日本刀が昔のほうがいいのって、作り方とか材料が違うんじゃないの(´・ω・`) [134367759]
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捜索に感謝「そっと見守って」 松戸不明女児 南朝芽さん家族がコメント <全文掲載>
https://www.chibanippo.co.jp/news/national/983454
(´;ω;`) 嘘の日本刀を作り続けても永遠に古刀の再現できないんじゃないの(´・ω・`) 昔の名刀が凄いのは海外から入ってきた南蛮鉄使ってるからだったってオチなんだろ?
国産の鉄使ってるうちは永遠に追いつけないっていう 見つけた隕石で作ってたけど
同業者が増えてレベルが下がったらしい たたら製鉄じゃない鉄を使ってたんじゃないの(´;ω;`) 長巻のほうが攻撃力あるすごい武器だけど
日本人は忘れたので外人に発見されたらしい 一番性能が良い日本刀は大正時代~昭和初期に作った軍刀 人を殺すために作られていた戦国時代以前の刀と
美術品として作られていた江戸以降の刀 刀に限らずどういう工法で作ったのかわからないものある >>7
そんな説はないあったとしても一部の人間が唱えるトンデモ説にすぎない >>16
曜変天目は現代科学で解明して量産して欲しい 昔の方がありがたいと思う人類の思い込みだろう
というか現代でサイキョーの刀が作れても使い道ない >>20
日本で作ってない物も日本刀に含めるなら今アメリカで作ってる刀が歴史上もっとも優れた日本刀だしな
何に使うかというと何にも使えないんだが >>14
軍刀って手にとってみれば分かるけど短い割に重くて使いにくいぞ
まぁ頑丈そうではあるが 昔の刀は実際に人間を試し切りして業物であることを証明できた
今はそれが出来ない。それが昔を超えられない理由なのだ 大航海時代の影響でできあいの粗悪な南蛮鉄などが流入してしまった
日本列島は金銀銅はいっぱい採れるのに鉄はほぼないの面白いよね! 室町幕府の勘合貿易は約150年間に19回、一回の船団は2~3隻。
一方、十六世紀中葉の民間貿易(密輸、倭寇)の回数は538回、
一回の船団は数十隻から数百隻の規模だった。扱う物量は公式貿易など話しにならなかった。
宋の時代になると、宋の商人達は博多に多数居留し、
但馬国や越前の敦賀に来航して居留をした「唐人」達もいた。
http://ohmura-study.net/017.html
密輸した鉄だった!! スクラップのトラックの板バネで作った日本刀がすごいって 唐房の規模を知る逸話がある。
承徳元年(1097年)に、大宰府の長官が亡くなった。その時の葬儀の記録に
「博多にはべりける唐人ども、あまた詣で来て弔ひける」とある。
又、貿易の利権に絡み大きなトラブルがあった。これに怒った大宰府の官吏が
軍兵を率いて筥崎の唐房を襲った。宋(唐人)の王昇という商人の後家さん宅以下
千六百余家の資財を奪うという事件を起した。
当時の千六百余戸というのは大変な戸数である。 また、ジャコウネコやインコなどの珍しい鳥獣を輸入して貴族や富裕層の贈り物にすることが流行した。
唐物の増加により物価が上がり、幕府は建長六年(1254年)に宋船の入港を5艘に制限しようとしたが失敗した。
それだけ貿易が盛んだったということである。 田沼意次は殖産興業でおなじことやろうとしたみたいだな。
物価が上がれば米の値段も上がって武士の給料も上がる。 平安末期から鎌倉時代にかけての日本の主要な実用輸出品は、砂金、木材(羅木や周防の松杉)と硫黄だった。
硫黄は、宋の時代から軍備を支える火薬の材料であり、大陸より硫黄の産出が多い日本は日明貿易に入っても輸出が続いた。
仏教僧の移動が活発で、貿易船に乗って日本、高麗、元を往来した。
鎌倉幕府も、寺院や鎌倉大仏の造営費のために寺社造営料唐船と呼ばれる勧進船を派遣した。
韓国の新安郡で発見された新安沈船も、京都・東福寺、博多・筥(箱)崎宮の木簡が見つかり、寺社造営料唐船だったと判断された。 南宋を滅ぼしたモンゴルのフビライは、鎌倉幕府に朝貢を求めたが、
日本が拒否した為、属国の高麗を焚き付けて日本に侵攻してきた。
1281年、二度目の弘安の役では、漢人で構成する江南軍10万、高麗軍約8,000人が
大量の軍船に乗って日本へ押し寄せたが、鎮西武士団の活躍と悪天候に阻まれて遁走した。
生還した者はわずか一~二割足らずだった。捕虜となったモンゴル人と高麗人は処刑されたが、
古くから日本と交流のあった南宋人(漢人)は助命され、手に職を持つ旧南宋人はそれなりの扱いを受けた。
俺もこの辺りに来たんじゃないかって気がする。
一応の資料では平安時代からいるみたいだけど。
どうなんだろうねえ。 でも近衛府で警備員やってたこともあるかもしれない。 近衛府で警備員やってたとしたら、平安時代以前からいることになるけどねえ。 チタンとかタングステンとかで作った方が強いの作れるんじゃね? 元初(1304年)から日本の武装商船(倭寇、海賊)の活動が始まる。
明はこの防止策として洪武四年(1371)に「海禁令」を施行した。
海禁とは「下海通蕃之禁」(出海し外国に通交することを禁止する)の略語である。
以来、時々の情勢に合わせて内容が異なる「海禁令」が度々施行され、海外諸国とは朝貢貿易のみを許していた。
その結果、民間の貿易を制限することになった。
貿易の制限は、沿岸部にいた大勢の海商人と貿易関連の仕事に携わる人々の深刻な死活問題だった。
これに反発した明の商人達は一斉に密貿易に走り、倭寇と手を組んだりしてその活動を拡大していった。
自由貿易と違って、官憲の取り締まりの目を盗んでの密貿易は不自由である。一方、物資が必要な日本側の商人達は物資を確保する
為に密貿易を支援し、強奪も辞さない構えを取らざるを得なかった。 歴代の王朝が財源確保の重要施策として貿易の振興に力を尽くしてきたのに、
財源の持ち出しが多い朝貢貿易は相手国の貿易船が活発になるだけで、明の海商達には何のメリットもなかった。
こうした状況から、明の船も200トンクラスの小型化に向かった。
そして、1436年、ついに遠洋航海用の船舶の建造が中止されてしまった。
朝貢政策は愚かな政策だったと言わざるを得ない。只、理由は分からない訳でもない。
異民族に支配された元時代の反動もあって「漢人の中華」を目指したものと思われる。
然し、倭寇の対策で国防費は財政を圧迫し、倭寇の跳梁はそれに追い打ちをかけて国を疲弊させた。
ついに隆慶元年(1567)、明は海禁令を解き、海外渡航の緩和策が取られた。
但し、倭寇を恐れた明は、日本に対してのみ渡航を禁止し、輸出品も「硝石・硫黄・銅・鉄」は禁止した。 昔は人件費の概念がなかったからいくらでも手間を掛けられた。
寺院建築なんかも同じだぜ。 なるほど。戦国時代に明から鉄が入らなくなるわけか。 時の政権が黙認し、大名さえもが後ろ盾になった密貿易・倭寇の対象物は、
国家・社会にとっての必需品以外には考え難い。その物資が何であるかを明が明確に答えていた。
即ち、明が輸出を禁止した「硝石・硫黄・銅・鉄」などがそれである。
これらは国防装備・産業(農工業)振興・社会の基礎作りに万国共通で欠かせない物資であった。 材料も作り方も規程のものに従わないといけないんだろ
面倒だよな
単に切れ味を追求したい刀工もいるだろうに >>1
戦国時代
大量生産 なまくら大量
鎌倉時代 武士の装備 戦国よりなまくら率が低い 四 倭寇と水軍
https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/62/view/7855
永享元年(一四二九)に来朝した朝鮮通信使の朴瑞生は、
倭寇の基地の半分は北九州にあり、あとの半分は赤間関以東の瀬戸内海沿岸や島嶼であるといっている。 今の刀工って技術ちゃんと受け継いでんの?
見様見真似じゃないの? 日本で産出しない火薬用硝石は輸入するしか方法がなかった。
効率を考える貿易船が硝石のみを積載したとは考えられない。
倭寇が争って奪った鉄器類を思えば、当然に鉄も積載された。
日本の和銑では火縄銃が造れなかったからである。
倭寇が明の商人達とも結託し、鍋鎌・鉄器などを
金を払ってまで必死に漁った理由が解ろうというものである。 宇宙から飛来した鉄ですげー刀が作られてたってのがロマンがあるよなぁ 戦国の世が終わり、鉄の需要も減ったであろう安土桃山時代から江戸初期にかけて、
オランダ貿易の南蛮鉄が流入した。明は日本への鉄の輸出を禁止していたが、
明の史料「明神宗実録」の1612年の条に「鉄は(日本で)もとの値の二十倍になる」との記述がある。 >>63
戦国時代以前の砂鉄が手に入らないから
その頃に精錬された鉄くずを集めて刀を鍛える。
日本中の古い建築物のリストを手に入れて
リフォームや建て替えの情報に耳を尖らせる。
工事が始まったら現場に張り付いて乞食。 発見された貿易沈没船は一艘当たり数十トン~二百トンの鉄素材と鉄器を積載していた。 先に、国内中世での鉄不足を約1,000トンと試算した。
鉄100トンを積んだ船が10隻も来航すれば事足りた。
当時の外洋航海は危険を伴うので、貿易船は5~10隻の船団を組むのが普通であった。
鉄消費のピークは、戦国時代と外圧の危険に晒された幕末である。 古刀と新刀が違うのはふいごが改良されてたたら製鉄で作られる鉄の質が変わったからって話もよく聞くよな なるほど。古い刀は皮鉄に覆われてない。ものもあるかもねと。
たしかに古い刀は軟らかいとあるな。 包丁で軟らかい鉄に硬い刃の部分の鉄をくっつけた包丁がある。
古い刀もそういう風に作られてる。ということだろう。 >>73
砂鉄から精錬する時の不純物の問題。
ダマスカス鋼なんかも同じ。
骨董品買うのと新しく職人に作ってもらうの値段耐久性鑑賞用途諸々でどっちが良いんだろな いま中国から鉄輸入しても当時と製鉄法が違うからおなじにならない。
中国の鉄鉱石を輸入して当時のやり方で製鉄すればなんとかいけるか。 >>79
材料まで刀工持ちだと一振り200万。
この刀を潰して鍛えてくれって言うと50万とかになる。
何するか知らんけど骨董品で楽しんで
ぼろぼろになったら刀工のとこに持っていけばいいんじゃね。 日本刀が出来た当初から実用というより美術品という観点で言えば
現代の刀は駄目なんだろう。性能はいいのかもしれないけど。 >>76
最古級の日本刀を非破壊検査してみたら心鉄が入ってたから心鉄入れる作り方のほうが伝統 材料持っていってこれで作ってって言うのが
いちばんかもしれないな。 >>80
日本製の砂鉄じゃなきゃだめ。
当時の山窩がその鉱脈を言い伝えていたけど
山窩自体が滅んでしまった。
必要なのは不純物だらけの劣悪な砂鉄。ゴミみたいな本来ならゼロ価値なやつ。
その壮絶なゴミをこね回す技術が日本刀の鍛造。
中国製の上等な鉄鉱石じゃない。 もののけひめのタタラバってのがあっただろ。あれだよ。 とにかく古い刀は軟らかいのだそうだから軟らかくないと駄目だろう。 >>82
実用性に大きく寄与するのが焼戻しという工程なんだけど
これをしっかりとやると刃文が明瞭ではなくなる
つまり美術性が喪われるということ、美術刀剣作れる人は、焼入れの特性なんかもわかってるからやろうと思えば実用性のある刀は作れるよ
逆に切れ味とか実用性を全面に出して宣伝してるような刀工は美術刀剣が作れないから実用性ばかりを宣伝してるという側面もある つまり日本の玉鋼は不純物が少ないから錆びない
は間違いだったってことになるよな。 あれか。焼き入れした後にもう一度焼く作業。
鉄の歪みを取る作業。なるほどねえ。 >>91
その玉鋼の要件も時代ごとにぜんぜん違うでしょ。
1000年前だと精錬技術が稚拙すぎて今の玉鋼の基準には
全然達してないはず。 GHQのせいで焼きいれ焼き戻し油で冷やす製法が認められなくなって水で冷やすしかなくなってと聞いた >>91
玉鋼は中世末期~
玉鋼の刀なら再現できるんじゃん?
古刀ってのは玉鋼より前の刀 >>85
中国の舶載鋼なんかは、末備前の数打ちとか、貿易用の二王とかだよね。
復元すべき古刀は赤目砂鉄のヘボい鉄使ってるんでしょう いまのまま嘘やってると、日本刀そのものが終わる恐れあるんじゃないかな。 玉鋼という物があるわけじゃない
上質な鋼を玉鋼と言うんだそうだ
包丁無かったので買わずに砂鉄から作ってみた
https://youtu.be/B51jK-kj-D8 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています