館林の金型メーカーがBYDと歩んだ12年、「いい判断だった」TMC社長
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/07132/

「当時は批判的な声が多く届いたし、社員も不安だった。それでも、いま振り返ればいい判断だったと思う」。
胸の内を打ち明けたのは、TATEBAYASHI MOULDING(TMC、群馬県館林市)社長の髙草木健一氏である。

 TMCは群馬県館林市に拠点を置く金型メーカーだが、中国の大手自動車メーカーである比亜迪(BYD)における日本唯一の生産拠点と説明したほうが分かりやすいだろう。
金型メーカーのオギハラ(群馬県太田市)の館林工場を、BYDが2010年に買収したことで誕生した企業だ。

自動車の車体を製造する上で欠かせない金型には、多くのノウハウや長い年月をかけて蓄積してきた知見が詰まっている。
このため、買収当時は「日本の技術が中国に流出してしまう」といった懸念が噴出した。

オギハラの館林工場に勤めていた社員やその家族からは、「会社が変わってしまう」といった心配の声も多くあったという。
TMC社長の髙草木氏は、2010年当時はオギハラの別の拠点で勤務していたが、「中国企業になる不安はあった」と振り返る。

 買収から約12年がたった現在はどうか。TMCの社員数は、設立当初85人ほどだったが、約120人まで増えた。BYDからTMCに出向している執行役員の張俊衛氏によると、
「BYD本社から会社の制度を変えろと指示されたことはない。購買や人材採用などの全権限はTMCにある。
いい金型をきちんと提供してくれればそれでいい、というスタンスだ」と説明する。

 BYDの日本法人であるビーワイディージャパンの社長である劉学亮氏は、「TMCはBYDにとって欠かせない存在。
高品質な金型があるからこそ、クルマができる」と語る。実は劉氏、BYDに入社する前はオギハラに籍を置いていた。製造現場を経験し、金型を磨いた。
髙草木氏とも、1年間ほど同じ職場で働いていたという。
その後、劉氏は営業担当として欧州や中国などに飛び、その中でBYDと縁ができて2004年に移籍した。オギハラの買収にも「関わっていた」(劉氏)という。

 BYDがオギハラの館林工場を買収した2010年ごろ、日本の金型業界は「生きるか死ぬかの状況だった」(髙草木氏)。オギハラ本体は2009年にタイの自動車部品大手Summit(サミット)の傘下に入った。富士テクニカは宮津製作所と統合し、富士テクニカ宮津となった。廃業した金型メーカーも少なくない。こうした過程で「多くの金型技術者が居場所を失い、海を渡った」(金型業界に詳しい関係者)。

BYDは「トヨタより厳しい」

 そんな中、BYDグループとして生きることになった館林の金型メーカー。TMCは、「BYDの要求に応えるために、技術力を磨いて食らいついてきた」(髙草木氏)。TMC工場長の秋元孝司氏によると、「BYDと日系の自動車メーカーでは、金型製造で重視するポイントが大きく異なる」という。
日系自動車メーカーはコスト低減への関心が高いが、BYDは「コストよりも、デザインへのこだわりや短納期への対応を強く求められる」(同氏)。

 髙草木氏は「外観への要求は相当厳しい。トヨタ自動車よりも厳しいくらいだ」と明かす。日本での発売が決まったSUV(多目的スポーツ車)タイプの電気自動車(EV)「ATTO 3」の開発でも、「相当泣かされた」(同氏)。