「アーリア人」ってインドを征服してカースト制度作ってペルシャ帝国;ヒッタイト帝国作って神聖ローマ帝国も作ったとか凄過ぎね? [727750435]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ゲルマン民族はどこから来たのか?アーリア人種学説と民族の固有性の基盤、ゲルマン民族興亡史
https://information-station.xyz/1836.html
今回は、前回の記事の冒頭で挙げたもう1つの問い、「ゲルマン民族はどこからやって来たのか?」という問いについて考えてみたいと思います。
ゲルマン民族とインド・ヨーロッパ語族
ゲルマン民族は、前回書いたケルト人やヒッタイトと同様に、インド・ヨーロッパ語族に属する言語を母語とする民族で、言語系統の分類において、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派に属しています。
インド・ヨーロッパ語族には、古代では、ラテン語、ギリシャ語、サンスクリット語、ケルト語、ヒッタイト語、
現代でも、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ヒンディー語(インド)、ペルシア語(イラン)さらに、ロシア語、ウクライナ語など、ヨーロッパを中心に数多くの言語が含まれていて、世界で最も広く話されている支配的な言語と言ってもよいと思われます。
インド・ヨーロッパ語族の祖先は、紀元前6000年頃に、黒海・カスピ海周辺(中央アジア西部から現在のウクライナ)の草原地帯で発祥し、農耕や牧畜、遊牧生活などを営んで生活していたと考えられています。
そして、そこから、徐々に世界各地へと移動を開始していき、インド、イラク、トルコ、さらには遠くヨーロッパへと、その活動の範囲を大きく広げていったのです。 ゲルマン民族とアーリア人
こうしたインド・ヨーロッパ語族は、かつては、人種としての、広義におけるアーリア人と同一視されることもありました。
アーリア人は、紀元前1500年頃のアーリア人の侵入において、インドに侵入して、原住民を征服し、カースト制(ヴァルナ・ジャーティ制)に基づく身分制度社会を形成した民族ですが、このアーリア人という単一的な人種が、イランに進出して、ペルシア帝国を築き、アナトリア(現在のトルコ)では、ヒッタイト帝国を、さらに、ゲルマン民族として、遠くヨーロッパまで進出して、フランク王国、さらに、その後の神聖ローマ帝国を築いた、とも解釈されていたのです。 ヒトラーによるアーリア人種学説の悪用
こうした、ゲルマン民族を含む、インド・ヨーロッパ語族の言語を母語とするすべての民族は、血統としても、アーリア人という単一の人種から派生したとする拡大解釈されたアーリア人の概念を指して、アーリア人種(Aryan race)と呼ぶこともあります。
そして、第2次世界大戦とホロコースト(ナチス・ドイツがユダヤ人などに対して行った大量虐殺)の悪夢を引き起こした、かの悪名高いアドルフ・ヒトラーもこのアーリア人種学説に基づいて、ゲルマン民族の優秀性を主張したのです。
アーリア人という名称は、もともと、サンスクリット語の「アーリア」=「高貴な」という意味の言葉が語源となっていて、インドやイランで原住民を支配し、支配者階級を形成していたアーリア人が、自らを、他民族よりも、勇敢で優れた「高貴な」民族であると自称していたことに由来します。
そして、ヒトラーは、現在のドイツ人を中心とする、ゲルマン民族こそが、最も純粋な、純血なるアーリア人種であり、ゲルマン民族はアーリア人=「高貴な人」で、世界で最も優れた民族なので、ユダヤ人などの、他の、アーリア人種ではない民族は、アーリア人種であるゲルマン民族、ドイツ人によって支配されるべきであり、場合によっては、滅ぼしてしまってもかまわない、と考え、実際に、600万人ものユダヤ人を虐殺してしまうという狂気、凶行にまで至ってしまったのです。 民族の固有性の基盤はどこにあるのか?人種や血統と言語や文化
このように、ゲルマン民族を含む、インド・ヨーロッパ語族全体が、アーリア人種という1つの血統から発生した人種としても純血に近い民族である、という意味でのアーリア人種学説は、ヒトラーに悪用され、エスノセントリズム(ethnocentrism、自民族中心主義)と人種差別主義の温床となってしまったため、第二次世界大戦後は、政治的・倫理的な意味からも、あまり大っぴらに主張されることはなくなっていきました。
また、そもそも、集団生活を営み、一定の社会構造を維持していくなかで、特定の民族のなかで、同一の言語や文化が長い年月に渡って受け継がれていき、それが、その民族の固有性や特色となる、ということはあっても、人種や血統については、長い年月の間には、近隣の他民族との交流から、混血がどんどん進んでいくことになるので、数千年に渡って、一つの民族が他民族とほとんど血縁を結ぶことなく、純血のまま保持されていくということはあり得ないと言えるでしょう。
つまり、世界史的な長期的な視座に立つとき、民族の固有性の基盤は、言語や文化にあるのであって、人種や血統にあるわけではない、ということです。 ゲルマン民族の源流と北欧への定着
話を、ゲルマン民族の方に戻しまして、これまでに考えてきた、インド・ヨーロッパ語族の来歴、アーリア人とインド・ヨーロッパ語族の関係、アーリア人種学説の是非の問題などを踏まえ上で、「ゲルマン民族はどこからやってきたのか?」という問題について考え直してみると、いずれにせよ、ゲルマン民族は、中央アジア西部の草原地帯で農耕や牧畜、遊牧生活を営んでいた人々を源流の1つとして、民族としての長い移動の旅の途上で西アジアやロシア、東ヨーロッパなどで生活していた土着の民族との混血を繰り返しながら、北欧へとたどり着いたことは確かだと言えるでしょう。
彼らは、民族としての長い流浪の時代を経て、ケルト人よりさらに北方の地、スカンジナビア半島(現在の北欧、ノルウェーやスウェーデン)やユトランド半島(現在のデンマーク)へと流れ着き、遅くても前1000年頃までには、この地に定着していたと考えられます。 ほんそれ
バカジャップはどんぐりうめぇしかやってなかったのにな 古代文明があちこちで芽生えてきた辺りで大移動を始めて各文明地帯に入り込んだという
そのタイミングがよかったな
後世のトルコ人やモンゴル人なんかとやったことは同じなんだが既に数千年の歴史をもち、多くの人口を抱える文明地帯に入り込む形になって
先住民族を下位に置いて入れ替わることができなかった ヨーロッパの話で突如インドが出てきてビビるんだけどなんなんこれ >>8
ドラビダ人
南インドに逃れてる
まあ今では南の方がバンガロールなどの有名な都市もあり
経済的に栄えてるぐらいで
一概にドラビダ人が虐げられているとは言い難いが >>10
北部インドに多く住むアーリア人も
イラン人もヨーロッパ人(ハンガリー人、フィン人を除く)も
みんな元は中央アジアで遊牧していたアーリア人という一つの民族だから >>12
でもカースト制度って未だに根強いんでしょ? >>16
南インドには
ドラビダ人のバラモンやクシャトリヤとかいるし エチオピアから遠征していって日本列島に着いたのになんでこんだけ人間同士が違うんだ 日本民族の特徴 rh+AB型が民族的に多い 日本人で10%以上(コーカソイド民族で5%以上)
コーカソイド民族の特徴 rh-o型が民族的に多い 全体の10%以上(黒人には滅多にない) Y染色体で言えばR1がそれだろうけど
特にはやく文明がおこった南欧中近東ではR1の割合が低いあたり
原印欧語集団が本当にすごかったのか疑わしい 凄いから歴史に残ってるだけだぞ
生存者バイアスだぞ いやモンゴロイドだって大したもんよ?
中華は20世紀を除けば常に世界1位の経済圏だったしモンゴル人は世界最大の帝国を築いた
わーくにだって上2つと比べたらショボいが世界的に見たらだいぶ頑張ってる方だぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています