ニーチェ「やっぱり神様なんていなかったね」 これ以上の哲学者の名言あるか? [725779298]
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「毎日が同じことの繰り返し」そんな退屈な人生が激変する"ニーチェの画期的なメソッド"
"永遠に繰り返したい一瞬"をどれくらいもてているか
https://president.jp/articles/-/57262?page=1 深淵を覗いている時深淵もまたこちらを覗いているのだ
のやつ ニーチェは死んだあと普通にキリスト教の墓に入ってるアホ ニーチェって発狂して死んだんでしょ?
キリスト教の勝利じゃん 神は死んだままだみたいな言葉だったので
一応いるいる前提で話してるんだよ ハーバーマスは徹底的にニーチェを批判している
「美的アナキズムに浸ってるだけのアホ」と >>3
え、ドイツ人でも入れるパールシーのお墓があるんですか!? なにが哲学者じゃ
ちょっと言葉の使い方うまいだけやろ 全ての考えに至った結果の言葉なんだから凡人がただ単に言うのとは違うだろ ヒットラーはムッソリーニに、ニーチェ全集をプレゼントしている
ナチスの差別思想は殆どニーチェのせいである >>2
ケンモーチェ「深淵を覗いている時、深淵を覗いているのだ」 西洋人というのはキリスト教の一神教だからな。
西洋人から見たら神がいないように見える状態というのは、実は八百万の神がいる状態だったんだよ。 ちょうど科学文明が発達してる時期で
宗教に疑問を持つ人が増えたから
「これ以降」の生き方を教えてあげたんだよ
「神は死んだ」のあとの「ゆえに神を批判するものも死んだ」部分も重要 なんか偉そうにしてるけどこいつケンモメンの先祖だよね キリスト教社会に言及してんだろ
島国ジャップにはわからんわ 今のドイツではニーチェなんて読まれてないよ。ナチスを生んだ露悪趣味のオッサンというだけ >>23
もともとは真面目な優等生だったってところもケンモメンっぽい ニーチェといえば、ソクラテスの敵役として出てくる論者に非常に強い影響を受けてるのが面白い 神は死んだって言うのは神は生きてたことが前提になっている
では何によって神は死んだのか?それはキリスト教の博愛主義、すなわち同情しかできない宗教に成り下がってしまったからだ 神がいないわけじゃない
捉えるのは難しくないけど存在証明が難しい
ちなみに誰にでもというほどインビは来ない 現代の政治家を見てるとまずニーチェの超人の発想は無理がある。 お寺の息子の真面目な優等生が
青年時代にサブカル文化にハマって反社会的思想や文化でニチャアとし始めたケンモメン 神は死んだ、でしょ
ただこれって俺はニーチェの存在知らずに全く同じ結論に辿り着いたから後から知って驚いた 神様って要するに人の心に巣食う欲望とか薄汚さとか厭らしさを悪魔に例えてそれを罰するって言う恐怖の偶像で
その神様の怒りに触れた時に酷い目に会うからちゃんとしなさいってのが宗教の根本で
その神の怒りを煽ってしまった罪人の心を救うってのがキリストで
アジアでは仏陀だけど
言ってしまえばこの二人こそが最強の哲学者なわけ キリスト教批判なんてエラスムスの『痴愚神礼賛』の方がよほどセンスがあるよね
ニーチェってのは中2ぐらいのニワカが最初に手を出すもんだよ 教養主義が死んで何十年も経つのに未だに40代50代のジジイが痛々しく岩波書店の名著とやらを論じている
これこそ神が死んだ証じゃないか? 救われる→信者「神が救いの手を差し伸べてくれた!」
救われない→信者「神が試練を課している!耐えなきゃ!」
俺には宗教は無理だなと悟った瞬間 ネ申はまず創造主としとの両親
そして
コギトエルゴスムの自分自身
森羅万象は我の脳に集約されるんだから
観測できる境界が宇宙の境界
ウィトゲンシュタインで終わってる ニーチェ的な意味で神は死んだというのは、また生き返ることもあるかも知れないということ
だから髪のことも諦めるなということ この場合の「神」の否定ってのは俺らが普通にイメージするような神様みたいなことだけでなく
普遍的な正しさや存在の根拠、言葉の意味の真実性みたいな人間の精神的な営みの根源の否定ってこと
俺ら日本人が想像する以上に西洋人には非常に重要な問題なんだろう この世界の成り立ちに高次元の存在の関与があったかもしれないし無かったかもしれないけど
地球上の生命はただ無意味に湧いて発生しただけだよね
生まれた意味なんて無い
神を作り出す行為自体が自分達に生まれた意味づけをしようと自分らを高く見積りすぎだと思うんだよなあ
自分が無意味に湧いたって自覚したら発狂するんだろうか 生きる為に他の動物を殺して喰らう。
↑
この世は悪魔が作った証拠。 近代哲学におけるFriedrich Nietzscheの役割は人間が自我や内面を養うことの重要性を提言した点にある
ドイツ哲学においてはImmanuel Kantの純粋理性と接続するカタチで超人動機が表明されることになる
しかしその難度は戦争と荒廃と現代史の混迷とヒトの未来像はまだまだ研鑽が必要である >>55
恵みがあるから悪魔が創った証拠にはならない
創ったのは神だけどこの世は悪魔が支配しているが正しい >>60
聖書預言のエゼキエル戦争に近づいている
全知全能は悪さえ利用する 「やっぱり幽霊なんていなかったね」というのと大して違わない 弱者も宗教を頼って腐敗するするなら権力者も同じく絶対に腐敗するからな。 神様もいなけりゃ哲学者もいない
第一ドイツ語が読めない日本人(>>1は在日朝鮮人だが)が
何を偉そうにw >>60
主に戦場を撮る写真家の宮嶋茂樹が本に書いてた
ニュアンス的には「世界中、宗教で人が死ぬのはたくさん見たけど宗教で人の命が救われるのは見たことが無い」みたいな
もしも神がいるのならそれは死神であって人の命を救うのは人間でしかないのかもな こっちが神を見ているとき
神もこっちを見てるけどな 女性にもモテなかったのもケンモメンっぽい
ワーグナーの奥さんに「ケンモ卿イヤアアア!」みたいな扱いされてる >>61
じゃあ、その神とやらは今何をしているの?もしかして死んだの?それなら死んだのは生命が生まれる前? ジャップにとってはアメリカが実在する神だから
同胞をレイプされて怒るどころか被害者を叩く習性はそのため 人間のコミュニケーションツール風情で表現できる真実なんてこの世の極々一部だろうよ 深淵を見つめるとき、ブラックアウトに映るハゲはお前なのだ >>22
そもそも天職思想を理解してないと意味が分からんのよね
ジャップは天職を自分にピッタリの仕事くらいの理解でいるからな
天職とは神が人間に与えた仕事なわけだから、即ち労働は宗教行為だったわけ
奴隷は奴隷という天職、貴族は貴族という天職を与えられた、という社会階級肯定にも利用された
人々はその立場に不満が有ったとしても、労働に信仰心を持って従事していたわけだ
労働=信仰=生き甲斐、と言っていい
それが破壊されたのが産業革命
産業革命は多数の失業者を産み出し、神に与えられたハズだった仕事を失った人々は、同時に生きる意味を奪われた
この事がキリスト教に対する信頼を大きく揺るがし、19世紀末の退廃思想の要因になった
そして20世紀、神が死んだことを受け入れ、生き甲斐を自分自身の手で見つけていく力強い思想が求められていったワケ ニーチェの言ってる神は死んだは、神も仏もありゃしない的な意味じゃなくて弱者が卑屈にることで自己肯定するのを止めろという意味だ。 「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
普通にこっちの方が名言 まず「神様は願いを叶えてくれる」「神様は私達を護ってくれる」
「オーマイゴッド!」
がおかしい
太古から神は人を罰する存在である
この前提がヘンテコなキリスト教で崩されたんだよな
キリストは恐怖の神から人々を護る存在
日本の神社でもそうだけど
「願いが叶いますように」「神様助けてください」
これが間違いで
本来は「この様な願いを持っています、頑張りますので見守っていて下さい」なのよね
鼓舞する場所なのよ 自分の人生に視聴者が必要な人間が神を求めるんだよ
誰も自分を見てないとわかったら寂しくて気が狂う類の人間は神が必要なんだよ
自分の人生に意味をつけてほしい人間が神を求める
もともと意味がない人生に意味を求めない、もしくは自分で何か意味を付けられるなら人は神を必要としない 神がいるならジャップはこんな惨めな国になってないぞ 哲学と聞くとしゃしゃり出てきてこっちの方が強いから!とかアピールするヴィト厨ってまだいるんだな >>25
ヨハネによる福音書
第1章
1:1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
言(ことば、ロゴス)=イエス・キリスト >>42
エラスムスはカトリック批判しただけだし
そもそも本人聖職者じゃん
しかもラテン語聖書の校訂までやってるしニーチェと比較するべくもない なんか色々良いこと言ってる風だけど
肝心の本人の人生は幸せだったのかな? >>47
ショーペンハウアーは『幸福論」とかいう自己啓発本書いたからNG
でも国籍しか誇るものないアホを批判したのはナイスと言わざるを得ない >>75
表現の自由戦士「人間は足を好む者(Pedophile)である」 ワーグナーの奥さんに不気味な恋文書いて
「惨めな狂人」あつかいされて
ワーグナーからも「君の体調不良は自慰行為のやり過ぎが原因ではないか」みたいなことを周りにばらされたとか
完全にケンモメンだわ >>90
ショーペンは若い頃は理系分野まである程度勉強したような努力家だったけど
名声を得てからはシンパに囲まれてご満悦だったり、暴力老人として有名だったり
立派なダメ人間になったあたりもケンモ的には尊い >>15
いわゆる外道だよ
なかなかよい気付きをしたけど
それで俺凄い悟ったわと勘違いしちゃった人 偉そうなこと言ってるが妹とやっちまった事を正当化してるだけだぞコイツ。 >>83
『論理哲学論考』の論理形式なんてピエロ・スラッファに鼻で笑われて終わったのにな キリスト自体が死ぬ前に何で私を見捨てたのですかと嘆いたのだから答えは出ている
見捨てるもなにもそもそもいなかった。信徒はそれを受け入れられずあれは原罪のためで~とかネトウヨ風アクロバット擁護を始めた 神も魔法もない魂のない泥人形のゴミ捨て場がこっちの宇宙 キリスト教の神が死んだからナチズムが生まれたと、ユングは分析してたねw よくわかんないんだけど当時の人達にとって神様いないねってそんな衝撃だったの ニーチェは厨二っぽい言い回しのせいで過大評価されすぎだろ >>78
西洋の言語はますます哲学と詩のあいだで引き裂かれてしまい、
一方は悦びなき認識へと、他方は認識なき悦びへと向かってきたのだが、
いまや急を要するのは、哲学にそれ本来の悦びを、詩にそれ固有の認識を奪還することである
語り得ぬものを語らんとする詩人の心を哲学者は思い出すべき 西洋哲学って意味あったか?
すっげー難しくて理解不可能だけど、これただの改革期の西洋というごく限定的な場所での特殊な文化・文学でしかないんじゃねえの
学問として普遍性はあるんだろうか? >>98
>何で私を見捨てたのですか
詩篇 第22篇 聖歌隊の指揮者によってあけぼののめじかのしらべにあわせてうたわせたダビデの歌
『22:1わが神、わが神、
なにゆえわたしを捨てられるのですか。』
なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、
わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
22:2わが神よ、わたしが昼よばわっても、
あなたは答えられず、
夜よばわっても平安を得ません。
22:3しかしイスラエルのさんびの上に座しておられる
あなたは聖なるおかたです。
22:4われらの先祖たちはあなたに信頼しました。
彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。
22:5彼らはあなたに呼ばわって救われ、
あなたに信頼して恥をうけなかったのです。
22:6しかし、わたしは虫であって、人ではない。
人にそしられ、民に侮られる。
22:7すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、
くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
22:8「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。
主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。
22:9しかし、あなたはわたしを生れさせ、
母のふところにわたしを安らかに守られた方です。
22:10わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。
母の胎を出てからこのかた、
あなたはわたしの神でいらせられました。
22:11わたしを遠く離れないでください。
悩みが近づき、助ける者がないのです。
22:12多くの雄牛はわたしを取り巻き、
バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、
22:13かき裂き、ほえたけるししのように、
わたしにむかって口を開く。
22:14わたしは水のように注ぎ出され、
わたしの骨はことごとくはずれ、
わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。
22:15わたしの力は陶器の破片のようにかわき、
わたしの舌はあごにつく。
あなたはわたしを死のちりに伏させられる。
22:16まことに、犬はわたしをめぐり、
悪を行う者の群れがわたしを囲んで、
わたしの手と足を刺し貫いた。
22:17わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。
彼らは目をとめて、わたしを見る。
22:18彼らは互にわたしの衣服を分け、
わたしの着物をくじ引にする。
22:19しかし主よ、遠く離れないでください。
わが力よ、速く来てわたしをお助けください。
22:20わたしの魂をつるぎから、
わたしのいのちを犬の力から助け出してください。
22:21わたしをししの口から、
苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。
『22:22わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、
会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。』
『22:23主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。
ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。
イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。』 神は死んだってやつのこと?
なんでいなかったにすんの >>105
そりゃー、シュンペーターが言うように近代以降の社会科学は
アリストテレス→トマス・アクィナスの流れの中にあることは間違いないから キリスト教圏ではないジャップに理解できないのは当たり前 偉人みたいに言われてるけどメチャクチャ言ってるだろ
人生に失敗したら死を成功させればいいとか
お前ら死ねって言われてるんだぞ >>104
哲学と詩に引き裂かれる以前にあったもの
つまりぶっちゃけ宗教である
宗教とは哲学と詩の止揚なんだよな
ハイデッガーがこんな考え方だったかは知らん >>105
>学問として普遍性はあるんだろうか?
ない
印哲とかやってると言ってることが幼稚すぎて欠伸が出るレベル
ゼノンのパラドクスは速度をちゃんと決定すると数学的にアキレウスが亀を追い越せることが証明されてるし
アリストテレスとかニヤーヤ・ヴァイシェーシカと比べると幼稚園児も良い所
アリストテレスは「不動の一者」を説いたから一神教文化で尊重されただけ >>114
後期ハイデガーはまあ、ヘルダーリンとかの詩を通じて
存在の「声」を聴くこと、それ以外はブロイラー養殖場みたいな近代から脱せないという認識だな >>118
存在の声を聞くっていいね
すごく気に入ったよ
確かに現代人は存在を忘れているといえるね >>92
日記って語ってないじゃん
対象となる相手がいてできることじゃねえの語るって
自己解決の思考までとやかく言われんのか? >>101
いないのてはなく、死んだ=いたけどいなくなった
雑に言うと運命はオレが決める宣言 実存主義も死んだだろ
遺伝と環境は意思でどうにかなるもんじゃないんだから
ニーチェが言ってる事なんて間違い 現代における宗教回帰に意味があるとすれば
悦びなき認識と認識なき悦びの止揚
つまり認識の喜びの獲得にある
この場合の認識とは何か?
それこそ存在であり、つまり神である >>123
フランスではポストモダンの流行が去ってソーカル事件とかもあって
2000年代前半にはサルトルを中心とする実存主義の再評価があったけどな
今はどうなってるのかは全く知らない 昔の科学者的な神学者が想定してた神は絶対の客観的存在で物差しとしてかなり優秀だしアホな人間の都合で人格持ったりしなさそうで良い神って感じがする >>124下三行訂正
つまり認識による喜びの獲得にある
この場合の認識する対象は何か?
それこそ存在であり、つまり神である ニーチェ「神なんていないガー!」
→発狂
すまん、これ神の存在証明だろww ガチでニーチェのセリフだと信じてるやつちらほらいて草 ゾロアスター教バンザイしたのも近親相姦OKだからというゲスな理由。骨の髄まで形而下な人間だぞw >>129
「天に唾する」なんて言葉もあるし
理性とか道理の根拠としての神を否定するってことは狂人になることに等しいからな >>78
俺も好きだけど、言論封殺に使われる事もあるんだよな
完璧に語り得るということもあり得ないわけで、不完全さを前提に謙虚に語る以外にないように思っている 神と言っても別に神秘的なものではない
スポーツ選手の体に対する認識が一般人と違うようなものだ
スポーツ選手は肩甲骨がこうで股関節がこうなっててという感じで
体の状態を細かく認識するみたいなもので
現代人はその逆パターン
つまり自身の心についてスポーツしない一般人の体に対する認識と同様に
ただただ漠然としか認識していない
全然細かく認識していない
スポーツ選手が肉体を細かく見ていったときに
肉体の動きの中心を仮定し丹田と呼んだりするが
神とはその心バージョンである
つまり神とは心の作用におけるまさに中心のことを言うのだ みんな知っててあえて言ってないのを言っただけのような 神がいる→だからなに?
神がいない→だからなに?
こういう生き方が正解 ニーチェはんww
マジレスしなさるなww
神というのわ
盲目の羊と秩序の為に必要なんやでww >>27
ドイツでもまだまだ人気あるぞ?
本当にヤバいのはハイデッガー
ナチに協力したから、ドイツの哲学史から完全に消されてる 丹田を仮定すると書いたが正に仮定なんよな
その場所に本当に物理的に丹田という臓器が存在するわけではない
神もそれと同じ
心の中心という仮定 狂人は理性を失った人ではない
理性以外の全てを失った人だ >>138
知ったかでてきとうなこと言うなよ。ハイデガーのナチ協力は1980年代にアルゼンチンの学者が
事細かに実証したが、それを前提にしてもハイデガー哲学の本質がナチかどうかは
世界中で散々議論されて続けて、哲学史から消されるどころの話ではない。どこでそんな知識を覚えたんだ? >>125
専門家の世界は知らないが学問なんだから現実に即してなきゃおかしい
神は人間の頭の中にしかいないし自由意志なんてのもないのが現実
まして科学用語を比喩に使うとか論外 丹田からのチカラがパンチやキックやバッティングやピッチング等
様々な形で現れる様に
心の中心からの作用が様々な形で意識に影響を与える
ムカついたり嬉しかったりを意識で抑え込むことは出来るが
感情が発生すること自体は意識ではどうにもならない
ゆえに意識からすれば仮定される心の中心は第三者的に認識される ニーチェは一神教には否定的だけど運命という概念には肯定的だし多神教にも寛容だったらしい 教権が強い力持ってるっていう時代背景から解釈する必要あると思う
日本で言うと、天皇の人間宣言みたいな印象 問題はその心の中に居る第三者的な神が良い奴か悪い奴かという事だが
フツーは意識的にどうにもならないもどかしさからその神を悪い奴とみなす
信仰とはその逆、つまり心の中に居る神が
実は嫌な奴どころか自分を守り育てるためにいるってことの確信なわけだ
ゆえに信仰とは喜びなのである
哲学と詩の止揚(認識と喜びの止揚)とはこういう事なんよな
宗教的な考え方ってのは純粋な哲学でもないし(論理的というより詩的)
かと言って純粋な詩というわけでもないわけだ(根拠のある悦び) >>98
ほんとこれ
初期のキリスト教思想の歴史はひたすらこのアクロバティック擁護の歴史
むちゃくちゃどうでもいいキリスト論を云々して異端だのなんだの決めつけて権力とぐるになって弾圧 >>144
ニーチェはキリスト教には唾を吐きまくってたけどイエス・キリストには一切そういうことをしていない
出来の悪い弟子たちを引っ張りまわしたという点では文句を言ってるけど
ニーチェは本質的に宗教型の思考の人だから、ニーチェの宗教批判を字面どおりに受け止めると
なぜニーチェがイエス・キリストに好意を持ち続けていたかを理解できなくなる
なお、ニーチェのこういうキリスト教批判はドイツでは若い頃のヘーゲルの方が
先だし社会哲学化されていたのだが、若い頃のヘーゲルの草稿は当時は出版されていなかったので
ニーチェがヘーゲルから影響を受けていたということはない 大洪水以降地上に神はいない。神は天空彼方にいる。人間はドームのため地上400キロメートル以上には行くことができない。 19世紀のドイツ哲学は
深淵なインド哲学にぶちのめされ
影響受けまくった時代 神様はいるよ
「早く出てくれー、神様お願い!」って、思いながらトイレできばるじゃん >>131
ゾロアスター教は多神教だったかな
アポロ的とかディオニュソス的とか言ってるからギリシャ神話も好きだったんだろうけどギリシャ神話も多神教だな
一神教は批判対象だけど多神教にはやはり寛容なのか で、人間は内面を外部に投影するものだから
内面で神の愛を確信するようになるとそれが外部の認識にも反映される
つまり仮定される外的世界の神についても愛ある存在だと「自然に思える」ようになるし
現実の苦難や困難についても自らの成長のための「神の愛」と自然に捉えるようになるんだ
余談だが、だからデカルトの神の証明とか神が実在するか否かに拘るのは
俺に言わせれば全く無意味なんよ 神は死んだ、の神は
規範や世界の善性の否定
価値判断基準の問題であって
神学的な話じゃない
冷笑の極地にあって
じゃあ、どうするか?って問いかけだ >>152
キリスト教それ自体というより
いわゆる大衆のキリスト教観批判だよな 神ってのは
ひとりの人間が何かを悟ったとき
その背後に感じる存在
そう私は定義している 優れた者 強い者に対する弱者の異常な嫉妬心
ルサンチマンが作り出した偶像 それが神
こんな感じだったかな でも神の概念がなきゃ神殺しもできないしこんなに文明は発展してなかったんでしょ
神に感謝しなきゃアーメン >>164
ちがう
「神の死」をもって近代化・産業化が押し進められた
それまでは「中世」だったのだ >>159
そう。ニーチェも若い頃のヘーゲルも
イエス・キリストの言葉を理解できない連中がその言葉を利用して
社会を閉鎖的にして支配のための道具にして人間を奴隷化していることを非難していた
ヘーゲルは後にベルリン大学の教授になって、世間体を考えてそういうことは言わずに
無難な晩年を送ることにしてたけど、裏でこっそり革命派の学生と会ったりしてた記録があるから
まあ色々複雑なんだろうね 宗教が不合理であり超理性的超自然的なのはこういう理由による
神が存在する根拠がない?それでもボクは神を信じるよ。ソースはそういう気分だから
だからね
これを少し詳しく書けば上で書いたような感じになるわけだ 仮にいたとしてもクソゴミ屑野郎だし、どっちにしろ信仰の対象にはならんだろ… 神がいなければどうやってあなたは存在するのですか?
全ての現われは神の現われです
神は在りて在るもの
在り神十御座います 神は「光あれ」と言った。
すると声が出ないことに気づいた。
神は「空気あれ」と言った。
しかし空気が無いので声が出なかった。
神は死んだ。 >>171
それがまったく180度違う認識になるのを奇跡という
ただの水がワインに変わるってやつだな
俺もそうだったわ
まさかクソゴミ屑野郎が愛に溢れた存在に変わるなんて信じられる方がおかしいw >>111
درود بر فاطمه
درود بر علی この論説面白いぞ
ようやくニーチェが言ってることの意味がわかった気がする
ニーチェは優生学の肯定者ではないというのも目からうろこ
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/71631/ ソッソッソックラテスかプラトンか
ニッニッニーチェかサルートンか ニーチェは空の思想に近似するところまで行ったわけだけど
そこまで行った自分自身及び自分の思想を相対化すること(空にする事)が出来なかったんだよな つまり傲慢を克服し得なかったということで
ちょっと厨二的に言うなら
ニーチェはルシファー(七つの大罪において比定される傲慢の象徴)に魅入られし者だったんよな 日本語の神と髪が同じ音なのは嫌がらせかなにかなのか ニーチェは父親が神父かなにかで自身も若い頃は敬虔なキリスト教徒だったからな
わかりやすくいうと、この言葉はニーチェにとって自分の肉体の一部を失ったくらいの重みがある >>98
> キリスト自体が死ぬ前に何で私を見捨てたのですかと嘆いたのだから答えは出ている
> 見捨てるもなにもそもそもいなかった。
君の主張の主旨「キリストが嘆いたから、そもそもいなかった」
なんですかこれはw
そもそも論理がない >>183
プロテスタントの牧師やな
そんでルター訳の聖書を読んでいたんじゃないかという説がある >>18
これ生きたまま焼かれるのをフリップで煽ってると勘違いしてる奴多そう >>183
> この言葉はニーチェにとって自分の肉体の一部を失ったくらいの重みがある
ニーチェが生まれたのはもう19世紀も半ば
フランス革命は半世紀もまえで、ドイツは市場経済と国家資本主義のパワーによって
旧来の社会秩序がどんどん解体され、社会主義革命も何度も試みられたような
激動の時代だ
神は「とっくに」死んでた、くらいの時代ですよ。当時の西ヨーロッパの情勢は
マルクスがドイツ(プロイセン)から亡命したのが、ちょうどニーチェの生まれた年くらいだ まあハッキリ言えばニーチェのキリスト教理解は浅かったんだろうな
才ある者の悲劇だわ 勝手に期待して勝手に幻滅して憎む
ストーカーみたいな奴だな >>192
仏の掌の上で暴れていることに気づかない孫悟空が言いそうなセリフだな
神も仏もキミを放しませんよ >>180
> そこまで行った自分自身及び自分の思想を相対化すること(空にする事)が出来なかったんだよな
書かれたものと書いた者を同一化しちゃってますね、あなた
一応、分けたら? >>148
> 信仰とはその逆、つまり心の中に居る神が
ああ、神は「内在」するんだ。超越せずに
内在してるなら信仰する必要ないじゃん。自分で自分を信仰するの?w 自分自身を自分の思想で相対化するって読んだのかな?
勿論それもあるけど
自分自身も相対化すべきだったし
彼の思想も相対化すべきだったということ >>192
「人間は自由の刑に処せられてる」ってやつね
神の否定は本質としての意味の否定で
神の否定を世界観にしたとき、人間は存在の意味や目的も失ってしまう
自由な実存ではあるが、意味も目的も自分でつくっていく責任を負うことになる >>199
三位一体っていうでしょ
内なる神つまり聖霊に対するアプローチも大切よな
というか聖霊との交わりなしにキリスト教は理解できないと思うわ
で、内在すると同時に超越もしている
一人の人間の中に自分自身と超越者たる神がいるって感じだな >>151
「死んだ」は、生の観念を前提としてそれを否定する表現
「いない」は、存在の観念を前提としてそれを否定する表現
似たようなもんじゃねえか ニーチェ的にはそれが強さのニヒリズムであり
実存である全ての運命をそのまま愛して無限に繰り返すことを肯定する永劫回帰ってことになるんだろう >>202
誰かを好きになったりするのは自分の意志かというと違うし
誰かを嫌いになったりするのは自分の意志かというと違うしな >>203
> 一人の人間の中に自分自身と超越者たる神がいるって感じだな
あのね、超越ってのは「自分自身」を超越してるから超越と表現するわけでしょう
つまり「人間の中に」いない、存在しないってこと。それが超越
「人間の中に自分自身と超越者たる神がいる」なら、それは内在
超越じゃない 王侯貴族に寵愛されていたワーグナーへの羨望と嫉妬を拗らせて
ワーグナーの妻を横恋慕しようとしてその妻に侮辱の言葉を吐きかけられた
こんな自分の欲や感情を律せない奴がどうして大哲人なんだろう?
優れた哲学は自らの意識を高めて人生をより良く生きられるのではないの?
でもぜんぜんよりよく生きる手段になってないよね? 神はいるぞ
ただおまえらが考えてるような救いの神はいねえよ
神がいるとしたらそれはプログラムみたいな感じのやつだと思う
ただひたすら機械的に事象を構築してプログラムするだけの >>165
> 「神の死」をもって近代化・産業化が押し進められた
「近代化・産業化が押し進められた」ら、気づいたら神が死んでた
神は死んだ!っていうくらいだから、あれ?死んでたぞwって驚きが表現されてる >>207
一人の人間の中に居る神が一人の人間の中に居る人間としての自分を超越しとるわけよな
因みに三位一体だから、神は人間の中に居るのみならず外的世界にも存在し
つまり聖霊=神なんよ >>180
そもそも永劫回帰という思想自体が因果関係の閉じた古典的物理学に捉われた決定論的誤謬であって
検討する価値のない文学的妄想
そんなニーチェが運命(決定論)を主張したのも当然と言えば当然だし
空の思想と比べるなんて台風と屁を比べるようなもの >>208
> こんな自分の欲や感情を律せない奴がどうして大哲人なんだろう?
ワグナーだって、くだらない通俗的な誇大妄想の男が大作曲家だったんだから
べつにいいだろ?
なにが疑問なんだ >>208
ニーチェは文学者であって、哲学者じゃないから 優れた思想がその者の意識を高めて自分や世界をより良く変える
哲学はそういうものだと思ってたけど違うんだな
結局自らのうつ病を自らの思想で克服する事が手に余り医者に頼ってしまった
医者>>>>ニーチェ 先にスポーツ選手の例で書いたが
要は自分とは何かってことで
ここで言う自分とは心を細かく分けた上での自分って感じだ
一人の人間として存在する自分という意味ではないし
心をそのまま自分とみなしているわけでもない
まあここで言う自分とは言ったら自我のことだな >>214
ヴァーグナーの音楽は現代においても美しい
しかしニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』は単なる思想書まがいの三文パンフレットであってお世辞にも美しいとは言えない 哲学を、知性と理性によって概念を整理探究することとすると
ニーチェとかの現代って区分で語られるものは哲学でなく思想、現代思想だ、みたいな説明を何度か見た記憶がある
ニヒリズムとか実存主義とかそういう流れは
知性や理性の根拠の否定の上でのものだから
いわば哲学否定の思想ってことなのかな 自分の考え方で世界が変えられるなら苦労は無い
自分が世界を変えられると考えるほど
変わらない世界とのギャップや自らの無力さを証明してしまうだけじゃん >>213
意味の相対化による自由を論じた点では空に近いと言えるね
永劫回帰なんかはまあおっしゃる通り文学的妄想よな >>211
> 一人の人間の中に居る神が一人の人間の中に居る人間としての自分を超越しとるわけよな
だからそれは「内在」だって教えてあげただろうが
買ったわけよなとぶつぶついいながら万引きしたら、やっぱ万引きなのよ >>223
むちゃくちゃケンモメン的ではあるけど
時代の思想の流れにピタッとはまった
今の時代にも大きく影響を与えてる思想家と言えるだろう ツァラトゥストラ面白かったぞ
ニーチェが悶絶して悩み苦しんで、なんとか自分と世界に折り合いをつけようと模索してる熱量がいい >>221
それに対して神=世界と和解すれば元気になるよってのがキリスト教だな
君の言う通りニーチェの考え方には無理があったと思う >>222
> 永劫回帰なんかはまあおっしゃる通り文学的妄想よな
文学的に表現されてる概念だからといって、そのまま受け取る馬鹿がいるかよw
好奇心ゼロだな、君らは
そんなに自分が賢いと思われたいか、匿名なのに 自分の精神も御せない人間を
思想の大家と言うのかね? >>229
「精神の自律」って考え方、それが「人間のあるべきありかた」っていうものの見方自体が
ニーチェ風に言うと「アポロン的」つまり神や理性によるもの
それらに何の根拠もないこと→全ては虚無でだから自由にありのままを肯定する
そういう思想 >>224
悪い事だと分かってるはずなのになんで万引きなんかしちゃったんだろう
ってことよな
信仰とはこの魔が差しちゃったことが実は神の導きだったと気づくことなんだが
その気付きは神が望む境地というか場所に行った後に初めて理解することが可能となる
つまりそこに至るまでは神の意図を理解できないわけよな
この神の意図は人間の越えて働くからこそ超越なわけなんよ
内なる神は人間の想像や考えを越えてその人を導くから超越しとるわけだ 俺ら現代日本人が、「世間の善悪や道徳など根拠のないもの!」「ありのままの自分!」「社会の抑圧からの解放!」
みたいな考え方を持ってたりするのもニーチェを源流とするニヒリズムや実存主義の影響 >>232
下から二行目
神の意図は人間の考えや想像をはるかに越えて働くからこそ超越 つまり、神とか宗教とか善悪を説く哲学が形而上のもの
そんな観察対象にならないものを独断として
観察対象になる経験とか自然に根拠を見る経験論とか科学的な世界観
それらを両方とも否定して、いまここにある自分の「生」をそのまま肯定するニヒリズムや実存主義 永劫回帰は、いっぱいいっぱいでしんどいニーチェがどうにか自己肯定しようとして辿りついた信仰だと解釈してる
正しいとか正しくないじゃなくて、そう考えることで救われたというだけ >>228
なくもない話ではあるんだよ
一枚の絵を書くのだって一筆一筆をキャンバスに置いていくというその繰り返しだ
素粒子の反応といういわば一筆一筆が無限に繰り返される世界においては
もしかしたら全く今と寸分たがわぬ絵が描き上げられることだってあるかもしれない
でもよく考えて欲しい
だからなんだっていう話なんだよw 神が居なければ造ればいいじゃない!
遥か昔、1万年以上前の古代の人々も神なんて居ない事を知ってたハズだ、だから神を造ったんだよ
造られた神に祈っても現実問題は解決しない、でも心は安らぐ、心に平穏が戻ればまた前に進むことが出来る、問題に立ち向かうことが出来る
強い人には神はいらない、でも世の中のほとんどが弱い人なんだよ、だから心にも支えが必要なんだろう
ニーチェの言葉はニーチェ自身には意味がある、だが万人にはあまり関係ない。 プラチナエンドっていうアニメがあってだな・・・
なんでもない 実存主義の先駆者みたいな扱いだけど案外構造主義にも影響与えてて草 永劫回帰というのはニーチェの実存にとっては直感だが
理論的には原子と宇宙の有限性・原子配列と時空の有限性に基づくものなんだがな
単なる信仰とか言ってるのはよく読んでない子 >>243
だからなんだっていう事なんですよ
再構成された次の自分は連続性をもって認識される自分じゃないわけですからね >>243
ニーチェそんなこと言ってたっけ
お前の解釈ではないの? まあそれだけの覚悟をもって意思決定しろってことなんだろうけど
めっちゃ無理やり感がある考え方なんよな >>243
>原子と宇宙の有限性・原子配列と時空の有限性に基づくものなんだがな
だから古典物理学的な誤謬なの
>単なる信仰とか言ってるのはよく読んでない子
N回目の宇宙のニーチェの認識とN^z回目の宇宙のニーチェの認識に因果的連続性はないから無意味
同時点に存在するクローン人間をオリジナルと同一の個体と認識するようなもので「そりゃお前の中ではそうなんだろお前の中ではな」レベル ニーチェは「神はいない」なんて言っていない
「お前達と私で神を殺した」と言っている
この差は大きい 何度同じ人生を繰り返しても何度同じ選択を繰り返しても微塵も後悔しない意志力
ぶっちゃけ現実問題として人間にそんなことが可能とは思えない >>249
だよな
サルトルも神は死んだって言ってるよな
居なかったとは言ってない >>250
ニーチェ本人も「もうゴールしてもいいよね」っていうレベル ニーチェの思想自体を俺はあんまりおすすめできんけど
学校とか社会の評価とか序列で見下されたり疎外されて苦しんでる人が
自分の外側からの基準でつくられた自己像としての「わたし」から抜け出て
評価以前の、「そのままの生」としての「わたし」を回復する、みたいなことでニーチェ思想とか実存主義にハマるのは理解できる 愛も金も名誉も全てに価値がないと思い込んだのは
現実社会で何も手に入れられない自分にとっては価値がないものとしたかっただけだろ
価値があるものと思えば羨ましさで身を焦がし得られない苦しみに耐えなければならないから
虚無主義とは自らの心を守る為に希望を捨てる行為 >>248
> 同時点に存在するクローン人間をオリジナルと同一の個体と認識するようなもので
「オリジナル」と言ってる時点で、落第だ
だらだらと理屈こねくり回しやがって たまに賢モメンが居るから楽しい
「死んだ」居たには居たんだね サルトルとかハイデガーとか最近ではアドラーもそうだけど、この辺の「自己決定」みたいな話って自己責任論に流れやすいのが難点
完全な自由もなけりゃ完全な責任もないわけだし
それでも人間は責任を引き受けることで、逆接的により自由であろうとするんだろうなって思うようになった
責任を自分で引き受ける分にはいいけど、他人に背負わせようとして自己責任論を持ち出すのは酷
>>249
「神は死んだ。お前達と私とで神を殺したのだ」みたいな感じだったような気がする >>252
俺は信仰を獲得した人生に結構満足してるけど
ぶっちゃけ宗教の人にならなくても金持ちになって豪遊する人生とか
ちゃんと大学卒業してふつーに就職する人生とかの方が良かったわ >>253
> 自分の外側からの基準でつくられた自己像としての「わたし」から抜け出て
> 評価以前の、「そのままの生」としての「わたし」を回復する、みたいな
そのままのわたし?
実存主義ですらなさそうだ ニーチェが元来虚無主義であったなら
正しいか間違いかはさておき筋は通っている
だがニーチェは肉欲に負けて人の妻を盗ろうとしたではないか
価値のないものを盗ろうとはしない筈だ
それが見事に失敗したから後から自己欺瞞でこのような思想に至ったとしか思えない >>253
善悪の彼岸みたいなやつかな
既存の価値観を脱して一つの悟りに触れられる感じ
全て悟ったと勘違いして傲慢になっては欲しくないけど 根拠はないけどニーチェのニヒリズムは思想というより実体験だと思うわ
俺も消極的ニヒリズムから積極的ニヒリズムへの転換を経験したし >>256
「語りえぬものには沈黙す」るためには、語りうるものの限界まで突き詰めなければ
ならない
語りうるものの限界、ってそんなに自明なことですか? しかしこう考えてみると人造神というのは生まれては死に、又生まれ変わっては死に、と1万年以上に渡って時代、人種、思想を超えて存在して来たわけだ、まさにこれこそが超人だろう
ニーチェも死んだとは言ってるけど生まれ変わらないとは言ってないだろうしね
神は死んでも人類が居る限り何度でも甦ると言う事だろう >>263
冷笑系を卒業した、とかそういう感じで言ってないでしょうね?w >>260
実存主義の語る「即自」は、「そのままのわたし」すら対象にならない
「わたし」が意識されないほどにそのものであるから、みたいな感じかな >>261
> だがニーチェは肉欲に負けて人の妻を盗ろうとしたではないか
品行方正で高潔な人間「だったなら」満足なのか、君は?
書かれたものが一字一句同じものだったとしても、書いた人物いかんで立派な思想に
なったりならなかったりすると思ってんのか?
どんだけアホなのか >>267
俺はこれで大学辞めたんよ(笑)
消極的ニヒリズムの状態を言葉で言うとするなら地獄よね
地獄を冷たい海底の底で灼熱の炎に焼かれる感覚っていうけどまさにそんな感じ
信じられるものが何一つない冷たい世界の中で上手く生きれない焦燥感に焼かれる感じ
まるで自分一人だけ違う次元にいるような感じ
自分だけが異国の宇宙人の群れの中に居るような感じ
まあ辛かった
よく自殺しなかったと思う >>262
世間的、自分の外側の価値や評価でつくられた世界観をドラゴンにたとえて
重荷のようにそのまま背負う駱駝から、ドラゴンと闘う獅子になり、倒し終わるとそのままに己に落ち着く赤子になるっていうニーチェは三段階で語ってるね でも、ニヒリズムでも実存主義でも
色々と問題にしてる「わたし」の解決ってのには至らないように見える
問題を語り続けるからそれがまた別の問題を生み続けてと >>250
> 何度同じ人生を繰り返しても何度同じ選択を繰り返しても微塵も後悔しない意志力
無限地獄みたいな解釈だなw
これが人生であったか!さればもう一度!ではなく、さればもうこりごり! >>272
駱駝→獅子→赤子は覚えてたけど、ドラゴンは覚えてないや
一度だけじゃなく、価値観の変遷の度に起こることなんじゃないかなと思ってる
イヤイヤ期とか反抗期も獅子っぽい感じ カントの独断論や大陸合理論に対する批判ってカント以降にも効いてね?
近代や現代の哲学者の思想を仄聞して「カントに言わせればさあ」と思うことが多々あるんだが 結局は、神によって与えられた「あるべきありよう」を否定しても
その後に知性とか理性とか、はたまた主体性とかそんなので神に代わる「あるべきありよう」を模索し続けてるように見える >>265
命題集合が議論の対象でそれ以外は語り得ぬものだから当たり前 これ神は死んだというのも誤訳ぽくて
神は死んでいると訳すのが正解ぽいな
また復活したりするんだろう >>258
> サルトルとかハイデガーとか最近ではアドラーもそうだけど、この辺の「自己決定」みたいな話って自己責任論に流れやすいのが難点
なるほどなあ
すると自己責任論を打破するためには、また構造主義みたいな「構造がまずある。自由意志はない」
みたいなのを強調し指摘しないといけなくなるわけか >>279
とろいね
その「命題集合が議論の対象」だとして、それをコンプリートに網羅「できる」のかって
指摘だ >>232
> 信仰とはこの魔が差しちゃったことが実は神の導きだったと気づくことなんだが
「魔が差しちゃった」のも自分なら、「実は神の導きだったと気づ」いたのも自分
あたなは内面(内在)の話しかしてない あまりにも禁欲的なキリスト教
そのルサンチマンから産まれたニヒリズムと >>279
その議論の対象になる命題っていうのが
言語の対象になる人間の経験、世界で起こってる事実に限られるわけで
問題は西洋哲学はそれまで形而上の問題っていう
人間の経験を超えた事柄を取り扱って議論がされてきたこと
それを「言語、議論の対象にならない語り得ないものだから取り組んでも仕方ないよ」ってウィトゲンシュタインは宣言したんだろう
ジャップは高度な西洋哲学を語るよりも
民主党を勝たせるために哲学を使うべきだよ
カイより始めよ って言うでしょ?
理想を追求することが哲学への初めの一歩ね >>281
自由意志否定で左翼の現代哲学者といえばTed Honderichがいるな。もう死んでるかと思ったがまだ生きてた 神はいる自分の中に。
私の神と貴方の神が同じ?かは。
神のみぞ知る。 >>283
スポーツ選手の肉体の認識の例で書いたように
心も分けて細かく考えんといかんよ
で、その心理状態が「外的神に対する態度にも投影される」とは先に書いた通り
言葉を変えていえば、理論や理屈では神に到達できないというのはこういうこと
だからって理論や理屈が不要ってわけじゃないんだけどね
まあ外的神を思考するってことも決して無駄ではなく
それが内的神と矛盾しないから両者が結びつくわけだ 禁欲主義及び利他的になり過ぎで善悪まで捻じ曲げられてしまったのだそう
あちらさんもなんか大変だなぁと >>288
そら同じ神よ
ただし真の神の下にはいろんな神がいて
その下級の神を真の神と誤認することはあり得る 律法主義をキリストがメッチャ批判していたことは忘れたらいけない
幾ら禁欲的な人間でも原罪を背負っていることに変わりなし >>1
いなかったではなく、かつてはいたけど死んだというのが正しい理解だよ >>249
神はもともと存在せず、人間の観念の中にだけ存在していたから殺せたわけで
もしも全知全能が神が存在していたなら「神を殺す」ことなど到底できない
だからニーチェは「神は存在しない」と言ったのと同義
>>258
『喜ばしき知識』(Die fröhliche Wissenschaft)には
「神は死んだ。神は死んだままだ。私たちが神を殺したのだ!」
(Gott ist todt! Gott bleibt todt! Und wir haben ihn getödtet!)
とあるな >>270
>品行方正で高潔な人間「だったなら」満足なのか、君は?
当たり前だろ何言ってんだお前は
人に説教垂れといて実はストーカーでしたとかキモすぎるわ 色んな神がいるといっても真の神と別個に存在するわけではない
それらはそれぞれ神の一側面と言った方が正しいのだけど
これが分かるのは神に出会った後の話で
それ以前においては別個の存在とみなされるということ >>270
じゃあ虚無主義なんか主張しちゃダメだよ
この世のモノには全て価値が無いんでしょ?
なのに何故肉欲にかられて女を追うんだい? 虚無主義者が現実の欲に負けて思想を曲げてりゃ世話無いぜ カトリックとプロテスタントの関係も考慮すると何となく見えてくるニーチェさんのココロ もともと真面目で内気で身体の弱い鬱屈した非モテ陰キャのオナニストっていう
ニーチェはケンモメンそのものだな つまるところニーチェは
自分が信じてもいない嘘八百を主張していたという事かな?
言ってる事とやってる事が違うではないか 欲と価値をごっちゃにするのは違うでしょ
絶対的な価値と、相対的な価値っていうのも分けて考えた方がいいと思う 要するに超人というスーパーマンになりたかったのだ
よくあるハナシじゃないか >>305
だからニーチェは哲学者じゃなくて文学者なんだよねえ >>308
しっくりくるね
良いことも書いてるけど全部が全部正しい真理の書ではない
良く出来た小説みたいな感じよな 俺自身もニーチェについて調べてるとかなり親近感をおぼえるわ 天国とかなくあるのは現世だけ
だから現世で自分らしく生きろというような感じかなぁ キリスト教逆張りおじさんだと思ってる
永劫回帰は斬新だけど あまりニーチェを攻めるべきではない
理想論とプライベートは違う、ニーチェは超人ではない一般人だ、一人の弱い人間に過ぎない
故に神を求め彷徨い、しかし造り出すことが出来ずに苦しみ死んでいったのだろう >>308
ウィキペディアで「思想家であり古典文献学者」と記載されてるけど?
仕事としてフィクション小説でも書いてたのかな? とりあえず神というのはいなくて適当にでっちあげただけのもの ニーチェは詩人哲学者なんて呼ばれてるな
しかもかなり挑発的なヤツだ 文献学者とは歴史的文献の解読者でありエッセイストでは無い
ニーチェが文学者とはいかなる解釈か? >>76
あーなるほど
職=ミッションが揺らいだ時代だったのね ニーチェ凄いとか言ってるバカって
もう愚民そのものなんだよな
古代のインテリもとっくに神を内心否定してたけど
それ言うとガチで処刑されてたわけで
『いまさら』な話なんだよね
神否定科学礼賛のビッグウェーブが来てた時代に
これ言ってるだけだぞ 大川隆法がニーチェの「神は死んだ」を言葉通り捉えて
ニーチェを地獄行き認定してたのは笑った >>315
いると言えばいるしいないと言えばいないから
そういう風にいう事も可能よな
神はいわば重心の様なもので
重心もあると言えばあるけど物理的に重心という存在があるわけではないしな
神の存在に拘る人もいるけど
個人的には上で書いたような理由で無益だと思うし
そもそも神を否定し得ないのは本当の自由ではないと思うから >>314
元々古典文献学者だったけどめちゃくちゃなエッセイを書いて道を踏みはずして小説家になった 神ってのはどこまでカバーしてるんだ?太陽系の外に力が及ぶのか? ソクラテスが裁判所に訴えられた話です。
その告訴状に書かれたソクラテスの罪とは
「ポリスの敬う神々を敬わないで新奇な神々を崇拝し、かつ若者を堕落させた」というもの。
そもそもソクラテスが神を否定してるからなwwww
ニーチェとかカスでしかない
イデア論ってのは
まさに『神』を使わないで世界を説明しちゃってるんだから
これ見ればソクラテスってのは
暗に神を否定してるとわかる また芸術の分野などにも影響を与えてると思う
なんでもしてみればいいという感じ >>298
> 当たり前だろ何言ってんだお前は
ただの馬鹿だったw ソクラテスのイデア論の段階で
すでに神は否定されてるのだから
周回遅れなんだよね
どう見ても ソクラテスは神を否定したわけではないってのを昔読んで納得した記憶があるけど
内容を忘れたしググっても出てこんわ >>327
ソクラテスはダイモーンの神を信じてたし
戦争に従軍したのもダイモーンのお告げなんだが
善のダイモーンと悪のダイモーンがいるわけではあるがね
ソクラテスをそういう風に無理やり信仰から切り離して
ぼくのポケモンすごいみたいに自慢するのはかっこ悪いね 神て聖書だと人殺しすぎてないか
あんなもんを信仰してるとかどうなってんの >>327
> 「ポリスの敬う神々を敬わないで新奇な神々を崇拝し、かつ若者を堕落させた」というもの。
> そもそもソクラテスが神を否定してるからなwwww
その「神」は古代ギリシャの多神教の神
八百万の神みたいなもんだ
早熟な中学生でももうちょっと読解力あるぞ、ちみ ソクラテスはデルフォイで神託貰ってるし敬虔な信者だっただろう
プラトンは現状の神に失望してイデアと言う新神の概念を想造していたのかもしれないね
結局人は神からは逃れられないのかもしれない >>313
> 理想論とプライベートは違う、ニーチェは超人ではない一般人だ、一人の弱い人間に過ぎない
なんなのこいつw >>334
神を信じてるふりだろ
どう見ても
じゃあイデア論ってのは何なの?
なんで神様出てこないんだ
表立って表明してないだけやん
どう見ても
この時代は神を否定できない
>>336
発達障害くんは黙っててくれ >>301
> じゃあ虚無主義なんか主張しちゃダメだよ(中略)
> なのに何故肉欲にかられて女を追うんだい?
ニーチェの書いたものを、政治家の公約かなんかと思ってる馬鹿w >>334
いるよな
僕が考えた最強のソクラテス
僕が考えた最強のイエスとか言いたがる中坊が >>329
ニーチェ自身も、キリスト教の道徳を
弱さから強さへの恨みと嫉妬の意図を隠してのものと
語られたものとその内面の意図との不一致を「奴隷道徳」という非難の根拠にしてるから
ニーチェへの批判として、言葉の内心の不一致を語るのはおかしくないだろう >>339
> 発達障害くんは黙っててくれ
底辺はすぐヘイトスピーチをする
人間として弱いから プラトンが想定する
洞窟の中の囚人ってのは
『神々を信じる愚民』の事だろ、どう見てもwwwwwwww
神を否定してますねこの思想は
普通わかるわ >>342
> ニーチェへの批判として、言葉の内心の不一致を語るのはおかしくないだろう
もう発想がおかしい 言葉と内心の不一致という、これはいわば道徳的価値なんだが
道徳的価値を否定するニーチェが、キリスト教的道徳を非難する根拠として道徳的価値を使うっていう
まあおかしいというか頭こんがらかりそうなニーチェの主張 >>313
>理想論とプライベートは違う、ニーチェは超人ではない一般人だ、一人の弱い人間に過ぎない
「悪そうな奴はだいたい友達」とかイキっといて
「エロASMRでシコってるただの陰キャオタだった」みたいな感じだよな
ニーチェは何もわるくないよねぇ? >>343
>早熟な中学生でももうちょっと読解力あるぞ、ちみ
お前が
しょうもない煽りを
最初に
入れてきたんだろ
ボケ >>346
ニーチェは思想としておかしいということだな
文学者や芸術家の感情の叫びの表出、みたいに受けとるとちょうどよい And death shall have no dominion.
Dead man naked they shall be one
With the man in the wind and the west moon;
When their bones are picked clean and the clean bonesgone,
They shall have stars at elbow and foot;
Though they go mad they shall be sane,
Though they sink through the sea they shall rise again;
Though lovers be lost love shall not;
And death shall have no dominion. ニーチェも夏目漱石もホルモンが発見される前だからな
現代人はホルモン信仰だから
自然にホルモン説を受け入れホルモンの示すままにと生きてる 創造主は居るんだろうけどエバンゲリオンは全員嘘つきって科学が証明した >>347
> 道徳的価値を否定するニーチェが、キリスト教的道徳を非難する根拠として道徳的価値を使うっていう
あなた、なになら理解できるの?
得意なのはなに?
一輪車なら乗れるよ!とかないの?w >>339
多少専門的は話をすると、プラトンが書いたソクラテスのお話というのは大雑把にわけて時系列的に3段階あって、
1. ソクラテスが実際に言ってたであろうことをまとめたお話
2. ソクラテスの言ってたこととプラトン独自の哲学がミックスになってるお話
3. プラトンが完全に創作でソクラテス主人公のお話にした話
前期と後期とじゃかなりお話として違う。個人的にかなり昔の知識だから、どの著作から区別すべきかは覚えていないが
ネットですぐ調べられることだろう >>352
おかしいのは、君の読解力であって
学校の勉強できなかったでしょ? >>356
「理解」とは何か、「得意」とは何か
あなたは「何」を「理解」して「何」を語ってるのかってね >>358
実存主義とかを経由したフェミニストは
「議論はしません」とか言ってるけど、それかな? 気に入らんものは煽り、攻撃し、否定する
そういう「ありのまま」的な >>357
専門的かもしれないけど
それってただの客観的なデータでしょ。
あなたの感想が入ってないので
価値としては低い
あなたの感想を教えてよ >>250
だから超人を欲したんだろ
そして人間は超人を産んで滅びればいいと >>350
哲学者なんてだいたいニートみたいなもん >>359
あなたは「ニーチェへの批判として、言葉の内心の不一致を語るのはおかしくない」
と主張してる人ですよ?
それ、書かれたもの=作品への批判じゃなくて、ニーチェ本人への批判じゃないですかw
思考のコスパが悪すぎ。昆虫並み 俺は、ひろゆきとは逆なので
ただのデータはいらないので
あなたの感想をくださいよ
データなんてのはいつでも掘れる 昔の人間も科学を批判したわけじゃなく、良く分からない事を神の事としてたが
最近は男性女性ホルモンとかセロトニンなどが発見されて、そちらで納得するようになった
例えば遺伝子にしても組み合わせのタイミングについては謎な部分が多かったが
食べる物や運動習慣、睡眠によってホルモンがコントロールされて子が生まれると言う思想に帰結した
内臓がホルモンを分泌する事について、東洋医学や哲学に通じる物があるから東洋哲学がまた回帰し始めた >>365
これはニーチェ自身が、「書かれたもの」(キリスト教的道徳)への批判を
「それを語る人」(キリスト教信者)の内心によって行ってると説明してる
「書かれたもの」と「語った人」との区別をすべきとする立場があるとしても
少なくともニーチェ批判の場合はニーチェ自身の批判の作法から不一致を根拠にしても別におかしなことではないと説明してる >>366
> データなんてのはいつでも掘れる
「どこ」を掘るか、という発想がないんだなw いつか降る雪のバッドエンドの一つ。
サナトリウム内で主人公と博士が対立し、羽村まことは人質として博士に監禁されていた。交渉は決裂し、自暴自棄になった博士はサナトリウムに火を放つ。
主人公はまことを救出するために、ガラスを割ろうとするがまるで歯が立たない。
脱出できないまま死を察した彼女は、主人公に最後の言葉を伝えようとするが、ガラス越しに声を伝えることができないため「やっぱり神様なんていなかったね」とスケッチブックに書き主人公に見せるのであった。
このシーンでは主人公がガラスをこじ開けようと叩き続けたため、彼女の位置に重なるようにガラスに血がついており、それも悲壮感を一層強くしている。
炎に包まれる女の子と「神様なんていない」というセリフのため、非常にショッキングなシーンとなった。
ただ、当時はこのシーンの強烈な話題性から、この画像1枚だけがネット上に出回ってしまい、
「主人公が火事で閉じ込められて、血まみれでガラスを叩く様子を、幼女がスケブで煽っている」ように見えてしまうという(ドMの方にとってご褒美な)誤解もあった。 >>368
ニーチェで言うところの「精神は肉体の奴隷である」に近い気がした わざわざ
最高の概念をイデアとして設定したのだから
『神』は投げ捨てちゃってる
これが中世のキリスト神学っぽい哲学なら
この世界のすべての真理は
『神から流れてきている』というような思想になっているからね
イデア論は、かなり挑戦的であり
神の否定なのだよ
どう見ても どうせツァラトゥストラをまともに読んだ奴なんていないだろ?
せいぜいカッコつけ手読んでわかったフリしてるくらい ルサンチマンについてもちょっとお気持ち表明レベルというか
強者への恨みと言ってもキリスト教世界で一番強いのは神なわけだ
で、絶対的強者たる神に押し付けられた運命に対する恨みつらみを捨てて神と和解するのが信仰であって
神と和解するという事は神=愛であることを知るという事であり
ゆえにキリスト教的倫理観というのは愛たる神のように生きることから発生しとるのよな
マジでニーチェは何言ってんだとしか言いようがないわ 勘違いしてるバカが多いけどさ
そもそも仏教における、最高思想は仏陀だし
キリスト教なら新約聖書
哲学なら、ソクラテスプラトンに決まってるんだよw
フォロワーの意見なんて
ゴミみたいなもん
ゴミと言ったら少し失礼だけど
本質はそう 哲学の意義は結論を出せない事を探究することが破滅的は結果を産み出さないツールになると思いたいが現実はそれを超える人間の愚かさ。 >>362
まあ、ソクラテスの人物像というのはプラトン、アリストファネス、クセノフォン等それぞれ大幅に違うから
プラトンの特定の著作をもって実在のソクラテスの姿とするのはあまりよろしくないという程度でございますな
こちらも哲学稼業から長らく離れてるので、自分の感想といえるほどのものはありません。少し事実認識を示したかっただけですね
思い込みがよくないのは万国共通なので 「常に既に」「奴隷の道徳」
この辺だろ
ダサいのは「公共圏」「生命圏」 上でニーチェのキリスト教理解は浅いと書いたが
ニーチェが神の愛を理解しなかったのは明白
せっかく自国の文化にキリスト教という良いモノがありながら
異国の仏教思想に中途半端に手を出した挙句
おれは悟った!俺はブッダの生まれ変わりだ!キリストだ!とか言いだすような
見事なまでの外道丸出しに堕ちてしまった憐れな男だよニーチェは なんか疲れたわ
歴史上の人物とは言え人を貶めるのは疲れる >>381
ニーチェに対する評価は
俺も物凄い低いから
別にけなして良いぞ >>380
この辺の西洋哲学の人たちの仏教理解は
とにかく経典を字面だけ追った結果か虚無主義に偏り過ぎてるっていうのは
仏法者から聞く批判だな
当時の西洋には伝法の師とかいないから仕方ないのかもしれんが ニーチェって思想っていうよりはただの感想なんだよね
それってニーチェの感想でしょ
という感じ
あまり頭は良くないと思う >>383
いやニーチェとほぼ同時代人のシチェルバツコイがゲルク中観派の論理学を学んでるから
アカデミックな場面ではちゃんと理解されてたよ
ただショーペンハウアーとかニーチェは余りにも皮相的でジャーナリスティックだったというだけ ニーチェの本質って
単なる『煽り中二病』なんだよね
キリスト教徒が憎くて虐めたくて煽りたくて仕方なかった
だから
『弱者wwwwww』『神?死んだよwwwwwバーカ』というような
意地悪を言いたいだけの無能なんだよ
もし論理性を求めるなら
神が死んだ経緯を説明すればいい
『日本は死んだんだよwwwww衰退国家wざまああ』
と言ってるのと同じなんだよw >>386
実は仏教は思想哲学という学問とは違うのよ
経典は言葉で語られてるけど、経典で語られてる内容は実は「ない」または「ウソ」だっていう
学問として学んでもそれは頭の中で整理してるだけ
その頭の中のものを捨ててみなさいよって教え
「無明が頭であると知れ」なんて言葉があるね ニーチェ自身はキリスト教に首まで浸かってるだろ
その上でキリスト教的道徳が加速度的に失われていく近代を嘆いてるわけで >>285
真偽が決まらないものは議論の対象にできないと言っただけだろ 神は死んだってのは
もっとも有名な哲学セリフだけど
びっくりするくらい中身がないんだよね
ぶっちゃけ単なるキャッチコピーでしかないと思う
CMに使われるような >>388
>経典は言葉で語られてるけど、経典で語られてる内容は実は「ない」または「ウソ」だっていう
それならブッダは妄語者(musaavaadin)になるからありえない
>その頭の中のものを捨ててみなさいよって教え
そんなことは言ってない
そういうこと言い出すのはナーガールジュナが「戯論」を概念的虚構と解釈して
「一切の見解から出離するのが空性である」とか言い出してからだな
>「無明が頭であると知れ」なんて言葉があるね
正しい文脈は以下の通りで、頭からっぽにしろとは言ってないね
「バーヴァリは頭のことについて、また頭の裂け落ちることについて質問しました。
先生! それを説明してください。仙人さま! われらの疑惑を除いてください。」
「無明が頭であると知れ。明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、
頭を裂け落とさせるものである。」 ニーチェってのは哲学じゃなくて
単なるキリスト教徒を煽ってる
オッサンでしかない
何も哲学がない
ただの感想 ニヒリズムについてなんかは中々いいぞ
ニーチェ自身の実践は不完全だったが
仏教の空ってのは要するにああいうものだ >>393
内容は「ウソ」として、「語られた言葉」は真実そのもの
↑
これ、分かるかな? >>395
>「道徳・倫理・正義なんかはなんの価値もないもの」
>と考える立場のことを
>「ニヒリズム」といいます。
引用だけど
これが事実なら、中国共産党が支配するあの状態こそ
ニヒリズムの理想国家なんだけどなww
な?ニーチェってのはカスだったろ ニーチェって現代で言うと
完全に
維新支持者なんだよね。
カジノで儲けるんだよ!倫理なんて知らない
経済成長だ!
ニーチェは維新脳だ >>396
>内容は「ウソ」として、「語られた言葉」は真実そのもの
ごめんそれ君の解釈だよね?
経典になんか根拠ある? 「バラモンは正しく知って、妄想分別におもむかない。見解に流されず、知識にもなずまない。かれは凡俗のたてる諸々の見解を知って、心にとどめない。──他の人々はそれに執著しているのだが。──」『スッタニパータ』 >>397
道徳・倫理・正義どころかあらゆるすべての価値が無意味になるのがニヒリズム
ニヒリズムに対する態度は二種類あって
意味がないから辛いって態度が消極的ニヒリズム
意味がないからこそあらゆる価値に拘束されない自由があると捉える態度が積極的ニヒリズム
良いのは後者の方 >>399
経典での語句も含めてまず「言葉」とは何かに気付く
「言葉」で頭の中にもってるイメージとか解釈とかね
上座部系の『清浄道論』の十六観智の一番はじめが名色分離智
つまり、頭の中のもの(言葉)である「名」と
実際(取り敢えず)の物質的現象の「色」が別物であると気付く智(悟り)
凡夫は頭の中のものを「事実」だと思い込んでそれに執着してる(迷い、煩悩) ニヒリズムにおいて
意味がないから辛いという矛盾
それに気づけば積極的ニヒリズムに転換する
というか俺の場合はそうだった >>42
それはカトリック批判、ニーチェは神様に頼る事で思考停止してる犯罪者を批判してるんだぞ 三界っていう、欲界、色界、無色界も
「欲望の対象」という頭の中のものにとらわれて愛憎してる状態を「欲界の住人」とする
唯識ではこの凡夫の状態を遍計所執性と呼ぶ
WikiDharmaの項目
↓
遍計所執性
遍計所執自性ともいう。3つの存在のありようである三性(遍計所執性・依他起性・円成実性)の一つ。
言葉で考えられ執着されたもの。心の外に実体としてあると考えられたもの。実体としてあると考えられた自己ともの(実我実法)。
眼を患っている人に見える空中の華(空華)のように、まったく存在しないから、その存在性を都無という。 ツァラトゥストラ読むと書いた当人が飽きてきてるのがよく分かるよなw
「ツァラトゥストラはこう歌った」みたいな変化球で来てるあたりから、ネタギレかな~て >>405
さらに言えば頭の中の全ての認識が妄想だからこそ
積極的に妄想の世界に生きうるのよな >>250
5億7千万年頑張れ❤と言われたが千年位でギブアップでした >>411
それはニーチェの強さのニヒリズムに近い解釈かな
そうではないのよ
「頭の中のもの(言葉)がウソ」
↑
いわばこれも言葉だろ? 色即是空空即是色だからこそ
敢えて書くがキリスト教の世界観という
妄想の一種を積極的に選択して生きることが是になるわけなんよな 同様に仏教家なら
積極的に仏教的世界観の中に生きたらいいのです >>401
>内容は「ウソ」として、「語られた言葉」は真実そのもの
の根拠ではないな
na brAhmaNo kappamupeti saGkhaM
na diTThisAri napi JANabandhu
JatvA ca sa sammatiyo- puthujjA
upekkhati uggaNhanti maJJe-
バラモンは思考と思念に近づかない
見解を想うことなく、知ったことにも束縛されない。
しかして彼は知って、寂滅する。
凡夫たちは考えて、無関心になったり、執著する。 言葉は言葉なり、座禅は座禅なり
解釈ではない
また、解釈は解釈なり
般若心経としては「色即是空空即是色」
華厳経的には「事事無礙法界」
曹洞宗では「本証妙修」
「唯仏与仏、乃能究尽、諸法実相」ってやつね >>405
>つまり、頭の中のもの(言葉)である「名」と
名(naama)は心って意味だよ
>実際(取り敢えず)の物質的現象の「色」が別物であると気付く智(悟り)
「実際の」というのは要らない
色(ruupa)はたんに物質
名色分離智というのは心身一如とかそういう見解を離れて、
心と物質は別々に働く現象だと理解すること
>凡夫は頭の中のものを「事実」だと思い込んでそれに執着してる(迷い、煩悩)
それはdit.t.hi(見解) >>411
>頭の中の全ての認識が妄想
だったら人は悟れないし、ブッダになれない
死体だけが悟ってることになる
まさに死んだらホトケ >>414
「色即是空空即是色」は大乗経典の言葉であってゴータマ・ブッダの金口ではない >>420
「名(naama)は心」、ってのは五蘊でいうと
色(身、物質的現象)、受想行識(心、精神的現象)
つまり精神的現象、頭の中のもの、言葉、イメージってこと >>413
何れにしろ真実は知り得ないってことだからな
その事実に対する謙虚さが必要ってコト
神だ救いだと言ったってそれが真実だという気は俺にはないよ
人間は真実を知り得ず妄想の世界に生きるしかない
故に信仰があると言ったところで俺は信仰がない、或いは君たちの言葉で言う悟ってない凡夫と何ら変わらないんだ
何故なら俺が信じる神や救いも所詮は妄想の一つである事には変わりがないからだね
ただ信仰がない奴と違いがあるとするならば
無信仰者にはこのような自覚がないが俺にはあるというぐらいだね >>424
「名(naama)は心」、ってのは五蘊でいうと
受想行識(心、精神的現象)
つまり精神的現象
であって、色蘊ではない >>420
語句の詮索は良いんだが
まずは「名」と「色」が別のものであるという智をあなた自身が確かめないとどうにもならないよ >>422
世界の真実が分かるなら君はブッダやキリストを越えた人になると思うよ >>427
語句の詮索は大事で
まずは「名」と「色」がどういう定義かはっきり理解しないと意味ないよ >>426
五蘊の色想行識のうちの「受想行識」ってことね
文章が分かりにくい表現だったみたいでゴメン >>429
あなたははっきりさせてるんだろう?
そしてそれを自分の心身で確かめたのかな? >>428
ブッダは生きたまま悟って
一切智者(sabbaJJU, sabbavidU)になったんだけど 「心」と離れた「身」
「受想行識」と離れた「色」とは何か
いくら詮索しても思い巡らしてもそれは全部頭の中 >>432
毒矢の例えからも分かるように
仏陀の悟りはそのようなものではないんだろうね 新井英樹の「ひとのこ」が面白かった
キリストの生まれ変わりっぽい男と、ボスチャイルド家の大富豪の話
社会風刺を交えつつ、「救いの哲学」みたいな現代に合わせたニヒリズムが展開される感じ >>435
とりあえず仏教学科出たわけでもない哲学マニアに言う事はあんまりないわ
君の実存的仏教解釈とかどうでもいいしね >>436
とりあえず話を戻すと
>当時の西洋には伝法の師とかいないから仕方ない
というのは間違いね
ちゃんとチベット人から仏教学んでる学者はいた いる・いないは単なる事実の問題
そんなものはいない、それが事実 >>438
傲慢は信仰の最大の敵だよ
だから君にレスしたんだ >>403
ぜんぜん違うじゃん
弱者とか言ってるんだから
価値観の判断はしてる
あくまで倫理や善悪を無視しろといってる >>442
そこが正にニーチェの中途半端なとこだったんじゃないかな
本当にあらゆる価値から自由であったのなら
別に自分が認められるべき強者ではない弱者でもよかったわけだからね 「我思う、故に我在り」
圧倒的過ぎて2位以下を大きく引き離してる
この先、相対性理論レベルのとんでもない発見がない限り
1位が入れ替わることはない ニーチェの当時はヨーロッパ全体をニヒリズムが跋扈していた
このニヒリズムによってドイツ知識層インテリがあろうことかナチスに傾倒したんだよ
普通なら考えられないことがニヒリズムによって惹起された
これがナチスが台頭した理由だ ニヒリズムだ
実際ヒトラーが信奉したのはニーチェとワグナーだ >>445
我勃起す、故に神あり
授業中意志に反して勃起が収まらなかった俺は
俺のチンポを勃起させる第三者の存在を感じたのであった >>21
>>184
ニワカか違うぞ
コンビニ土下座事件の雄太の言葉だぞ >>446
そういう解釈はドイツ敗戦後にドイツのインテリたち(ヘルムート・プレスナーからマイネッケまで)が
自国の異常事態を何とか合理的に説明するために出した方便であって、実際のところ思想的状況としては
フランスやオーストリアの方がよっぽどニヒリズムの色が濃く、同時に反ユダヤ主義の色彩が強かった
ドイツは1890年まで社会主義者鎮圧法の効力で広範囲の思想団体が禁止対象だったから
そうした規制のなかったフランスやオーストリアよりもよかれ悪しかれ「後進国」だった
その状況は第二次世界大戦時でも変わらない。戦勝国側が都合の悪い情報を出したがらないのが大きい
最近の研究を読んだ方がいいよ >>450
>実際ヒトラーが信奉したのはニーチェとワグナーだ
>フランスやオーストリアよりもよかれ悪しかれ「後進国」だった
ヒトラーってオーストリア人だよね? >>446
ほんそれ
ニーチェは悪の元凶
善悪を無視する思想とか
人類史上最低の考えであり悪魔つきと言ってもいい >>452
そういう意味では宗教ってメッチャ良く出来てんだなと
ぶっちゃけ宗教も人を善悪の彼岸に渡すものだけど
ぱっと見全く逆に善悪を押し付けるようなものしか思えないしな “わかんねーことはわかんねーつーの。進次郎じゃねえけど”
ウィトゲンシュタイン 育休は休むという言葉が入っているが休みなんかじゃない >>78
後期を知らないからそれ挙げて得意がる奴が引きも切らない >>459
『哲学探究』を岩波文庫に入れるべきだな
『論理哲学論考』はピエロ・ズラッファに批判されて取り下げざるを得なかったという解説も付けて 人間としてかなり面白いヤツだった。優秀だった。天才、いや偉人と言ってもいい。最後は神にやられた。この転倒、これこそが神が用意したものだ。 >>76
国益に対して一致団結する国民から個々が能力を磨いて競争する市民へと変化せよと叱咤したわけだな 神と呼ばれる不思議なチカラはあると思う
現代人如きが全て解明してると思うほうが滑稽で傲慢だわ >>208
>優れた哲学は自らの意識を高めて人生をより良く生きられるのではないの?
それがまさにニーチェの批判した奴隷道徳そのもの
ニーチェは欲望を全面肯定している
自然に湧き上がるものを否定したら生命は弱くなるばかりだと >>78
すぐに結論を出すなってことだからな
神や幽霊やワクチンの安全性などについて語りうるべきでない理由がそれ >>470
違うだろ
哲学の限界を言語の限界に転嫁している >>473
神とか語れないのは俺たちの言葉に限界があるせい!
話すな! 小説の中の登場人物の台詞であってニーチェ自身の考えであるとは判断できない
普遍宗教とくにユダヤ教以後の神の概念に慣れているとインパクトのあるセリフではあるが名言ではない
なぜならバビロン捕囚以前に遡ったり普遍宗教の圏外に暮らす人間にとっては神の死は珍しくないだろう
実際敗戦よる天皇の人間宣言を折口信夫や三島由紀夫は神の死と捉えている >>470
現実の世界での出来事ってのは命題とかの論理の世界で表現できるけども、論理の世界での最も原始的な論証であるP∧(P→Q)⊢Qの「PならばQである」というルールは「そうであること」ならば語れるけども「そうあるべき」とか「これから起こることの全て」がそうであるとは語れない、語れないならば沈黙すべきでない?とかでないやろか >>213
違う
線的で閉じたキリスト教的世界観からの脱却
幸福な箱庭世界からの逃亡
それこそが「螺旋世界」
約束された終末はなく
永劫回帰がそこにある
結局のところ
神を得ねば失うこともできない >>27
一応念の為だけど
死後にニーチェの妹がナチス政権に迎合して彼の書籍を改竄した
殆ど偽書というレベルにまで 悦ばしき知識(The Gay Science)
深いわぁ・・・ >>47
もっと木綿ぽいのが呉智英
封建主義者だけど(笑) >>125
実存主義は構造主義にぶっ殺されたオワコン 下部構造が本質的に変わりほぼ全ての哲学は
過去のものになる
認知科学によって 人の知る限り最も全知全能に近いのが
物理法則
これを神と呼称すれば良い
そして自然科学は神の力を借りた魔法 ジョンライドン「ロックは死んだ!」
↓後年
「ロックは楽しくなきゃね♪」 >>78
言葉が真空中に存在しないといけないから
言葉が真空中に存在しない以上、
何も語れる事がなくなるからアカンやろ
になったって聞いたんだけどマジなん?
真空中にってのは文脈とか文化の中の相対性の中で埋め込まれたわけではなく、
端的に絶対的に一義的な意味を持つ、位の意味で ニーさん「神?とか負け犬の戯言だったはwww ダハハハ」
鬼だろw >>141
レオシュトラウスの意味でのネオコンによるイラク侵攻ってハイデガーの影響下で良いの? 永劫回帰がわかってない奴らはツァラトゥストラ読んでないだろうw
全てを肯定する超人に至るための思考実験だよ 自然科学の素養がない哲学者がまず有り得ないと
思うわ 「神は死んだ」という言葉の意味は
どうしようもなく我々は自由だ、という事
新しい神を物理法則やナチズム、
マルキシズムに求めようと
その選択に何の保証もないばかりか
後世、悪の手先だと断罪されるという事
この世界に善悪もないが
救いもない
ただ、求道者が若く己と戦うしかない ニーチェって精神障害者だよ
この板にもたまにいるよな信者 ニーチェって日本くらいでしか人気ないんだろ
神はいないとか欧米なら中学生くらいで卒業する考え方なんだろうな つかね
強いニヒリズムなんてニヒリズムじゃないからさ
ニーチェの言う弱いニヒリズムこそニヒリズムそのもので
まさに「語り得ぬものについて語ろうとしてしまった」が故に発狂したのよ
ニヒリズムに関しては渡辺二郎の『ニヒリズム』が白眉と思うので
こっち読んだ方が良いね
(´・∀・`) しかし>>1の記事の切り口は良いね
ニヒリズムは真理だけどそれに耐えられない人間に復帰の手がかりを与えるものだ
(´・∀・`) >>468
まあ全知全能の神=ゴッドではなく神霊のようなものね
これは確実に居るね(´・∀・`) >>491
「多少は才能も必要だしね」
(´・∀・`) ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか
ニ、ニ、ニーチェかサルトルか 消極的ニヒリズムとか言ってもあれだ
実は意味があることに価値を置いているから
無意味さに耐えられなくなるんだよな
別に意味なんかなくていいのに意味がないといけないと思い込むから苦しいというかね
だから消極的ニヒリズムは真理ではないのよな
全てが相対化されたわけではなく「意味がある事」自体が相対化されておらず
その事に気づいていない状態に過ぎないんだよね
つまり消極的ニヒリズムは積極的ニヒリズムに至る前の中途半端な前段階に過ぎないのよな “お前がガンつけりゃ向こうだってガン飛ばしてくるわな。そんなんでビビんなや男組の成員やったら”
フリードリッヒ・ニーチェ 西洋哲学の存在するのかしないのかという思考
それを乗り越えるのが仏教哲学 神を信じて寄付すればあなたは幸せになれますよとかいうのは詐欺なんだよね スキあらば宗教にさそいこもうとする統一やら谷口雅春原理やら
その他新興宗教の子分どもがどのスレにもわきはじめるなあ 宗教にしろ哲学にしろもう今の時代ネットがあるのだから
自分で本やネットでテキトーに学ぶのが一番いいだろ
いまさら組織に所属して金払ったりなんだりはそのこと自体コスパが悪いわ
語りえぬものは語ってはならないにしたって
ググれば一発で意味が分かるわけだしな まあ善人が理不尽な酷い死に方することがある時点で神は居ないわな
居ても民衆が望んでるような神では無い >>67
ネトウヨカメラマンの言うことはさすがに浅い 物質が足りないからって弱肉強食とかいう壮絶なデスマッチを設けてそこに生物を放り込むような神なんて死んで当然だろ
てか死ね “よーしよし、ぜんぶ吐きいや、楽になるで。すっきりしたやろ新人。じゃ三次会行こか(笑)”
ジャン・ポール・サルトル >>502
アメリカでさえ宗教勢力が後退しているのにか?
極右と手を組むのも悪あがきでしかない >>479
フーコーが現代に生きてたらVPNとTorと暗号通貨つかって
東南アジアとかアフリカで好き放題ショタとセックスしまくってるんだろうな
「私は誰でもありません」
je suis anonyme
フーコー 哲学ほど無意味で時間の無駄はないと思う
同じ無駄でも瞑想してできるだけよそ事考えないようにしようってほうが、無駄なくせに意味と価値があるやろ この世に絶対的な価値などないとしたら、全てが無駄とも言える
でも、その人にとって価値があるならば、その人にとっては無駄じゃないんだよ >>523
考え方を整理するってのは仕事でも大切なことだと思うんけども、哲学って考え整理するのに役に立ってると思うんよ
ただし「イデアがー」「実存がー」「差延がー」とか言ってる宗教だかなんだかよくわからん哲学は役に立たないよね >>475
> 普遍宗教とくにユダヤ教以後の神の概念に慣れているとインパクトのあるセリフではあるが名言ではない
古代ローマ時代にキリスト教がひろく定着したのは、当時の土着宗教と各地で融合したからだ。
とすれば、ユダヤ教の「神の概念」つまり「神は概念化できない」という神概念と、
キリスト教では同じ一神教でもそうとう距離がある
たとえば、ユダヤ教徒に向かって「神は死んだ」と言っても、それこそインパクトはないだろう
「神は生きている」という観念がユダヤ人にはないだろうから >>67
> 主に戦場を撮る写真家の宮嶋茂樹が本に書いてた
書くやつも書くやつだが、読むやつがいるとはw >>516
> まあ善人が理不尽な酷い死に方することがある時点で神は居ないわな
発言要旨「神も仏もあるものかー」
こんなのが大人なんだろうから、そりゃオヤジ狩りも起きるわなw 二重類の平等。──平等欲は、次のような仕方で現れることがある。つまり、ほかの人を全部自分のところにまで引きずり下ろしたがるか(けちをつけたり、闇に葬ったり、妨害したりして)、あるいはほかの人全部と一緒に自分を引き上げたがるか(称賛したり、援助したり、他人の成功を喜んだりして)、そのいずれかである。
『人間的な、あまりに人間的な』 >>502
> ニーチェって日本くらいでしか人気ないんだろ
たしかに、君らど底辺でも知ってるくらいだから、相当な人気なんでしょう >>485
> 実存主義は構造主義にぶっ殺されたオワコン
そうではなく、まず時代背景があり、実存主義の「自分の在り方は自分の意思で決まる」
に対して「自分の在り方は構造で決まる」がより説得力をもち、より有用であった時代
であったということ
ということは、この「逆」が有用な時代もあるだろうと推論される >>489
> 物理法則
> これを神と呼称すれば良い
> そして自然科学は神の力を借りた魔法
自然科学は「神の力」への探究でしょ、「力を借りた魔法」は産業に転用される科学技術
ぐだぐだじゃないの、君 >>219
仮に西洋人がキリスト教をやめたとしてもキリスト教的な考え方は変わらないだろうな
構造主義的な考え方だけど >>491
> ジョンライドン「ロックは死んだ!」
これこそ、「ロックは死んでたw孤独死w」であるべき >>250
そうだよ
だから超人にしか無理なんやろ
ブッダみたいなのじゃないとな >>499
> この世界に善悪もないが
> 救いもない
それがニヒリズムの段階でしょう
で、それを超克するためのツァラトゥストラの永遠回帰や、後の権力への意志が示唆される >>78
これいいよな
語る努力はするけど結局のところ語り得ないもの(神の領域)が一番たいせつ >>492
> 真空中にってのは文脈とか文化の中の相対性の中で埋め込まれたわけではなく、
> 端的に絶対的に一義的な意味を持つ、位の意味で
ウィトゲンシュタインとなんの関係もないですね、それ >>538
神の領域が語りえないとする、あなたのその判断の根拠はなんですか? >>335
ユダヤ人はとんでもないマゾやわ
苦難に陥れば陥るほど信仰が高まるんだから 神無き時代の後は実存主義しかない
構造主義も面白いが、結局は到達点は実存主義だろう
仏陀も実存主義者だね。キルケゴール、ニーチェ、ドストエフスキー、カフカもそうだろう
まあ、勿論ヤスパース、ハイデガー、サルトル、カミュもそうだろう
そして、哲学はそこからアップデートされてない。正直なところを言えば、な
キリストも場合によっては実存主義者かもしれない
神はいる、神はいない、結局ポイントはここなんだよ
神はいるを選んだほうが救いはあるかもしれないな
日本で言うとあのネトウヨとかが冗談抜きでそうだね
じゃあマルクス主義者とかサヨクとかが実存主義者かというと、彼らは厳密な意味では違うだろう
実存主義というのは、要は神がいない世界をどう解釈するか、である
神がいなくても我々は果たして存在することが出来るのか
生きることが可能なのか、ということだ
「いやいや、いなくても普通に家族愛とか人類愛とか祖国愛とかで生きていけるやん」
勿論、そうだろう。しかしだ、厳密には結局我々は何かに依存しなければならないのだ
その先にあるものを常に想定している。それが神だ
愛というものも結局は神を言い換えているに過ぎない
おぼろげながら我々が連帯しているこの愛とか絆とか、正義とか徳とかいうものも
その先に想定しているのは絶対的なるもの(=絶対者)、神なのである
実存主義者も当然それは想定している。しかし、そこには神の不在がある
しかし、その不在の中で生きることが本質的には出来ないだろうというのがドストエフスキー的な境地だろう >>364
哲学者は世の中に思想を生産してるからね
ニートもなにか思想を生産したらいいよ >>512
> それを乗り越えるのが仏教哲学
陳腐な東洋ホルホルだ
キリスト教が後にパウロによって創設されたように、「仏教哲学」もブッダの死後、
ブッダと縁もゆかりもない中国人が暇つぶしに体系化した >>541
> 苦難に陥れば陥るほど信仰が高まる
それが宗教が信徒を拡大してく、もっとも典型的な歴史的なパターンじゃないか
(なお、かつてユダヤ教も布教してた時期があった)
マルクスが「宗教はアヘンだ」と言ったが、それは「宗教は民衆の痛みを癒す」という
意味であり、宗教ではその「痛み」自体は消せない、だから痛み自体を消すために
世界の解釈ではなく世界を変革しなければならない、という含意があった >>531
科学的に自由意志の実在が疑問視されてるから厳しいなぁ ブッダの思想はバラモン教批判から始まったしキリストはユダヤ教批判
ニーチェはキリスト教批判だし、マルクスは資本主義批判、哲学というものの根本的態度は現状を徹底的に批判することだな
そこから新しい思想が生まれる >>531
まあ構造でだいたいは決まるだろうね
親でたいてい決まるし言語だって幼少期に聞いてる言語でネイティブ言語が決まるし
かと言って決定論になりすぎるのも危険だと思うが
特に日本人は主体性というものがなさすぎる
何もかもを他人に決めてもらってる 現在の社会に落とし込むのではなく、単にアホリズムとして消化されるだけだな >>547
すると、君が自発的に5chに匿名でカキコしてることは、自由意志じゃないんだ?
まあポンコツロボットってとこか? >>531
この世の全ての存在が全て異なる振る舞いをしてなんも共通点を見つけられないか、全ての存在が全く同じ振る舞いをして差異が見つけられないかの時代があるならば、実存優勢な時代ってのがあったかもしれんね
現実としては全ての存在には類があり種差があるんよ
言葉喋れる存在という時点で類である、類の中にも異なる言葉を喋るという差異がある
類と種差は定義を表すもんであり、「本質」というものを言葉で表したもんが定義である
類と種差のない存在はこの世にない、故に本質は実存に先立つんよね >>549
> 親でたいてい決まるし言語だって幼少期に聞いてる言語でネイティブ言語が決まるし
それはそうだが、たとえば人間は「親でたいてい決まる」と考える(反省する)ことができ、
考えたり話したりするときに「ネイティブ言語」の性質に依存してしまう、と反省すること
ができる
この反省する能力、フィードバックする能力によって、所与の条件群(親で決まる等)から
自然に導かれるかもしれない結果に対し、変化をもたらせる
また構造による決定とは、動物に置き換えれば「本能によって決定される」みたいなもんだが、
人間は本能が退化してるぶん、否応なく自由意志による判断によってもたらせる不確実性
あるいはリスクを引き受けざるをえない存在だが、それを回避するのが社会秩序や
経済秩序あるいは道徳や法といった「構造」ともいえ、にもかかわらず秩序や法は
逸脱することを予定してもいる >>503
> まさに「語り得ぬものについて語ろうとしてしまった」が故に発狂したのよ
こういう「書かれたもの」を、書いた者の人物像に還元してしまう幼稚さはどこから
来るのかね?
中学生くらいならわかるけど >>546
宗教的な観点から言えば下二行はちょっと違うかな
痛み自体を消し去るようなことはしないというか
むしろその痛みに神の導きを見出すわけだ
痛みの受容だね
言葉を変えていえば、痛みすらも受容するからこそ幸せだと言えるのよな
いわゆるありのままの絶対肯定って奴だ
逆に言えば自分にとって都合の悪い変革すべき対象が未だ残っているうちは
そこは涅槃とか天国ではないってこと 語りえぬものに沈黙「せず」書いてしまったとして、そこで書かれたものは端的に
誤謬であって、誤謬で狂気にいたるわけねえだろ。
てへwくらいのもんだ >>555
> 痛みの受容だね
ことばのあそびはやめましょうよ
脳みそがスポンジになっちゃいますよ 俺は信仰の人だから
このスレで書いてるニーチェへの文句も全部
信仰者の観点からのツッコミなんよな
昨日言いたいことをまとめろって言われたからまとめると
一言で言えば(信仰者から見た場合)ニーチェは言ってることとやってることが違うということ
永劫回帰とかルサンチマンによるキリスト教道徳の起源論とかはん?って感じだが
それでもまだ蛇足でいらんこと書いたなぐらいにしか思わんけど
信仰者から見た場合言ってることとやってることが違うというのはクリティカルでダメなポイントだな >>555
> 痛み自体を消し去るようなことはしない
「しない」ではなく、宗教にはそれは「できない」の >>557
キリスト教の救いというのは理論を理解する事じゃないよ
「実際に心が平穏になること」なんだ >>558
> 信仰者の観点からのツッコミなんよな
だからさ、なんで「信仰者」を君が代表しちゃうの?
その厚かましさはどこから来るの?
親の遺伝ですか?
君が語りうるのは「ひとりの信仰者」であって、信仰者一般ではないことに
まず気づけって
そういう足りなさがひとをイライラさせる >>559
昨日書いた文脈で言えば痛みと和解するという事だね
神が与えた痛みと和解するという事 >>561
揚げ足取られても困るよ
俺は信仰者だからその観点からのツッコミだよ
哲学者がやるようなツッコミではないってこと
ただそれだけのこと >>560
> 「実際に心が平穏になること」なんだ
だから、君が「実際に心が平穏になっ」たとして、他人にはまるで関係しないじゃん
他人には関係がないこと これだから「宗教」は嫌いなんだよ
ほんとここ数年で宗教が心底からイヤになった 無脳、痛いやつ、中二
キリストはすでに死んでいるし、民間から神が離れるのは啓蒙思想で経験済み >>564
というか宗教はそういうものだからね
昨日最初の方でレスした内容に関係するけど
個人的には悦びなき哲学に意味があるのか果たして疑問だわ >>563
「揚げ足とり」じゃあない
信仰者一般と、ひとりの信仰者、この違いはわかりますか?
あなたの主張は信仰者としても幼稚だし、ロジックも弱い
たしか昨日だか「キリスト教批判するからには、実際の人物像を批判されてもしかたない」
とか言ってる幼稚なやつがいたが、もしかして君?w >>566
> 民間から神が離れるのは啓蒙思想で経験済
啓蒙思想によって「民間から神が離れ」たのではなく、当時の西ヨーロッパ社会で
市場経済の劇的な伸張によって従来の社会秩序が解体され、再構築される過程で、後追いで
「啓蒙思想」というものが出現したんであって
日本の教育のこわれっぷり、やばい 俺が神だよまだ神としての能力が目覚めてないだけ
もうちょっとだけ待っててくれよな >>568
風が吹けば草は風に流されるがまま揺れるがまま
俺にイラつくと書いてた君はそれと一緒なわけさ
心の中に吹き荒れる風にただ流されるがままであって
その意味で言えば俺から見れば君は植物と何ら変わらない
心の中に吹き荒れる風に流されるまま議論()に関係ない下らないやり取りを吹っ掛けて来てるしね
こういうのをニーチェがなんと表現したか君なら分かるんじゃないかな 物の世界は外部への展開であって
内への展開である精神的発展は記述できない
ニーチェで言えば奴隷道徳であるはずなのになぜいつまでも終わらないどころか
それが世界を支配したのか
こいつには無理な議論
唯物論にも無理 “メロリン、キューーッ!”
シャルル・ド・モンテスキュー 俺の態度に自動的に怒るというのは言葉を変えれば俺にコントロールされたという事
このような自らの意志を放棄して環境に流されるがままに生きる態度のことをニーチェは何と言ったのか
きみたちなら多分分かるよね 過剰に否定してる奴ほどちょっと信じてるイメージだわ
俺は疑り深いから言葉をそのまま鵜呑みにしない
「いるかもしれないね」くらいの温度のやつのほうがむしろ実は神の否定に近い >>373
繰り返しになるが俺は一信仰者としての立場からレスしている
つまりキリスト教には三位一体という内的世界と外的世界を結びつける構造があるゆえに
俺のレスはその構造を踏まえた内容になるという事だ
ただそれだけの話 なんか俺ってメッチャタチ悪いねw
ごめんね自粛するよ
面白いスレだから残念だけどROMに回るわ ここ数年でいくつか哲学書読んだ結果こういうスレで何も書けなくなった 真の肯定を知らないのがニーチェ
然り然りの連続はただの単調な無限
それを肯定することは精神の捨象
それで実際発狂してるんだから世話ねーわ まあ誰がどう否定しようとも人類は神を造り出すからね
時代、人種、思想を超えて人は神を造り出す
何度も何度も神を殺そうとも神は何度でも甦る、人類が居る限り神は不滅の存在
名を変え、形を変え、持つ意味が変わっても常に人の上に立ち支配し続ける絶対者 >>314
えーと何とかは語りとかは聖書を真似した文学みたいに語る
末人である嫌儲民にツァラトゥストラは私の愛する者はと
ネトウヨが喜びそうなこと言うから爆笑
あと唐突に女差別も爆笑 >>233
私の愛する者は己の徳で多くの徳を持つものは嫌いだからなw
ラクダから獅子で幼子も創造のためとかほざいているけど
クソガキのように何でもありでヘイトしそうだなw スマンROMると書いたけど書き込ませてくれ
ニーチェが実践できたかは別として
信仰者から見て駱駝→獅子→幼子の精神的発達段階は正しい
まさにその通りでちょっと感動した 神がいないとしたら何で世界はこういう謎の法則にのっとってるの?物が力によって動いたり結合して変化したりさ、DNAの形状が異様に綺麗だったり、他にも色々と規則的すぎてもっと不規則、混沌としててもいいはずなんじゃない? >>586
幼子は無垢で遊戯でおもちゃを壊すように
「汝なすべき」という自由を阻害するものを忘却させるんだな
婉曲に宗教の規範でも批判しているんだろう
ぼけ老人と一緒にしてはいけないw 人間はこの世界で生まれてるからこの世界が規則的で何かすごい力で創造されたんじゃないか?って思ってしまう
人間にとってこの世界が都合よく感じるのは当たり前の事だ
しかし他の世界から見たら我々の世界の法則はちぐはぐでDNAなど個々の形不揃いで混沌とした世界に見えるかもしれない
特別である、特別じゃなければおかしい、特別に違いない、と言うような偏った視点では物事の本質を考えることは出来ない >>588
上で自分という人間の中に自分と神がいるみたいなことを書いたが
その自分の中に居る自分が幼子となって
自分の中に居る神(=外的神=キリスト)に従う感じだな
いったら父に従順な幼子のイメージよな
つまり「汝なすべき」という父の言いつけに幼子の様に「素直に従えるようになる」のが
神との和解なんよな
上で神と和解するためには神が敵どころか自分を導くものであると気づかねばならないと書いたのもこういうことで
無理やり素直に従うわけではなく神が自分を正しい場所に導く父の様な存在であると確信するからこそ
神の「汝なすべき」に幼子の様に素直に従い得るわけだ だから忘却というのは自分に過酷な運命を与えた神への恨みつらみを忘却するという事
神が敵どころか自分を導くものであると気づくというのはそういうこと 自分の造り出した神を重荷に感じたり、恨んだり、と思ったら和解してみたり
人間と言うのはつくづく不思議な生き物だよね
別の世界の者が見たら漫才でもしてるのかと思うかもしれない >>590
汝なすべきは「かつて」神聖なものとして愛したもので獅子が体現したもの
それの否定で自分の意志、自分の世界を獲得なんだが
それともあれか君のレスを全部見ないと話にならないなら
俺が悪かった
もう寝る 幼子の精神は>>425だ
相対化の最後に残るもの
最後に相対化すべきもの
つまり俺にとっては神及び神への信仰だったのよな >>594
いやごめん
>>590と>>591は忘れてくれ
君のおかげで今知った言葉だから
直観的には正しいって分かるけどその理由を上手くまとめられんで混乱してる >>594
獅子は我を欲すだった
竜が汝なすべきだな 神の存在を受け入れて救われたっていうのはわかるんだが、延々と自分語りになってることは気付いて欲しい >>597
信仰者ならニーチェはクズだなw
哲学なんて適当に解釈して楽しめばいいでしょ
おやすみ まとまった
やっぱり>>590と>>591は獅子のニーチェの言う段階だ
何故なら>>590と>>591は信仰の獲得の話であって
つまり未だ神や信仰といった価値感を相対化できず縛られている状態なんだ
その神や信仰という「汝なすべし」(竜)を打ち倒す試みが>>425であり
その結果あらゆる価値を相対化していった結果最後に残った相対化の対象たる
俺の信仰と神は相対化され価値を失い
しかしいわば信仰や神を妄想と分かった上で「あえて積極的に」信じてるその態度
それが赤子に象徴される無から有への創造なのだ >>599
すまん
こんな話リアルじゃできないから話したくて話したくて超絶飢えてるんだ
迷惑なのは分かるから自重するよ >>600
ありがとうめっちゃ楽しかった
さんきゅー >>603
なんだ無神論の俺が相手したのに
それは道徳であって神という媒介はもちろん天国や地獄や救いなんて必要ないんじゃない? 神を信じるものは死を恐れ己に執着し
救いという私語も復活を目論む欲深き善意の持ち主である
あえて信じるものは人間を愚かだと思い信じていない
道徳は対等な立場でよく死ぬためにある
だから平気で害虫は処分する
この人間の利己に沿った都合のいい無責任な存在が神だ >>605
どうぞ、風俗や慣習として広めなければな
子供を協会に通わせて刷り込むな
カルトや悪魔崇拝も批判するな
根が同じなのだから
今日も宗教のせいにして利益のために争っているだろう
カルトが事件を起こすのと何が違うんだ >>607
個人の信仰と宗教の悪用をごっちゃにして批判すんなよ
お前が差別しているということに気付いてないならもうこの話は終わり
触った俺がバカだった 創造の元はあるだろうけどそれは人の思う神とは違うって事だよ >>335
だから信仰するんだよ
信仰しないとキレて暴れるから
「触らぬ神に祟りなし」なんてジャップ特有の迷信だぞ >>533
なんかすまん
スレタイからちょろっと飛ばし読みしてドバーッと書き込んだが
まだスレ読み込んでないからスレ内容の厳密性についての理解が適当だった
あとで読むゾ でもなぜか
第三次世界大戦にはねならなかったのであった!ふしぎ! >>602
全く迷惑じゃないから気にすんな
(´・∀・`) >>587
Jモノ―の『偶然と必然』は面白かったね
(´・∀・`) >>620
ひろゆき顕る
神とはローブを纏って杖をついた
ヒゲのお爺さんではない
まず、そこから理解しないと話にならない つかモバイル軒並み規制喰らってるから会社のPCからしか書き込めんで
あんま小学生でも書かないようなテキトーなこと書くなよ
強制ロム専状態だから見てて呆れるしかないこのもどかしさを分かれ
(´・∀・`) そして神は「まだ、生きている」
科学、政治、教育、軍事
全ての面に影響を振るい
むしろ、その版図は世界に及んだ >>604
頭っから信じるのとあえて信じることの違い
それはそこに意志があるかどうか
頭っから信じる者にとっては確かに外部から押し付けられた子供の道徳だ
だが>>375で書いたように神の愛を知った上で
あえて愛たる神の様に振舞おうと欲するのは自由な意志に基づいとるのよな いたとしても、それは個人を助けてくれるような存在では無い >>606
死を恐れるからこそ死を克服せんと欲するわけだ
神と和解するという事は神に押し付けられたどうにもならない運命と和解するという事であり
仏教でいう生老病死と和解するという事である
これは死ぬことなんか全然怖くなんかないぜ!みたいになることではない
上で信仰とは一人の人間の中に自分と神が同居する事と書いたように
信仰しても自分、つまり神たる自然に反する性質を持つ自我は残るわけだ
この自我の反自然的性質のことをキリスト教では原罪というが
つまり俺は信仰を得てもなお死への恐怖が消え去ったわけではなく
しかし一方で神という自然そのもの運命そのもの(生老病死)を深く受容し従おうとしているわけだ
一人の人間の中に神と人間が同居するとはこのようなことである
そしてこのような在り方が肯定され得るのは
キリストの十字架の贖いによって罪(原罪)が許されたというキリスト教的論理による
つまり俺は自然そのものと同化しているわけではなく未だ(反自然的な)自我を残すが
その人間の持つ本質的罪たる原罪を、自分の中に存在するもう一方の存在
つまり神が許しているということである
キリストを信じるとはこのようなことである
この様な構造を自分の中で成り立たせるために
敢えてキリストの物語を自らの意志で積極的に信ずるのである >>26
永劫回帰は方便であって、肝なのは死後の安寧の否定
キリスト教は現生での善行によって死後幸福が得られるっていうメゾットを使って、現生での不平不満を抑制する社会安定のためのシステムだった
しかし近代化や科学の発展でそういうロジックが破綻して、死後に何が起きるのかを何も説明できないことに気づいた人間はパニックに陥る
それを受容するための一時的な思考実験が永劫回帰で、その上で現生での全てを肯定するという超人への道程としての考え方と解釈していいかと
仏教の四諦とも近い考えで、あっちは元々輪廻転生って近い考えがあったけど、それを俯瞰してどのルートも大して変わらねーよって事で死後の幸福を否定するってロジック >>627
そこに信仰がある必要はあるか
虫はただ死んでいく >>611
神も悪魔も紙一重だしアメリカとロシアも似たようなものだね
神を愛さないと人間を愛せないのか
愛をもってしないと対等な種どうしでも共には生きられないのか >>608
差別では無い
自分は選ばれた人間だと思ったダサいネトウヨ親が
子供を不気味な儀式に連れて行ってダサい子供にする事こそ宗教の実態だろ >>629
それを深く納得するために
宗教というツールを媒介にするという感じだな
俺にはキリスト教が合ってたというだけで
別に仏教でもいいしニヒリズムの完成を目指すのでもいいんじゃねーかな
結局同じなんだから >>620
そもそも「何が検証出来れば髪がいないと言えるのか?」その逆「何が検証出来れば神がいると言えるのか」の手段が確立してないのだから感想と言えば感想なんかもしれんね
というかそもそも神とはなにか?神だったらどうであるのか?が決まってないのだから検証も出来ないやろけども 神の肯定からその教えへの受容も、神の否定からの反抗も
両方とも神という観念を前提としてやってる
近現代の西洋哲学はキリスト教の批判や否定を語ってるからキリスト教とは関係のないもののように日本人には見えるが
その前提にはガッツリキリスト教がある
日本人に西洋哲学は究極のところ理解できないとか言われる所以だな マルクス主義の唯物史観の「上部構造・下部構造」ってのも
そこで従属的なものとされる「上部構造」ってのは精神上のもの、つまり精神を実在とし、物質や肉体を仮とするキリスト教やイデア論関係のことで
それに対して「下部構造」の優越を語るのは
反キリスト教、反精神実在の世界観だってこと 唯物論と観念論ってやつかな
関係ないけど、唯物論と実存主義って似てる気がするんだがやっぱりなんか関連性あるの?
対して、構造主義とか社会契約論とか信用貨幣とか、社会システム全般って観念論的なもののような気もする
神様ってわけじゃないけど、多くの人がシステムを信じることで成り立っているというか ユヴァルノアハラリも人間は嘘を共有する能力で発展したっていってるしな
色即是空空即是色の達成とかニヒリズムの完成においては
当然そういったものまで空である、つまり妄想であると喝破することも含むのだろうね >>639
我々が「世界」を認識するとき
形而上の概念としてしか把握出来ない
認識と言うフィルターを通す以上
それは目に前の事象ですらそうだ
「薔薇の名は薔薇」
ここまでは良いか?
それは「神が与えたもうた名」なのか?
神の生死はそれにかかっている 色即是空と言っているが
それを妄想とは言っていない
むしろ、「空はある」
「空即是色」
上段下段を合わせての理解である >>643
空はあるというのも妄想だぞ
空即是色を実践するためには色即是空を徹底しなければならない
あらゆる対象に対して全てが妄想であるという認識を徹底するからこそ(色即是空)
こういったら何だがどーせみんな妄想なんだから俺はこっちの妄想を選ぶわという
ある種の純粋な意志による価値の創造(空即是色)が可能となるわけだ >>644
自分が妄想を選んだ自覚があるなら
何も言う事はないな >>642
この「認識」(世界に対して我がするという)というのがそもそも「解釈」
「認識」も概念なんだよね
つまり物質とか精神とか実在とか不実在とか
そういうものを問題にした時点で、もう頭の中の「解釈」の世界に落ちてるってこと
(当然、概念をあらしめてる神とかも) >>645
それに対して君はその自覚がないわけだ
何かを真実だと思うという事はその他のものがゴミってことになるわけで
これでは精神の静寂、つまり涅槃には至れない
例えば俺が神は存在する!キリスト教こそ真実!と思っていたとするならば
キリスト教徒じゃない奴とかただの分かっていないゴミになるわけよな
だからキリスト教に文句を言われたりするとムカつくわけだな
で、キリスト教じゃない奴は幾らでもいるから
キリスト教こそ真実!とか思い込んでる限りはムカつきから解放されないわけだ
だから大事なのは、自分にとっての根本というか信念の核みたいな
もっとも相対化することが難しいものを相対化する事なんだよな 汎神論のほうが発狂死したルサンチマン哲学者より上じゃねw >>190
内側から殴ってるようには見えるけど焼かれるのか… つまり、概念(ロゴス、神)の肯定も否定も
両方とも頭の中でやってるってこと
西洋哲学が現代でもキリスト教の延長、つまり一神教の末裔ってのはそういうこと
中華民国の胡蘭成だかが「西洋文明は無明の文明」とか言ってたらしいがなかなか言い得て妙だわ
(無明ってのは頭の中のものを実在と認める根源の作用) >>650
それもまた妄想だ
というか自我を肯定しなければ人間は動物と一緒だしな
日本の禅の坊さんの逸話で
悟った坊さんが親しい人の葬式の場でガン泣きして
あのひと悟ったとか言ってるのに何で泣くわけウケるw
みたいに言われたという逸話があるが
仏教や禅のような東洋思想においても本来は自我を否定しない
頭の中の世界から常に離れた状態でいるべきであるという考え方は
悪いがハッキリ言うけど分かっていない人の勘違いだよ >>651
君見ずや絶学無為の閑道人
妄想を除かず真を求めず
無明の実性即仏性
幻化の空身即法身
こういう、証道歌なんてのがある 妄想(頭の中のもの)を取り除いたり邪魔にしたりせず
精神が実在(真)だ!いや物質が!実存が!
形而上が!イデアが!悟りが!無が!
とか「真」を求めたりせず
妄想の根源が即「仏性」(仏そのもの)である
そう歌われてる >>100
純粋に質問だけどそれじゃあなぜ当時バチカンはナチスとコネクションがあって終戦まぎわに南米に逃亡するのをサポートしたの? >>652
まさに味噌の味噌臭きは上味噌にあらず、悟りの悟り臭きは上悟りにあらずだね
ググったページの転載だが
>事更に妄想を嫌うことなく、また、真だからといって求める必要はありません。
>迷いも当体がそのまま仏になる可能性をもっており、
>この生身の身体がそのまま、悟りの本体であるというわけです。
俺が言いたいのもまさにこれだな >>655
仏性は「仏になる可能性」ではないんです
その説明はよろしくないです 認識論だと、胡蝶の夢とかマトリックスを思い出すんだよな
認識しているこの世の全てが、夢やバーチャルや妄想かもしれないという可能性は否定できないってやつ
でもそんなこと言ってたら物質世界で生きていけないししんどいので、幻かもしれないけど五感で認識したものを愛しようと決意する感じ それでも、一度は「頭の中のもの」(妄想、煩悩)をキレイにする修行が必要になる
これが「修禅」と呼ばれてます
修行という余計ごとをしないと、どうしてもこれが分からない
反対に、修行とか悟りとか、やったこと分かったことが残ってると
それも違うとなる >>653
上で書いたように
敵だと思っていたものが実は自分を導く神(仏)だった!という気づきが
妄想の根源が即「仏性」(仏そのもの)であるという事なのよな
だから真を求めることもまた仏の導きなのであり
真を求めないこともまた仏の導きであり
つまり真実を求めようが求めまいが悟ろうが凡夫であろうが
全てが全肯定されるわけよな >>659
肯定でもなく否定でもなく、
仏でもなく凡夫でもなく 既にこうしてある、普通に生活しスマホで会話してる
そうしてる「私」とは何か >>658
一周してもとに戻る感じだよな
自覚があるかないかの違いは大きい >>663
そう思うのはきみが未だ途上だからだ
涅槃に至った暁には(笑)そういうのはどーでもよくなる >>665
涅槃に至るのがゴールだよ
理屈に拘るのがゴールじゃない 自分はゴールに至った、途上でないと思った瞬間に傲慢になっちゃうもんだと俺は思うよ >>1
むしろ神に逆らったニーチェは悲惨な死に方したから
むしろその無残な死を以て神の存在を証明しただろ 全部否定してあげる
これ最も親切
正師は、
哲学でも宗教でも禅でも知ったこと分かったこと全て奪い取ってくれる
正師に就かずんば学ばざるに如かずと言われる所以だね >>669
というか傲慢の克服が宗教の本質みたいなもんだからな
仕方が無くゴールの話をしたけど
俺の書き込みは偉い人の書き込みには見えなかったと思う
だから色んな奴が噛みついて来たわけで
コイツ何言ってんだろうと思われるぐらいがちょうどいいんだ 誰でもやればできることだけどやりきる人がほとんどいないのは
やろうと望む人がほとんどいないかららしい
(みな途中の知ったこと分かったことを大事にしてしまう)
やりきればすでに途中が結果であったと知る >>674
涅槃というのはつまり「真」であるということ
真を求めず妄想を除かず >>676
真ではないよ
ただの心地の良い心理状態だ 「傲慢」というのも「妄想」であるということ
自分の「傲慢」という悪徳も除かない、そのままにするということ >>676
つまりそれが涅槃に至ったらどーでもよくなるということ
絶対肯定できるという事
この世の全てを肯定するから
この世界に生きるのが苦ではなくなるという事
だから未だ苦悩の内にあるうちは
自分が悟ったなどと思ってはいけない >>678
「心地良い」とか「心理状態」
それを観察してる「私」とは何か?と探究する
まあ、探究する人はするし
心地良いしを求めて満足する人はそうなんでしょう
そういう宗教やスピリチュアルの教えもある
それも縁次第 心地良さや癒しを求めてそれで救われようとする教えもある
それはそれで素晴らしい >>679
傲慢もまた心理状態だ
これが問題なのは神との敵対だからだね
要は神が与えた運命を憎んだり恨む状態だね
で、仏教で一切皆苦という様に
運命は思い通りにならないわけだが
これってじぶんの思い通りにしたいという傲慢と対立するわけだしな
だから傲慢はいかんわけだ まあやりたくなきゃやんないしなぁ
興味が及ぶ範囲を超えたらつまらんだけだし、自分が納得できればその人にとってはええんちゃう >>1
イスラム諸国の発展見るとそうは思えんわ。
はい、論破。 >>681
心地よい心理状態を観察しているのは自我だよ
自我を否定してはいけないというのもこういう事だね
ただし君の言う通りこれは修行してわかることで
むしろ修業とは自我の否定なんよな >>682
一応レスしとくが
母の腕に抱かれた心地よい状態を否定しないと
自立した大人にはなれんからな
宗教的にこのイメージはメッチャ大切で
母の愛は素晴らしいけど時に子供の自立や成長を阻む毒にもなり得るということを知らねばならない
母の愛の否定こそが運命に定められし苦悩を肯定する強さ
すなわち父の愛の肯定に繋がるわけだからな
つかキリスト教の神を父なる神と呼ぶのはこういう事だな
別に癒しが悪いってわけじゃないけど癒しサイコー!で止まるのは良くない だから涅槃、宗教的な心の平穏というのはいわゆる癒しに浸ることではない
困難な運命を肯定する強さを得ることなのである 自分は世界の一部であってどうにもならないし、全ては本来意味も価値もない
↓
そういう自分と世界が現象として存在している(と認識している)ことを認める
↓
そういうどうしようもない自分や世界を、どうしようもないままに愛でる
俺はこんな感じだわ
否定とか肯定って、日本語だと「批判する」「善いものだと認める」みたいな意味もあってややこしいんだよな
肯定を「それはその通りだと認める」「ありのままを受け入れる」みたいな意味合いで使っても伝わりづらい お前らの仏教レスバに興味は無いんだわ。
世界はイスラームだけで人口3分1もいる。
他にもヒンズーだけで14億人いる。
つまり「神」なんか死んでねえよ。一部の落ちぶれた西洋人の勘違いに過ぎない。
西洋文明って衰退中だしな。
なお、中国は道教の国で現役で道士が呪文を唱えるい呪術国家だ。
日本文化圏と西欧・北米文化圏だけでしょ。神が死んでるのは。 「神は死んだ」ってのは比喩だからさぁ・・・
日本での神様死亡率は高そうではある 信仰に目覚めた人にとっては、「やっぱ神は生きてた」「というか復活したわ俺ん中で」だったりするのかな >>689
1行目が徹底されていないだけで
俺が言うのもなんだが方向性としては正しいんじゃね
つまり何かしら自分が気付いていない意味や価値を持つものあるということで
それを探し見つけ出してくのが修行なんじゃないかな
そしたらむりやり自分や世界を愛でなくとも
自然に全てを愛せる日がくるかもしれんね
傲慢でゴメン >>691
無神論で力がすべてってのがニーチェちゃんの発想だけど
現実はそうなって無いぞ。それどころか
宗教でガチガチのイスラム諸国が元気じゃないかってッていう俺の反論が無視されてるわけ。
それと苦言言いたいけどニーチェ思想がナチスというおぞましいもんを産んだんだぞ。 >>694
ニーチェは現実がどうこうじゃなくて本質について語ろうとしてて、自分はこう思うって考えを表明してるだけだと思うけど
だから君の反論は筋違い
善悪とか功罪とか好き嫌いの話はしてない ニーチェは自我が全てみたいな感じだしな
傲慢暴食そのたあらゆる悪徳が肯定されてしまうアウシュビッツさえも
結局のところデカルト以降の自我重視に対しキリスト教がバランスを取っていたところに
ニーチェがさっそうと現れてバランスが崩壊したその結果がナチスといえなくもないね ナチスの本質は民族主義だと思うし、別にニーチェじゃなくても良かった気がするけどなぁ
「民族同士は本来、弱肉強食で奪い合うものだし、それによる憎しみも当然なので全力で憎み排除すべき」
みたいな、自然のまま、野生のままが人間の本質である、って感じでナチスは認識してる
「神が死んだ」という価値観の喪失から、民族主義にすがろうとした結果なのかもしれないけど
あとは超人論のマチズモ感を都合よく摘まんでった感じ https://www.youtube.com/watch?v=4FU-cXTxqx8
殺伐としたスレに神の愛を置いておくよ
マジで信仰者にとって神はこんな風に感じられるんだ
別にお前らも信仰しろってことじゃない
ただ忘れないで欲しいし誤解しないで欲しい
自我の本質は恐怖と憎しみ、恨みだが
自己の本質、人間全体の本質は神であり愛であることを あ、勇み足だ
×自我の本質は恐怖と憎しみ、恨みだが
〇自我の本質は恐怖と憎しみ、恨みかもしれないが 日本人には別に衝撃がない
日本の神様はどんどん増えるし
人が死後に平気でなったりするものだからな 一応誤解のないように補足しておくが
>>699を見てキリスト教の神様ってこんな感じなんだと思ったらいかんよ
この動画は良い動画だけど、全知全能と言われる神の偉大さが表現されていない点に留意してくれ 何故神が全知全能と言われるのかも信仰を得た後でわかる
別に物理的な意味でもオカルト的な意味でもなく
ゴールに着いて初めて自分のそれまで歩んできた道が正しかったと分かるようなもので
神は俺を遭難させようと思って変な場所に送り込みやがってと思ってたのが
ああ神は俺をこの場所に連れてくるために色々やって来たのかと心境が変化するんだが
その時に要は神は全く自分の想像や思惑を越えて正しいことを為すのだなという超越性を感じるのよな
だから神を全知全能という風に感じるわけだ
自分が全く理解できないようなやり方で導かれたわけだからな
上で敵だと思っていたものが実は自分を導く神だった!という気づきについて書いたが
この様な気付きがあるからこそ神に全知全能を感じるわけよな 神が全知全能ってのはこういう意味で
要は自己は自我を超越してるって意味なんよな
だから神は全知全能だから信じれば願いが何でも叶いますよとか
そういうことを言う類はカルトなんよな 動画は見たし理屈もわかる(と思う)が、確信が持てるような強烈な体験でもないと俺は信仰は持てそうにないかな
今は必要としてないってことなのかもしれない
信仰に確信を得ているっていう心理状態は面白そうではあって、体験してみたいっていう好奇心はあるけど
あとやっぱり、あんまり人にお勧めするものではないような気がする
必然がありゃ、人は勝手に自分で信仰を得るものだろうよ
気持ちを抑えられないのかもしれないけどさ >>706
そうまさに体験なんよ
敵だと思っていたものが実は自分を導く神だった!という気づきは体験なんだ
理屈を積み重ねたうえで導かれた答えではなくインスピレーションであり直観なんよな
だから感覚としては自力で得たものではなく与えられたものという感覚で
大げさに言えば神に与えられた奇跡なんよな
だから俺も理屈としては説明できるけど
再現性のある体験を他者に与えることは出来ないんだ 敵だと思っていたものが実は自分を導く神だった!という気づきは
俺にとっては世界が反転するような喜びで涙が出るほどの強烈な体験だったわけだが
それを言葉で再現することは出来ない
ステーキの美味さの根拠をアミノ酸がどうとか言葉で説明することは出来ても
そのまま追体験させることは出来ないのといっしょ
ここがもどかしいところだ >>539
語り得るってそういう事やろ、っていうか後期ってそういう事ちゃうの? あと一応いっとくと宗教的な体験なんか大したことないからな
個人的にはそんなものより金持ちになる体験とか社会的に成功する体験とか
ふつーに大学卒業してふつーに生活する体験とか
そっちの方が100倍良かったわ
ということで宗教体験とか心の平穏とかいってもその程度のものでしかない
俺は特別な体験したんだーとか言う奴に騙されるなよ >>492
ほなら手話で話せばええでない?
知らんけど >>494
超亀レスですまんが、レオシュトラウス的な意味ってどゆこと?
個人的にレオシュトラウスはナカニシヤ出版の翻訳本を大昔に一冊読んだだけだからよくわからんのだが 「ハイデガーはナチ協力したからヤバい」
という話題に対し
「ハイデガーの影響を受けたレオ・シュトラウスの影響を受けたネオコンがイラク侵攻に関与した
だからネオコンによるイラク侵攻はハイデガーの影響下でいいの?」
という質問じゃね?
「ハイデガーはナチのみならずネオコンにも影響を与えててヤバい」なのか
「同じハイデガーの影響下にあるのでネオコンもナチス並にヤバい」なのかわからんが、何かしらの揶揄が含まれてるようには思う >>714
レスと解説ありがとう。その解釈でいいのかもしれないけど、
こちらは後期ハイデガーの話をメインにしてたんで、
存在と時間における決断主義と集団的エートス・共同存在論のようなものを
レオシュトラウスが依拠してるのかよくわからん(よく覚えていない)かったので 世界は本質的に荒唐無稽なのだから
こちら側ではなく向こう側でも良かった
https://i.imgur.com/isiViDt.gif 神がいると思っていたけどいないとわかった
というより
人が神を殺したのだ
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