日本史を書き換える大発見!蝦夷、大和朝廷と別に敵対してなかった。安倍の先祖も蝦夷なんだよな [389326466]
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岩手県の奥州市埋蔵文化財調査センターはこのほど、平安時代の朝廷が築いた胆沢(いさわ)城の跡(同市)で出土した硯(すずり)から、蝦夷(えみし)が城の正門を守っていたことを示す墨書が見つかったと明らかにした。これまで蝦夷と朝廷は対立関係にあったとされ、専門家は「朝廷と深い関係にあったことが分かり、これまでの歴史観を覆す発見」としている。
センターによると、硯(縦17・8センチ、横15・7センチ、高さ6センチ)は1976年度、正門近くで出土。当初、文字が薄く読めなかったが、センターは3年前から分析を進め、赤外線カメラを使い裏面と側面に墨で書かれた「宇曹」という文字を解読した。「宇」は蝦夷の有力豪族「宇漢米公(うかめのきみ)」、「曹」は詰め所を意味し、この豪族が9世紀後半、正門の守衛や人の出入りを管理していたという。
朝廷は7世紀以降、支配下になかった東北地方にたびたび軍を送り、蝦夷と戦いを繰り返した。胆沢城は、蝦夷のリーダー阿弖流為(あてるい)らを降伏させた征夷大将軍坂上田村麻呂が延暦21(802)年に築いた蝦夷征伐の拠点。朝廷は一方、恭順の意を示した蝦夷には官位を与え、都に招くなどして懐柔に努めた。
蝦夷が朝廷の拠点を守衛していたことを記す史料が見つかったのは初めて。岩手大の樋口知志教授(日本古代史)は「力のある豪族に守衛をさせ、権威をアピールしようとした朝廷の意図が分かる」と指摘。「守衛は重役で名誉とされていただけに、朝廷は豪族の懐柔に腐心したのだろう」と分析している。(共同)
https://www.nikkansports.com/m/general/news/202212180000922_m.html?mode=all&utm_source=AMPbutton&utm_medium=referral こっそり横流しの金属器と馬を交換したりしてたらしいな 蝦夷も一枚岩じゃなかったんだろ
俘囚になってからも争いあったんだしその後も奥州藤原にくっついたり離れたりで朝廷より地元の事情が優先してたし だから征夷大将軍の名が武士の中でも持て囃されたんかな 今で言うと遠い未来に「札幌市役所」って書いたシールが貼られたパソコンが発掘されて「定説ではロシア領だと思われていた北海道は実は日本領だったことが判明!」みたいな感じか
9世紀後半なら38年動乱の後だから、そりゃ蝦夷はフルボッコにされて抵抗勢力居なくなってるよ 国ですらないただの部族連合相手に何百年戦してんだよ
ジャップ軍って昔から弱かったね >>8
近代になるまではどこの国もそんなもん
中国も千年単位で遊牧民と争ってたし
ローマ帝国も国境地帯では常に現地の部族と戦争状態 >>11
アシタカは所沢だろ。そこからインパラに乗ってたたら場の兵庫まで行った。
すごいあのインパラがすごい そもそも阿弖流為も最初から反抗してたわけでもなく
朝廷が陸奥に進出して支配地と税を広げていくなかでの衝突事件が積み重なって
朝廷側が大軍で攻め寄せてきた事への反抗だからな つーか体の良い追放先だから潰れたら困るのが蝦夷でしょ
奥州藤原氏が権勢誇ったのも当時の東北に追放された貴人が多数いたからだし 中央に敵対した蝦夷の平将門
中央にすり寄った蝦夷の藤原秀郷
両方いるな
勇猛と評価された坂東武士の由来は蝦夷で結局中央に囲い込まれた 大反乱になった多賀城焼かれたヤツも
ムカつくヤツが贔屓にされて自分が遠ざけられたからぶっ殺してそのまま排斥運動にシフトしていっただけやし 安倍家の先祖が安倍貞任だってのは東日流外三郡誌という偽古文書を作った和田喜八郎さんが言い出した
父の安倍晋太郎さんは結構入れ込んでたけど晋三さんはハマらなかったみたい クソつまらないジャップ歴史の中でも、屈指につまらない時期の話なんてどうでもいい しかしふざけた市名だな
こういう歴史を無視した市名は国が是正させろ 東北みたいに縄文系民族と古代大和民族との混血が進んだ地域もあるし全く対立してたわけではないだろうと思ってた >>3
それな。関東以北の朝廷に従わない連中の総称みたいなもんだし蝦夷って括りで扱うのがムリがあると思うわ >>11
あれは蝦夷でなく平家の落人じゃなかった? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています