>>99
当時は婿入り婚で夫が妻の実家に通う(記紀の記述から明らか)ので、
男の地位は、〇〇の生まれであることと、〇〇のムコであること、この二つで決まったのではないか。

例を挙げると、
初代神武は、ニニギの子孫であること、および大物主のムコであることも地位の根拠
欽明天皇は、オオキミの子であること、および蘇我のムコであることも地位の根拠

〇〇から嫁を迎えるのではなく、〇〇のムコとなることで〇〇の一員となり〇〇の後ろ盾を得るのな。

連合政権は複雑に張り巡らせたムコ関係の現れなのかもしれない。
日本書紀で、崇峻帝が馬子に殺される箇所は、現代感覚では驚きだ。
馬子が批判されていないばかりか、地位を失ってはいない。
そういえば崇峻は、欽明の子ではあっても、有職者のムコではない。