日本史の未遂犯 ~織田信長の狙撃を二度試みた伊賀忍者~

1581年(天正9年)、信長は自らの差配の下、伊賀の平定に取りかかりました。 
5万を超える織田の大軍を相手に伊賀の諸城は瞬く間に陥落していきました

そして1ヵ月もしない内に伊賀は織田軍に制圧され、伊賀の村や寺院は焼き討ちにあい
郷士たちだけでなく住民たちの多くも殺害され、伊賀は地獄絵図と化したそうです。

故郷のその惨状を見た弥左衛門は信長を深く恨み
同じく伊賀の郷士の原田木三と印代(いじろ)判官と共に、信長の銃殺の計画を立てました。

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