下関市東大和町にあった安倍事務所が12月を持ってすべての荷物の整理を終えて看板を下ろし、後援会も県民葬が終わった後に解散になるとかで、職を失う私設秘書たちが就職活動を始めていることが話題になっている。
来年4月におこなわれる山口4区の補選について、当初は安倍・岸家の子息が後継として出馬することが取り沙汰されていたものの、世襲批判や選挙区の私物化批判を恐れたのか、はたまた一族のなかで話がまとまらず不調に終わったのかポシャったといわれ、跡目争いが宙に浮いたもとでの“安倍事務所解散”である。

安倍晋三亡き後、引き続き下関なり山口4区を基盤にして安倍派としてのまとまりを維持することは困難になり、白旗を上げたような光景にも見える。
以前から後援会長や幹部たちも高齢化が著しいことが指摘され、誰が安倍派を束ねていくのだろうか? と世代交代の懸念は語られていたが、地元において度量があってなおかつ睨みが効くような存在感のある者もおらず、リーダー不在とも相まっての解散なのだろう。
その兆候は既に昨年の衆院選で8万票(前回選挙より2万4000票を減らした)そこらだったのにもあらわれ、実はお膝元における地盤崩壊・弱体化は進行していたのだった。

 生前はなんでもかんでも「安倍先生の意向だ」が天の声として機能し、筆頭秘書その他が威張ってこられたのも代議士の後ろ盾があったからにほかならない。
90年代に父の安倍晋太郎が急逝した後、安倍派県議だった古賀敬章が一部秘書を引き抜き、4区奪取の動きを見せて対抗したのに対して、ケチって火焔瓶等々で浮き彫りになったような血なまぐさい制裁を加えて古賀を叩き出し、古賀を応援した企業に至るも市の指名入札から徹底排除するなど、極めて暴力的な形で下関における安倍一強支配は強まっていった経緯がある。
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