(ヽ´ん`)「いじめ嫌だ、学校休む」 今風の親「いいよ」 昭和の親父「バッカモーン殴り返して来い!」◀これが正しかった事実 [701470346]
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>>313
素人がどう思ったかより専門家の確定的な意見をさっさと出した方が早いからね もっとも5chの連中は専門家の誰も言っていないような意味不明な意見を自分独自の意見だとかいって嘯くわけであるが 今引用したプルードン、ルソー(エンゲルスが弁証法の「否定の否定」の見事な例だと指摘)、モンテーニュの文章は、単にヘーゲル以前に弁証法があったことの例でしかないよ>>303 >>315
資本論の序文は読んだか? マルクス自身がヘーゲルの哲学は「神学的」と言っているけど というか言われなくても読めば分かるだろ 資本論第二版への後書 岩波文庫資本論p.32 暴力には暴力で立ち向かうのが正義
暴力を受けてやり返さないのが悪い >>316
あなたにとって『専門家』というのは「100%正しいことを教えてくれる人」であり依存の対象しかない。
信者が手っ取り早く安心を得るために教祖様の言うことを聞くのと一緒ですよ。 不登校の子供の親のツイッター見てると
ほぼ母親過干渉、父親無関心(というよりDV)の家庭ばかりだわ
こういう家の子供は学校だけ休ませてもなぜかうまくいかんね
どうすればいいのかわからんけど 一度逃げたら一生逃げることになるんだよ
俺みたいに30歳ニートになったら手遅れだ メンタルダイゴとかなイジメられてましたとか売りにしてるけど
最終的にナタを投げつけ返すくらいの神経してる奴で
今ではイジメ返すようになってるだろ
俺らは一方的にやられるだけで潰れてお終い
どうにもならないわ >>319
じゃあ逆に、ヘーゲルの哲学が「神学的でない」と言ったまともな専門家の意見を引用してくれ ヘーゲル哲学は昔から徹底的に否定されてきた 俺もそれは正しいと思う 誰か一人の専門家の意見を鵜呑みにしてその人一人だけ信仰してるならその専門家を教祖にした宗教かもしれんが、多数の専門家がヘーゲルの哲学を批判してるのにヘーゲルの哲学を鵜呑みにしたら、そいつがヘーゲル信徒なんじゃないの? ちなみに俺は神を信じていない 棄教者だ これは違う
一度でも話を聞いてくれるかどうか
なだけ
親の指示はどっちでもいいし、その結果の決断したという経験が大事 アホみたいにレスしてるやつは「長いものにまかれれば成功」だと思い込んでいる
自分がどうしたいかが無さすぎる >>323
私はそのようなことができるほど頭の良い人間ではありませんが、あなたの『引用』というのはパラサイトでしかないことはよく分かる。
ヘーゲルを盲信しようとして裏切られたら憎さ百倍になって、今度はヘーゲルの批判者を盲信してパラサイトしようとしている。 >>327
俺はヘーゲルを盲信したこともないし、あなたがあなたの擁護してるヘーゲルすら読んだことがないのは分かるよ 盲信してるのはあなたではないか? 俺はヘーゲルを嫌いだし盲信したこともないが、ヘーゲルを読んだことはある しかしあなたはヘーゲルすら読まずヘーゲルを擁護してるわけだから、さしずめ聖書すら読めないのにキリスト教を擁護するあわれな文盲の信者にも似ている ルネッサンスのまえ、ラテン語が読める人しか聖書が読めなかったころならいざしらず、自国語に翻訳されている本がある現代にあなたのような盲信的な擁護者はふさわしくない 昭和の人間は遵法精神が低いから殴り返したら傷害罪だと理解してないよな
そんなんだから高齢者は痴漢したり人を轢いても謝らなかったりすぐしらばっくれたりするんだろう 栄養失調ばりにヒョロガリでヤンキーに服買わされてたやつのフェイスブック見たら今じゃそいつがチャラ男になってた
放送委員のチー牛は大学デビューで女とダーツしてる写真をアップしてた
何が言いたいかと言うと、人生長いので何があるか分からない ちなみに当時中学でイキってた俺は高校でインキャぼっちになって嫌儲に入り浸る独身アラフォーだ
登校拒否になるくらいが丁度いいのかもしれんぞ それどころか俺はヘーゲルを読む前にショーペンハウアーを読んだから、最初からヘーゲルなんぞ信用してなかったよ ああ、君はショーペンハウアーも読んだことがないのかい それはもったいない 哲学に関心があるのにヘーゲルもショーペンハウアーも読んだことがないなら、一体なんなら読んだことがあるんだ? カントか? マルクスか? ルソーか? ヘーゲルはカントにもマルクスにもルソーにも反してるというのに! ヘーゲルこそ哲学を国家に奉仕させ全体主義を完成させた祖だ! あんなもん擁護できるか! そういう親が今は介護虐待や介護放棄喰らってたりもするけど正しいのか? >>320
これ
どっちも人間としてどっかが壊れてるんだよな 74 :りぼんちゃん ◆BIJOU400pc :2008/08/08(金) 14:44:44.09 ID:LKt7vPXW0 ?PLT(22336)
あたちが小3の時の担任なんて竹刀持ってまちたわ
悪さしたりしたらケツ叩きあたりまえ
泣きながら打たれても自殺とか考えた事ありまちぇんでちたし
親に行っても「おまえが悪い」が当然の出来事
いまの時代がおかしい・・・つうかいまの団塊ジュニアがいかれているんでちゅ
173 :りぼんちゃん ◆BIJOU400pc :2008/08/08(金) 14:53:49.66 ID:LKt7vPXW0 ?PLT(22336)
>> 155
どう異常なのか、ここのスレに居る人にもわかるように
説明してごらんなちゃい
213 : 七喜(熊本県):2008/08/08(金) 14:57:51.67 ID:LKt7vPXW0
>> 188
よく読めよカスが
当時の話してんだろ
誰が叩く事を自体を正当化したか
次はお前の番だ 答えろ 不登校した所で結局学業遅れるわ青春失うわで良い事何もねえよな
いじめっ子は結局痛い目見ずに野放しで復讐も果たせないし
その時は逃げて楽かもしれないけど、逃げ癖と負け犬根性と憎い相手を克服出来なかった屈辱は生涯ついて回るぞ ヘーゲルなんか擁護したらこの句にふさわしい人間にはなれないだろうな
“真理のために命をささげる(Vitam Impendere Vero)
ユウェナリス『諷刺詩』第4歌91行”
(ルソーが『山からの手紙』で、ショーペンハウアーが『余録と補遺』でそれぞれ題辞にした。ルソー『演劇について ダランベールへの手紙』原注七一、岩波文庫p.279でこの句についての言及が既に『山からの手紙』以前にある)
これ以上見え透いた、むきだしの媚(こ)びへつらいがあるだろうか。しかし皇帝の頭の鶏冠(とさか)は直立した。権力は、神のそれに等しいと称揚されるとき、おのれについて言われる言葉をことごとく本当であると信じることができるのである。
ユウェナーリス『諷刺詩』(第4歌69~71行)
岩波文庫ローマ諷刺詩集 ペルシウス/ユウェナーリス作p.127
しかし暴君の聞き耳以上に暴力をふるうものが、何かあるだろうか。風雨や寒暑や荒れ模様の春のことなどを話題にしようと思っている側近の運命は、彼の耳一つにかかっていたのである。それゆえクリスプスは、急流に逆らってまで両腕を伸ばして泳ごうとは決してしなかった。それにまた、彼は魂からの言葉を虚心坦懐に話せる人でもなかったし、真理のために命を賭けることのできる市民でもなかった。こうして彼は長い年月を経て八十回目の夏を迎えていた。このような武器によって、彼はあのような宮廷においてすら安泰に過ごせたのである。
ユウェナーリス『諷刺詩』(第4歌86~92行)
岩波文庫ローマ諷刺詩集 ペルシウス/ユウェナーリス作p.128~129 しかし、歴史はその進行のなかで、『社会契約論』の真価を明らかにした。『社会契約論』の公刊後二七年、ルソーの死後一一年にして勃発したフランス革命がこれであった。一七九〇年一二月、革命議会は「『エミール』と『社会契約論』の著者」を記念して、「自由なフランス国民からJ・J・ルソーへ、真理のために命をささげる(Vitam Impendere Vero)」と彼が好んで自らの標語としたジュヴェナリスの句を刻んだ銅像をたてることを決議し、さらに一七九四年四月の国民公会はルソーの遺骸を「偉人の殿堂」たるパンテオンに移葬することを決定した。国民公会の指導者ロベスピエールはこのことについて語った。「おお、なんじ真の崇高なる人類の友よ。羨望と陰謀と専制によって迫害されたなんじ、不滅のジャン・ジャックよ。この名誉はまさになんじにこそあたえらるべきものだ」(『憲法の擁護者』四號、ロベスピエール全集四巻一二三頁)と。まことに、ルソーが確信していたように、『社会契約論』はみずからのあかしを立てる日をもったのである。
河野健二
岩波文庫社会契約論p.236解説 まあ実際正しいわ
屈辱や恐怖は直接その対象にすぐ返さないと一生引きずりかねない
勿論そういうものの一つや二つ抱えていくのも人生なんだけど
負けた自分を素直に悔しい駄目だ負けたって認められないと
被害者意識だけが肥大化してどうしようもないクズに育つ
せめて学校に行くんだよ、そんで悔しくても怖くてもそこに立ち続けるんだよ
それをやり切ればその先で何かで自信を得て取り戻せるかもだが
一度逃げたらもう二度と向き合えんのよ 俺はヘーゲルなんか擁護しねえ 「真理のために命をささげる(Vitam Impendere Vero)」 学校? クソだ 俺はあんなカスみたいなもんになにも与えられなかったし奪われつくされた だからあんなもん全否定してやんよ! 「真理のために命をささげる(Vitam Impendere Vero)」
学院(コレージュ)と呼ばれる笑うべき施設をわたしは公共教育の機関とはみなさない(六)。世間の教育も考慮にいれない。世間の教育は二つの相反する目的を追求して、どちらの目的にも達することができないのだ。それは、いつも他人のことを考えているように見せかけながら、自分のことのほかにはけっして考えない二重の人間をつくるほかに能がない。ところが、そういう見せかけは、すべての人に共通のものだから、だれもだませない。すべてはむだな心づかいということになる。
原注
六 いくつかの学校、とくにパリ大学には、わたしが愛し、大いに尊敬している教授がいるし、かれらは、もし既成の方法に従うことを強制されなかったら、青年を十分によく教えることができる人たちだとわたしは考えている。わたしはその一人にかれが考えた改革案を発表するようにとすすめている。人はやがて弊害には対策がないわけではないことを知ってそれを矯正しようと考えることになるだろう。〔初版本ではこの注の初めのところは「ジュネーヴのアカデミーとパリ大学には……」となっている。なお、ルソーは「学院という笑うべき施設」と書いたことをひじょうに気にしており、当時、学校教育に大きな勢力をもっていたイエス会士の報復をおそれている(「告白」第十一巻)。〕
ジャン=ジャック・ルソー
エミール、または教育について第一編
岩波文庫エミール(上)p.35~36、p.493原注
付記
かんたんな説明は本文中〔 〕内にしるしたばあいもあります。原注の〔 〕内のものも訳注です。
今野一雄岩波文庫エミール(上)p.14解説
娘たちの行く学校がないとは、たいへん不幸なことですわ。とんでもない。男の子の行く学校もなければどんなによかったことだろう。そうすれば、かれらはもっとちゃんとした、道理にかなった教育をうけられるのだ。
ジャン=ジャック・ルソー
エミール、または教育について第五編
岩波文庫エミール(下)p.21~22 教えたり学んだりするさまざまな施設がたくさんあり、そこへまた学生や教師がどっと押しかけているのを見ると、人間にとっては見識や真理が大問題なのだと思うひとがあるかもしれない。しかしここでも外観はひとを欺くのだ。教師たちは金(かね)をもうけるために教えているのであり、彼らが得ようとしているのは知恵ではなく、知恵のみせかけと評判にすぎない。また学生は知識や見識を得ようとして学んでいるのでなく、おしゃべりのたねを仕込むため、自分に箔(はく)をつけるためだ。こうして三十年ごとに新しい種族、ひよっ子どもが世にあらわれてくるが、彼らはなにも知らず、数千年をつうじて集められた人間の知識の成果を、概略だけてっとりばやくつめこみ、しかもあらゆる過去以上に知ったかぶりをしようというのだ。こういう目的で彼らは大学に通い、書物に手を出すが、それも同時代・同年輩のものである最新の書物に限られる。とにかくすべては手みじかで新しくないとだめなのだ! 彼ら自身が新しがり屋であるように。そのうえで彼らはでたらめな判断をくだす。──もともとパンのための学問のことなどは、ここではわたしは考えにいれなかった。
アルトゥール・ショーペンハウアー
余録と補遺:哲学小品集 第二巻 さまざまな主題に関する切れぎれではあるが体系的に配列された諸思想 第二一章博識と学者について第二四四節
白水社ショーペンハウアー全集14p.45 ルソーを読んで学校なんか擁護するようになったら俺は絶対
「真理のために命をささげる(Vitam Impendere Vero)」
ような哲学者にはなれねえよ! ヘーゲルみたいなカスになっちまう! 知識という暴力も同じだな
子供相手だとこういう詭弁を使えば子供を論破して虐げれるからな
論点ずらしが美味いよな適当に本論とは関係ないところで倍以上の演説を始めたらいいんだからな
まぁその論法は俺も使ってるよ
面倒な相手には自分の演説を聞かせ続ける
いったら芸人の持ちネタみたいなもんだからな疲れる事もないから相手を疲弊させる事が出来る
コレヲ子供にやるわけだから卑怯者の思考だよお前 >>1
そういう親も異性絡みだとしゃしゃって首突っ込んできやがるのw 「真理のために命をささげる(Vitam Impendere Vero)」という言葉が、ユウェナリスの諷刺詩で反権力の文脈で使われているということからお気付きだろう? 「真理のために命をささげる(Vitam Impendere Vero)」という句は、権力に迎合し全体主義を完成させたヘーゲルのような者にはけっしてふさわしくないのである 権力と闘い続けたルソーやショーペンハウアーのような人たちにこそふさわしい すべての権力と闘い続ける「真理のために命をささげる(Vitam Impendere Vero)」人たちへ この言葉を捧げようではないか!
“真理のために命をささげる(Vitam Impendere Vero)
ユウェナリス『諷刺詩』第4歌91行” >>81
殴るなら大勢が見てるところじゃなくて一対一のところでやれ
相手の小指掴んで離すな ヘーゲルは真理のために尽くさなかった! これだけでこの男を嫌う理由には十分ではないか!
哲学よ、お前は貧しく、裸足で歩く
ペトラルカ
アルトゥール・ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第二版への序文 にて引用
中公クラシックス意志と表象としての世界Ⅲp.277 >>355
君はアリストテレスは理解できたんか?スビノザは?カント、フィヒテ、シェリングは?
君はさっきからヘーゲルは絶対に引用しないな。そもそもヘーゲル哲学を理解できた上で批判してるのか?
だがヘーゲルはそんな君を甘やかさずに「自分で考えるのが哲学だろ。君は宗教をやっているのか?」と突っぱねた。
そこでヘーゲルに100%正しいことを教えてもらおうとして依存心満々だった君は、急に裏切られたような気持ちになって、その反動で憎さ百倍になったんじゃないのかな?
そして今度はヘーゲルへの復讐のためにその批判者達を信仰し始めたというわけ?
それではやってることは宗教と変わらないのでは? >>356
もろもろの具体的理念であるもろもろの民族精神は、おのれの真理と使命とを、“絶対的普遍性”である具体的理念のうちに、──すなわち世界精神のうちにもち、この王座のまわりを、世界精神実現の遂行者として、また世界精神の栄光の証人および装飾としてとりまいている。世界精神は精神であるから、おのれを絶対的に知り、そうすることによっておのれの意識を自然的直接性の形式から解放し、こうしておのれ自身に到達するところの精神活動の運動にほかならない。それゆえ世界精神の自己意識がおのれの解放の歩みにおいてとるところの形成態──すなわち“世界史的治世”──の“原理”は、“四つ”である。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
法の哲学 第三部倫理 第三章国家 C世界史 §三五二
中公クラシックス法の哲学Ⅱp.437〜438
この「世界精神」というのはまさしくヘーゲル的なナショナリズム、全体主義、ファシズムの体現だと思うけどどう思うかな? ポパーが『開かれた社会とその敵』で批判していることの二番煎じだけどポパーは正しいと思うね まさしくこの世界精神だとか宗教的な思想がナチズムにも繋がっていったのは明らかじゃないか そんなものを君は擁護するのか けしからん
> だがヘーゲルはそんな君を甘やかさずに「自分で考えるのが哲学だろ。君は宗教をやっているのか?」と突っぱねた。
ヘーゲルはいつこんなことを言ったんだ? 引用元は? 君の頭の中だけのセリフか?
ヘーゲルに「君の哲学は宗教的だね」と言って、ヘーゲルは否定すると思うのか? ヘーゲルは世界精神がどうとか言ってるような人間だけど > そこでヘーゲルに100%正しいことを教えてもらおうとして依存心満々だった君は、急に裏切られたような気持ちになって、その反動で憎さ百倍になったんじゃないのかな?
俺はヘーゲルを読む前にショーペンハウアーを読んで反ヘーゲルの文脈に触れていたと言っているんだけど国語力ないのか?>>335 でも殴り返したら、その後仲良くなるじゃん
それが嫌だよね
クズと仲良くしたくない (アウアウウー Sacf-RMzc) 君はどうやら宗教が嫌いみたいだね 僕もだ ヘーゲルみたいに宗教と哲学は元々一緒だったんだーなんて言うのは吐き気する(余録と補遺:哲学小品集 第一巻 大学の哲学について 白水社ショーペンハウアー全集10p.208)
そんな宗教の嫌いな君なら、ヘーゲルの言ってることの危うさにも気付くんじゃないの? 反宗教の文脈ならショーペンハウアーやポパーのほうがただしいよ それがぼくが君に「ヘーゲル読んでもないのになんでヘーゲル擁護してんの?」って言う理由だよ >>25
学校行ってても慣れてても朝起きるのと、通勤はきついよ 殴り返してこい!じゃなくて実際親がそいつの家まで行ってぶん殴って手本見せてやりゃいいのにな
殴ったこともない子供はどうやりゃいいのかもわからんだろ 殴れよ
子供なんて暴力ですべて解決できる
親も先生も出てこねぇよ
ビビってっからイジメられるんだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています