【急募】豊臣秀頼「どうにかして徳川幕府に潰されない方法🥺」 [616817505]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>94 あの時点から天下分け目まで持っていけたのは普通に石田は読めてたやろ
そいつら自体にやる気が無かったけど徳川方もそんなに一枚岩ではなかった
勝ったとしても徳川は滅ぼせなかったろうし仮に滅ぼせてもそいつらが徳川に変わるだけで
秀吉が全力出してもやれなかったと思われる徳川…時代よりもかなりな弱体化(当然秀吉はそれをしてたわけで)
これをなんとか勝てた徳川が秀頼を放っておくわけがない
実際大坂の陣も疑心暗鬼の爺ぃの戦い方だったし
関ヶ原の段階で秀頼って数え年で8歳くらいじゃなかったか?
秀吉死んだ時点で詰んでんじゃね
>>89 清盛の例もあるし畿内に本拠地置きながらライバルを東に放つとか下策もいいとこなのにな
まあ徳川も関東を本拠地にしながらライバルを西に放ったから同種のミスを犯してるんだけど
>>111 後継者候補を粛清しまくったツケだな
ガチに晩年の秀吉はダメダメ
>>15 難癖つけて改易で小大名転落だろう
ただ官位だけ高い高家の大名版
>>108 秀吉の時点で関が原をやっておくべきだったよな
あの時代なら秀長 利家も生きてるし清正 福島 小早川は裏切らない感じするし
>>47 秀吉自身はどう思ってたん?
「こいつ全然俺に似てねえな」とか思わなかったんかね?
>>115 実際に東軍についた豊臣恩顧の大名って結局潰されてるんだよな
まぁお家騒動も原因だけど
>>116 そんな暇なかったというか
すぐに朝鮮行ってしまったしね
どうせなら家康総大将で現地いかせりゃ話変わってきたろうに
>>111 後ろ盾がいないんだよな
秀長と利家が死んだのが豊臣家にとって本当に痛い
いや、秀吉は徳川には負けてないんだけどなw
死んだ後の話とか秀吉にはどうにもならない
>>118 福島は舐めきった態度取ってたししゃーない
最上も割と自業自得
加藤はアレだな 他にいたっけ?
>>119 関東転封したばかりでそりゃ無理だろ
あんまり露骨すぎる虐めしたら他の大名も「次は俺かも」と疑心暗鬼になる
>>123 関ヶ原で勝利の要因になった小早川秀秋
改易された
公家か配下の一大名なれば助けたるって言われてたからそうするべきだった
かつて三法師が辿った道
>>112 ミスというか、「じゃあもう一度大戦やりますか?」と言われた時にそれはきついってのが本音だろう
成功しても財政難、失敗すれば権威失墜
何したところで潰す気しかなかったから仏門ワンチャン
まあそれでも潰されただろうが
三成憎しで分裂した豊臣家臣団がアホすぎた
あいつらが一枚岩なら家康もつけ入る隙無かったのに
まぁ秀吉が有力な世継ぎを早期にたてられなかった時点で詰んでたな
>>129 正直公家になってればお家は存続出来たろうな
秀頼自身はぼんくらではないようだし
徳川家から嫁ももらってた
徳川だって自家の利益と繁栄が最優先だし毛利や上杉ら他の大諸侯も同じ
関ヶ原で例え西軍が勝とうが豊臣家が秀吉の頃のような天下人になる可能性はゼロ
むしろ西軍勝ってたらもとの戦国に戻る公算の方が強い
>>125 家康も同じミスをしてるけど家康と同じ石高で信頼できる人をお目付け役で関東に置くべきだったね
家康も中国か九州に御三家を置いて御四家にしておくとよかったな
結局徳川も関ヶ原で煮え湯飲ませた毛利島津にやられるし因果は巡る
260年という世界史レベルでも有数の長期政権築いてんだから豊臣政権などとは雲泥の差よ
日本史上で最も成功した政権だぞ?
徳川は豊臣のような無様な最期ではなくむしろ自ら身を引くことで欧州の侵略から日本を守った説もある
家もしっかり残ってるしな
国内外に迷惑ばかりかけて自滅した豊臣や薩長政権などとは比べものにならん
8歳だかで関ヶ原あって事実上徳川の天下が決まったのにボンクラは少しかわいそう
>>140 まあ、ただ
長州や薩摩と違って徳川にはご恩があると藩主が倒幕には消極的だった土佐藩の例もあるから
薩摩と長州が倒幕の筆頭だったのは関ヶ原からの因縁が全くないとは個人的には思わないなあ
秀吉が家康を朝鮮出兵行かせなかったのは朝鮮出兵が成功する気満々で家康を残すことによって徳川が領土増える事を抑制して相対的に徳川の力を削ぐ事が目的だったと思う
ただ結果として朝鮮出兵が失敗に終わって参加した大名が疲弊して徳川の力が増したのが皮肉だったが
肉の油がスープ、汁を美味しい物に変えている事に気づいてすき焼きの美味しさがわかる
https://i.imgur.com/8t8Rl8n.jpg 公家になるか幕臣の高家として捨扶持食むくらいしかないだろ
>>136 そいつらが談合すると手がつけられない
関東は今では想像できないくらい僻地と思われてたから
どうだろう?
一応東海道には池田や山内、福島を配置
隣に浅野幸長
上杉佐竹堀もちょっと離れた場所だが
駆けつけられる距離
問題はそいつらほとんど寝返り
>>142 そんなこといったら水戸藩が尊皇攘夷やるってどういうことなんだよw
いや、まあ、水戸藩は水戸藩だしなあ、、、、そういうものかも
まあ、キチガイの水戸と長州はほっといて・・・
そもそも斉彬も久光も倒幕目指してないだろ
家臣団の暴走に引っ張られただけ
>>72 Wikiみたら茶々とまんざらでもない文献がちらほら残ってるみたいだったw
秀頼が京都で家康に会って、2mの巨体を見て家康がこいつを潰さなければ徳川家ピンチと思って豊臣を潰した
淀一派を放逐
家臣も大多数を解き放ち
大和郡山でも大きすぎるんで
伊賀あたりに少し所領もらって
京都で暮して公家として生きますよー
ってやれば完全に潰されることはなかった
秀頼が安倍晋三化して
徳川に仕えるも内側から土台を腐らせていく
朝鮮の宗教を持ち込んで
茶器や壺を高額販売して
城や版籍を乗っ取り
大人しくしてりゃ豊臣政権の織田くらいの扱いにはされてたろうな
家康の孫と結婚してるしそれなりに敬意払われてる
>>155 あと豊臣の姓と関白の官位を朝廷に返上だな
新たに伊賀守とか貰えばいい
右大臣なんぞもらってきたやつがアホ
豊臣家の朝廷窓口は誰なんだ
秀頼のおかんに好き勝手やらした結果がこれ
挙句の果てにお堀まで埋められて
ほんとアホだった
秀吉って自分のこと戦略の天才のように思ってるふしがあるけど結果見ると結構アホだよな
黒田の才能にずっと嫉妬してて天下がほぼ決まってから全てを自分の手柄にすべく外したら見事に采配間違った感じ
関ヶ原において調略武力両面で決定的働きをしたのが黒田という現実
最も重用庇護すべき家だったのに
公家になって武家を支えます!とアピール おかんは出家してもらう
>>159 ぶっちゃけ、さっさと徳川に恭順してりゃ家は残ったわな
秀頼の嫁は家康の実の孫娘、母親は二代将軍の正室の実の姉だから徳川秀忠にとっては甥っ子にあたる
徳川の代が変わったとしても三代将軍の家光になれば、秀頼は母方の従兄弟であり、姉の旦那だから義理の兄にあたる存在にもなる
徳川とはしっかり関係性も深い
普通なら潰されるはずがない関係性であって
そういう意味では秀吉も秀頼の行く末に徳川が敵にならないようちゃんと手当てしてるわな
淀殿の江戸への人質だって、少し後には参勤交代で当たり前になる事だし
江戸では妹である江ともちょくちょく会えただろうから老後も平穏に暮らせただろうに
太閤の栄光にとりつかれた変なプライドさえなければ豊臣はちゃんと残れたはず
>>23 未開の名ばかり大領地で嫌がらせだったんだよ
>>117 思っただろうが茶々の子であることは間違いないわけで、老い先短い自分の跡を託すには種違いでもいいやって心情になったのかな
それと秀吉は源氏物語は読んでたんだっけ?
読んでたなら桐壺帝や光源氏の宿命に自分をなぞらえてたのかも
>>112 そんな当時的にも数百年前のことなど参考にはせんだろう
直近のケースを考えれば将軍と鎌倉公方・古河公方など
近畿政権と関東政権が両立していた期間が長かったわけで
秀吉がそれを参考にしてもおかしくはない
秀吉の九州攻めや小田原攻めが兵糧切れで厳しかったように
当時は遠隔地に大軍を派遣して兵站を維持するのは難しいらしい
大阪の陣後でも徳川が反抗心旺盛な島津・伊達を潰せなかったんだから
当時の軍事上の限界といった所
>>132 織田信長の前で蹴鞠を披露したエピソード好き
無能武将の印象しか無かったが、相当に肝が座った人なんだなと思ったわ
大坂城落城一歩手前で命乞いの使者家康に出したのは淀だろ
秀頼は淀の被害者
もう少し自立してたら死なずに済んだものを
官職返上して母親を江戸に人質に出して木下姓に戻して奥州棚倉5万石に転封を申し出れば助かった
こいつら自身が織田家から権力簒奪したのになんで
豊臣だけ家康が悪ものみたいにいうやついるの?
大阪人のステマだろこれ
国替えの要求飲んでれば命だけは助かったかもな
ただ加藤清正や福島正則の跡目の始末見る限り
難癖つけられて改易コースは不可避だろう
>>182 千姫との間に子供ができてればそれもなかったと思うよ
秀頼の庶子である国松は大阪の陣の後に処刑されたが
じゃあ、仮に千姫が秀頼の子を、跡継ぎの男子を産んでたとしたら
その子が処刑されたとも思えんし
処刑されるだろ、そのな頼朝ポジの男子を家康が放置しておくわけない
まあ金が尽きてたから滅亡望んだかたちにしたのかも知れない
徳川が持ち帰った話もなかったよな
>>185 頼朝ポジとは違うわな
そもそも、秀頼が恭順した前提の話なんだから
秀吉を家康が討ったわけでも秀頼を討ったわけでもない以上は徳川は秀頼の子の仇でもないわけで
関係性も家康にとっては曾孫、二代の秀忠にとっては孫、三代の家光にとっては甥っ子だしね
豊臣っても江戸に置いて旧臣から切り離せば影響もないし
後々には松平の性が与えられるんじゃ?
信長も秀吉も才覚で天下とったのに対して家康の長生きしたから取れましたがあまりにも萎えるから家康が華が無いのはしょうがない
山岡荘八が家康過大評価の持ち上げ小説書いた結果サラリーマンの鑑と言われるやっぱり華が無い
>>192 戦国武将が全国にその3人しかいないのなら、その中で長生きした者が最終的には勝つってのは正しいが
そうではないからねえ
信長も秀吉も家康も
当然、運も才覚もあったからあそこまで行ったんだよ
>>190 恭順したらの話か、夏の陣後の國松と比較してかと思った
そうなったら徳川の血が入っているわけだから普通に羽柴松平家として続いていくだろうな
石高ガシガシ削られて豊臣の氏返上させられるだろうけど
ボンクラではないやろ
いろんな文献で優秀だったと伝えられている
淀殿って秀吉に恨みはらすために死に戻りした人生2周目のなろう女主人公だったんじゃね
>>139 鳥羽伏見で余裕ぶっこいてたら奇襲攻撃受けて惨敗し、挙句の果てに将兵を見捨てて船で江戸まで逃げ帰ったのが無様でないと?
>>182 なんだかんだいって足利、古河公方、今川、織田と
自分以前の権力者は大事にしていたのは徳川なので
改易されたとしても一定程度の身分は保証されたんじゃないかな
これはEASYすぎるだろ
もう少し難易度高い問題の方を頼むわ
上杉憲政がどうにかして関東から北条一族を追い出す方法とか織田に勝つ方法、武田勝頼とか
潰されない、というだけなら大阪城退去でよかったろな。
65万石位の大大名家として残れたよ。
>>206 家康が死んだあと浪人集められて謀反起こされるから
65万石与えるぐらいなら豊臣家皆殺しにするよ
千姫との間にボコボコ子供を作り
嫡男をじいじに人質に出す
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています