江戸時代は「里」(り)が距離の単位であり、道には一里塚があった。駕籠も1里(約4km)を目安とした料金を設定していた。1里につき約400文(もん)だった。


 江戸時代の通貨の価値は時代によって異なるため、現在の金額に換算するのは難しいが、ここでは便宜上、1両を約7万5000円とし、それを基準に他の通貨である朱(しゅ)、匁(もんめ)、文などの価値も算出した。

 そうなると、文は1文で約12円。400文だと約4800円である。これが、いわゆる「流し」の駕籠の料金だった。

 一方、町駕籠が頻繁に使われたのは、遊郭の吉原へ行く時だった。天保年間(1830~1843)では、日本橋~吉原の運賃が金2朱だったという記録がある(『国史大辞典3』吉川弘文館)。金1朱を約5000円とすると約1万円で、「流し」とは値段が著しく異なっている。

江戸のタクシー「町駕籠」 料金はいくら? どんなトラブルがあった? 知られざる歴史をたどる【江戸モビリティーズのまなざし】 | Merkmal(メルクマール) - (2)
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