あとヘーゲルの弁証法は、ショーペンハウアーやポパー、ヘーゲルの弁証法を継承したと言うマルクス自身も言ってるけど、ちょっとおかしいんだ だからそんなに真面目に受け取ってはいけない 使うにしてもマルクスみたいにちょっとアレンジしてもいい いわゆるヘーゲルの「いかさま」というやつだ


 マルクスを正当に論じるためには、彼の誠実さを承認せねばならない。彼の寛大さ、彼の事実感覚、冗長さ特に訓話的冗長さへの彼の不信が、彼を偽善と儀礼偏重に対する世界で最も影響力のある闘争者の一人としたのである。彼は被抑圧者を救済するという燃えるような熱望を持っていたし、言葉によってのみならず、行動で自らの証しを立てる必要を十二分に意識していた。彼の主要な才能は理論的なものであったから、彼は、人類の大多数の運命を改善する闘争にとって科学的武器であると信じたものを鍛え上げることに莫大な労力を捧げた。私の信じるところでは、真理探求における彼の誠実さと知的廉直さが彼を、彼の多くの継承者から分つのである。(とはいえ、不幸なことに、彼は、ショーペンハウアーによって「あらゆる知性を破壊するもの」と記された、ヘーゲル流の弁証法の雰囲気の中で育ったので、その腐敗をもたらすような影響から完全に解放されていたわけではなかった)。社会科学や社会哲学へのマルクスの関心は基本的には実践的な関心であった。彼は知識のなかに人類の進歩を促進する手段を見たのであった。

カール・ライムント・ポパー
開かれた社会とその敵 第二部 予言の大潮 ヘーゲル、マルクスとその余波 第十三章マルクスの社会学的決定論
未来社開かれた社会とその敵第二部p.81~82


私はフィヒテの「駄法螺」とヘーゲルの「いかさま」を区別するが、それはショーペンハウアーに倣っているのである。もっともこうした区別を主張することがおそらく少しばかり衒学的であることは認めざるを得ないのだが

カール・ライムント・ポパー
開かれた社会とその敵 第二部 予言の大潮 ヘーゲル、マルクスとその余波 第一二章ヘーゲルと新たな部族主義
未来社開かれた社会とその敵第二部p.56