わたしはつくづく思うのだが、日本人が小学校や中学校、高校で学ぶ“古典”が、日本語の古典や中国語の古典なのは日本人の精神性に対してはなはだ不利なことだと思う ラテン語や古代ギリシア語の古典というのはそれだけで人間精神を進化させるのだが、日本語や中国語の古典には残念ながらそういうことはないようである なので日本語や中国語の古典を学ぶくらいならいっそ廃止して専門家だけ学べるようにして、英語教育に傾けたほうがまだいい 本当は“国語”なんてものがなくてさまざまな国のさまざまな天才たちの本を読むのがいちばんいいのだろうけども ショーペンハウアーはプラトンの『国家』が大学以前の教育で熱心に読まれることが哲学のためにはいいと言っていた 日本語や中国語の古典にそんなものはない


すなわち、真の哲学者のいかなる書物も、ひとたびかかる人士の手にはいるや、こんにち行なわれている平凡陳腐な講壇哲学の講釈よりもはるかに彼を強力活発に鼓舞するであろう。また高等学校(ギユムナージウム)においては、哲学的精神を振起する最も有効な手段としてプラトンが熱心に読まれるべきであろう。

アルトゥール・ショーペンハウアー
余録と補遺:哲学小品集 第一巻
白水社ショーペンハウアー全集10p.203