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【ソバーキュリアス】飲酒は神に忌み嫌われるサタンの業。お酒を飲まない生き方12のステップはこちら! [979264442]
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2022/09/03(土) 18:02:06.08ID:0p33VDXQ0●?2BP(6000)

【図表】お酒を飲まない生き方12のステップはこちら
https://i.imgur.com/92uT1rP.jpg

あえてお酒を飲まない“ソバーキュリアス”体験談 「体も気分も最高に軽くなった」

 世の中には二つのタイプの人がいる。お酒を飲む人と飲まない人。昨今、お酒を飲まない“ソバーキュリアス”なる現象が広がりつつあるという。どんな生活が待っているのか。実践者と医師にソバーキュリアスの効果と実態を聞いた。


*  *  *

 コロナ禍で外出自粛が求められたとき、人々は家飲みを余儀なくされた。在宅時間が増えたことでお昼から家で飲む人が増えたともいわれたが、現在はコロナとの付き合い方がわかってきたことで、少しずつお店で飲む人も戻ってきている。

 だが、そんなお酒をめぐる状況に変化が起きている。それがソバーキュリアスと呼ばれる現象である。

 では、ソバーキュリアスとは一体何だろう。まずは、その言葉から。

 ソバーとは英語のsoberで「しらふ」という意味。キュリアス(curious)は「好奇心が強い」。ソバーキュリアスとは、飲めるけど「あえてお酒を飲まない生き方」だ。最近はノンアルコール飲料をコンビニなどでもよく目にするようになり、お酒を飲まない人が増えているのを感じる。

 その背景の一つが健康志向のようだが、お酒を飲むと楽しいし、コミュニケーションも活発になる。長年お酒を飲み続けた記者(58、男)は、お酒を飲まないなど考えたことは、肝臓を壊したとき以外は長年なかった。

 どんな生活が待っているのだろうか。ソバーキュリアスを実践している人に話を聞いた。

「ソバーキュリアス生活を始めて、いいことばかりですよ」

 と快活に、そして健康そのものという雰囲気を前面に出しながら話してくれたのは、作家の桜井鈴茂さんである。

 桜井さんは365日毎日飲んでいた。1週間のうち3~4日は外で飲み、かなり深酒することも月に1~2度あり、そのたびに後悔していたという。

 次の日にもお酒が残り体調が優れない。調子に乗って一緒に飲んでいた人にいらないことを話しすぎてモヤモヤする。この二つを体力的精神的に挽回するために翌日の大半を費やし、無駄な一日を過ごしたと、後悔を重ねる日々を送っていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/98c0fdf5fbf78b0032862ed2dc7056cae98896f3
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2022/09/03(土) 18:05:18.61ID:xrJ2k8jla
蕎麦で飲みます
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2022/09/03(土) 18:08:03.13ID:wRno9zytC
飲みたくないという気持ちはないんだが飲まなくなったな
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2022/09/03(土) 18:09:20.59ID:gKpsgn4qM
余裕で止めたわ
買いに行かなければいいわけで
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2022/09/03(土) 18:35:01.45ID:0p33VDXQ0?2BP(5000)

アルコールは、人類を神への崇拝から遠ざけるためにサタンが用いる道具の一つです。神はクルアーンの中で、サタンが人類の敵であることを明確に述べていますが、私たちは飲酒することにより、自分たちの人生にサタンを招き入れ、人生の真の目的である神の崇拝から私たち自身を妨げさせてしまっているのです。

“本当にサタンはあなたがたの敵である。だから敵として扱え。かれは、只燃えさかる火獄の仲間とするために自分の手下を招くだけである。”(クルアーン35:6)

アルコールは思考に影響し、罪深い行いや悪行を正しいものであるかのように思わせます。また、それは人々の間に憎悪や敵対心を植え付け、人々が神を思い起こしたり礼拝したりすることから遠ざけ、非合法な性的関係へと誘惑します。アルコールはその消費者を愚かな行動に走らせ、恥辱・後悔・不名誉を生み出します。

“サタンの望むところは、酒と賭矢によってあなたがたの間に、敵意と憎悪を起こさせ、あなたがたが神を念じ礼拝を捧げるのを妨げようとすることである。それでもあなたがたは慎しまないのか。”(クルアーン5:91)

イスラーム以前のアラビア半島では、アルコールの消費が蔓延していました。こうした害悪を取り除くため、神のそのご慈悲から、段階的に禁止を啓示しました。まず、神は飲酒の害悪はその利益よりも大きいことを明確にし、次に酩酊した状態で礼拝に来てはならないことを命じ、最終的にアルコールの禁制を明記する啓示を下したのです。

“あなたがた信仰する者よ、誠に酒と賭矢、偶像と占い矢は、忌み嫌われるサタンの業である。これを避けなさい。恐らくあなたがたは成功するであろう。”(クルアーン5:90)

この節が啓示されると、マディーナのムスリム市民たちは、直ちに酒壺を破壊したり、それを路地に破棄したりしました。ワインを嗜んでいた者たちでさえ、その場でそれを吐き出したのです。それゆえ、マディーナの路地にはアルコールの流れが出来たとされています。なぜ、この21世紀では同じようにすることが困難なのでしょうか? 今日の信仰者たちは、初期のムスリムたちがそうしたように、神を信頼し、神こそが彼らの保護者であり供給者であると理解しなければなりません。すべての力は神から来るものであり、アルコールのような試練は、それに影響された者が、完全な服従をもって神に立ち返らない限り、根絶されることはありません。

クルアーンは、全人類のために送られた導きの書です。それは、創造主から被造物への指南書です。この指南書に従うことにより、私たちの人生は災難や不幸と直面したときでさえ、容易で安らぎに満ちたものになるのです。神はアルコールとギャンブルを多神崇拝と結び付け、それを汚れた邪悪なものとします。しかしながら、神は信仰者に対し慈悲深く寛大であり、中毒性の強さを認知します。

イスラームは、悪行や罪深い行為から悔悟しようと望む者を励まし、助けの手を差し伸べます。神は、自らの行為を本当に後悔し、罪から遠ざかろうと決心する者の悔悟をお認めになるのです。ムスリム共同体は、過ちを犯した者を排斥したりはしませんが、そうした者もイスラームの範疇に留まり、罪深い行いを止めることが出来るよう、神へのお近づきが推奨されます。友人・家族・隣人たちは、誰かが自らを、またはその家族を害することから顔を背けたりはしません。イスラームは共同体に根ざした信仰なのです。もしも、ある行いが他者を傷つけるのであれば、個人がそれを行うことは許されません。アルコール乱用は、アルコール中毒の本人だけでなく、その家族とコミュニティに対して影響を与えます。アルコールの禁止には、多大なる英知が潜んでいるのです。
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