天皇家の始祖が確定した 韓半島から来た『天日槍(アメノヒボコ)=ツヌガアラヒト』 [237216734]
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タイムライン纏めてみた、見事に一致する
1.天日槍(延鳥郎)が157年に渡来
>『三国遺事』「延鳥郎・細鳥女」
実際に158年7月13日、朝鮮半島で皆既日食起きてるからこの話(後の岩戸隠れのモチーフ)は信憑性結構高い
https://i.imgur.com/mqYtESd.jpg
2.上陸した天日槍が伊和大神(大国主=先住在地豪族のメタファー)と大いに争う[157-?]
>『播磨国風土記』
この時期も、後漢書の「桓帝・霊帝の間、倭国は大いに乱れ互いに攻め合い、何年も主がいなかった。」の
桓帝・霊帝[146-189]と一致
つまり倭国大乱のレンジは[157年-189年]に確定
3.実在可能性のある最古の天皇、御間城入彦(崇神)が即位[238年]
天日槍一族が勝利して倭国大乱が終結した189年から崇神即位238年の50年の間に卑弥呼(日ノ巫女)とかが居たんだろう
邪馬台国といえば魏志倭人伝、魏志倭人伝といえば伊都国、その伊都の首長が筑前国風土記で祖先を天日槍としている事も関係してきそうだ
本スレ
天皇家の開祖が分かった「ツヌガアラヒト(天日槍)」
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1656750998/
詳しい話は本スレに置いておいた
もう確定したんだ
誰も反論できない
>>2
この説、つまり『真実』が日本史の教科書に載るまで立て続ける 神功皇后の先祖ね。
三韓征伐がフィクションだとしても
やはり白村江も先祖の失地回復という意味があったんだろう。 皇族が朝鮮民族という事実から日本人は目をそらしてるのはなぜ シュバババババババ
神功皇后の系図を辿れば、『古事記』ではその先祖は新羅国王の子「天之日矛」(アメノヒボコ)【『日本書紀』では「天日槍」または大伽羅国の王子「都怒我阿羅斯等」(ツヌガアラシト)】であり、現天皇家に繋がる第二十六代継体天皇は渡来人である可能性が高い。
また、第五十代桓武天皇の母、高野新笠(たかのにいがさ)は百済武寧王家の出身である。勅撰の歴史書で、いわば公式の歴史記録である『続日本紀』によれば、その子桓武は父光仁天皇の葬儀に際し、「天皇哀号咽不能自止」【哀号(アイゴー)と咽びて自ら止むる能わず】。
更には『古事類苑』によれば、天皇家では平安時代を通して平安京宮内省北部に朝鮮渡来の神である「韓神」を守護神として祭り、公式祭祀として天皇、大臣、神祇官列席の下、「三島木綿(ゆう) 肩に取り掛け われ韓神(からかみ)の 韓招祷(からをぎ)せむや 韓招祷 韓招祷せむや」と祝詞を上げ、歌舞が行われる神事が存在したという。
戦前、皮肉にも「日鮮同祖論」が「日韓併合」の思想的学問的裏付け、理論的支柱として、その正当化に大いに利用された事実も忘れてはならない。
現在、日本政府及び宮内庁は、天皇家のルーツが明るみに出されることを極度に恐れているのか、天皇陵古墳の発掘と本格的な学術調査を頑なに不許可としている。
【参考:南(ナン)信廣「レイシストへの論告―徴用工、日本軍慰安婦問題の嘘と真実―」】 >>9 >>1
天日槍(アメノヒボコ)=ツヌガアラヒト
とやらが
現代朝鮮人の祖先と証明しないのはなぜ?
できないの?
記紀だと、3世紀頃天皇に帰順し兵庫県北部の但馬に定住した筈の天日槍が
播磨国風土記では神代に渡来し伊和大神(大国主大神)と互角に戦う強大な外来神として登場
北陸の敦賀に都怒我阿羅斯等として現れ(エピソード全く同じだから同一人物)
九州の筑前国風土記では、伊都(魏志倭人伝に邪馬台国と一緒に記されてた歴史ある国)首長の祖先として書かれてる
明らかに記紀の方が隠蔽しようとしてるんだよな
大陸と天皇家の繋がりを誤魔化すために小細工した結果
記紀の中でも名前が変わったりエピソード滅茶苦茶になって、しかもめっちゃ影響力あった人物だから消しきれず各地の風土記に残っちゃったわけだ
そもそも天津神と血縁関係ないただの人間で「天(あめ)」姓使ってるのは記紀でもこいつ1人しかいない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています