
今年8月、書籍『ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん』が刊行された。
映画・音楽などポップカルチャーやゲイカルチャーの分野を中心に活躍するライター/編集者の木津 毅氏が著した本書は、「おっさん好きのゲイ」である同氏が“イケてるおっさん”のアイコン=「ニュー・ダッド」の姿を通じ、これからの「父性」や「男性性」についてまなざす内容となっている。
今回は、本書の愛読者であるライター・TAN(LGBTQ+に関するコンテンツを作るチーム「やる気あり美」の一員。セクシュアリティはゲイ)が聞き手となり、木津氏へのインタビューを実施。かねてより親交もあるというふたりが、“ あたらしい時代のあたらしいおっさん”について、真面目に、ときめきながら考える。
木津 毅
(きづ・つよし)ライター、編集者。『ele-king』『ユリイカ』などで音楽や映画、ゲイ・カルチャーを中心に執筆。『ミュージック・マガジン』にて「LGBTQ+通信」を連載。著書に『ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん』(筑摩書房)。編書に田亀源五郎『ゲイ・カルチャーの未来へ』(ele-king books)。
「#MeToo」に感じた、“イケてるおっさん”を提示する必要性
『ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん』P64より(イラスト=澁谷玲子)
──まず『ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん』(以下、『ニュー・ダッド』)を執筆することになった経緯からお聞きしたいです。
木津 毅(以下、木津) 後にこの本の編集担当となる人とお話する機会があったときに、僕がいつもの調子で“イケてるおっさん”についてペラペラとしゃべりながら「日本は海外と比べて、イケてるおっさんについて取り上げる機会が少ない気がする」と口にしたら、彼が「それ、よかったら本にしませんか」と言ってくれて。
なのでたぶん、僕がおっさんの話を所構わずしていたことが企画のきっかけになったというか(笑)。もともと僕は、自分の好きなものについて話すのが好きで、それが執筆の原動力になっているタイプのライターなので。
同時に、その話をしていた2017年当時は「#MeToo」ムーブメントが世界的に活発化していたタイミングで、まさに中高年のマジョリティ男性の有害性が積極的に糾弾されていたころであるということも、この企画が始動した背景にあります。
当時の動きに対して僕なりに思うところがあり、“イケてるおっさん”のモデルが世の中にもっと必要なのではないかと考えていたんですよね。
──中高年のマジョリティ男性の有害性が糾弾され、自分が好きなものも問題をはらんでいるという現実を目の前にしたとき、狼狽えたりはしなかったですか?
木津 そこは本当に難しいですけど、たとえば批評っていうのは、必ずしも対象のよくないところに対して目をつぶることではないですよね。物事の見方を考える上で、僕はそうした批評に多く刺激を受けてきました。
それから、これは個人的な意見ですけど、今の世の中って悪い部分にいかに目をつぶって自分の「好き」を貫くか、そうやって忠誠を誓うことが重視されているようなところがあると思うんです。でも、ライターに限らず何かを「好き」と語る人は、その対象の悪いところを認識して葛藤や矛盾を踏まえた上で「好き」ということを言わないと、「好き」の強度が鈍るような気が、僕はしているんです。
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