そして同時期、各地の発電所や送電施設で、原因不明の事故や事件が相次いでいたのだ。

 水力発電所で鉄管が突如、破裂し、高圧送電線が切断される事例が続いた。猪苗代でも夜、戸ノ口堰第三発電所に賊が侵入し、変圧器を冷やす送風機を盗み出そうとした。幸い、宿直員が発見し、賊は逃走したが、下手をすると変圧器が焼き切れたかもしれない。国鉄の常磐線でも信号機が壊され、警察電話が切断される事件があった。

 猪苗代は首都圏の生命線だった。

 ここは、日橋川上流の第一発電所を始め、小野川、秋元、沼ノ倉などいくつもの水力発電所を抱えていた。総発電量は50万キロワットに達し、京浜地区の需要のじつに3分の1をまかない、大正時代に完成した送電線で首都へ送られる。その出発点が、第一発電所付近の膳棚開閉所で、一帯の電力はここに集められた。

 つまり、この開閉所のスイッチ一つで大停電が起き、首都は混乱に陥る。

「共産党が発電所をぶっ壊そうとしてる、東京を暗黒にして革命をやるつもりだ」という田中の言葉は、それを指していた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/018478943f359b7d32fd830afb7804810c69ed32?page=5