家康「イヤェァァァ!!秀頼が『国家安康』とか言ってアチシの斬首を企ててるぅぅ!豊臣滅ぼそ!」👈こんなの許されるんか? [387413547]
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これ考えたやつマジで頭クルクルスットンパーだろ
しょうめい‐じけん【鐘銘事件】
慶長一九年(一六一四)豊臣秀頼が京都方広寺大仏再興に際して鋳造した鐘の銘文中、「国家安康」の文に対して、徳川家康の名前が分割されて使われていることから、家康の身首両断を意図したものとして、家康が秀頼を論難した事件。 大坂冬の陣のきっかけとなった。
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東照宮もただの観光地で家康を拝めてるやつなんて誰もいないと思うわ 三大無能跡取りって秀頼、勝頼、氏真ともうひとりは誰になるん? >>102
俺は好きだぞ最終勝利者だしな
つーか秀吉も一時期謎の人気があっただけで今はそんなに人気ないっしょクソ猿だし
信長だけがぶっちぎりで人気 いくら孤立無援とはいえ大坂城一年もたず落城は無能だわ >>99
大砲でビビったというのが巷説の類なんで信用に足りない
そもそもたった五門やそこらの大砲でダメージ食らう城じゃない
大坂城に大量に打ち込まれたとされる芝辻だって発掘しても砲弾が見つからず
後世の作り話だったとされている
大坂の陣の徳川方の記録は嘘まみれなのが明らかになってるので
講和の条件などもブラックボックス >>78
こんな感じでキャッキャやってたら許してくれなくて本気で追い込みかけられたようなもんだな
んで後世の人間が、あれは言いがかりだ、いや当時でも侮辱罪でアウトとか言ってんの 大阪の陣の豊臣軍はかっこいいけど
豊臣家はどーしようもないぞ まずその家康だけ東に左遷したから安心やーってのがわからん、寧ろ目の上のたんこぶなら朝鮮出兵させとくべきだったのでは? 人間歳をとると晩節を汚すっていうけど
これがあるせいで家康は印象悪い >>104
前線まで黒いアラブ馬で督戦に出ていたという記録があり
その記録を裏付けるように秀頼の遺体と共にアラブ馬の骨が出てきたので
城に籠り切りだったかは意見が分かれる >>102
秀吉が特別に好かれてるのなんてせいぜい大阪じゃね?
それだと終焉の地である静岡の駿府とか出生地の岡崎とか普通に人気だろうし
>>107
それを言い出したら
秀頼が有能かどうかなんて妄想でしかなくてもっとわからない話やん >>115
面白いな。司馬のレポートだと出てこなかった説 >>116
日本全国を敵にまわして
最後まで堂々と戦い抜いただけでも
武士としての名誉を保つには十分すぎでしょ?
孤立無援でも最後まで5万の軍勢の統制を取れてたんだから
これを無能と言うには無理がある >>112
そもそも秀吉は家康を潰すためじゃなくて
政権の重鎮として関東に置いたんじゃないのか >>119
生母を人質に出すくらい裏で土下座してたしな もうちょっとまともな言い訳考えなかったんかな
デタラメなんて簡単だろ
メシに毒が入ってた、豊臣の間者のしわざと分かった、とか、デタラメ言えば済む
それとも「とにかく難癖付けて潰した」という事実を残したかったんかな >>70
>>112
徳川も万余の軍勢を渡海させる準備をしていたが
延期になっているうちに秀吉が病死して中止になっただけ
秀吉が健康なら徳川も軍勢を派遣してたよ
あと関東への移封は左遷ではなく大栄典 >>112
後々の目線で見れば朝鮮出兵は失敗だったから
あっちで徳川の戦力を削いでいればって思うかもしれないが
朝鮮で凄い軍功を立てられて朝鮮でさらに徳川の領土を増やされたら
それはそれで、秀吉が徳川を潰す口実を作るどころか
徳川を潰すのを困難にする更なる軍事力を持たせてしまう事にもなる なんならスパイが殺されたのを腹心が殺されたとかすげ替えたり盧溝橋みたいのやって適当な理由作るだけだろ 羽柴秀長とその家の始末っぷりをみての藤堂高虎のムーヴと観ると印象が変わる
隠居までしてるし >>81
銃ありで無なかった民にボコられる始末だし >>121
すでに健康状態が悪かった説はあるね
夏の陣の翌年に死んでるだから 難癖付けるのはジャップの国技だぞ
それは石器時代から変わらん 学校や職場でそういう無理筋が通るのを幾度となく見てきただろ
そういう無理筋を許さない!って綺麗な世界なら、とっくにいじめとか無くなってる >>116
京都に行ったときに京都人と話ししたら秀吉好きだったんよ
んで関東の悪口すげー言われたから未だにそういう感じなのかと思ってた 息子の秀頼は誕生
→後継者扱いだった関白 秀次の謀反をでっち上げ
→一族郎党を根絶やし
やられた側の秀吉もやってたわけで
こじつけは日常茶飯事
ラッスンゴレライ >>129
自身の仕事を最後までやり遂げた安堵から
これまでの不調が一気に来た可能性もある気がする
豊臣を潰して、家康が徳川の為にやるべき事はほぼ終わったしな てかこんなもん難癖つけてくれって言ってるようなもんだろ
作る前に考えろや 避諱を知らないジャップランド知識人の程度が知れる話 >>118
冬の陣は中途半端に和睦しちゃうし夏の陣は野戦なのに出陣もせずあっさり負けちゃうしでなんかあんま有能なイメージないのよね
むしろ大阪城とそんだけの兵いたらもっと上手い戦い方できたんじゃないかと思える どうせ難癖つけて潰されるのに天下を狙うなとかいって死んだ毛利元就って無能だよな >>118
最高の駒が真田幸村とかもうなんかね。淀君はうるへーから出家させて大人しく大和一国で満足しとけば良かったんよ。 豊国神社にあの釣り鐘を見に行ったけど
国家安康君臣豊楽のところいバッチリここですと印がつけてあって
文化財にこんなことしていいのかと思った
それともあれレプリカなのかな 秀吉よりも過激だと言われていた信長は子孫が生き延びて
フィギュアスケート選手の織田信成になった 秀頼って大野治長の子供だって話あるけど
当時の連中も、秀吉の実子でないだろうって薄々感じてたんかな?
主君殺しに近い後ろめたさみたいなものも、浮気相手の子供なら良いだろうっていう意識
わずかにあったりしたんかな? >>148
明はもともと滅びかけてたが秀吉の出兵で死期が多少早まったに過ぎない >>124
ああ且元逃げてきたんよな
しかし大義名分になるんかこの人 >>138
豊臣家は全国の大名を巻き込んで畿内で盛んに寺社の造営・改築を行っていたので
上方では大変な人気があった
今の京都はほぼ豊臣親子が作ったと言って過言ではないくらい
さらに自社造営の名目で集めた金を中抜きしまくって
数兆円とも言われる巨万の富を抱え込んで決戦のための軍資金としていた
少しでも隙を見せれば滅亡させられる危機感を非常に感じていて
無為に過ごして滅ぼされのではないのは確かだよ >>150
あれ、信なりの爺さんが自称し始めただけで、織田宗家の人達はあんな人達知らないって言ってんじゃなかったっけ >>154
寺作りで大坂方は金がなくなった説が通説だったが変わったんかー。これもう分かんねえな >>151
側室何人もいるのに淀だけポンポン2人産んだら「あ、察し・・・」ってなるだろ >>144
秀吉と三成を筆頭にしたブレイン集団が異次元レベルで優秀だったから
大軍の運用を円滑にできただけ
大坂の陣の頃には豊臣・徳川双方ともそのノウハウを持ったブレインが失われていて
何もかもがグッダグダだったからね >>151
そういう噂が立ったのも
豊臣家に対する不満の捌け口にされてたんだろうね >>151
宣教師が巷でも疑われてるって書き残してたような
うろ覚えなので勘違いだったらごめん
本郷さんは、名無しの陰陽師の子だろうと書いてたな
一人目は秀吉公認の種付けで、秀頼はそうじゃなかったとも ちょっと記憶が確かじゃないけど、何年か前に文献が見つかって
豊臣側が意図的に狙って国家安康ってして家康の2文字を分けたって説が出てなかったっけ
実は徳川側のいちゃもんじゃなかった的な 先手打って潜在的脅威を排除するのは大事やで
なんでアメップはあんなになるまで中国ほっといたんだって感じ 猿の晩年の迷走ぶりみると実は秀長の操り人形だった説が正解かもって思っちまうわ >>156
寺社も当時はまだ万余の軍勢を抱えていたし
朝廷への影響力も大きかった
孤立を深める豊臣家が味方に繋ぎ止めるために寺社に寄進しまくって
その造営が畿内に空前の好景気をもたらして
畿内では豊臣人気が高まったんだよ
だから大坂方にも10万近い軍勢が集まった
寺社の取り込みには失敗したけど あまり上方に気を使ってると
この時代の公方さまもお飾りかってナメられるからな
秀吉亡くなってから天下取る気満々なのは家康より三河武士達かもね >>161
鐘の銘までチェックしないだろうと
本気で家康に呪いをかけようとした可能性は確かにある 夏の陣の翌年に家康死んでるのか
人生ってなんだろな >>171
信長は復興より略奪や焼き討ちの方が圧倒的にえぐいんですけど 最大の懸念を始末してぽっくり
何でもないような事が幸せだったと思う >>148
自分の政権を潰すような無茶をしても相手を苦しめたらオーケーって?
自国民にも相手の国にも迷惑極まりない思想だな へえー今は国家安康はイチャモンじゃなく豊臣の挑発だったとの見方もあるんだな >>151
あれだけ秀吉に忠義尽くしてた福島正則ですら大坂の陣で秀頼から出兵頼まれても拒絶してたからなぁ
みんな秀頼は秀吉の子じゃないって思ってただろう 「豊臣家との闘いは、言わば互角の闘いだった。一歩遅れていれば、処刑場の羊になっていたのは吾々の方だ。先手を打っただけのこと、恥じる必要はない」 >>1
淀のせいだぞ
家康は秀頼と淀の徳川家への忠誠心を試したんだよ
それをバカ嫁がゼレンスキーみたいに突っぱねたから結果として滅びた 淀君のせいというより北政所
嫁同士の確執が豊臣家を滅ぼした >>187
そら托卵で豊臣家乗っ取られたからね
家康も秀頼が托卵の子じゃなければ違った扱いしてたはず >>187
それで北政所が悪いってのもおかしいと思うぜ
秀吉子飼いの武将なんかは北政所の累系が多いなんて事は淀やその周囲だってわかってた事なんだから
いくら跡継ぎの生母とはいえ、北政所を立てる所はちゃんと立てなきゃいけなかった 秀頼とかいう実子かも怪しい存在に跡を継がせる為に甥の秀次を殺したからな
秀吉が種無しだったというのは当時の人間の間でも公然の秘密だったのに >>179
僧侶クラスの知識人ならまずいことになるだろうなって予想はできたはずだからね ドラマや衣装に執拗に原爆イメージ挟み込む朝鮮人みたいにしらじらしいな。
セレクトに意図があるに決まってるだろ。 家康「イヤェァァァ 秀頼が『国家安康』とか言ってアチシの斬首を企ててる 豊臣滅ぼそ(棒読み)」 >>122
家康をそこそこ信用してたってことでもあるわな
結果的には5奉行側が豊臣側になったけど
おそらくこっちも家康も心の底からは信用してない アメリカがイラクに対して
ロシアがウクライナに対して
同じことをやっている >>97
そんなこと言ったら小田原北条はどうなるんだよ >>191
秀頼を跡継ぎにしたのは母親が織田信長の姪だったからというのがある
秀次の父は出自がはっきりしないこともあって例え姉の子といえど秀頼を優先せざるをえなかった 最大の不穏分子だからな、どんな手でもきっちり殺さないと 家康は牢人対策に、あまり熱心じゃなかったから
豊臣方に牢人が多数加わり、冬の陣じゃ10万人にも膨れ上がったんじゃ?
大坂の陣の前に、厄介払いを兼ねて、
牢人多数集め、蝦夷や台湾方面に送り込んで、屯田でもさせりゃ良かったのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています