男余りの激しかった江戸時代の「弱者男性」って何を生きがいにしてたの? [377482965]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>104
徳川前期農村の農家下半分は徳川末期までに98%断絶して
再上位層の分家で埋め尽くされてるからね >>121
これ聞いたときたまげたわ
まあそらそうか… >>45
ヲタは遊女よりかわいいとか言い張ってたらしいし
コンカフェって感じだな 江戸の男女比が極端だっただけだから江戸以外はむしろ女が余ってたんじゃね 揚げ足取りのようで申し訳ないが、生きがいなんて大仰な言葉は近代以降じゃないの 現代より生きるために人と関わらなきゃいけないって強制されるからあんまり孤独じゃなくてやり過ごせてたんじゃね
ガチで村八分にされてたらそもそも長く生きられないから淘汰されていく 長屋でホモセックス教養があれば男色ものを読んだりしたんだよ >>1
マジレスすると子育て
どんなに貧乏でも結婚して子供作ったからな
食わせるために、朝から晩まで働いた
娯楽は、たまにやる河原乞食がやる芝居を見ること >>121
現代日本人は誰でも皇族の血入ってるって話あるしな >>132
男余り激しくて生涯独身率高かったのに?他人の子供育てたのか? なんだよ俺の勝手だろ!ほっといてくれよ!つったら貧乏旗本の冷や飯食いに頬殴られた事ある 男色っていうと蔭間茶屋が有名だけど、普通の商店とか職人の所で丁稚奉公してる小僧も小遣い稼ぎでケツ売ってたらしい
人類史で一番ホモ文化が栄えたのが古代ギリシアのアテナイと江戸時代の日本と言われている >>128
当時は一夫多妻制なので問題なし
今の中東の上位クラスみたいな >>121
つまりみんな先祖が武士ってのもあながち間違いじゃないってことかね 家を継ぐわけでもない部屋住みの次男や三男は本当に家に居場所が無くて辛かったみたいだぞ
運良く金持ちの女捕まえて婿養子に行ければ勝ち組ルートだけど大抵はそんなことなく 生きる事だろ
寝てても銭が無くなって長家追い出されてそこらで野垂れ死ぬだけだぞ?ナマポとか無いんだから 飢饉と極限までの取り立てがほぼ常態化していて、上しか生き残れないのが江戸時代だから >>104
言うて今の自由な恋愛競争とはまるで違うやろ
ただただ家を残したいという闘争の果てが俺らなだけ 江戸の長屋は冬はクソ寒く
火事が多いから夜は火鉢も使えず
布団は高級品なので貧乏人には買えない
だから男同士で裸で抱き合って寝る事も多かった
すると何も起きない訳もなく… >>144
飢饉関係無く普通に今と一緒で超重税だし
地元も上層農家の汚職や不法三昧が酷いから
(汚職は当然の権利くらいにしか思ってないし殺人や強盗やっても放置)
必然下層農家が没落して最上位氏族の分家だらけに >>107
大名行列に仕事としてついて行って吉原で遊ぶのが田舎者の最大の楽しみ >>151
江戸以前の日本においては奉公も結婚もほとんど人身売買と同義だよ
仕事に限定される指示命令系統ではなく、「家」に仕えていたわけだしね
欧米に置ける奴隷と同じ状態
唯一の違いは市民とか奴隷とかそういうものを日本ではきちんと定義しなかったこと(奈良時代除く) レイプだろ
当時なんて山でも川でも捨てちまえばバレるわけないからな >>153
江戸時代だと拷問裁判で無理やり出した自白で死刑な >>156
今と変わらなくてワロタ
さすが中世ジャップランド >>86
マジだった
美人画は吉原に行けない男の欲望が生んだ?
堀口:浮世絵といえば、美人画を鑑賞するのは疑似恋愛ですよね。実際に吉原に行けない人のために美人を描いたものが最初なので、独身男性の欲望がベースにあるんです。
そういえば、コスプレも江戸時代にすごくはやっているんですよ。
荒川:そうなんですか!
堀口:仮装ができるかできないかで盛り場での人気度が違うので、頑張っていたみたいですよ。歌舞伎役者や、有名な歴史上の英雄などの仮装をしていたようです。男性も女性も。
いちばん大きな仮装のイベントは、吉原で1カ月間仮装パレードをする「吉原俄(よしわらにわか)」というイベントでした。そのときは花魁(おいらん)ではなく、吉原の裏方で働いている芸者たちが出し物をするんですよ。仮装をして踊ってと、まさにハロウィンのパレードみたいな感じです。
荒川:まさにハロウィンですね。
堀口:お花見でも仮装をやっていたみたいです。イベントの日に一生懸命仮装で趣向を凝らすというのはあの当時からすでにやっていたんですね。
荒川:歌舞伎役者のデフォルメされた浮世絵も、今でいうパロディ画ですよね。黄表紙も、今でいうラノベ(ライトノベル)やマンガですね。そうした芸術がどんどん生み出されたのは、やはり江戸中期以降のあの時代じゃないですか。
堀口:平和で戦争に行く必要がないから、文化面にやたらと力が行くんです。今を充実させるために貪欲な人たちだったので、今を楽しくしたいということでさまざまな芸術が発達したんです。
https://toyokeizai.net/articles/-/176709 まさに俺らと同じ
子孫を残せないところまで同じ
江戸の食文化は独身男が支えた
堀口:それから、食文化も栄えました。独身男性が多い江戸。しかも、みんな働いているため自炊するのは大変です。そこで食べ物の行商がはやるんですよ。お総菜やおつゆとかですね。
しかも、仕事前に食べられるように、完成したご飯のデリバリーが家にまで来ていたんです。
荒川:そんなサービスがすでに江戸時代にあったんですね。
堀口:和食は江戸時代に発達しましたが、要因は外食産業なんですよ。
食事を家で食べられない男性に向けたサービスとして、仕事に出ていった先で軽食を取るために屋台が発達したり、行商があったりと、コンビニエンスな食べ物が発達していきました。
荒川:江戸時代の男性はまったく自炊をしなかったのですか?
堀口:おコメくらいは炊くんですけど、それ以外の物は安い値段で買えてしまえるので、作る必要がなかったんですね。
ただ、江戸時代も260年間あるので、後半になると料理男子が出てくるんですよ。趣味として料理をする男子ですね。すると、レシピ集も出版されるようになって。
荒川:その流れってすごく今と似ていますね。今も外食産業はソロ男たちが支えていて、1人で1家族以上に外食費をかけています。
堀口:本当だ、すごく似ていますね。
荒川:男余りだったこと、オタクがいたこと、独身男性たちによって食文化が栄えたこと。今の日本と江戸時代の江戸は共通点がたくさんありますね。
結婚しない独身男性に対して「結婚して子どもを残してこそ一人前だ」と説教する人がいるんですが、
江戸時代のソロ男たちって、「子孫は残せなかったけど、今に続く文化や産業を残した」と思うんですよ。←←←←
未婚化や非婚化は決してマイナス部分だけではなく、そうした力もあるんじゃないかと思います。
https://toyokeizai.net/articles/-/176709 東京では昭和中ごろまで庶民は借家が当たり前だったし
借地借家法の前身である借地法が最初に制定されたのは1921(大正10)年。
借地人さんの権利を明確にした法律であり、時代の情勢も反映しながら幾度もの改正を経て今日に至っています。
戦前は土地の値段が安く、土地を所有したいというニーズや権利意識が薄かったため、日本の都市部では借地、借家の利用が一般的でした。
また、借地に自分が住む家を建てたり、建てた家を人に貸すということもありました。地主さんと家主さんが別々に存在する借家もあったほどです。
1941(昭和16)年に、最初の借地法の改正が行われました。「法定更新制度」といって、住むところがないなどの正当な理由がない限り、借地・借家の契約更新が法律で認められることになりました。
つまり地主さんは、借地人さんや借家人さんからの更新希望を拒絶することは事実上困難になったのです。
この改正の背景には、日本が国を挙げて戦争に邁進していた社会情勢がありました。
多くの成年男子を徴兵し戦地に送り出すにあたり、一家の大黒柱が留守の間に借家に住む家族が家を追い出されることのないよう、国策としてその権利を保護したのです。
借家と同じく借地が対象になったのは、当時の借家は借地の上に建てられていることが多かったため、借家人さんの住む権利を守るには、その大家さんの借地権も同時に保護する必要があったからです。
戦後、高度経済成長に伴って都市部に住む人口が飛躍的に増えたため、狭くても手頃な家賃の賃貸物件が借家として供給されていきました。
一方、物価上昇率をはるかに超えて高騰していたのが地価です。
「土地神話」といって、土地を持つことで資産になるという都市伝説が生まれたのもこの時期でした。
https://www.needs-p.jp/history/#:~:text=%E6%88%A6%E5%89%8D%E3%81%AF%E5%9C%9F%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%80%A4%E6%AE%B5,%E3%82%82%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%BB%E3%81%A9%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82 借家の理由
振り返ってみると戦前から1950年代くらいまで、都市部では昔からの地主など一部のお金持ち以外は借家(賃貸住宅)に住むのが一般的でした。
東京都区部、大阪市内、名古屋市内、神戸・京都・福岡といった都市では、文化住宅(アパート)、長屋、間借り、といった形態に違いはあれども、普通の暮らしをする多くの方々(=いわゆる庶民)は借家に住んでいました。
一方、同じころ、地方都市では、持ち家に大世帯で住むことが通常でした。
農業・漁業・家内制手工業などが主たる産業だったから、持ち家(=自宅)で商売を行う、自宅に隣する農地を耕作する等、職住接近の暮らしでした。
しかし、60年代70年代の高度経済成長期に大きく変化します。都市部で工業・商業が急拡大し、その担い手(労働者)として、地方都市からの多くの方々が都市部に移動します。
おもに、農業・漁業・林業といった一次産業を営む家の後継ぎでない男性(次男・三男・・)の方々です。中学、あるいは高校を卒業して、大都市にやってきた方々が、10年くらい経つと家庭を持ちます。
彼らの多くは、もともと「持ち家」で育っていますから、「いまは給与が少ないから借家だけど、いつかは自分の家を持ちたい」という「持ち家志向」なわけです。
こうした方々が所帯を持ちます。
その住まいとして、60年代後半~70年代にかけて、公的賃貸住宅つまり公団住宅、県営住宅、市営住宅が多く供給されます。
「まず賃貸」という状況です。そして、それからしばらくすると、つまり70年代後半から80年にかけて、こうした方々が、「次は持ち家」と考え、都市の郊外において戸建て住宅供給が増えます。
こうした流れのピークは、1980年代半ばから後半に起こる不動産バブルの時に起こります。
https://43up.jp/navi/trend/vol06.html
http://kakeizunotobira.denshishosekidaio.com/2016/06/11/post-957/
美人絵や春画が売れまくった >>21
それ新生児死亡率が高いせいで平均が下がってるだけ
中央値はもっと上 >>31
そのうち電子考古学みたいな学問ジャンルが出来て、平成末期~令和のアイドル・コンカフェ文化もTwitterのサーバーとかから発掘されて、未来モメンこうやって笑われるんだろうな >>57
田舎は夜這いしまくり
祭りは乱交パーティー会場だったんじゃないの?
江戸時代ではないが津山事件の弱者男性犯人だって結核?になって断られるまでは夜這いしまくってたらしいし
テキトーな知識なので本当のところは知らんが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています