https://news.yahoo.co.jp/byline/mizukamikenji/20220731-00308103

亡くなった赤ちゃんの撮影依頼はタブーか?死に顔を写真に残す行為から考えたこと

写真館でアシスタントをする、まだ駆け出しのカメラマンが、初めて撮影の仕事を任される。
それは、赤ん坊の遺体撮影だった、という、ちょっとドキッとするところから物語がスタートするのが映画「初仕事」だ。
ただ、こういう題材を興味本位に取り上げた作品では決してない。
避けることのできない死と、真摯に向き合った作品になっている。
なぜ、遺体撮影という行為を題材にし、そこでなにを描こうとしたのか?監督・脚本・主演を務めた小山駿助に訊く。(全五回)
赤の他人の遺体の写真は、あまりみたいと思わないのではないか?
前回(第一回)、「死者を撮影する」という行為について、「人それぞれ向き合い方が違い、考え方も違うのではないか」と思い、この題材に向き合っていったという話が出た。
そこから脚本作りははじまったそうだが、いろいろなことが複合的に絡んでひとつの物語が出来上がっていったと明かす。
「遺体を撮影する行為をひとつキーに、考えていったわけですが、実際、映画として描くとなると、わからないことだらけで。
リサーチはやはり必要で、遺体撮影について、いろいろと聞いて回りました。
そういう実際の人が思っていることを踏まえつつ、あらためて『遺体撮影』について自分の中で熟考してストーリーを考えていきました。
わからないことや疑問に思ったことを探って探っていって、そこにひとつ自分なりの答えを見出していくことを繰り返していきました。
恐れずに言うと、仕事で見慣れているといった場合でない限り、遺体の写真を前にしたら、いい気持ちはしないと思うんですよ。
肉親や知人であったりしたら愛着や愛情があるので違いますが、赤の他人の遺体の写真は、たとえ誰かの大切な人であったとしても、あまりみたいと思わない。
そのことは常に忘れずに、撮影を依頼された人物がいて、撮影を依頼した人物がいて、そういう人間が日本でいたらどういうことがおきるのか、どういう会話が交わされるのか、どういう感情のやりとりがあるのか、当事者となった彼らの頭の中はどういうふうな考えがめぐるのか、そういうことにひとつひとつ向き合って、自分なりの考えをだして、まとめていったら、いまのようなストーリーが出来上がっていきました。
そこに加えると、物語という点において、参考にしていたのは『さらば冬のかもめ』とか、『青春の蹉跌』などがあげられます。
それから、もうひとつ大きな影響を受けたのは、ノーベル文学賞を受賞しているトルコの作家、オルハン・パムクの『白い城』という小説です。
この小説は、カリスマ的な存在の男と、彼の弟子的な存在の男がいて、一緒に生活しなければならなくなった彼らの関係が描かれているのですが、『初仕事』の人物関係の配置はこの『白い城』がベースになっています。
あと、登場人物に関してはほぼ当て書きです。
『こういうストーリーを』とだいたい想定して書き始めて、ある時点で、『この人物は彼だな』となって人物のキャラクターも固まっていく感じでした」
作品は、写真館のアシスタントを務める山下が、初めて単独での仕事を受けるところから始まる。
ただ、写真館店主から言い渡されたその仕事は、赤ん坊のご遺体の撮影。一瞬戸惑うも、山下は今後のキャリアに置いて、いい経験になるのではないかと依頼を引き受ける。
こうして向かった先で出会ったのは、赤ん坊の父親で依頼主でもある安斎。しかし、古くからの友人である写真館の店主が撮影に来ず、新人カメラマンを送り込んできたことに安斎は怒り心頭。はじめは依頼をキャンセルしようとする。が、実直な山下の態度をみて心境が変化し、撮影を改めて依頼する。
こうしてはじまった「遺体の撮影」の行方が描かれていく。
この過程を前にしたとき、わたしたちは「死者を撮影する」行為を通して、いろいろと考えを巡らすことになる。
小山監督自身も、作品を作っている過程でいろいろと思考をめぐらせたと明かす。
「安斎さんについて考えて、まず初めに思ったのは、なぜ妻が、なぜ我が子が、他の人間ではなく、死ななければならなかったのか?その思いが彼の中にある。
なぜ悪いことをしていたとか、人に迷惑をかけていたとか、言ってしまえば天罰が当たってもしょうがないと思われるような人間は世の中に他にいるはずなのに、なぜ彼女たちなのか?その世の不条理に対する怒り、さらには、幸運な世の中の人々への憎しみが安斎にある
安斎さん本人が実直であればあるほど、愛するものに対する美化も激しい。ほとんど神格化された妻と我が子に比べれば、普通に生きているような若者は苦しんでいないように見えてしまう。