https://bunshun.jp/articles/-/55970?page=1

兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。



現代日本の食屍習俗について
著者
近藤 雅樹
雑誌名
国立民族学博物館研究報告
https://minpaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=3874&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1

2.1 愛知県三河地方西部の事例
『西郊民俗』には,もう 1 件,愛知県下でおこなわれた食屍の事例報告が掲載され ている。1942 年に 72 歳で亡くなった男性を,集落を見おろす山の頂で荼毘に付した。 その際におこなわれたこととして,次のように報告されている。
集まった親戚中の人々が,頭がよかった故人にあやかろうとして,焼けた脳味噌をそれ ぞれに食べたというのである。
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近藤 現代日本の食屍習俗について
このことはこっそり行われたというが,A 女史の話ではまた,明治年間まで同様の風習
が存したという(山本 1990)。
山本節氏は「事の性格上,詳しい場所及び話者名についてはやむなく公表を避け る」としながらも,話者の A 女史は,食屍の対象となった男性の 3 女であること, 1907 年にその集落で生まれ,若いころには小学校教諭を勤めたインテリでもあり, 長じて家を継いだことなどを明らかにしている。また,その場所についても, 「三河高原の西部の山間に位置する農村の一集落である」と記している。


*ごんぎつねの舞台は愛知県

中山というところに小さなお城(しろ)があって、中山さまというおとのさまがおられたそうです。

これは愛知県に実際にあった中山城のこと
http://oshiromeguri.com/handa-taketoyo/02nakayama.html