https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD041N30U2A400C2000000/

渋谷系の女王・野宮真貴 「いかに人と違うことするか」

ピチカート・ファイヴなどで活躍した歌手の野宮真貴(62)がデビュー40周年を迎えた。「1980年代のポップスは海外への憧れの投影。90年代は東京発が最も格好良かった」と語る。

81年にソロ歌手としてデビューし、ポータブル・ロックというバンドでも活動した。世間の注目を集めるのは小西康陽率いるピチカート・ファイヴに加入した90年以降のことだ。

「渋谷系の女王」。90年代半ばには、そう呼ばれていた。ピチカートはオリジナル・ラヴや小沢健二、カヒミ・カリィらと並ぶ「渋谷系」の代表だった。

「渋谷系は音楽のジャンルの呼称ではありません。過去の隠れた名曲を掘り起こし、自分たちの音として再構築して発表する。そんな志向を持つ表現者が渋谷系と呼ばれていました」

渋谷系のアーティストが好んで参照したのがフィル・スペクターやセルジュ・ゲンスブールら、60年代の海外の音楽家だった。

一方、近年は海外の若い世代を中心に、日本の80年代のシティポップが再評価されている。「私たちが60年代の音楽を発掘したように、海外の若者が80年代の日本の音楽を面白がっている。共通点を感じます」

4月に発表した40周年記念アルバム「New Beautiful」では、日本のシティポップの世界的なブームに火をつけたアーティストと共演している。

日本と米国を中心に活躍する韓国人プロデューサー兼DJのナイト・テンポ、松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」を世界規模でリバイバルヒットさせたインドネシアの歌手レイニッチらだ。

「ナイト・テンポさんいわく『野宮さんは80年代と90年代をつなぐ存在』。日本人が気づかなかった視点で日本のポップスをとらえていると感じました」


矢舟テツロー(左)との共演ライブ(2021年12月、横浜市のビルボードライブ横浜)=高田 真希子撮影
80年代は「ニューウエーブをやっていました」と振り返る。パンクやテクノなど、それまでの主流とは違う新型の音楽は「ニューウエーブ」と呼ばれていた。

「私はずっとニューウエーブ、あるいはオルタナティブ(もう一つの新しい選択肢)であり続けてきたと自覚しています」と語る。

「演奏のテクニックや歌唱力の高さではなく、センスとアイデアで勝負するのがニューウエーブの魅力だと思っています」

中森明菜や小泉今日子といった同じころにデビューした女性歌手の中で、野宮は明らかにオルタナティブだった。90年代半ばも小室哲哉や安室奈美恵らが主流で、ピチカートはやはりオルタナティブだった。

「いかに人と違うことをするか。自分が見つけた楽しみを追求するか。私はそういうニューウエーブ的な在り方が好きなんですよ」

日本のポップスの行方はどうなるのか。「90年代のポップスが再評価されると期待しています」と語る。

言葉には自身の実感がこもっている。「80年代のシティポップは外国に対する強い憧れの投影であり、日本人の夢の世界だったと思います。しかし90年代半ばには様相が変わりました」

「バブルは崩壊していましたが、東京が世界で最もクールな都市で、東京発の音楽やファッション、デザインが最高に格好良かった。実際にピチカートの音楽はパリコレで流れ、欧米のCMにも使われましたし、世界ツアーで歌っていても確かな手応えを感じたのです。90年代が再評価されるといいな」と笑った。