そう今回「物語」を紡ぐのは、「王道家」です
柏駅から徒歩約5分「王道家」店主の名前は清水裕正さん。現在46歳。

店主の清水裕正さん
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千葉の我孫子や茨城の取手を転々としながら、学生時代を過ごしたそうです。当時のお話を聞くと、
「ホント、シャレにならないくらいのワルだったから」と振り返る清水さん。確かに今も、話すのにちょっと勇気の要る
独特のオーラを纏っているのは、当時の名残かもしれません……(笑)。実際話すととても優しい方です。

そんなシャレにならない日々を過ごしながらも、ラーメンが好きだった清水さんは定期的に食べ歩いてました。
きっかけは高校生の時に食べた「ラーメンショップ」だったそうです。そして25歳の頃、これまでの自分の人生を見つめ直して、「ラーメン屋になろう」と決意します。

修行先のお店として、当時大好きだった「吉村家」と「永福町大勝軒」で本当に悩んだそうです。
「もし清水さんが『永福町大勝軒』で修業していたら、どうなっていただろうか?」思わず妄想が膨らみます(笑)。
結果、ラーメンの味だけでなく、社長の人柄にも魅力を感じた「吉村家」の門を叩きます。ところが、「吉村家」の店主・吉村実さんから
1年間断られ続けたと言うのです。その理由がまた凄くて、一番最初にお願いしに行った時は、
「お前はいいオトコだから、根性がないだろ? だから続かないからダメだ!」
確かに清水さんは今でもイケメンですから、当時は相当なものだったのでしょう。とは言え、想像のはるか上を行くとんでもない理由でした(笑)。

その後も、「なんで弟子になりたいんだ?」「ラーメンが好きだからです!」「じゃあ、家で作ってろ!」と、
断られたり……。何回も何回も断られた末に、清水さんは考えました。「入れてもらうために何を言えばいいか?」吉村さんの性格を踏まえて、導き出した答えは……、
「お金が欲しいです!」
これが決め手となり、ようやく弟子入りが認められました。この言葉でOKになるのも凄い話ですが、「これが一番の最初の修業だったね」と、清水さんは笑います。

早速、清水さんは「吉村家」の寮に入って、ナント「休みなし、給料なし」で働き始めます。これには理由がありました。清水さんは当時28歳。
回り道をしてからの入門だったので、とにかく早く仕事を覚えて、独立したいと考えました。それで吉村さんに、
「給料も休みもなしでいいです。死ぬ気でやるので、一日も早く独立を認めて下さい」と直訴しました。それで吉村さんに「俺に認められたら」と約束してもらったのです。

それから、死に物狂いで仕事を覚える生活が始まりました。何せ1日に1500〜2000杯を売り上げる超人気店。そこで朝から晩までずっと働き、
睡眠時間は1日2〜3時間。上下関係も厳しく、先輩から罵倒されることも。並大抵の人間では努めることができない、本当に厳しいものでした。
しかし、「吉村家」の味に惚れ、吉村さんの人柄に惚れた清水さんは踏ん張りました。

結果、半年という異例のスピードで全ての仕事を覚えた清水さん。元々土地勘のあった茨城・千葉で物件を探し、入門からわずか1年。
柏で吉村家直系の「王道家」をオープンさせることができました。2003年のことでした。

人気と共に、徐々に弟子入り希望者も集まってきます。かつて自分が「吉村家」で修業し、独立を許してもらったように、
家系を愛して一旗揚げたい思う若者を、清水さんはなんとかしてやりたいと思うようになってきました。
しかし、そこに立ちはだかったのが、「吉村家」が定めた「直系店は1店舗のみを経営して、そこからの独立店は認めない」という決まりです。
清水さんは何度もお願いに行きましたが、「それを認めると秩序が乱れる」と、許しを得ることはできませんでした。これもまた、致し方ないことです。
「自分をここまでにしてくれたのは、紛れもなく『吉村家』」。清水さんは感謝と尊敬の念を、今も変わることなく持ち続けています。
しかし、可愛い弟子たちを見捨てることもできません。まさに「親を取るか、子を取るか」。清水さんは苦渋の選択を迫られました。
2011年、「王道家」は直系から離れることとなります。清水さんは弟子を育てようと覚悟を決めたのです。
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