山上徹也容疑者の全ツイートを計量分析して見えた、その孤独な政治的世界


ここで背景を整理してみよう。一般に旧右派(従来の保守派)/左派(リベラル派)/新右派(ネット右派)の間には、権力/反権力/反・反権力という関係がある。つまりマジョリティとしての保守派の権力を批判するリベラル派は、マイノリティのために反権力の戦いを起こすが、一方でそうしたリベラル派にむしろ権力性を見、それを批判するネット右派は、「真の弱者」のために反・反権力の戦いを起こす。

ここで彼のケースを考えてみよう。彼は自らを追いやっていったリベラル派への反発から、つまりその反権力の戦いに見られる権力性への反発から、ネトウヨにならざるをえなかった。そして反・反権力の戦いに加わり、リベラル派をやっつけるために、これら2つのアプローチを採る必要があった。しかし彼にはそれができなかった。

まず第一のアプローチとして、彼は保守派と結託することができなかった。なぜなら保守派は統一教会と結託していたからだ。

次に第二のアプローチとして、彼は反知性主義的な態度を取ることができなかった。なぜなら知的であることは、おそらく彼にとっての最後の誇りだったからだ。

こうしたことから彼は、結局ネトウヨになりきることができなかった。その結果、保守派にもリベラル派にもネット右派にも属することができず、また、権力にも反権力にも反・反権力にも与することができなかった。
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