて戦争初期までは満州や台湾などの外地からちゃんと出生届が本籍地に送達され記録されてる
後期になったら現地で産まれた記録は残ってるが日本に送達されてなくて戦後に戸籍へ記載したりされてる
戸籍がない(私生児扱いやもしかしたら誰かに託されたような人)でも教育等は受けれたようで成人してからいきなり養子になってることも(すくなくとも戸籍上では)あるようです ミトコンドリアDNAを調べると人類はひとりの女性にたどり着くとか 江戸時代村長みたいな感じだったらしい
自分の名字の村がある アジア人のDNAデータは少ないらしい
からこれからアジア人特有のDNAルーツを探る期間を立ち上げたら儲かりそう(真似していいよ) 俺も自分の名字の地区がある
先祖の墓は敷地内にある。
楽に400年は遡れる。 >>44
こちとら逆に俺以外みんな結婚してて餓鬼持ちだわ
すまぬ…すまぬ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています