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「俺には自分の作品が無い」
薄暗いタクシーの後部座席で男が放ったその言葉に、耳を疑った。
何も言えなくなった私を血走った両目で見ながら、男はもう一度こう言った。
「俺は代表作が無い。ロードスみたいなものは、ラノベじゃあ書けなかった。だから俺は歴史小説を書く。新しいジャンルで勝負する。だから、お前は……!」
肩が触れ合うほどの距離で何度そう言われても、自分の耳を信じることができなかった。代表作が無い? 何を言っているんだこの人は?
だってあなたは……あかほりさとるじゃないか。
あかほりは膨大な作品に携わってきた。
『NG騎士ラムネ&40』『セイバーマリオネット』『爆れつハンター』『MAZE☆爆熱時空』『天空戦記シュラト』『サクラ大戦』『らいむいろ戦奇譚』
『MOUSE』『かしまし ~ガール・ミーツ・ガール~』……挙げればきりがないほどだ。
その同じ夜。
私はもう一人の男と並んで座りながら、再び耳を疑うような言葉を聞くことになる。
酒の飲めない私の横で静かにグラスを傾けながら、男はポツリと言った。
「僕が最後にできることは、ラノベ作家として死ぬことだ」
男の名は、水野良。
あかほりと同じように多くのヒット作を持つが、水野良という名前は常に、たった一つの作品と共に語られる。
『ロードス島戦記』。
それは水野のデビュー作であると同時に、ライトノベルと呼ばれるジャンルのデビュー作でもあった。
あかほりさとると、水野良。
私が2人に初めて会ったのは、4年近く前に遡る。
TRPGを筆頭としてボードゲーム全般に造詣が深い水野は、将棋も好きだった。そしてちょうど将棋ラノベがアニメ化したタイミングで、作者である私に声を掛けてくれたのだ。
その場には、あかほりと、そして2人の後輩に当たる鈴木大輔【※】もいた。
鈴木の将棋の腕前はアマ有段者であり、ラノベ作家の中でも『あの人は強い』と前々からその噂は聞いていたし、もちろん作品も全て読んでいた。
※鈴木大輔……『ご愁傷さま二ノ宮くん』『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』作者。
2軒目では将棋盤も登場し、水野と鈴木の対局を、あかほりと一緒に観戦するという、これまた贅沢な時間を過ごした。
子供の頃に熱狂した作品の作者と、憧れの先輩作家。同じラノベ作家だというのに、目の前で3人が繰り広げるやり取りはまるで別世界のことのように面白く、華やかで……私はただ、見ているだけで幸せだった。
この時までは。
冒頭に書いた『事件』が起こったのは、その直後だ。
3軒目へ移動するタクシーの中で、酔いの回ったあかほりが突然、人が変わったかのように「自分の作品が無い」と言い出したのは……。
そのまま、あかほりは1人でタクシーを降りた。
3軒目は静かなバーだった。
用事を済ますため鈴木がいったん席を外すと、カウンターには水野と私だけが残された。
あの水野良と酒場で並んで座る――初めてロードスを手に取った中学生の自分が聞けば絶対に信じないであろう、夢のような状況にもかかわらず……私の頭からは、あかほりの言葉が離れない。
タクシーには水野も乗っていた。
ロードスという圧倒的な作品への羨望と嫉妬を隠そうともしなかったあかほりの姿を、水野はどう受け止めたのか? 果たしてそれを聞いていいものなのか……。
逡巡を続ける私を、明け方近くになって水野の口から零れ落ちた言葉が、さらに深い闇へと突き落とした。
「ラノベ作家として死ぬ」
私は結局、何も聞くことができなかった。
あの忘れ得ぬ夜から4年。
とあるニュースによってラノベ作家という職業が世間から注目を浴びたのを機に、もう一度、2人の話を聞きたいと思った。
ラノベ作家という職業の、本当の姿を理解するには、あの日の2人の言葉の意味を聞かなければならないと思った。
https://originalnews.nico/371259