個人主義と自己責任を押しつけておいて都合が悪くなったら「みんなのこと考えようよ!みんなで協力しようよ!」 [782112767]
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日本人の歪んだ精神性って統一教会抜きでも充分カルト臭いよな
というか統一教会は日本に相応しい団体だと思うわ
組織への帰属を訴えかけて金を取る割にいざ問題が起きたら個人の自己責任ってことで切り捨てるんだろ?
それって宗教抜きでも日本でよく見られるものでしょ
悪党が売る愛情という箱の中身はいつだって嘘と暴力なんだ
http://Jamaica.com 社会問題語ろうとしたら
なんでも社会のせいにして!と無理やり個人の問題にするよな 社会不適合者なのは自己責任
個々が責任果たすと言う意味が理解出来ないのは底辺だからだぞ >>1
自己責任や底辺に生まれた人を見捨てておいて
自分達が都合悪いと助け合い 一人は皆のために、皆は一人のためには何もしないぞ自己責任甘えるな
美しい国 >>2
統一の問題なんでまさにそれだな
個人の問題のわけねーだろw そろそろ誰も助けてくれないし自分でやるしか無いとみんな気づいてきたよな
岩崎とか青葉の頃は暴走だったが山上は明確な意志を持ち行動した
自己責任社会を反省して僕に優しくしてよ!とまだ社会に縋ろうとするやつは現実見ろよ
新聞各社の調査ですべて半数以上国葬反対でも強行する国だぞ
誰もお前を助けないしそのような社会に従う必要もないだろ
自分が正しいと思ったことを自分でやれ
じゃなきゃ生きている意味がない
https://i.imgur.com/oEufXIM.jpg >>10
どうでもいい
いなくなりたいし生きていたくない 「個人」とか「個人主義」という言葉は、こんにちでこそ私たちはあたりまえのように使っているが、もともとの日本語には「個人」という
言葉はなかったという。それは、幕末から明治初期に、西欧文明を摂取していくなかで、英語で言えばindividualの翻訳語としてつくら
れた言葉であった。もともとの日本語にはindividualを表す適切な言葉がなかったのである。言葉がなかったということは、それに対応
する実体(態)もなかったということを意味する。つまり、日本には「個人」は存在しなかった、ということである。「そんなバカな。日本に
だって大昔から個々の人間はいたのだから、『個人』は存在しただろう」と思われるかもしれない。だが、個々の人間は存在したが、
それは、「個人」(individual)に対応するような人間の存在の仕方ではなかったのである。
西欧的なindividualというのは、ただ単に個々ばらばらに存在する人を意味するのでなく、自立した人格的存在としての一人ひとりの
人間を意味する。そういう人間観が日本にはなかったから、individualを表現できる言葉が日本語にはなかったのであり、それを表しう
るような言葉をつくらなければならなかったわけである。そうしてつくられた言葉が「個人」であり、したがって、「個人」という言葉は、
一人ひとりの人間というだけでなく、自立した人格的存在という意味を含んだ言葉なのである。だから、「個人として尊重される」とは
「一人ひとりが自立した人格的存在として尊重される」ということを意味する。それは、一人ひとりがそれぞれに固有の価値をもって
いるという認識のうえに、それぞれの人がもっているそれぞれの価値を等しく認めあっていこう、というものである。
人間を「個人」つまり自立した人格的存在としてとらえ、そういう「個人」を「社会」の基本的構成要素とする考え方が「個人主義」である。
ここでは、「個人」が「社会」的存在であることは当然の前提となっている。したがって、「社会」のなかで、自分が「個人として尊重される」
と同時に、他者も同じように「個人として尊重される」ことが求められる。つまり、お互いがお互いを自立した人格的存在として尊重すること
が求められるわけである。「自分のことしか考えない」のでは「社会」的存在としての「個人」にはなり得ないのである。そういう意味で、
「個人主義」と「利己主義」は、本来明確に区別されなければならないものである。
http://www.jicl.jp/old/urabe/backnumber/20140310.html 健康保険料は皆の為に払えよ
でもコロナで死にかけてもそれは個人の気のせいかもしれない エビデンスが無ければ病院に来るなっていうのが最近の最たる例だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています