天皇記(原古事記)が完成したのが620年[推古朝]

649年に蘇我倉山田石川麻呂[改新政府の右大臣]が誅殺され原古事記の写本が朝廷に押収され隠匿される


150年後に多人長が再発見。
その多人長が藤原の権勢が振るわれる世情に考慮、かつ自家称揚のため編者を祖先の太安万侶に入れ替えるなどなど原古事記を修正して完成させたのが『古事記』だとすれば推古天皇までしか歴史書いてないこととか全部説明つきますわな