丘の上、遠くに岬が見える状態で、手前にあるガラスのコップと顔の角度を考えると
そこに船が写り込むのは不可能に近いのではないか
ソーダ水の入ったカップを持ち上げて、ソーダ水を目の前にもってきたなら見えるかもしれない
でもそれなら「ソーダ水の中を 貨物船がとおる」という自発的な、自然な状況ではない

つまり、これは小さなアワも恋のように消えていったと言いたいがために作られた嘘松なのではないか!?

まあ、歌詞自体が嘘松ではあるが