中国人「秀吉は薩摩出身の奴隷、関白である織田信長らか木下の姓を与えられた」 [745994414]
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中国の清の時代に書かれた「明史」には豊臣秀吉の事が描写されていますが、概要は次の通りです。
日本国王の下に関白の信長という者がいた。信長はある日、鷹狩りに出かけたが、
その時、木の下に寝転んでいた男が突然飛び起きて信長に猛進してきた。
この男を捕らえて何事か問い詰めると、男が言うには
「私は平秀吉という者で、薩摩人の奴隷である」と。体は丈夫ですばしっこく、
その上に口先が達った。 信長はこれを面白がり、馬廻りの役に付け、
「木下」と名を与えた。信長のためによく働き、後に二十余州を奪い大将となった。
信長は罪を犯した参謀の阿奇支(安芸・毛利氏と明智光秀を混同?)を
秀吉に討たせるが、その信長自身が部下の明智に討たれてしまった。
変を聞いた秀吉は阿奇支を滅ぼした勢いで、取って返し明智を誅滅し、
名を響かせた。そして1586年(1585年?)、信長の3人の子を廃し、自らが関白となった。
その後、秀吉は諸将の兵を引き連れ明を攻めようとしたが、その時、
子供が死んで、兄弟もなかった(「自国を守らせる身内がいなかった」の意?)。
また、豊後の将(大友義統?)の妻を奪い妾とした。
諸将は秀吉の暴虐を怨み「この戦いの目的は明を攻めることではなく、
我々の力を削ぐ事に違いない」と言った。 そして諸将の心もバラバラで
まとまりがなかった。この様な事情で秀吉は自ら攻めて来ることはなかった。
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· 豊臣秀吉 はいつ・どんな風にして 『関白』 になったのか分かります。
豊臣秀吉 は、
なぜ 『将軍』 にならずに 『関白』 になったのか深い理由がわかります。
豊臣秀吉 は、
”藤原氏”のように 『関白職』 を豊臣家で独占しようとしていた?
統 一 教 会 は セ ッ ク ス 教 団 !
日 本 女 性 の 全 財 産 搾 取 & 性 奴 隷 化 !
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スレタイ間違えた
らか×
から〇
430年前の1592年、豊臣秀吉が明の征服を目指した文禄・慶長の役(朝鮮出兵)が始まった。島津家からは義弘らが渡海。一方、国元に残る兄の義久が明とひそかに連携し、秀吉を倒そうと企てたとの説がある。スパイ潜入の手引きや、徳川家康の関与を示唆する専門家もいる。真相やいかに。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b73da7c0ba73870f872a3a8d39e22159e42f8819
「島津義久は明との連携を考えていた」と強調するのは、尚古集成館(鹿児島市)の松尾千歳館長(62)。昨年、「薩明合力計画について」と
題した論文で島津家の“裏”の動きに迫った。
鍵を握るのが、義久が重用したお抱え医師で明出身の許儀後(きょぎご)だ。
明の史料「海防迂説(かいぼううせつ)」によると、許は文禄・慶長の役の際、明に「秀吉は朝鮮に兵を送り国を空にしている。
薩摩に残る兵を集めれば4万人ほど。福建から船に明の精兵2、3万を乗せて島津と一緒に攻めれば、秀吉の首を取れる」と提案している。
これ以前にも、許は弟子の郭国安(かくこくあん)と協力し、出兵直前に「秀吉が近く朝鮮や明を攻める」と明の福建軍門に通報した。
情報を得た明は、島津領に工作船を送り込む。スパイが内之浦(肝付町)に入り、
秀吉のいた名護屋城(佐賀県)に潜入した。松尾さんは「立地や秀吉の動静を探ったと史料にある。島津の協力なしでは不可能だ」と語る。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b73da7c0ba73870f872a3a8d39e22159e42f8819 秀吉の公式設定天皇の落胤説誰も信じて上げてなくて草 秀吉の出自はソースによってバラバラなのは有名だしまぁ これだけ新しい時代でこの程度なんだから魏志倭人伝だの後漢書だので邪馬台国やら何やらを研究するのは実にアホらしい >>1
忖度なしだとこういう感じなのかな
日本政府は現代の公文書でも改ざんするからね
草 これを見てデタラメだなって思う人もいるかもしれんが、冊封関係もない同盟関係もない外国の事についてかなり正確にわかっていたんだなあと思うわ
秀吉の出自なんて日本でも正確な事がわからないしな 明史w
文禄・慶長の役関連も滅茶苦茶で、
当の中国人からもほぼ創作扱いされてるアレね いや…苦笑
創作の軍記物ばかりを「史料」扱いして、本当にマトモな史料は宣教師の報告書くらいしか残ってない日本人さん…笑 太閤素生記
父は木下弥右衛門(足軽)
継父は竹阿弥(同朋衆)
甫庵太閤記
父は竹阿弥(織田の家臣)
豊鏡
素上知らず >>11
魏志を引用した後漢書ですら、狗奴国デタラメに書いてるからなあ >>23
忖度って相手の心情を思いやるって意味で
曲学阿世といういみじゃない
>>18
でもその明史でも明軍は苦戦したとか負けたとかいう記録は書いてある
満州人である清が書いた歴史書だからってところもあるんじゃない 適当な割にある程度あたってるなw
妾を取った話は宇喜多直家の話かも 秀吉(木下 藤吉郎)てさ?木下性だしどうみても朝鮮半島系出身の家系の流れでは?
それにただ個人的な才能で有用した優遇したというよりは藤吉郎が属してるか自ら率いてる組織の支援を見込んだのでは?
つまり当時の豪商か?カルト的な宗教組織が裏にいたと考えたほうが辻褄があう
織田信長のその後の驚異的な活躍も裏にかなりの支援する勢力が存在してこそ可能ではないだろうか?
明にまで手を伸ばそうと考えてた秀吉のことについては中国はいろいろちゃんと調べて記録に残してあるのかもね
現代の日本でもそうだけど意外と日本国内の記録よりも正確で当てになる可能性も? >>25
ネーナ
秀吉が関白になったから、その上司も関白だったんだろうと考えた
事実じゃなく、推測を入れられたら
歴史書として役に立たん 違う
名前を書かせたら朴と書いたから木下と改名させた
朝鮮出兵は自分の出自の恨みから 昔の日本人って中国から膨大な書物輸入して中国のことやたらよく知ってたのに中国には自国のこと全然教えてなかったのかよ >>29
それか朝鮮半島で散々悪さを働いてついに追い出されて日本に集団で逃げてきたのかもな
そしてその復讐に 上から小便ひっかけたら怒り狂って向かってきたのを面白がって子分にしたんじゃなかったのか 元乞食であったという書状はある
まあ江戸時代だけど
竹中半兵衛重治の息子が書いた豊鏡でも
出自はよくわからんとか書いてある
これも江戸時代成立だけど 秀吉側の宣伝記録である
惟任退治記にも元これ貴にあらずとか書いてある 信長を関白としてるのは将軍を奉じて上洛したことから来てるんじゃないかな
秀吉は能筆だったとか武家茶道を大成させたのは秀吉であるとかいう人もいるくらいで
文化人としても一流だったけど貧民の出だとするといつ文化的素養を身につけたのかが謎だな
子供の頃寺に入ったとも言われてるからその時かも知らんな 清時代の「水滸後伝」では梁山泊の最後の敵として日本の関白が出てくるけど
身の丈8尺で象にまたがり兵士はエラ呼吸可能で一日中海中で過ごすとか凄まじい設定
兀突骨レベル 大政所の姉妹は結構な家に嫁入りしてるみたいなんだよね
狸のばあさんの出身である青木とか小出とか
桶屋の福島や鍛冶屋の加藤はともかく
謎なのは父方の累計が全くでないこと
父親とよっぽど険悪だったのか 公家のご落胤とか話があったな
征夷大将軍にならなかっただろ そっちは秀吉が天下人となったときに流した風説だな
母親がなんとか中納言の娘だとか
当時の人でも一発で嘘だとわかるようなこと言ってる
真面目に系図とか出自偽造する気もなかったんだろうなと
自分でも北条勝利後すぐぐらいまでは貴い身分ではないとか伝記で書かせとるし 少なくとも魏志倭人伝は方角や距離はおかしいと言われているな
ただ入れ墨をしてるとか弓矢の描写は本当にあったんじゃないかとも思える 家柄、血筋特にありません
戦争の天才でめちゃくちゃ強いです
天下取りました
なろうじゃん でも秀吉は自分の卑しい出自がコンプレックスで
顔も知らない兄弟姉妹を探し出しては根こそぎ殺して回ったんだろ 魏志倭人伝も信用できんとか言ってる人がいるが、明史と違って向こうは張政っていう武官を実際に倭に派遣してその報告書に基づいて記述されている部分もあるからね
かなり正確な当時の日本の記録だと思うよ 木下性は朴だってネトウヨが言ってた
ヨッテ秀吉は在日!!! >日本国王の下に関白の信長という者がいた。
1行目でいきなり間違えてるじゃん
これの何を信用しろとwwww 出自の卑しいもの程、出世してから
日本全土の美女を貪り喰う変態 秀吉の晩年って糞味噌に言われているけどバテレン追放令をやってる時点で先見の明があるし非常に賢かったことがわかる
当時はインテリ支配階級層でもキリシタンが浸透してしまって禁止にしにくい雰囲気があったのに
奴隷輸出を容認していた国がその後どういう末路を辿ったかを考えれば
秀吉の功績って計り知れんわ この当時、単純に日本に大航海時代を迎えてたから情報が簡単に集まっただけやろ
まあその情報をキチンと評価した事が凄いと言われたらその通りだが >>51
宝くじに当たった人と同じ状況だろ
勝手に親類縁者名乗ってたからぶっ殺した >>56
奴隷は日本人がとらえて
欧州人に卸してたってだけで
当時一般的だった人狩りの顧客先が
欧州だったってだけの話だ でも中国の史書と日本の史書どっちが信じられるかと聞かれたら圧倒的に中国の歴史書じゃね… >明史の資料的価値は康熙帝が望んだとおり現在でも高い評価を得ている。
>清代には趙翼が「遼史は簡略であり、宋史は雑で量が多い、元史はぞんざいであり、金史のみ優雅さや簡潔さがありやや見るべきところがあるが、明史には及ばない」と述べている。
>また、趙翼の友人であった銭大昕も「公平であり、よく考えられ大事な点は詳細に述べてあり、いまだこれほどの正史はない」と評価している。
ふむ 中国人も朝廷=天皇が居るのに、建前上その配下でしかない、天皇から官位賜ってるだけの信長や秀吉が
ドヤ顔で天下語ってるって状況わけわからんだろうな。 >>56
感情的にやっただけだろ
天下とってからやった自分の首をしめる数々の振る舞いをみたら
別に賢くもなんともないわ とりあえず秀吉が
信長の草履を懐で温めたとかいう
心温まるエピソードが捏造だった時は
衝撃受けたよな 清和源氏じゃないと将軍になれないから将軍にならなかった
足利家に養子にしてくれと頼んだけど断られた。
藤原家じゃないと関白にもなれないけど
藤原家には養子にしてもらえたから関白になれた。
最近まで室町幕府のトップだったプライドのある足利家と
平安時代に摂関政治してた頃は良かったって過去の栄光しかない藤原家の違いかな
秀吉と組めば藤原家が栄光を取り戻せるかもって打算があったのかも 秀吉のエピソードは朱元璋のパクリ
本当は武将の家の出ですから 秀吉ほどではないが下級から大名ってそこそこいるよな 戦国大名ってイチ警察署長がクーデター起こして県警乗っ取ったようなもんだからね
ある程度の兵権と野心があれば誰でもなれる >>64
中国史に奸臣は大量に出てくるし
皇帝がお飾りなのは中国の方が多いだろ >>73
中国史は後宮の規模がバカでかいからだいたい宦官か外戚が力を持つね
まぁ軍人が軍人のまま政治する我が国の体制は世界でも異質で表現しにくいと思うよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています