革命を純粋に支配層と被支配層の対立関係と捉えるのは、階級闘争こそが世界史の原動力であると捉えるマルクス主義史観の産物でしかないんだが

革命の代表例とされるフランス革命にしても無産階級や権力基盤を一切持たない市民が絶対主義の国王権力に反旗を翻したという構図は実証史学的にも否定されていて、
産業革命の余波を受け当時成長しつつあった裕福な商人層や地方貴族など幅広い多元的なアクターが革命権力の主体であったことがわかっている

これは名誉革命でもそうで、「被支配層による支配層の転覆」という構図でなければ言葉の正しい意味での革命ではないというのは今どき古臭い教条主義的な歴史観を晒しているだけ
そもそも共産主義の理屈では前衛党が無学な大衆に先駆けて革命を先導する役割を担うのだから、その意味で革命権力は常に社会のエリートである必要がある

明治維新が下級武士による権力の簒奪出会ったことは疑いようはないが、その結果として起こったことは封建的権力による封建的階級制度の自己否定という、まさに革命としかいいようがないものだった

日本の不幸は、明治維新に宿るこの革命的でラディカルな性質を右派左派ともに正当に評価できないことなんだよな
右派は明治維新を西洋帝国主義に対する「富国強兵」のための近代化運動としてしか理解しようとせず、一方で左派は国体概念の膨張と象徴化、さらに日本帝国主義の端緒としてしか明治維新を理解しようとしない

結果として、日本人自らの手によるリベラルな方向への自己変革というネーションをめぐる物語は右派左派ともに成立せず、健全なナショナリズムも育たなかった
右派はもっぱら1945年を境に断絶した明治日本のナショナリズムの悪い部分の復古を、左派はナショナリズムそのものの否定、すなわち反権力反国家を至上命題とするに至った
その思想的な股裂き状態が、憲法改正をめぐる左派と右派の分断状況によく現れている