爺さん婆さん「戦時中の芋はまずかった🍠」燃料用に作られてたから気のせいではなかった😭 [623834489]
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軍国主義時代の日本の悩みは近代戦に不可欠なガソリンの極度の不足だった。そこでサツマイモとジャガイモから燃料用の無水アルコールを作り、ガソリンに混入することになった。
1937年、そのための「アルコール専売法」が制定され、年産2万石(3700キロリットル)規模の国営アルコール工場の建設が全国の主要いも類産地で始まった。関東では千葉市と茨城県の石岡に建設され、1938年から操業を開始した。
両工場とも原料はサツマイモで、品種の中心は「沖縄100号」と「茨城1 号」だった。
ただ食べてみるとまずかった。あま味もうま味もない、べチャべチャの「水いも」だった。特に「イバイチ」と呼ばれていた茨城1号はひどく、のどを通るようなものではなかった。
https://www.jrt.gr.jp/diary/nikki_11.html
「茨城」と言えば東京人の抱くイメージは芋であります。東京では「駄埼(ださい)」に続いて「茨城のイモ」が蔑称となり、茨城県民には甚だ不愉快な言葉となっています。このことに関しては、ここの地方史に
戦時中アルコール原料のデンプン専用として、多収穫目的に品種改良された甘藷「茨城一号」を、食用として買った人がかなりあって、その不味さに驚き、「茨城のいば一」として悪名を高めた。
と、記載されています。決して売ったとは書いていないところが、茨城県の茨城県たるゆえんでしょう。
戦後の食糧難時代に「茨城一号」が多大の貢献をしたことは事実です。ご存じの方は年配になりましたが、茨城一号は図体が大きくて腹の足しにはなったのですが、その味が後々までたたって、茨城県というと「茨城一号」の味が食糧危機の時代と共に思い出され、いまいましさを後世に遺したのです。 米問屋関係だったから芋なんて戦中食ったことないと曾祖母が言ってた 芋食えるだけマシで
朝鮮人は農家に頭下げて捨てる芋の蔓貰ってた
しかも戦後の昭和30年代ぐらいまで
これ茨城の日常 ワインもソナーの材料に使われたらしいな
ワインは兵器だ!ってスローガンも作られて
そこから国産ワインは不味いってイメージがついたらしい
関係ないが死んだばーちゃんから聞いたら
カボチャは育てるのが簡単だったから戦後採れすぎて近所に配ったらしい いまは干しいもとかいってありがたがっているが
30年前のかんそいもとか4出た時代は食えたもんじゃなかった
味がしない、温めないと歯が立たない
どうしてこうなった 美味しんぼで昔の野菜の方が旨いって言ってるけど絶対嘘だわ 俺のばーさんは死ぬまでさつまいもが嫌いだったな。
爺さんが好きだったから栽培してたけど。 むかし茨城県の農業祭かなんかで茨城1号と紅あずまの食べ比べやったけど確かに味がほとんどなかった
(ヽ´ん`)「サツマイモばっかり食べてたなんて羨ましい」 芋に限らず昭和の野菜は全体的にまずかっただろ
葉物は青臭かったし人参は薬みたいな味だった 「茨城」と言えば東京人の抱くイメージは芋であります。東京では「駄埼(ださい)」に続いて「茨城のイモ」が蔑称となり、
ダサい玉www >>28
昔の野菜から見たら品種改良しまくってるからね。
そりゃ、その時代に上手いと言ってた人間には味が違うと感じるわな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています